2015年10月26日
ACが自分の高い理想を下げることがなかなか出来ない2つの理由。
ACの幸せ感があじわうことが出来にくい理由として、
「潜在的な理想の高さ」というものをお話ししました。
そもそも、自分では理想が高いと気づいていないことも
おおく、むしろ潜在的なものでもあるので、自動思考自体が
そう言う癖を持ってしまっているわけです。
そこまで潜在的に理想を高くしてしまう理由としては、
自分に酷く劣等感を抱いていることがおおいです。
これは表面的な物でなく、幼少期からの潜在的なもの
ですので、気づきにくいことも…
自分が理想が高いなぁと気づいたとしても、そうは簡単に、
この理想を下げるということができません。
理由の一つとしては、
〇この理想が、自分の自己防衛としての自分の一部であるから。
劣等感と優越感というのは、人間にはおおかれすくなかれあるものです。
劣等感を持っている人は、必ずひとよりも優越感を感じたいという欲求が
あります。これが些細なレベルなうちは良いのでしょうが、しこりのように
大きな悪性腫瘍として抱えてしまうと、後々それが自分の人生に大きな
問題を与えてしまうと言うことにも成りかねません。
自分の妄想に近い理想が、自分の劣等感をうまく隠すような自己防衛の
役割を果たしてしまっていると、当然理想を下げるということは、
自分の劣等感と向き合うという事に直面してしまいますから、
結果的に、自分を傷つけないために理想を簡単には下げることは出来ないのです。
〇理想を下げると言うことは「敗北する」という感覚を持っている。
本来理想を下げると言うことは、「己の力量を己で知る」ということです。
それを、理想を下げることをもの凄く悲観的に捉えてしまう自動思考がいるのです。
・妥協
・諦め
・敗北
・怠慢
これらを感じながら理想を仮に下げたとしても、結果的にかわりません。
もし上手くいかなかったときは、この理由に責任転嫁をするようになります。
「本当は自分はできるのだけど、しかたなくこっちを選んだ」
「まわりが、こうしろってうるさいから諦めてこうした」
ついついそんなことを言ってしまうかもしれません。
妥協や諦め敗北という言葉は、ACでなくとも劣等感を持っている人は
嫌悪感を見せるような言葉だと思います。
自分は、思い描いた理想を達成して、
諦めずにどこまでも突き進み、
人生のそして人間としての勝ち組となるのだ!
という妄想を抱いているからです。
「自分の理想を下げる」という行程で必要だと思われるのは、
まず、下げる!ということではなく、
・自分の理想は本当に現実的なのか?
・自分の今している努力で達成可能な実現可能なものなのか?
・妄想に近くないか?
そういったことを自分自身で認知をすることから始めないと、
余計に自分自身を苦しめる材料となってしまいます。
自分で自分の良い能力、至らない能力を認めることは
勇気の要ることです。当然自分の劣等感とも向き合わないといけません。
マイナス思考の自動思考で言えば、
・諦め、妥協、怠慢、負け組になるのかもしれませんが、
実際は本当にそうなのでしょうか?
・自分の弱い一面と向き合うことは、諦めなのでしょうか?
・自分の弱い一面を認めることは、妥協なのでしょうか?
・自分ができないものをできないというのは、怠慢なのでしょうか?
・自分が描いている妄想的な理想を諦めたら、負け組なのでしょうか?
