2016年01月13日
どんなに幸せでも不幸に感じる?!自動思考という考え方の癖が自分を追い詰める。
アダルトチルドレンと、ひとことでいってもタイプはさまざまあります。
私は、自己分析をしていくとヒーロータイプのACが強く、以前話した、
メサイアコンプレックスというものがあるのかもしれません。
もの凄く裕福な家庭で育ったというわけでなく、どちらかというと貧乏に近い
方の生活をしていたのかもしれません。しかし、だからといって生まれてこのかた
1日でも食事を食べることができないというような困窮した生活ではありません。
五体満足で生まれて、学業も運動も可もなく不可もなくという感じで、本当に
ごくごく普通の人間として成長してきたと思います。自分が普通だからこそ英雄や
救世主のような者に憧れるという意識が子どもの頃から脳裏にはあったようです。
学生時代も留年も浪人もすることなく、大学まで行かせてもらった訳ですし、
普通に就職もでき、さらに結婚して子宝にまで恵まれるという人生。
もちろん、細かい紆余曲折はあったにせよ、悪いことばかりの人生ではなかったはずです。
活字にして書いてみると、絵に描いたような一般的な親が理想とする
軌跡を歩んできており、これはこれで、客観的にみれば幸せなことだよなぁとしみじみ感じるわけです。
しかし、どうして満たされない感情が泉から湧き出るかのごとくでてくるのでしょうか。
それはやはり、脳にこびりついてしまった考え方の癖が、自分を苦しめているからです。
いつぐらいでしょう。物心がつく小学生ぐらいの幼い頃から、ラッキーなことや、うれしいと思うこと、
にどこか抵抗を感じる子どもだったような気がします。
幸せを求めているのに、幸せなことに抵抗があるというのも矛盾した話なのですが、
・自分が凄く良いと思うことがあったり、
・ついているなぁと思うことがあったり、
・うれしいなぁとかんじることがあったり、
そんなことがあった次の瞬間には、
「こんな良いことがあったんじゃ、あとで悪いことが起きないかな。」
「良いことがあったから、次は悪いことが起きるなぁ…」
「運を使っちゃったから、今日はもういいことはないだろうな。」
なんて言うことを、自然に思い浮かべていたのです。
こんなことを思い浮かべて、心の底から嬉しさが感じられるでしょうか?
最終的に自分を襲ってくるのは、未来の悪いことに対する不安感がでてきます。
良いことがあったとしても、結局今の幸せを満喫すると言うことが苦手で、
先の不安を思い浮かべて気持ちを静める癖が大分小さいときからついていたんですね。
逆に、悪いことがあれば、じゃあ次は良いことがあるから気分が晴れるかと言えば
そうではありません。悪いことがあれば、
・どうして自分ばかり悪いことが起きるのだろう。
・今日は既にいいことがあったから、悪いことが起きるんだ。
・誰も自分の気持ちは分かってくれないや。
と考えて、より自分に対して否定的な印象を植え付けるという思考になります。
これは、いわゆる自動思考とよばれる自分が意図的に制御できない潜在的な
考え方の条件反射とでも言いましょうか。思考回路がそういったロジックで形成され
ているのです。
三つ子の魂百までという言葉がありますが、本当にその通りだと思います。
小さい頃に植え付けられた脳の癖、つまり考え方の癖は、意識して矯正しなければ、
死ぬまで自分の中に残ると言っても過言ではないのです。
こういう考え方になってしまう原因としては、私が元々もっているポテンシャルもありますが、
親のつまらなさそうな表情、怒りの表情、あざけ笑う表情や発言、行動などが知らずに自分の
ベースを形成する材料になっているからです。
物理的に親と離れて暮らしていても、親からの呪縛から自分の力で抜け出さないと、
一生こういう思考が繰り広げられるわけです。こんな考えで暮らしていれば、毎日
不安や怒りが絶えない日が続き、少しぐらいうれしいことがあっても、焼け石に水だという
ことが分かるでしょう。うれしいことを恥じらいなくうれしいと感じることに恐れているとも
いえます。
知らぬ間に植え付けられた、自分の親からの呪縛から活路を見いだし始めたとき、
今までどこを歩いても、もやがかかった世界感から、一寸の光が差し込むきっかけになるかもしれません。
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
