2015年07月30日
ACが求めるような、白馬の王子様はいつまで待ってもやってこない。
「白馬の王子様」は誰もが憧れた時があるかもしれません。
ここでいう白馬の王子様は、女性の憧れ!と言う意味ではなく、
理想的な相手でもなく「妄想」のことです。
AC夫である私は今までは自覚があまりなかったのですが、
ACであることに気づいて、アスペ嫁と共依存状態であることが
理解できてからは、自分がいかに妄想的な事を思い浮かべている時間が
長かったと言うことを実感しました。
白黒発想の人だと理想や妄想を抱くことが悪いことのように
感じてしまうかもしれませんが、妄想をしちゃいけません!
ということではないです。
人間、誰だって理想はあるし、妄想もします。
ただ、AC夫の場合は、「頻度」が多いのです。
なんの頻度って、もちろん妄想です。
一番恐ろしいのは、本人は妄想だと気づいていません。
どちらかというと「理想」という綺麗な言葉に代えて、
頭の中で整理してます。
なんでも本来適度が良いのでしょうが、頻度が多すぎるとか、
少なすぎるとか両端に偏ってくると何かしらの弊害を
もたらしてくれちゃうわけです。
私は男ですので、白馬の王子様〜♪という言葉で願ってはいませんでしたが、
「才色兼備で料理が上手で旦那にゾッコンで・・・。」何て言うパートナーを
心のどこかで常に求めていました。
ソフトに言えば、「理想が高すぎる」わけです。
アスペ嫁と暮らしたから余計に分かりますが、
「理想が高い」のではないんです。
「そんな現実にはいない人を追い続けている妄想」なのです。
何度も何度も離婚しようが、昔描いていた理想の妻にはであうことはないでしょう。
あきらめではありません。そんな自分にとって都合の良い人間は、
どうやっても自分の頭の中だけでしか産まれないのです。
つまり、「理想という名の妄想」
いままで、自動思考でこういうことが真っ先に思い浮かぶ
思考回路になっていたと驚愕しました。
冗談で妄想的な事を言っているような人は、現実と妄想の垣根が
理解できているから別に問題ないと思います。
私は結構真面目に妄想を理想と思っていましたから、
何をやるにも満足できない、心底達成感を得られない思考に
なってしまったのは言うまでもありません。
私がアスペ嫁と上手くいかないのは、アスペ嫁のコミュニケーション
能力だけが問題ではなく、私が延々と理想の奥さん像を追い求め、
それをアスペ嫁に要求するということも原因の一つであることを
実感するのでした。
「こんな理想の妻(夫)だったら、もっと自分は幸せだったろうに。」
今までこういうことを考えたことは数えきれません。
これはアスペ嫁がどうこうではないのです。
幼少期は、「こんな母親(父親)だったら、楽しいのに」
「もしお兄さん(お姉さん)がいたら、よかったのに」
「自分なら、あの(好きな)子をもっと幸せにしてあげるのに」
「彼女がもっと可愛かったら良かったのに。」
何となく、理想という名の妄想が既に小さい頃からあったわけです。
自分の気持ちが苦しくて辛くて、張り裂けそうなときは、なにかに
責任転嫁を自動思考がして自分自身にストレスを与えないように
自己防衛する考えがすり込まれてしまったのでしょう。
白馬の王子様という、自分にとって都合の良い相手は、現実逃避という
名の自己防衛システムです。待っているという表現をしますが、
正確には「何も変わらない私をありのまま全部愛して!」という
潜在的な悲鳴のバリアを張って、他人をなぎ倒して生活していることになります。
皆さんの「理想」は「妄想」ではありませんか?
We host your creativity. 『 HETEML 』
ここでいう白馬の王子様は、女性の憧れ!と言う意味ではなく、
理想的な相手でもなく「妄想」のことです。
AC夫である私は今までは自覚があまりなかったのですが、
ACであることに気づいて、アスペ嫁と共依存状態であることが
理解できてからは、自分がいかに妄想的な事を思い浮かべている時間が
長かったと言うことを実感しました。
白黒発想の人だと理想や妄想を抱くことが悪いことのように
感じてしまうかもしれませんが、妄想をしちゃいけません!
