2015年10月24日
AC夫が、本当に心の中で求めているのは、「お金」でも「理解者」でもなく「安心感」
毎日、毎日パートナーであるにもかかわらず、世の中で
一番自分のことを理解してくれていないのでは?と思ってしまうアスペ嫁。
裏を返せば、一番自分の妻(夫)には、よき理解者であって欲しいという
願望が根っこにあるからということももちろんあります。
これは、特にぜいたくな理想と言うことでは無く、結婚して
パートナーを持った人だけでなくても、彼氏彼女に対しても、
同じように良き理解者であって欲しいと思うのは一般的には当然でしょう。
アスペ嫁も実は同じ事を思っているんです。
どうしても、アスペの人は何も考えてない風に見えるのですが、
相手とよくわかり合いたい!とは思っているんです。
思っていても出来ないのがアスペ嫁の専売特許ですが^^
しかし、それができない夫婦ってぶっちゃけどうなの?
「こんなの普通じゃ無いでしょう?」
「もう、毎日が鬱陶しい!」
「夫婦でいる意味ってどこにあるのだろう?」
普通で一般的を求めてきた私からすると、青天の霹靂というか
お先真っ暗で、相談する相手もいない、子どもはすくすく大きくなっていく、
これからの計画が一緒に立てられない、本当に頭を抱えるばかりです。
私自身、いったいどういう家庭であれば幸せと感じられるのか。
端的に言えば「経済的な心配をせずに、良き理解者と一緒に生活をする。」
こんな感じでしょうか。
経済的な心配に何を求めているかというと、「安心感」
私の場合は、母親が「お金が無いお金が無い」「今月も赤字だ赤字だ」という
言葉を連呼してましたので、その影響も多分にあり、その不安感をぬぐいたい
気持ちというのが潜在的にあるのだと思います。
良き理解者も同じように、自分のことを正当に認めてくれる配偶者に「安心感」
を求めているのです。父親が一切家のことをしない人でしたから、いつも
母親が自分が何とか解決しなくちゃ!とせかせかしてました。本当は許容量オーバーしていて
パンク寸前だったであろうに、そう言う不安感を見せられて育ってしまったのです。
それだけのせいではないかもしれませんし、自分の産まれ持った性格という物も
あるでしょうが、私が求めていたのは「安心感」なんですね。
白黒発想で言うと、「不安の無い世界」とでもいいますか。
いままで幸せだなぁって感じたときは「安心感」に包まれているんです。
24時間安心感に包まれた生活。それは理想という名の妄想でしょう。
そう、まるで母親のお腹にいるような安心感なのかもしれません。
私が産まれるときは、出産予定日を3週間以上過ぎてもでてこなかったらしいです。
結果的に、促進剤を投与して、いい加減出てきなさいと出されたそうです。
「まだまだお腹の中にいたかったのかもね」なんて母親が言っていましたが、
本当にそうなのかもしれません^^
安心感しか無い世界を追い求めてきたのかもしれませんが、それは無理な話ですね。
白黒思考が緩んできてからは、そんな極端な世界をのぞむだけ無茶だと感じますが、
不安から逃げよう逃げようとばかり生活してきたのかもしれません。
現実の世界では、不安が全くない世界などあり得ません。ただ、その不安を不安と
感じているのは、他の誰でも無い、自分であることも気づかないといけないのです。
他の人からするとそれは「不安」では無いかもしれないわけです。
不安から逃げるときがあっても良いですが、現実として受け止めて、今できるだけの
やれるだけのことを行動してみるというときも必要です。
失敗を恐れない勇気という物が必要になってきます。
行動した結果、もしかしたら不安は和らぐかもしれませんし、安心感に変わるかも
しませんしね。安心感は、人からもらうものでは無く、自分が作り出していくもの
なのだろうと、最近は思う今日この頃です。
安心感―自己不安を「くつろぎ」に変える心理学 (PHP文庫)
一番自分のことを理解してくれていないのでは?と思ってしまうアスペ嫁。
裏を返せば、一番自分の妻(夫)には、よき理解者であって欲しいという
願望が根っこにあるからということももちろんあります。
これは、特にぜいたくな理想と言うことでは無く、結婚して
パートナーを持った人だけでなくても、彼氏彼女に対しても、
同じように良き理解者であって欲しいと思うのは一般的には当然でしょう。
アスペ嫁も実は同じ事を思っているんです。
どうしても、アスペの人は何も考えてない風に見えるのですが、
相手とよくわかり合いたい!とは思っているんです。
思っていても出来ないのがアスペ嫁の専売特許ですが^^
しかし、それができない夫婦ってぶっちゃけどうなの?
「こんなの普通じゃ無いでしょう?」
「もう、毎日が鬱陶しい!」
「夫婦でいる意味ってどこにあるのだろう?」
普通で一般的を求めてきた私からすると、青天の霹靂というか
お先真っ暗で、相談する相手もいない、子どもはすくすく大きくなっていく、
これからの計画が一緒に立てられない、本当に頭を抱えるばかりです。
私自身、いったいどういう家庭であれば幸せと感じられるのか。
端的に言えば「経済的な心配をせずに、良き理解者と一緒に生活をする。」
こんな感じでしょうか。
経済的な心配に何を求めているかというと、「安心感」
私の場合は、母親が「お金が無いお金が無い」「今月も赤字だ赤字だ」という
言葉を連呼してましたので、その影響も多分にあり、その不安感をぬぐいたい
気持ちというのが潜在的にあるのだと思います。
良き理解者も同じように、自分のことを正当に認めてくれる配偶者に「安心感」
を求めているのです。父親が一切家のことをしない人でしたから、いつも
母親が自分が何とか解決しなくちゃ!とせかせかしてました。本当は許容量オーバーしていて
パンク寸前だったであろうに、そう言う不安感を見せられて育ってしまったのです。
それだけのせいではないかもしれませんし、自分の産まれ持った性格という物も
あるでしょうが、私が求めていたのは「安心感」なんですね。
白黒発想で言うと、「不安の無い世界」とでもいいますか。
いままで幸せだなぁって感じたときは「安心感」に包まれているんです。
24時間安心感に包まれた生活。それは理想という名の妄想でしょう。
そう、まるで母親のお腹にいるような安心感なのかもしれません。
私が産まれるときは、出産予定日を3週間以上過ぎてもでてこなかったらしいです。
結果的に、促進剤を投与して、いい加減出てきなさいと出されたそうです。
「まだまだお腹の中にいたかったのかもね」なんて母親が言っていましたが、
本当にそうなのかもしれません^^
安心感しか無い世界を追い求めてきたのかもしれませんが、それは無理な話ですね。
白黒思考が緩んできてからは、そんな極端な世界をのぞむだけ無茶だと感じますが、
不安から逃げよう逃げようとばかり生活してきたのかもしれません。
現実の世界では、不安が全くない世界などあり得ません。ただ、その不安を不安と
感じているのは、他の誰でも無い、自分であることも気づかないといけないのです。
他の人からするとそれは「不安」では無いかもしれないわけです。
不安から逃げるときがあっても良いですが、現実として受け止めて、今できるだけの
やれるだけのことを行動してみるというときも必要です。
失敗を恐れない勇気という物が必要になってきます。
行動した結果、もしかしたら不安は和らぐかもしれませんし、安心感に変わるかも
しませんしね。安心感は、人からもらうものでは無く、自分が作り出していくもの
なのだろうと、最近は思う今日この頃です。
安心感―自己不安を「くつろぎ」に変える心理学 (PHP文庫)
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのコメント
コメントを書く
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/4321980
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。
この記事へのトラックバック