2016年01月12日
自分の劣等感を刺激しないよう、他人の劣等感を刺激して優越感を得る。
劣勢、劣悪、劣性遺伝子、劣等感…
「劣る」という文字から形成される言葉は、どれも心地の良い言葉ではありません。
そして、私の脳を悩ませるワードでもあります。
どんなに優れた人間にも、他人より劣るというものはあるでしょう。
それを、自ら劣ると認識できるか、できないかで人間性も大きく変わってくる
きがします。
私自身、一見すると、アスペ嫁や、アスペ息子との生活の中での苦悩が多く描かれて
いると思いますが、もっと掘り下げて考えてみるとするならば、その闘っている根底は、
自分自身の「劣等感」なのかもしれません。
それゆえ、自分でも気づかなかった劣等感に対して、潜在的に攻撃を他人から受けると、
条件反射的に、反骨精神が芽生えてくるということが多かったです。
これは、私にとっては、良くも悪くもありました。この感情が自分の行動原理の源に
なっているのです。それゆえ、ときにはこの反骨精神がとてつもない力を発揮するのです。
しかし、この力は本来の自分の能力ではないんです。自分の100%以上の能力を
憎悪や復讐、見返してやるという気持ちでドーピングをして発揮しているため、
普段から気軽に出せる能力ではないのです。そういう性質のため反骨精神でものごとを
取り組んだ後は、結果が自分にとって成功に値することでも、どこか心の中では、空虚感
というか虚無感というか、穴が開いたような力が抜けた状態になります。
おかしな話ですが、「期待」されるよりも、「否定」される方が力が増す感じです。
例えば、仕事で、
「良い結果を期待しているよ!」といわれるよりも、
「どうせお前になんかできるはずない。」といわれた方が、
結果的に、しゃかりきになって200%の力を出せたりできる場合が多いんですね。
もちろん、心としては、期待されるという自分を肯定された方が良いと思っています。
しかし、なぜか期待されると、プレッシャーの方が強くなって自滅することが間々あるのです。
つまり、ハードルを変に下げられるよりは、あげられた方が燃えるという感じなのかもしれません。
その反面、お前にはできないと、言われると、絶対見返してやろうという気持ちが
沸々と湧き上がり、普段発揮できない力がでて結果を残せたりします。
自分は劣等生ではない!お前より劣っていない!と信じ込みたい力は、
ときにはこういった活躍をすることもあるのですが、この行動原理ですと、
心が満たされて幸せ感を享受すると言うことはなかなか難しくなるのです。
自分の劣等感を刺激されて、それを守るために自己防衛で行動している
原動力は、あくまで守りの姿勢なんです。自分がやりたくてやっていると言うこと
とは違います。だから、達成しても満足度合いも異なるわけです。
子どもでも大人でも、いじめという問題はどこに行っても存在します。
いくら「いじめはいけないこと!」という認識があっても世の中からなくならないのは、
極端な劣等感を有する者がいなくならないからでもあります。
極端な劣等感を持っている人は、その劣等感を見て見ぬ振りをするために、他人に対して攻撃的に
なるタイプと、自分の劣等感を必死に自分で守ろうと保守的になるタイプに別れることが多いようです。
前者が、いじめる側、後者がいじめられる側となるケースが多いのです。
他人の悪口ばかり言っているような大人も前者になります。他人を見下すことで
必然的に自分の方が立場が上だとアピールをし優越感を得ます。
人に触れられたくない劣等感は誰にでもあるとは思いますが、大抵の劣等感は
親がその価値観を植え込んだものであることを忘れてはいけません。
劣等感を極端に持ちすぎている人の共通点は、ありのままの自分を自分自身で
認めることができていないまま、毎日を生活していることになります。
他人よりも何よりも、自分が自分の劣等感を見下していじめている状態です。
まずは、自分で自分をいじめるという無意識な思考の連鎖を立つことが必要と
なってくるでしょう。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
「劣る」という文字から形成される言葉は、どれも心地の良い言葉ではありません。
