2015年08月20日
不平不満、愚痴、泣き言、悪口は他人のせいでも自分のせいでもない。問題は自動思考と比較すること。
どんな人でも、できれば不平不満、愚痴、泣き言、悪口、批判、非難など、
言いたくも無いし、言われたくも無いでしょう。
そこには、怒りや憎しみ、恨み、ねたみ、劣等感、ひがみなどなど、
幸せな気持ちを根こそぎ奪い去ってしまう感情が潜んでいるのです。
人間誰しも幸せになりたい!と思って生活しているのではないでしょうか。
「いいやそんなことない!」という人でも、
そう思い描いていた時期というのはあると思います。
生活や生きることに疲労困憊してしまって、抑うつ状態が常態化してしまうと、
幸せになりたい!という気持ちさえ奪い去られてしまい、
「自分は不幸の星の下に産まれてしまった」
「自分は一生不幸のどん底なんだ」
ということばかりが、頭の中を占有し始めるでしょう。
これは結局どうしてこうなってしまうのか。
人間はこういう感情を他人へ向けたり、自分へ向けて心を傷つけます。
しかしながら本当は他人のせいでも自分のせいでもありません。
芽を植え付けたのは、親か育ての親。すくすく大きく育てたのは自分自身。
元々は自分にはなかった種です。毎日毎日お経のように頭の中で繰り返される
ネガティブな自動思考が問題なのです。そして、色んな事を他人と比べることが
自分をより苦しい世界へと足を進めてしまっているのです。
不平不満や愚痴、泣き言は続けているとエスカレートするかのように増えていきます。
これが常態化すると、毒を吐いている方が「気分が良い」と脳が勘違いしてしまうのです。
「人の不幸は蜜の味」という言葉がありますが、脳科学の実験では、人が不幸の時
人間の脳では、ドーパミンが多く出ることが分かっています。
それゆえ、いっつもこういう言葉という毒をばらまいている人は、脳内は
ドーパミンで溢れかえっているのかもしれません^^
⇒放医研のHPでの説明
「はい、はい、どうせ不平不満を言うなとかいうんでしょ!?」
「言うのやめたからって幸せになんか全然ならなかったし。」
私は何冊もACやら自分を見つめ直す本を読んで同じようなことが
書かれていることに辟易し、よくこう思ったものです。
もちろん、言葉に出さない方がいいのは言うまでもありません。
冒頭で書いたように、幸せが逃げていくわけですから。
しかし、AC夫はこういう言葉を極端に捉えているんですよね。
絶対!!100%言わないOR全部言う。
「絶対言わないことなんて出来る人いないよ。」
「何馬鹿なこと言ってるんだよ。我慢できないわ」
しまいには、本にやつあたりしたり、批判したり^^
※もちろんトンデモ本はたくさんありますけどね。
誰も、100%不平不満などを口に出すなと言っているわけじゃ無いのです。
言っても良いんですよ。無理して全く言わないように完璧を目指すから辛いんです。
今まで口を開けば、毒を吐いていたような人にとっては、単なる
我慢大会になってしまいます。
今まで毒づくのが多かった⇒昨日よりも文句や不平不満を言わなかった。
スタートはこのぐらいのところからです。
これを地味に継続していくのが気持ちを緩め白黒思想から脱却する
鍵でもあります。
決して、完璧やかぎりなく100%を目指さない。
完璧⇒優れている、評価に値すべき、称賛を受けられる位置。
という意識が潜在的にありますから、すっきりした満足感が
得られない症候群でもあるわけです。
仕事でそれなりの成績を上げたとしても、どこかで自分が一番優秀という
潜在意識があるため、逆に来月も同じ成果が上げられるかなど不安になり、
本来達成感を味わえ、自己肯定してもいいのに悶々としたりします。
家庭で言えば、掃除を始めるとあっちもこっちも気になって、
夜中でも何時間も掃除し始めてしまったりしてしまいます。
結局、自分を部分的に評価してあげることも苦手なのがACです。
自分全体が自分の理想という妄想に達していないと、満足できません。
それもそのはずで、自分の理想は妄想ですから、達成できない自分を目指している
のです。とても矛盾したことをしていることになります。
ACと向き合うためには、他人や自分を悪者に仕立て上げるのではなく、
今の自分の極端な思考の状態を等身大で理解し、極端であると気づいたら、