自分の能力の範囲でできることをやってみて、結果上手くいこうが行くまいが、
それを、等身大で受け止めることが出来る自分というのはなによりもすばらしい
事なのだと思います。時には何もしないと言うことだって大切でしょう。
何かを常に前向きに解決しようとやっていることが世間的にはよくうつりますが、
そんなに聖人のような人間ばかりではありません。
ダメだったら、休んでも良いし、立ち止まっても良いし、違う方法で望んでも良いし、
次にうまくつないでいけるのであれば、どれも正解でしょう。
「自分の良くなかったこと展示会」を開いて、毎日自分を自分で
傷つける必要なんか無いのです。
自分の良い面や、誇大妄想の部分は自分自身で、自分の良くないと思われる面は、
自分自身では無いと否定して生活をしていることに慣れすぎてしまっているのです。
理想を下げることが出来にくいのは、こういったインナーチャイルドにも
原因があるのだと思います。少しずつで良いんです。100か0を求めないで下さい。
幸せのきっかけは、他のどこでも無い、自分の中にあるのでしょうから。
幸せはいつもちょっと先にある―期待と妄想の心理学
「潜在的な理想の高さ」というものをお話ししました。
そもそも、自分では理想が高いと気づいていないことも
おおく、むしろ潜在的なものでもあるので、自動思考自体が
そう言う癖を持ってしまっているわけです。
そこまで潜在的に理想を高くしてしまう理由としては、
自分に酷く劣等感を抱いていることがおおいです。
これは表面的な物でなく、幼少期からの潜在的なもの
ですので、気づきにくいことも…
自分が理想が高いなぁと気づいたとしても、そうは簡単に、
この理想を下げるということができません。
理由の一つとしては、
〇この理想が、自分の自己防衛としての自分の一部であるから。
劣等感と優越感というのは、人間にはおおかれすくなかれあるものです。
劣等感を持っている人は、必ずひとよりも優越感を感じたいという欲求が
あります。これが些細なレベルなうちは良いのでしょうが、しこりのように
大きな悪性腫瘍として抱えてしまうと、後々それが自分の人生に大きな
問題を与えてしまうと言うことにも成りかねません。
自分の妄想に近い理想が、自分の劣等感をうまく隠すような自己防衛の
役割を果たしてしまっていると、当然理想を下げるということは、
自分の劣等感と向き合うという事に直面してしまいますから、
結果的に、自分を傷つけないために理想を簡単には下げることは出来ないのです。
〇理想を下げると言うことは「敗北する」という感覚を持っている。
本来理想を下げると言うことは、「己の力量を己で知る」ということです。
それを、理想を下げることをもの凄く悲観的に捉えてしまう自動思考がいるのです。
・妥協
・諦め
・敗北
・怠慢
これらを感じながら理想を仮に下げたとしても、結果的にかわりません。
もし上手くいかなかったときは、この理由に責任転嫁をするようになります。
「本当は自分はできるのだけど、しかたなくこっちを選んだ」
「まわりが、こうしろってうるさいから諦めてこうした」
ついついそんなことを言ってしまうかもしれません。
妥協や諦め敗北という言葉は、ACでなくとも劣等感を持っている人は
嫌悪感を見せるような言葉だと思います。
自分は、思い描いた理想を達成して、
諦めずにどこまでも突き進み、
人生のそして人間としての勝ち組となるのだ!
という妄想を抱いているからです。
「自分の理想を下げる」という行程で必要だと思われるのは、
まず、下げる!ということではなく、
・自分の理想は本当に現実的なのか?
・自分の今している努力で達成可能な実現可能なものなのか?
・妄想に近くないか?
そういったことを自分自身で認知をすることから始めないと、
余計に自分自身を苦しめる材料となってしまいます。
自分で自分の良い能力、至らない能力を認めることは
勇気の要ることです。当然自分の劣等感とも向き合わないといけません。
マイナス思考の自動思考で言えば、
・諦め、妥協、怠慢、負け組になるのかもしれませんが、
実際は本当にそうなのでしょうか?
・自分の弱い一面と向き合うことは、諦めなのでしょうか?
・自分の弱い一面を認めることは、妥協なのでしょうか?
・自分ができないものをできないというのは、怠慢なのでしょうか?
・自分が描いている妄想的な理想を諦めたら、負け組なのでしょうか?
自分の能力の範囲でできることをやってみて、結果上手くいこうが行くまいが、
それを、等身大で受け止めることが出来る自分というのはなによりもすばらしい
事なのだと思います。時には何もしないと言うことだって大切でしょう。
何かを常に前向きに解決しようとやっていることが世間的にはよくうつりますが、
そんなに聖人のような人間ばかりではありません。
ダメだったら、休んでも良いし、立ち止まっても良いし、違う方法で望んでも良いし、
次にうまくつないでいけるのであれば、どれも正解でしょう。
「自分の良くなかったこと展示会」を開いて、毎日自分を自分で
傷つける必要なんか無いのです。
自分の良い面や、誇大妄想の部分は自分自身で、自分の良くないと思われる面は、
自分自身では無いと否定して生活をしていることに慣れすぎてしまっているのです。
理想を下げることが出来にくいのは、こういったインナーチャイルドにも
原因があるのだと思います。少しずつで良いんです。100か0を求めないで下さい。
幸せのきっかけは、他のどこでも無い、自分の中にあるのでしょうから。
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