2015年08月21日
「自分があと1人いてくれたら」「1日が48時間あったら」と真面目に考えていたAC夫の妄想。
AC夫が10年以上も前の若い頃の話ですが、なんでもかんでも、
テキパキと要領よく、効率的かつ合理的に物事をこなしていく
ことが優秀な人間であり、価値がある人間だと思っていました。
仕事をしていると、当然周りからの評価は高く、頼るより頼られる
方が多い存在だったような気がします。
自分が頑張れば頑張るほど、仕事は忙しくなり、それでも無理をして
周りの期待に応えようと、周りから今までと同じかそれ以上の評価を
求めようと、自然にオーバーヒートした自分自身を作り出していくのでした。
職場でもっともイライラしてしまったのは、
「何度言っても、同じ失敗をする人」
「仕事なのに緊張感がなくへらへらしている人」
「成績が芳しくないのに偉そうな人」
家に帰れば、意味不明なアスペ嫁の生活空間。
「あ〜、世の中皆馬鹿ばかりだ!」
と発狂しそうなぐらいお酒に逃げ込む生活をしていました。
冒頭に書いたように、今現在よりも自分の周りにいる人に対して、
自分にとって「価値がある」か「価値がないか」の白黒思想でしか
世の中を見ていないことがよく分かります。
「価値がある」⇒自分を称賛、評価、肯定してくれる人
「価値がない」⇒自分を批判、否定、自分の思い通りにならない、自分の常識と異なる。
価値がないと思っている人に対しては、基本的に馬鹿だと思っていましたから、
自分の方が優性で人間的な価値が高いと思い込み、相手を蔑んで見たり、ぶっきらぼうな
対応をしてしまったことが多かったです。
それゆえ、周りの人から任されることはあっても、周りの人へ任せるという
ことがどうしても出来なく、自分で仕事だけでなく家庭での問題もたくさん
一人で抱えていくという時限爆弾を体に仕掛けてしまったのです。
この頃は、真面目に「自分がもう1人いてくれたらなぁ」とか
「1日が48時間あったら良いのに」とか思っていました。
もちろん叶えられる理想ではありませんので、妄想であるのは
分かると思います。
主観的に見ると、忙しすぎて暇な奴らふざけるな!自分は時間さえあれば
もっとできるし、自分と同じ人間がいればもっと出来るんだ!という
感じです。
客観的に現在そのころの自分を考えると、
妄想を本気で願い、時間と他人のせいで自分が忙しいという責任転嫁。
自分の考え方に落ち度などちっとも感じていない稚拙なお子様ですね。
「自分がもう1人いたら」「1日が48時間あったら」と言う考えは、
端的に言えば、自分が一杯一杯を遙かに超えた状態なのです。
そして人間が2倍、時間が2倍あれば良いと思っているわけですから、
その当時は、自分の本来持っているキャパシティは2分の1ということになります。
常に自分のキャパを守るのが良いというのではなく、時と場合によって、
人間はこの範囲を拡げたり縮めたり出来るのだろうと思います。
AC夫の場合は、それが苦手なのです。1回自分の枠を越えてしまうと、
背伸びして今の自分を作っているにもかかわらず、マックスを超えた状態が
自分自身と誤認してどんどん自分を過酷な状況に追い込んでいきます。
これが毎日続いたのでは、どんな人であっても体や心を壊してしまうでしょう。
いろんなことを「価値がある」「価値がない」の白黒思想で判断しすぎると
幸せな感情なんて芽生えません。価値がない人を踏み台にして自分が優越感に
浸れると言うだけです。この欲求だけでは幸せ感は満たされません。
今でこそ少しずつ理解してきましたが、その極端な発想をしている自分自身に
どのように向き合って毎日を過ごすかで自分に芽生える感情も変わってくるの
かもしれません。
生きているだけで価値があると思える心と考え方の余裕さを身につけて、
幸せな生活をしていきたいですね^^
テキパキと要領よく、効率的かつ合理的に物事をこなしていく
ことが優秀な人間であり、価値がある人間だと思っていました。
仕事をしていると、当然周りからの評価は高く、頼るより頼られる
方が多い存在だったような気がします。
自分が頑張れば頑張るほど、仕事は忙しくなり、それでも無理をして
周りの期待に応えようと、周りから今までと同じかそれ以上の評価を
求めようと、自然にオーバーヒートした自分自身を作り出していくのでした。
職場でもっともイライラしてしまったのは、
「何度言っても、同じ失敗をする人」
「仕事なのに緊張感がなくへらへらしている人」
「成績が芳しくないのに偉そうな人」
家に帰れば、意味不明なアスペ嫁の生活空間。
「あ〜、世の中皆馬鹿ばかりだ!」
と発狂しそうなぐらいお酒に逃げ込む生活をしていました。
冒頭に書いたように、今現在よりも自分の周りにいる人に対して、
自分にとって「価値がある」か「価値がないか」の白黒思想でしか
世の中を見ていないことがよく分かります。
「価値がある」⇒自分を称賛、評価、肯定してくれる人
「価値がない」⇒自分を批判、否定、自分の思い通りにならない、自分の常識と異なる。
価値がないと思っている人に対しては、基本的に馬鹿だと思っていましたから、
自分の方が優性で人間的な価値が高いと思い込み、相手を蔑んで見たり、ぶっきらぼうな
対応をしてしまったことが多かったです。
それゆえ、周りの人から任されることはあっても、周りの人へ任せるという
ことがどうしても出来なく、自分で仕事だけでなく家庭での問題もたくさん
一人で抱えていくという時限爆弾を体に仕掛けてしまったのです。
この頃は、真面目に「自分がもう1人いてくれたらなぁ」とか
「1日が48時間あったら良いのに」とか思っていました。
もちろん叶えられる理想ではありませんので、妄想であるのは
分かると思います。
主観的に見ると、忙しすぎて暇な奴らふざけるな!自分は時間さえあれば
もっとできるし、自分と同じ人間がいればもっと出来るんだ!という
感じです。
客観的に現在そのころの自分を考えると、
妄想を本気で願い、時間と他人のせいで自分が忙しいという責任転嫁。
自分の考え方に落ち度などちっとも感じていない稚拙なお子様ですね。
「自分がもう1人いたら」「1日が48時間あったら」と言う考えは、
端的に言えば、自分が一杯一杯を遙かに超えた状態なのです。
そして人間が2倍、時間が2倍あれば良いと思っているわけですから、
その当時は、自分の本来持っているキャパシティは2分の1ということになります。
常に自分のキャパを守るのが良いというのではなく、時と場合によって、
人間はこの範囲を拡げたり縮めたり出来るのだろうと思います。
AC夫の場合は、それが苦手なのです。1回自分の枠を越えてしまうと、
背伸びして今の自分を作っているにもかかわらず、マックスを超えた状態が
自分自身と誤認してどんどん自分を過酷な状況に追い込んでいきます。
これが毎日続いたのでは、どんな人であっても体や心を壊してしまうでしょう。
いろんなことを「価値がある」「価値がない」の白黒思想で判断しすぎると
幸せな感情なんて芽生えません。価値がない人を踏み台にして自分が優越感に
浸れると言うだけです。この欲求だけでは幸せ感は満たされません。
今でこそ少しずつ理解してきましたが、その極端な発想をしている自分自身に
どのように向き合って毎日を過ごすかで自分に芽生える感情も変わってくるの
かもしれません。
生きているだけで価値があると思える心と考え方の余裕さを身につけて、
幸せな生活をしていきたいですね^^
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