私は、自己分析をしていくとヒーロータイプのACが強く、以前話した、
メサイアコンプレックスというものがあるのかもしれません。
もの凄く裕福な家庭で育ったというわけでなく、どちらかというと貧乏に近い
方の生活をしていたのかもしれません。しかし、だからといって生まれてこのかた
1日でも食事を食べることができないというような困窮した生活ではありません。
五体満足で生まれて、学業も運動も可もなく不可もなくという感じで、本当に
ごくごく普通の人間として成長してきたと思います。自分が普通だからこそ英雄や
救世主のような者に憧れるという意識が子どもの頃から脳裏にはあったようです。
学生時代も留年も浪人もすることなく、大学まで行かせてもらった訳ですし、
普通に就職もでき、さらに結婚して子宝にまで恵まれるという人生。
もちろん、細かい紆余曲折はあったにせよ、悪いことばかりの人生ではなかったはずです。
活字にして書いてみると、絵に描いたような一般的な親が理想とする
軌跡を歩んできており、これはこれで、客観的にみれば幸せなことだよなぁとしみじみ感じるわけです。
しかし、どうして満たされない感情が泉から湧き出るかのごとくでてくるのでしょうか。
それはやはり、脳にこびりついてしまった考え方の癖が、自分を苦しめているからです。
いつぐらいでしょう。物心がつく小学生ぐらいの幼い頃から、ラッキーなことや、うれしいと思うこと、
にどこか抵抗を感じる子どもだったような気がします。
幸せを求めているのに、幸せなことに抵抗があるというのも矛盾した話なのですが、
・自分が凄く良いと思うことがあったり、
・ついているなぁと思うことがあったり、
・うれしいなぁとかんじることがあったり、
そんなことがあった次の瞬間には、
「こんな良いことがあったんじゃ、あとで悪いことが起きないかな。」
「良いことがあったから、次は悪いことが起きるなぁ…」
「運を使っちゃったから、今日はもういいことはないだろうな。」
なんて言うことを、自然に思い浮かべていたのです。
こんなことを思い浮かべて、心の底から嬉しさが感じられるでしょうか?
最終的に自分を襲ってくるのは、未来の悪いことに対する不安感がでてきます。
良いことがあったとしても、結局今の幸せを満喫すると言うことが苦手で、
先の不安を思い浮かべて気持ちを静める癖が大分小さいときからついていたんですね。
逆に、悪いことがあれば、じゃあ次は良いことがあるから気分が晴れるかと言えば
そうではありません。悪いことがあれば、
・どうして自分ばかり悪いことが起きるのだろう。
・今日は既にいいことがあったから、悪いことが起きるんだ。
・誰も自分の気持ちは分かってくれないや。
と考えて、より自分に対して否定的な印象を植え付けるという思考になります。
これは、いわゆる自動思考とよばれる自分が意図的に制御できない潜在的な
考え方の条件反射とでも言いましょうか。思考回路がそういったロジックで形成され
ているのです。
三つ子の魂百までという言葉がありますが、本当にその通りだと思います。
小さい頃に植え付けられた脳の癖、つまり考え方の癖は、意識して矯正しなければ、
死ぬまで自分の中に残ると言っても過言ではないのです。
こういう考え方になってしまう原因としては、私が元々もっているポテンシャルもありますが、
親のつまらなさそうな表情、怒りの表情、あざけ笑う表情や発言、行動などが知らずに自分の
ベースを形成する材料になっているからです。
物理的に親と離れて暮らしていても、親からの呪縛から自分の力で抜け出さないと、
一生こういう思考が繰り広げられるわけです。こんな考えで暮らしていれば、毎日
不安や怒りが絶えない日が続き、少しぐらいうれしいことがあっても、焼け石に水だという
ことが分かるでしょう。うれしいことを恥じらいなくうれしいと感じることに恐れているとも
いえます。
知らぬ間に植え付けられた、自分の親からの呪縛から活路を見いだし始めたとき、
今までどこを歩いても、もやがかかった世界感から、一寸の光が差し込むきっかけになるかもしれません。
自閉症スペクトラムがよくわかる本 (健康ライブラリーイラスト版)
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