2015年10月30日
わが家の一番上の子どもを、私の期待と理想にどっぷり浸からせてしまった結果。その2
親として自分の理想論が正しいと疑わず、我が子へそれを
押しつけ押しつけしてきたことを今は良くなかったといいきれます。
自分たちにとって初めての子どもということもあり、
一番上の子どもには、本当に申し訳ないことをしたと思います。
私自身が未熟で、理想を押しつけることが良いという
勘違いから、おきたことですが、日本人の親ってこういうパターンが
結構多いのだろうと思います。
自分自身もアダルトチルでドレンを生み出すような機能不全家族で育ち、
ACの母親の教育で大きくなったわけですが、そこには条件付きの愛情しかありません。
だからといって、私自身も私の母親も、子どもに対して、愛情がない!とか
偽りの愛情だ!とかそんなこともないのです。間違いなく愛はあるのですが、
やはり、歪みがある愛情表現になってしまっているという事実もあります。
しかし、親、本人からすれば、人生で条件付きの愛情しか習っていませんから、
それが本当の愛情だと思い込んでしまっても仕方がない面はあるのです。
私自身は、それをいまさら正当化しようとは思いませんが、不可抗力な面は
親も子どももあり、それをひたすら引き継いでいくというジレンマが、
一番抜け出すことが難しいのかもしれません。
「干渉しすぎてしまう」ことが時にはよくないのであって、
干渉しないから、無関心でいた方が良いとか、放っておくとか、
しつけをしない、とかそういうわけでもありません。
本当子育てって難しいですよね。
子どもを育てていると言うより、自分のインナーチャイルドとの戦いなのでは?
と最近は思うようになりました。
期待と理想は、他人にのせては不満足が残る、幸せ感が得られにくい
のだろうと思います。
どちらも、自分がどうこう変わると言うことでは無く、相手や周りが
自分の思い通りに動くと言うことがそこに多分に含まれているからです。
他人や環境は自分の思い通りに変化させることは、まず難しいのですから、
自分の中の受け止め方を柔軟にしてしくことが望ましいのです。
でもそれがわかっても、うまくできないのがACでもあります。
出来ない自分を自己嫌悪して、今度は子どもだけで無く、自分も
傷つけるわけです。こんなことを毎日続けていたら、親子共々
精神的にすり減ってしまって当然ではないでしょうか?
心を柔軟にするとか、過干渉にしないとか、どうしてもこの塩梅がむずかしいのです。
なおかつ、自分が満たされていないから、人にも優しくという接し方がなかなかできません。
つまらないと思っている毎日をイライラと続けていれば、それが積み重なり、
つまらなくて、イライラした人生というだけで終わってしまうでしょう。
私の中で子どもにこうなって欲しいという理想もありましたが、一番
頂けないと思ったのは、自分が親として周りから見てすばらしい人間だ!
という評価ももの凄く気にしていたことです。
「結局自分に自信がないのね…」
周りからの評価で、幸せと感じたり不幸と感じたりする人生を送ってきた
がために、周りから評価されないこと=不幸で不愉快なことという極端な
とらえ方しか出来なくなっていたのでしょう。
何かの縁があって、結婚して子どもを育てるという機会をもらったわけですが、
そう言う意味では、うるさくて言うことが聞かない子ども達に感謝しなくては
いけないと思いました。
押しつけ押しつけしてきたことを今は良くなかったといいきれます。
自分たちにとって初めての子どもということもあり、
一番上の子どもには、本当に申し訳ないことをしたと思います。
私自身が未熟で、理想を押しつけることが良いという
勘違いから、おきたことですが、日本人の親ってこういうパターンが
結構多いのだろうと思います。
自分自身もアダルトチルでドレンを生み出すような機能不全家族で育ち、
ACの母親の教育で大きくなったわけですが、そこには条件付きの愛情しかありません。
だからといって、私自身も私の母親も、子どもに対して、愛情がない!とか
偽りの愛情だ!とかそんなこともないのです。間違いなく愛はあるのですが、
やはり、歪みがある愛情表現になってしまっているという事実もあります。
しかし、親、本人からすれば、人生で条件付きの愛情しか習っていませんから、
それが本当の愛情だと思い込んでしまっても仕方がない面はあるのです。
私自身は、それをいまさら正当化しようとは思いませんが、不可抗力な面は
親も子どももあり、それをひたすら引き継いでいくというジレンマが、
一番抜け出すことが難しいのかもしれません。
「干渉しすぎてしまう」ことが時にはよくないのであって、
干渉しないから、無関心でいた方が良いとか、放っておくとか、
しつけをしない、とかそういうわけでもありません。
本当子育てって難しいですよね。
子どもを育てていると言うより、自分のインナーチャイルドとの戦いなのでは?
と最近は思うようになりました。
期待と理想は、他人にのせては不満足が残る、幸せ感が得られにくい
のだろうと思います。
どちらも、自分がどうこう変わると言うことでは無く、相手や周りが
自分の思い通りに動くと言うことがそこに多分に含まれているからです。
他人や環境は自分の思い通りに変化させることは、まず難しいのですから、
自分の中の受け止め方を柔軟にしてしくことが望ましいのです。
でもそれがわかっても、うまくできないのがACでもあります。
出来ない自分を自己嫌悪して、今度は子どもだけで無く、自分も
傷つけるわけです。こんなことを毎日続けていたら、親子共々
精神的にすり減ってしまって当然ではないでしょうか?
心を柔軟にするとか、過干渉にしないとか、どうしてもこの塩梅がむずかしいのです。
なおかつ、自分が満たされていないから、人にも優しくという接し方がなかなかできません。
つまらないと思っている毎日をイライラと続けていれば、それが積み重なり、
つまらなくて、イライラした人生というだけで終わってしまうでしょう。
私の中で子どもにこうなって欲しいという理想もありましたが、一番
頂けないと思ったのは、自分が親として周りから見てすばらしい人間だ!
という評価ももの凄く気にしていたことです。
「結局自分に自信がないのね…」
周りからの評価で、幸せと感じたり不幸と感じたりする人生を送ってきた
がために、周りから評価されないこと=不幸で不愉快なことという極端な
とらえ方しか出来なくなっていたのでしょう。
何かの縁があって、結婚して子どもを育てるという機会をもらったわけですが、
そう言う意味では、うるさくて言うことが聞かない子ども達に感謝しなくては
いけないと思いました。
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