我慢をするのではなく、少しずつ両極端以外の選択肢も見つけていくことが大切です。
言いたくも無いし、言われたくも無いでしょう。
そこには、怒りや憎しみ、恨み、ねたみ、劣等感、ひがみなどなど、
幸せな気持ちを根こそぎ奪い去ってしまう感情が潜んでいるのです。
人間誰しも幸せになりたい!と思って生活しているのではないでしょうか。
「いいやそんなことない!」という人でも、
そう思い描いていた時期というのはあると思います。
生活や生きることに疲労困憊してしまって、抑うつ状態が常態化してしまうと、
幸せになりたい!という気持ちさえ奪い去られてしまい、
「自分は不幸の星の下に産まれてしまった」
「自分は一生不幸のどん底なんだ」
ということばかりが、頭の中を占有し始めるでしょう。
これは結局どうしてこうなってしまうのか。
人間はこういう感情を他人へ向けたり、自分へ向けて心を傷つけます。
しかしながら本当は他人のせいでも自分のせいでもありません。
芽を植え付けたのは、親か育ての親。すくすく大きく育てたのは自分自身。
元々は自分にはなかった種です。毎日毎日お経のように頭の中で繰り返される
ネガティブな自動思考が問題なのです。そして、色んな事を他人と比べることが
自分をより苦しい世界へと足を進めてしまっているのです。
不平不満や愚痴、泣き言は続けているとエスカレートするかのように増えていきます。
これが常態化すると、毒を吐いている方が「気分が良い」と脳が勘違いしてしまうのです。
「人の不幸は蜜の味」という言葉がありますが、脳科学の実験では、人が不幸の時
人間の脳では、ドーパミンが多く出ることが分かっています。
それゆえ、いっつもこういう言葉という毒をばらまいている人は、脳内は
ドーパミンで溢れかえっているのかもしれません^^
⇒放医研のHPでの説明
「はい、はい、どうせ不平不満を言うなとかいうんでしょ!?」
「言うのやめたからって幸せになんか全然ならなかったし。」
私は何冊もACやら自分を見つめ直す本を読んで同じようなことが
書かれていることに辟易し、よくこう思ったものです。
もちろん、言葉に出さない方がいいのは言うまでもありません。
冒頭で書いたように、幸せが逃げていくわけですから。
しかし、AC夫はこういう言葉を極端に捉えているんですよね。
絶対!!100%言わないOR全部言う。
「絶対言わないことなんて出来る人いないよ。」
「何馬鹿なこと言ってるんだよ。我慢できないわ」
しまいには、本にやつあたりしたり、批判したり^^
※もちろんトンデモ本はたくさんありますけどね。
誰も、100%不平不満などを口に出すなと言っているわけじゃ無いのです。
言っても良いんですよ。無理して全く言わないように完璧を目指すから辛いんです。
今まで口を開けば、毒を吐いていたような人にとっては、単なる
我慢大会になってしまいます。
今まで毒づくのが多かった⇒昨日よりも文句や不平不満を言わなかった。
スタートはこのぐらいのところからです。
これを地味に継続していくのが気持ちを緩め白黒思想から脱却する
鍵でもあります。
決して、完璧やかぎりなく100%を目指さない。
完璧⇒優れている、評価に値すべき、称賛を受けられる位置。
という意識が潜在的にありますから、すっきりした満足感が
得られない症候群でもあるわけです。
仕事でそれなりの成績を上げたとしても、どこかで自分が一番優秀という
潜在意識があるため、逆に来月も同じ成果が上げられるかなど不安になり、
本来達成感を味わえ、自己肯定してもいいのに悶々としたりします。
家庭で言えば、掃除を始めるとあっちもこっちも気になって、
夜中でも何時間も掃除し始めてしまったりしてしまいます。
結局、自分を部分的に評価してあげることも苦手なのがACです。
自分全体が自分の理想という妄想に達していないと、満足できません。
それもそのはずで、自分の理想は妄想ですから、達成できない自分を目指している
のです。とても矛盾したことをしていることになります。
ACと向き合うためには、他人や自分を悪者に仕立て上げるのではなく、
今の自分の極端な思考の状態を等身大で理解し、極端であると気づいたら、
我慢をするのではなく、少しずつ両極端以外の選択肢も見つけていくことが大切です。
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