2015年10月25日
「行動がともなわない理想」は結果的に妄想で、幸せを生みにくい。
ACの回復において最終的に必要になってくるのは、
他人や環境、ものが原因で無く、自分自身が自分で幸せだと
感じることが出来るようになること。
そんなの当たり前な話のように思えますが、自分の脳の癖を
知らないで生活している以上、自分がどうして不幸だと思って
しまうかということにピンとくることは無いでしょう。
「なにもしない完璧主義者」ともいわれるAC。
私は、なかなか自分でこれを認めることが出来ませんでしたが、
今は自分がそうだったと強く感じることが出来ます。
感じられるのがいいことというわけではなく、そのぐらい
自分の心に向き合うことが少し出来たと言うことが大切です。
「なにもしない」というところに違和感を覚え、カチンときていた
という節もあります。だって、自分なりにはそれなりに、
自分の出来る範囲で頑張っていたことは確かですから、
「ACは、なにもしていないのに口だけ愚痴が多いんだよ」と
言われているようで、言葉だけしか頭に入ってきませんでした。
「何もしないこと」も「愚痴を言うこと」も別に絶対
やっちゃダメなんて事はありません。それを選択するのは
自分なのですから、自分の気持ちを無理に正当化して我慢して
しまうことは無いのです。
ただ、私たちの理想は、とてつもなく高いものを掲げていることがおおいです。
実は、なにもしていないということではなくて、たいていのACは自分なりに
もがいて、その人ができる限りの努力はしているのです。
原因は、「自分の掲げている理想の高さ」が非現実的だということを認知できない。
ということから、生まれてくるのでは無いかと思います。
あまりにも理想が高すぎて、努力はしているけど達成することが出来ない。
逆に言えば、自分の描いている妄想である理想を達成するためには、どんなに
粉骨砕身の思いをして努力しても達しないと言うことです。
これは怠慢でも、なにもしてないということでもなく、現実を認知せずに、
自分の頭の中の理想や欲求を肥大化させて、いつかはそれが叶うだろうと、
何の根拠もないまま過ごしてしまっていることになります。
「達成不可能な理想」⇒「達成できうる理想」へと、
認知をして、ボーダーラインを下げないことには、つねに
ニンジンをぶら下げて食べることが出来ず走らされている状態
になるわけです。それゆえ、常に不満が残る。
頑張っているのに報われないというのは、努力が足りていないという
見方もありますし、実際そうである場合もあります。
しかし、ACは基本的には努力家で真面目な人が多いはずです。
それが達成できずに悶々と暮らしているのは、自分の描いている理想
が、自分の努力した能力で達成できないような妄想であることも多いのです。
行動がともなわない理想は、妄想であり、絵空事になるでしょう。
追いかけても届かないものをいくら私たちが我慢して努力をしても
幻影を追いかけているようなもの。そこには現実は無いわけで、
追いかけたあとに残るのは、虚無感です。
そんな虚無感にさいなまれてしまうのは、私たちが一瞬妄想から
現実へと引き戻されてしまう瞬間なのかもしれません。
メランコリー ―人生後半期の妄想性障害―
他人や環境、ものが原因で無く、自分自身が自分で幸せだと
感じることが出来るようになること。
そんなの当たり前な話のように思えますが、自分の脳の癖を
知らないで生活している以上、自分がどうして不幸だと思って
しまうかということにピンとくることは無いでしょう。
「なにもしない完璧主義者」ともいわれるAC。
私は、なかなか自分でこれを認めることが出来ませんでしたが、
今は自分がそうだったと強く感じることが出来ます。
感じられるのがいいことというわけではなく、そのぐらい
自分の心に向き合うことが少し出来たと言うことが大切です。
「なにもしない」というところに違和感を覚え、カチンときていた
という節もあります。だって、自分なりにはそれなりに、
自分の出来る範囲で頑張っていたことは確かですから、
「ACは、なにもしていないのに口だけ愚痴が多いんだよ」と
言われているようで、言葉だけしか頭に入ってきませんでした。
「何もしないこと」も「愚痴を言うこと」も別に絶対
やっちゃダメなんて事はありません。それを選択するのは
自分なのですから、自分の気持ちを無理に正当化して我慢して
しまうことは無いのです。
ただ、私たちの理想は、とてつもなく高いものを掲げていることがおおいです。
実は、なにもしていないということではなくて、たいていのACは自分なりに
もがいて、その人ができる限りの努力はしているのです。
原因は、「自分の掲げている理想の高さ」が非現実的だということを認知できない。
ということから、生まれてくるのでは無いかと思います。
あまりにも理想が高すぎて、努力はしているけど達成することが出来ない。
逆に言えば、自分の描いている妄想である理想を達成するためには、どんなに
粉骨砕身の思いをして努力しても達しないと言うことです。
これは怠慢でも、なにもしてないということでもなく、現実を認知せずに、
自分の頭の中の理想や欲求を肥大化させて、いつかはそれが叶うだろうと、
何の根拠もないまま過ごしてしまっていることになります。
「達成不可能な理想」⇒「達成できうる理想」へと、
認知をして、ボーダーラインを下げないことには、つねに
ニンジンをぶら下げて食べることが出来ず走らされている状態
になるわけです。それゆえ、常に不満が残る。
頑張っているのに報われないというのは、努力が足りていないという
見方もありますし、実際そうである場合もあります。
しかし、ACは基本的には努力家で真面目な人が多いはずです。
それが達成できずに悶々と暮らしているのは、自分の描いている理想
が、自分の努力した能力で達成できないような妄想であることも多いのです。
行動がともなわない理想は、妄想であり、絵空事になるでしょう。
追いかけても届かないものをいくら私たちが我慢して努力をしても
幻影を追いかけているようなもの。そこには現実は無いわけで、
追いかけたあとに残るのは、虚無感です。
そんな虚無感にさいなまれてしまうのは、私たちが一瞬妄想から
現実へと引き戻されてしまう瞬間なのかもしれません。
メランコリー ―人生後半期の妄想性障害―
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