2016年01月11日
「あのときはよかった」と心底思ってばかりの人は、本当の幸せにはほど遠い。
「あのときは良かった…」
「あの頃は良かった…」
そんな台詞は、誰でも1回ぐらいはいったことがあるのではないでしょうか。
ご多分に漏れず、私はこのクチで、しかもたちが悪いことに、終わったことを
美化するような妄想癖というのが備わっています。
昔の友人や知人と久々にあったときなどはこういう台詞は出るものです。
しかし、私が言っているのはそういうときのコミュニケーションとしての一言
ではありません。自分一人のときに、思い詰めて考えてしまうようなタイプの人は、
年がら年中悩みがつきない日々を送っていることでしょう。
あのとき、あの頃の事柄はすべて過去の出来事です。
私の狭い経験から言うと、その良かった!といっている「あの頃」は、
本当にそんなに良かった訳ではありません。本当に最高な毎日を過ごしていた
のであればよいのですが、その頃はその頃で、毎日が幸せだなぁ!なんて
生活はしていなかったのです。
断片的に言えば、今に比べれば良かった部分があると思って、当時を
自分の脳で美化する癖がより良いなぁと思わせるのかもしれません。
なんにせよ、昔から現実を等身大で受け入れて生活するのができていない
ということがよく分かります。過去を過大に美化したり、悔やんだり、その過去の
妄想というか亡霊というか、今目の前にはないものに脳が洗脳されて生活を
しているのです。
この癖がついている以上、自分自身が成長していかない限り、いくつになっても
「あの頃は良かったのに…」という気持ちが常にまとわりつくことになるのです。
そして、「あの頃は良かったのに…」の後には、「今の自分はなんて不幸なのだろう」
みたいな、自動思考がおまけとしてついています。
今の自分は不幸だなぁ。と思いながら毎日を生きている人が、何かひょんなことがあって
幸せになれると思いますか?いやなれるわけがないのです。自分で不幸の烙印を押して
いるのですから。
自分は不幸だ!だから、誰か助けて欲しいと周りに依存した行動に出るのかもしれません。
誰かが自分を救世主のように救ってくれるのではないか?そんな人がいつかは目の前に
現れるのではないか?という妄想にいつまでも浸っているのです。
しかし、どんな人が現れようが、過去を美化し、未来を不安がる世界で生きている
私のようなタイプは、今この瞬間を生きると言うことを潜在的に放棄しているため、
常に今を生きていない人間として満たされない生活を続けることになります。
私の場合は、結婚して自分の家庭を作ることで、幸せな毎日が来るという
妄想癖が強かったと思います。いわゆる結婚を美化してゴールにしてしまうタイプ。
世間体的には、一人前の大人として見られるものの、結局はなにかとパートナーに
依存する生活はいつかは破綻するんです。
自分がうまくいかないことを、他人やパートナー、子どもに八つ当たりをしているような
未熟な人間では、幸せな気持ちになる余裕があるとは言えないでしょう。
あの頃が良かったということは、全く悪い言葉ではないと思います。
しかし、現実を受け止めないまま、その妄想という風呂に浸りすぎて
出てこられないまで、のぼせてしまうのはくせにしてはいけません。
過去は過去、どんなにすばらしいことがあろうが、悪いことがあろうが、
今現在、今日の生活とはリンクして考えすぎてはいけないのです。
今日食べた食事が美味しかった、子どもの笑顔に癒やされた、
パートナーにイラッとしながらも、存在してくれていることに感謝できるように、
今を生きることにもっと力を注ぐ必要があると思います。
過去の良かったこと悪かっったことは、これから一切変わることはありません。
未来の不安や妄想は、今現在はまだ起きている出来事ではありません。
私たちが本来精一杯生活する世界は、今現在のこの瞬間がベースなのです。
とはいっても、毎日魔法のように良いことが起きるわけではないことは誰でも
分かるでしょう。むしろ嫌なことの方が多いのかもしれません。しかし、1つも
美味しいとか、安心したとか、うれしいとか、ワクワクしたとかないということも
ありません。
過去に黄昏れて、思い出に浸ることは、たまにあっても良いと思いますが、
今現在起きている、ちょっぴり良かったことにも目を向けてあげるという癖を
つけていくことが、本当の幸せへの軌跡になるのかもしれません。
【はじめての方限定!一冊無料クーポンもれなくプレゼント】ぼくはアスペルガーなお医者さん ...
