2015年10月16日
自分の写真を撮られることが発狂するぐらい嫌いだったAC夫。
アダルトチルドレンの話とは特に関連がないかもしれませんが、
自分が思いついたことを忘れないように備忘録として書いておこうと思います。
最近、イライラ虫が再燃することがよくあり、まだまだインナーチャイルドが
癒やされていないのだなぁと感じる日々を送っております。
それゆえ、すこし幼少期のことを思い返してみたりをやっています。
いつぐらいからでしょうか。
・自分の写真を撮られることにもの凄い嫌悪感を持つ。
・自分の録音した声などを聞くと虫ずが走る。
こんな風に思うようになりました。
小学生の時は、まだ大丈夫だった気がしますが、
中学生ぐらいになるとこれがもう顕著になったかなぁと。
自分では、思春期だからそういうものだとも思いましたが、
結構大人になってからも、それは続いたと思います。
今も写真を撮られるのはあまり好きとは言えませんが、昔ほど、
拒絶するまでではなくなりました。
なぜこんなにいやなのか……
〇写真を撮られることが嫌な理由は?
率直な気持ちはどんなことを考えていたかというと、
・あまり格好よくないから撮って欲しくない。
・かっこうわるい姿を撮って、あとで周りに馬鹿にされたくない。
単純に自分で自分を見たくないってことですね。まあ自信がないから分かりますけど。
潜在的には、全く現実を見ようとしていないですよね。
あからさまに自分自身で自分を否定しているわけですから^^
格好良かろうが、悪かろうが自分は自分なんだから、恥じる必要はみじんもない!
のですが、ひとつの理由として、前から話している「自分の高い理想」という
かべがこういう気持ちにさせている原因だと思いました。
私の中では、理想だと思っていることが、実は妄想に近い実現不可能な自分の理想
であることが多く、そこを常に目標とか基準としているので満足して満たされることが殆どない。
おそらく、貧弱な体の自分の中では、こんな妄想がいつかは叶うはずだという気があったのでしょう。
筋肉むきむきで、力が強くて女の子からキャーキャー言われて、皆の注目の的!みたいな^^
貧弱なのがコンプレックスなら自分で鍛えれば良いのに、なんだかんだ言い訳をして、
「行動しない完璧主義者」を気取っていたのだろうと思います。
でも、やっぱり一番自分の事って自分がわかっているんです。
しかし、昔から現実を直視できなかったと言うことがよく分かります。
貧弱な体でも、それが自分、格好が良くなかったとしてもそれも自分だということ
がどうしても現実として受け入れられない……
だから、そんな自信がなくて自分の理想とはほど遠い自分を画像で記録されて
残されるのが、現実を直視しなさいと言われているようでいやだったのかもしれません。
写真は嘘をつかないですからね^^
写真が嫌いな人の理由は千差万別でしょうが、私の場合は、
自分で自分のことを愛してあげることが全く出来てなかった証拠です。
冒頭で話したように、今はそこまでではないので、少しは自分の等身大を
受け入れることが出来ているのかもしれません。
おじさんに写ろうが、かっこうわるかろうが、自分は自分です。
「こんなの自分ではない!」と自分で自分を否定していたら、
そりゃ幸せな気持ちになんかなれるわけないですよね。
自分は自分が嫌いなのに、世界中の周りの人は自分を好きでいて欲しいぐらいの
気持ちがあった気がします。周りの人は誰も自分を否定しないで、外見から中身まで
称賛してくれ!と。
そんなの妄想なんですよね。そのぐらい自分で自分をいじめ続けて生活を
してきたのだと、改めて反省させられました^^
ACの回復に必要な要素、周りや環境どうこうでなく、自分で自分を好きになる!
とまで行かなくても、まず現実を受け止めると言うことは大切ですね。
自分を100%好きになるシンプルな習慣 小さなことからあなたが変わる!
自分が思いついたことを忘れないように備忘録として書いておこうと思います。
最近、イライラ虫が再燃することがよくあり、まだまだインナーチャイルドが
癒やされていないのだなぁと感じる日々を送っております。
それゆえ、すこし幼少期のことを思い返してみたりをやっています。
いつぐらいからでしょうか。
・自分の写真を撮られることにもの凄い嫌悪感を持つ。
・自分の録音した声などを聞くと虫ずが走る。
こんな風に思うようになりました。
小学生の時は、まだ大丈夫だった気がしますが、
中学生ぐらいになるとこれがもう顕著になったかなぁと。
自分では、思春期だからそういうものだとも思いましたが、
結構大人になってからも、それは続いたと思います。
今も写真を撮られるのはあまり好きとは言えませんが、昔ほど、
拒絶するまでではなくなりました。
なぜこんなにいやなのか……
〇写真を撮られることが嫌な理由は?
率直な気持ちはどんなことを考えていたかというと、
・あまり格好よくないから撮って欲しくない。
・かっこうわるい姿を撮って、あとで周りに馬鹿にされたくない。
単純に自分で自分を見たくないってことですね。まあ自信がないから分かりますけど。
潜在的には、全く現実を見ようとしていないですよね。
あからさまに自分自身で自分を否定しているわけですから^^
格好良かろうが、悪かろうが自分は自分なんだから、恥じる必要はみじんもない!
のですが、ひとつの理由として、前から話している「自分の高い理想」という
かべがこういう気持ちにさせている原因だと思いました。
私の中では、理想だと思っていることが、実は妄想に近い実現不可能な自分の理想
であることが多く、そこを常に目標とか基準としているので満足して満たされることが殆どない。
おそらく、貧弱な体の自分の中では、こんな妄想がいつかは叶うはずだという気があったのでしょう。
筋肉むきむきで、力が強くて女の子からキャーキャー言われて、皆の注目の的!みたいな^^
貧弱なのがコンプレックスなら自分で鍛えれば良いのに、なんだかんだ言い訳をして、
「行動しない完璧主義者」を気取っていたのだろうと思います。
でも、やっぱり一番自分の事って自分がわかっているんです。
しかし、昔から現実を直視できなかったと言うことがよく分かります。
貧弱な体でも、それが自分、格好が良くなかったとしてもそれも自分だということ
がどうしても現実として受け入れられない……
だから、そんな自信がなくて自分の理想とはほど遠い自分を画像で記録されて
残されるのが、現実を直視しなさいと言われているようでいやだったのかもしれません。
写真は嘘をつかないですからね^^
写真が嫌いな人の理由は千差万別でしょうが、私の場合は、
自分で自分のことを愛してあげることが全く出来てなかった証拠です。
冒頭で話したように、今はそこまでではないので、少しは自分の等身大を
受け入れることが出来ているのかもしれません。
おじさんに写ろうが、かっこうわるかろうが、自分は自分です。
「こんなの自分ではない!」と自分で自分を否定していたら、
そりゃ幸せな気持ちになんかなれるわけないですよね。
自分は自分が嫌いなのに、世界中の周りの人は自分を好きでいて欲しいぐらいの
気持ちがあった気がします。周りの人は誰も自分を否定しないで、外見から中身まで
称賛してくれ!と。
そんなの妄想なんですよね。そのぐらい自分で自分をいじめ続けて生活を
してきたのだと、改めて反省させられました^^
ACの回復に必要な要素、周りや環境どうこうでなく、自分で自分を好きになる!
とまで行かなくても、まず現実を受け止めると言うことは大切ですね。
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