ということではないです。
人間、誰だって理想はあるし、妄想もします。
ただ、AC夫の場合は、「頻度」が多いのです。
なんの頻度って、もちろん妄想です。
一番恐ろしいのは、本人は妄想だと気づいていません。
どちらかというと「理想」という綺麗な言葉に代えて、
頭の中で整理してます。
なんでも本来適度が良いのでしょうが、頻度が多すぎるとか、
少なすぎるとか両端に偏ってくると何かしらの弊害を
もたらしてくれちゃうわけです。
私は男ですので、白馬の王子様〜♪という言葉で願ってはいませんでしたが、
「才色兼備で料理が上手で旦那にゾッコンで・・・。」何て言うパートナーを
心のどこかで常に求めていました。
ソフトに言えば、「理想が高すぎる」わけです。
アスペ嫁と暮らしたから余計に分かりますが、
「理想が高い」のではないんです。
「そんな現実にはいない人を追い続けている妄想」なのです。
何度も何度も離婚しようが、昔描いていた理想の妻にはであうことはないでしょう。
あきらめではありません。そんな自分にとって都合の良い人間は、
どうやっても自分の頭の中だけでしか産まれないのです。
つまり、「理想という名の妄想」
いままで、自動思考でこういうことが真っ先に思い浮かぶ
思考回路になっていたと驚愕しました。
冗談で妄想的な事を言っているような人は、現実と妄想の垣根が
理解できているから別に問題ないと思います。
私は結構真面目に妄想を理想と思っていましたから、
何をやるにも満足できない、心底達成感を得られない思考に
なってしまったのは言うまでもありません。
私がアスペ嫁と上手くいかないのは、アスペ嫁のコミュニケーション
能力だけが問題ではなく、私が延々と理想の奥さん像を追い求め、
それをアスペ嫁に要求するということも原因の一つであることを
実感するのでした。
「こんな理想の妻(夫)だったら、もっと自分は幸せだったろうに。」
今までこういうことを考えたことは数えきれません。
これはアスペ嫁がどうこうではないのです。
幼少期は、「こんな母親(父親)だったら、楽しいのに」
「もしお兄さん(お姉さん)がいたら、よかったのに」
「自分なら、あの(好きな)子をもっと幸せにしてあげるのに」
「彼女がもっと可愛かったら良かったのに。」
何となく、理想という名の妄想が既に小さい頃からあったわけです。
自分の気持ちが苦しくて辛くて、張り裂けそうなときは、なにかに
責任転嫁を自動思考がして自分自身にストレスを与えないように
自己防衛する考えがすり込まれてしまったのでしょう。
白馬の王子様という、自分にとって都合の良い相手は、現実逃避という
名の自己防衛システムです。待っているという表現をしますが、
正確には「何も変わらない私をありのまま全部愛して!」という
潜在的な悲鳴のバリアを張って、他人をなぎ倒して生活していることになります。
皆さんの「理想」は「妄想」ではありませんか?
We host your creativity. 『 HETEML 』
【このカテゴリーの最新記事】
この記事へのトラックバックURL
https://fanblogs.jp/tb/3996916
この記事へのトラックバック
コメント感謝致します。ありがとうございます。
拙い文章を読んでいただき嬉しく思います。
私も我が子に親と同じような表情、口調でしかっていると自分で気づくときがあります。
自己嫌悪しがちですけど、ある意味習ったことを従順にこなしているとも言えます^^
習ったこととは別のことをやるって結構大変ですよね。。。
私自身、まだまだ未熟者ですし、ACを完全克服したわけでもありませんので、
毎日奮闘ですよ^^アスペ嫁にいかに振り回されないかで脳みそ調整してます^^
一番の課題は感情のコントロールです。。。
アスペ嫁は相手が傷つくようなことを傷つける気がなく発するのですが、
どうしても負の自動思考がありますので、瞬間的には、ネガティブに受け
取ってしまい、そのネガティブさから自分自身を守るための自己防衛シス
テムが発動し、相手に対して怒るという行動に出がちです。
以前よりは、スルーできるようになったのですが、こういうことで、
自分の感情が乱されるのが一番困ることです。
私の場合、生きている限りインナーチャイルドの癒やしの継続は必要だろうと思ってます^^
ACに関する記述のところは「ホントそう!そういうこと!」って思うところばかりで、なんだか自分のコトが書いてあるみたいに気になります(笑)
私にとっては「今の自分が、わかってはいるけれど認めたくない、見つめたくないコト」を指摘されてるみたいで、うぐぅ、となる感じもあり、でもそれがとてもありがたいです。
目を逸らしたくなるような、早く読み進めてしまいたくなるような気持ちが、きっと、わかってはいるけど認めたくない気持ち、なのかなと思ってます。
こういうところがダメ、という論調ではなく、こういう風に困るんだよねーっていう感じで書かれてるので、辛くならずに読めます、こんな風に書けるのすごいですね。
今回の記事、「何も変わらない私をありのまま全部愛して!」っていう部分に苦笑いしてしまいました。
まったく、その通りです。
ACであることを、ずっと言い訳にしていました。変えようと思ってませんでした。
私はこうだから、こういう私を受け入れて! はいこれ説明書!って感じでした。
そこから脱したと思いつつも、今もそうかもしれません。
自分もできないような理想を期待するって、自分が親にされてきた嫌なことだったのに、してしまっている自分がいます。