「あの頃は良かった…」
そんな台詞は、誰でも1回ぐらいはいったことがあるのではないでしょうか。
ご多分に漏れず、私はこのクチで、しかもたちが悪いことに、終わったことを
美化するような妄想癖というのが備わっています。
昔の友人や知人と久々にあったときなどはこういう台詞は出るものです。
しかし、私が言っているのはそういうときのコミュニケーションとしての一言
ではありません。自分一人のときに、思い詰めて考えてしまうようなタイプの人は、
年がら年中悩みがつきない日々を送っていることでしょう。
あのとき、あの頃の事柄はすべて過去の出来事です。
私の狭い経験から言うと、その良かった!といっている「あの頃」は、
本当にそんなに良かった訳ではありません。本当に最高な毎日を過ごしていた
のであればよいのですが、その頃はその頃で、毎日が幸せだなぁ!なんて
生活はしていなかったのです。
断片的に言えば、今に比べれば良かった部分があると思って、当時を
自分の脳で美化する癖がより良いなぁと思わせるのかもしれません。
なんにせよ、昔から現実を等身大で受け入れて生活するのができていない
ということがよく分かります。過去を過大に美化したり、悔やんだり、その過去の
妄想というか亡霊というか、今目の前にはないものに脳が洗脳されて生活を
しているのです。
この癖がついている以上、自分自身が成長していかない限り、いくつになっても
「あの頃は良かったのに…」という気持ちが常にまとわりつくことになるのです。
そして、「あの頃は良かったのに…」の後には、「今の自分はなんて不幸なのだろう」
みたいな、自動思考がおまけとしてついています。
今の自分は不幸だなぁ。と思いながら毎日を生きている人が、何かひょんなことがあって
幸せになれると思いますか?いやなれるわけがないのです。自分で不幸の烙印を押して
いるのですから。
自分は不幸だ!だから、誰か助けて欲しいと周りに依存した行動に出るのかもしれません。
誰かが自分を救世主のように救ってくれるのではないか?そんな人がいつかは目の前に
現れるのではないか?という妄想にいつまでも浸っているのです。
しかし、どんな人が現れようが、過去を美化し、未来を不安がる世界で生きている
私のようなタイプは、今この瞬間を生きると言うことを潜在的に放棄しているため、
常に今を生きていない人間として満たされない生活を続けることになります。
私の場合は、結婚して自分の家庭を作ることで、幸せな毎日が来るという
妄想癖が強かったと思います。いわゆる結婚を美化してゴールにしてしまうタイプ。
世間体的には、一人前の大人として見られるものの、結局はなにかとパートナーに
依存する生活はいつかは破綻するんです。
自分がうまくいかないことを、他人やパートナー、子どもに八つ当たりをしているような
未熟な人間では、幸せな気持ちになる余裕があるとは言えないでしょう。
あの頃が良かったということは、全く悪い言葉ではないと思います。
しかし、現実を受け止めないまま、その妄想という風呂に浸りすぎて
出てこられないまで、のぼせてしまうのはくせにしてはいけません。
過去は過去、どんなにすばらしいことがあろうが、悪いことがあろうが、
今現在、今日の生活とはリンクして考えすぎてはいけないのです。
今日食べた食事が美味しかった、子どもの笑顔に癒やされた、
パートナーにイラッとしながらも、存在してくれていることに感謝できるように、
今を生きることにもっと力を注ぐ必要があると思います。
過去の良かったこと悪かっったことは、これから一切変わることはありません。
未来の不安や妄想は、今現在はまだ起きている出来事ではありません。
私たちが本来精一杯生活する世界は、今現在のこの瞬間がベースなのです。
とはいっても、毎日魔法のように良いことが起きるわけではないことは誰でも
分かるでしょう。むしろ嫌なことの方が多いのかもしれません。しかし、1つも
美味しいとか、安心したとか、うれしいとか、ワクワクしたとかないということも
ありません。
過去に黄昏れて、思い出に浸ることは、たまにあっても良いと思いますが、
今現在起きている、ちょっぴり良かったことにも目を向けてあげるという癖を
つけていくことが、本当の幸せへの軌跡になるのかもしれません。
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非常に切実な重いを綴って頂きありがとうございます。
あの頃に良かった〜という言葉はついつい言ってしまいますよね。
別にこの言葉自体は悪くはないのでしょうが、言っている人がどういう心理
状態で言っているかが一番問題になってくるでしょうね。
自己犠牲の感覚は私も同じです。小さいときは自分が自己主張をして周りの
雰囲気や空気が壊れたり、言い合いになるぐらいなら、自分が我慢して、
丸く収まっている方が私にとっては安心感を得ることができたからです。
それを繰り返しているうちに、自分の意見というものを押し殺して生活して
いたことになりますから、大人になってから結構葛藤しました。
マイロ様自身もいろいろと波瀾万丈な心の抑圧があるのかもしれませんが、
非常に行動的で前向きな文面はすばらしいと思います。
自分で自分のことを正当に褒めたり受け止めたりできるようになったとき、
相手がアスペルガーであろうが、定型発達の人であろうがうまくいくと思います^^
わたしもあの頃は良かった、どうしてあんなに努力したのに今回は結果が伴わないのだろう、あの人を好きにならなければこんな事にならなかったのに、会わなければ良かった、いや今までわたしは何か悪い事をした事のツケなのかもしれない、その結果がこれなんだと落ち込みこれから先何をしていいのかもわからなくなっていました。仕事を探しても年齢制限もある中で書類選考で落とされ将来の不安は尽きません。あの頃は良かった。でも、実際本当にその時幸せを感じていたかと言うとそんな事はありません。ただただ現状より良かっただけ。その頃だって辛かった。わたしはACゆえ、自分を犠牲にしてみんなが幸せだったら良かった。自分を守るなんて事考えた事無かったし、私と同じ様な考えの人が常識で、必ず見返りがあり誰かが守ってくれると本気で思っていたのです。そんな事はありません。みんな自分の事でいっぱいなんです。実の親やあれだけ愛情を注いだ好きな人でさえ。
これからはあの頃の良かった自分をキチンと受けとめてもっと良かったと思える自分になります。ならなきゃこんなに頑張ってる自分が可哀想ですから。憐憫でもいいじゃないですか。だってみんな自分が可愛いと思ってるんですよね。自分だけが自分をないがしろにして誰がこんなに頑張ってる自分を守ってくれるんですか。そんな事を考えると頑張れる気がする。自分を守れない人間が他人なんて守れるはずないから。だから、人間不信になっても私はやっぱり人間が好きなんだなぁと今回の件を通して知りました。プラス好きな人の為には自分を投げ打ってでも守る強い人間なんだと。ちなみに好きになった人はアスペです。オーナー様の辛さ十分理解します。頑張り過ぎずでも奥様の理解者でもあってくださいね。わたしはオーナー様の様になれませんでしたから。心から応援してます。