そして、私の脳を悩ませるワードでもあります。
どんなに優れた人間にも、他人より劣るというものはあるでしょう。
それを、自ら劣ると認識できるか、できないかで人間性も大きく変わってくる
きがします。
私自身、一見すると、アスペ嫁や、アスペ息子との生活の中での苦悩が多く描かれて
いると思いますが、もっと掘り下げて考えてみるとするならば、その闘っている根底は、
自分自身の「劣等感」なのかもしれません。
それゆえ、自分でも気づかなかった劣等感に対して、潜在的に攻撃を他人から受けると、
条件反射的に、反骨精神が芽生えてくるということが多かったです。
これは、私にとっては、良くも悪くもありました。この感情が自分の行動原理の源に
なっているのです。それゆえ、ときにはこの反骨精神がとてつもない力を発揮するのです。
しかし、この力は本来の自分の能力ではないんです。自分の100%以上の能力を
憎悪や復讐、見返してやるという気持ちでドーピングをして発揮しているため、
普段から気軽に出せる能力ではないのです。そういう性質のため反骨精神でものごとを
取り組んだ後は、結果が自分にとって成功に値することでも、どこか心の中では、空虚感
というか虚無感というか、穴が開いたような力が抜けた状態になります。
おかしな話ですが、「期待」されるよりも、「否定」される方が力が増す感じです。
例えば、仕事で、
「良い結果を期待しているよ!」といわれるよりも、
「どうせお前になんかできるはずない。」といわれた方が、
結果的に、しゃかりきになって200%の力を出せたりできる場合が多いんですね。
もちろん、心としては、期待されるという自分を肯定された方が良いと思っています。
しかし、なぜか期待されると、プレッシャーの方が強くなって自滅することが間々あるのです。
つまり、ハードルを変に下げられるよりは、あげられた方が燃えるという感じなのかもしれません。
その反面、お前にはできないと、言われると、絶対見返してやろうという気持ちが
沸々と湧き上がり、普段発揮できない力がでて結果を残せたりします。
自分は劣等生ではない!お前より劣っていない!と信じ込みたい力は、
ときにはこういった活躍をすることもあるのですが、この行動原理ですと、
心が満たされて幸せ感を享受すると言うことはなかなか難しくなるのです。
自分の劣等感を刺激されて、それを守るために自己防衛で行動している
原動力は、あくまで守りの姿勢なんです。自分がやりたくてやっていると言うこと
とは違います。だから、達成しても満足度合いも異なるわけです。
子どもでも大人でも、いじめという問題はどこに行っても存在します。
いくら「いじめはいけないこと!」という認識があっても世の中からなくならないのは、
極端な劣等感を有する者がいなくならないからでもあります。
極端な劣等感を持っている人は、その劣等感を見て見ぬ振りをするために、他人に対して攻撃的に
なるタイプと、自分の劣等感を必死に自分で守ろうと保守的になるタイプに別れることが多いようです。
前者が、いじめる側、後者がいじめられる側となるケースが多いのです。
他人の悪口ばかり言っているような大人も前者になります。他人を見下すことで
必然的に自分の方が立場が上だとアピールをし優越感を得ます。
人に触れられたくない劣等感は誰にでもあるとは思いますが、大抵の劣等感は
親がその価値観を植え込んだものであることを忘れてはいけません。
劣等感を極端に持ちすぎている人の共通点は、ありのままの自分を自分自身で
認めることができていないまま、毎日を生活していることになります。
他人よりも何よりも、自分が自分の劣等感を見下していじめている状態です。
まずは、自分で自分をいじめるという無意識な思考の連鎖を立つことが必要と
なってくるでしょう。
始めよう。瞑想:15分でできるココロとアタマのストレッチ (光文社知恵の森文庫)
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4613930
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック