2016年03月14日
あたりまえという感情は不幸の入口!あたりまえをいかに楽しむかが幸せになるコツ!
平々凡々な毎日、刺激的な毎日、波瀾万丈な日々、
この中で一番幸せなのはいったいどんな日々なのでしょうか。
答えは簡単ですね。どれも正解で、受ける人がどう受け止めるかで
幸せにもなるし、不幸せにも感じられるということです。
▼あたりまえという表現は幸せを吹き飛ばしてしまう魔法の言葉
「できて当然!」「そんなのあたりまえだよ」
普段から、何の変哲もなく使っている言葉です。
あたりまえという表現自体が悪いわけでも何でもありませんが、
生活の中でこういう感覚が自分の脳内で占有されてしまうと、
一気に幸せを感じる機能が低下します。
「専業主婦なんだから家事をやってあたりまえ」
「男なんだから力作業をやってあたりまえ」
「毎日ごはんが食べることができてあたりまえ」
「店員なんだから商品知識が高くてあたりまえ」
「親なんだからしっかり子育てができてあたりまえ」
などなど、あげればきりがありませんが、
私たちの生活環境の中では、自然にあたりまえになってしまっていることが多いのです。
そしてこの言葉や考え方は、唱え続けると魔の魔法のように自分自身の
幸せを吸い取る表現でもあります。
▼変化が起きるとあたりまえもあたりまえではなくなる。
あたりまえなことをどう捉えて生きていくかは、ある意味人間にとって大きな
テーマなのかもしれません。あたりまえで普通でつまらないことと捉えるのか、
あたりまえなことができないことに腹を立てるのか、あたりまえなことに
感謝できるのかで心理的には大きな差が生まれることでしょう。
例えば、お寿司が大好きだとして、高級寿司も毎日毎食食べることができたとしても、
日に日に満足度は低下していくのではないでしょうか。初めは美味しくて堪らなく
感無量な気持ちになることができますが、1ヶ月、半年、1年と同じ物を食べるとなったら、
いい加減飽きてくるかもしれません。1年経てば、最初の喜びや幸せ感から比較したら、
ありきたりの食事として、満足どころかむしろ不満が生まれているかもしれないのです。
逆に、山で遭難して何日もろくな食事ができていない日々が続き、
無事に救出されたとしましょう。飢えと不安の中でサバイバル体験をした後では、
1杯のお味噌汁、1杯のおかゆですら、五臓六腑にしみわたるような感極まる
美味しさや幸せ感を生み出すでしょう。
こういうことから、私たちの幸せだなぁという思いは、日々の変化があることで
生み出されるものなのです。あたりまえのことをあたりまえと思って暮らしてしまうのは
いわゆる、不幸の始まりなのかもしれません。あたりまえなことをいかに楽しむか、自分なりに
変化を感じて、日頃の幸せなことを実感できるかという受け止め方の訓練次第で、
いくらでも、だれにでも幸せは訪れるのだろうと思います。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
この中で一番幸せなのはいったいどんな日々なのでしょうか。
答えは簡単ですね。どれも正解で、受ける人がどう受け止めるかで
幸せにもなるし、不幸せにも感じられるということです。
▼あたりまえという表現は幸せを吹き飛ばしてしまう魔法の言葉
「できて当然!」「そんなのあたりまえだよ」
普段から、何の変哲もなく使っている言葉です。
あたりまえという表現自体が悪いわけでも何でもありませんが、
生活の中でこういう感覚が自分の脳内で占有されてしまうと、
一気に幸せを感じる機能が低下します。
「専業主婦なんだから家事をやってあたりまえ」
「男なんだから力作業をやってあたりまえ」
「毎日ごはんが食べることができてあたりまえ」
「店員なんだから商品知識が高くてあたりまえ」
「親なんだからしっかり子育てができてあたりまえ」
などなど、あげればきりがありませんが、
私たちの生活環境の中では、自然にあたりまえになってしまっていることが多いのです。
そしてこの言葉や考え方は、唱え続けると魔の魔法のように自分自身の
幸せを吸い取る表現でもあります。
▼変化が起きるとあたりまえもあたりまえではなくなる。
あたりまえなことをどう捉えて生きていくかは、ある意味人間にとって大きな
テーマなのかもしれません。あたりまえで普通でつまらないことと捉えるのか、
あたりまえなことができないことに腹を立てるのか、あたりまえなことに
感謝できるのかで心理的には大きな差が生まれることでしょう。
例えば、お寿司が大好きだとして、高級寿司も毎日毎食食べることができたとしても、
日に日に満足度は低下していくのではないでしょうか。初めは美味しくて堪らなく
感無量な気持ちになることができますが、1ヶ月、半年、1年と同じ物を食べるとなったら、
いい加減飽きてくるかもしれません。1年経てば、最初の喜びや幸せ感から比較したら、
ありきたりの食事として、満足どころかむしろ不満が生まれているかもしれないのです。
逆に、山で遭難して何日もろくな食事ができていない日々が続き、
無事に救出されたとしましょう。飢えと不安の中でサバイバル体験をした後では、
1杯のお味噌汁、1杯のおかゆですら、五臓六腑にしみわたるような感極まる
美味しさや幸せ感を生み出すでしょう。
こういうことから、私たちの幸せだなぁという思いは、日々の変化があることで
生み出されるものなのです。あたりまえのことをあたりまえと思って暮らしてしまうのは
いわゆる、不幸の始まりなのかもしれません。あたりまえなことをいかに楽しむか、自分なりに
変化を感じて、日頃の幸せなことを実感できるかという受け止め方の訓練次第で、
いくらでも、だれにでも幸せは訪れるのだろうと思います。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
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