2015年07月21日
AC夫が、子供の頃潜在的に欲っしていたのは「安心感」。
自分自身のインナーチャイルドを癒やすにはいくつかの
関門を突破していく必要があります。
潜在的な原因が何なのか?
こちらが思っているようには、なかなか正体を見せてくれません。
第一関門は、まず自分がアダルトチルドレンであると自覚すること。
何となく生きづらくて、イライラして、他人のせいにしてしまうのは
自分が悪いわけではないと受け止めることでしょう。
第二の関門は、自分の幼少期へさかのぼり、過去の自分自身と
目をそらさずに対面すること。
これが思っている以上に、きつかったりします。
嫌なことを思い出さないといけなかったり、2度と思い出すまいと
封印したツボをこじ開けようとするので、症状が悪化する人も
いるでしょう。
なんとか幼少期の自分と対面できたとしても、
自分が苦しんでいる潜在的に植え付けられた本当の
劣等感というか、根源は1つとは限りません。
そして、それがわかったからと言って、一気に回復するわけ
でもありません。(気持ちは少し楽になると思いますが。)
第三の関門は、「許す」「過去を手放す」こと。
幼少期自分が満たされなかった心をたくさん自分で探して受け止め、
インナーチャイルドを癒やしていくのですが、
親の自分に対してやってきたことが許せなくなる気持ちや憎悪感
が増幅してしまう人も大勢居ます。
自分の今までの辛い思いをした人生を返せと親に文句を言う人も
いるかもしれません。親が他界している人は、怒りをぶつける対象が無い
ため、怨念として心に残る可能性もあります。
最後は、「許す」「過去を手放す」ということが必要になってきます。
親のせいだと思えば思うほど、アドレナリンが放出されそうですね。
でも、親も、またその親に同じようなことをやられているのです。
そして、私たちも、親になると子供へ形は違えど、同じようなことを
してしまうのです。親も自分も未熟なんです。
親も1人の人間、その時は未熟なりに必死に子育てしたことは間違いありません。
それは、自分が死なずに存在することが証明となります。
だから、「あのときは母さん、父さんたいへんだったのだな」と
「人間的には未熟な時期に私を奮起して育てたのだな」と、
最終的には許して、その怒りを手放してあげることが重要です。
私は、最近思うのは、母親に愛情を求めていたのは確かですが、
一番は「安心感」を求めていた気がします。
母親のしかめ面、つまらなそうな顔、怒っている顔は子供の安心感を
全て吸い取っていたのだと思います。
笑うときは、楽しくて笑うことより、人を蔑んだ時の笑い、
自分より劣勢の者に対する嘲笑というのでしょうか、そういうのが多かったです。
いまだに、私が凄く行動力を起こすミナモトは、「不安感」「焦燥感」からくる
行動力です。楽しいから行動するのではなく、不安だから、焦って行動をすること
に慣れてしまった結果です。
子供って、難しい知識とか社会的に地位がある親なんて求めてないんですね。
ただいるだけで安心感を得られるような家庭。これだけなんでしょう。
いまでも、私はどこかしら「安心感」を求めているのかもしれませんが、
その安心感を他人へ求めるのではなく、自己肯定感をあげて自分で安心感を
自分へ与えるようになったとき、他人への依存心も生きづらさも和らぐのではないかと思います。
We host your creativity. 『 HETEML 』
関門を突破していく必要があります。
潜在的な原因が何なのか?
こちらが思っているようには、なかなか正体を見せてくれません。
第一関門は、まず自分がアダルトチルドレンであると自覚すること。
何となく生きづらくて、イライラして、他人のせいにしてしまうのは
自分が悪いわけではないと受け止めることでしょう。
第二の関門は、自分の幼少期へさかのぼり、過去の自分自身と
目をそらさずに対面すること。
これが思っている以上に、きつかったりします。
嫌なことを思い出さないといけなかったり、2度と思い出すまいと
封印したツボをこじ開けようとするので、症状が悪化する人も
いるでしょう。
なんとか幼少期の自分と対面できたとしても、
自分が苦しんでいる潜在的に植え付けられた本当の
劣等感というか、根源は1つとは限りません。
そして、それがわかったからと言って、一気に回復するわけ
でもありません。(気持ちは少し楽になると思いますが。)
第三の関門は、「許す」「過去を手放す」こと。
幼少期自分が満たされなかった心をたくさん自分で探して受け止め、
インナーチャイルドを癒やしていくのですが、
親の自分に対してやってきたことが許せなくなる気持ちや憎悪感
が増幅してしまう人も大勢居ます。
自分の今までの辛い思いをした人生を返せと親に文句を言う人も
いるかもしれません。親が他界している人は、怒りをぶつける対象が無い
ため、怨念として心に残る可能性もあります。
最後は、「許す」「過去を手放す」ということが必要になってきます。
親のせいだと思えば思うほど、アドレナリンが放出されそうですね。
でも、親も、またその親に同じようなことをやられているのです。
そして、私たちも、親になると子供へ形は違えど、同じようなことを
してしまうのです。親も自分も未熟なんです。
親も1人の人間、その時は未熟なりに必死に子育てしたことは間違いありません。
それは、自分が死なずに存在することが証明となります。
だから、「あのときは母さん、父さんたいへんだったのだな」と
「人間的には未熟な時期に私を奮起して育てたのだな」と、
最終的には許して、その怒りを手放してあげることが重要です。
私は、最近思うのは、母親に愛情を求めていたのは確かですが、
一番は「安心感」を求めていた気がします。
母親のしかめ面、つまらなそうな顔、怒っている顔は子供の安心感を
全て吸い取っていたのだと思います。
笑うときは、楽しくて笑うことより、人を蔑んだ時の笑い、
自分より劣勢の者に対する嘲笑というのでしょうか、そういうのが多かったです。
いまだに、私が凄く行動力を起こすミナモトは、「不安感」「焦燥感」からくる
行動力です。楽しいから行動するのではなく、不安だから、焦って行動をすること
に慣れてしまった結果です。
子供って、難しい知識とか社会的に地位がある親なんて求めてないんですね。
ただいるだけで安心感を得られるような家庭。これだけなんでしょう。
いまでも、私はどこかしら「安心感」を求めているのかもしれませんが、
その安心感を他人へ求めるのではなく、自己肯定感をあげて自分で安心感を
自分へ与えるようになったとき、他人への依存心も生きづらさも和らぐのではないかと思います。
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コメントありがとうございます。
そこまでご自身で分析が出来ているのは、素晴らしいことだと思います。
幼児期を振り返るのは時間をかけて自分のペースでの方が良いと思います。
私も、随分昔ですがACとか知らない時代で、自分で気持ちに余裕がないとき
幼少期を振り返ったことがありましたが、ただただ、辛いというか、
切ないというか、何とも言えない気持ちだけが、心に残った時期もありましたので^^
記事を書いているのも、他人様の為なんて言う大層なものではなく、
自分自身が弱くて凡人であることが理解できたため、自分に自分で叱咤激励
するためのようなものです^^
結果的にご参考になったのであれば嬉しく思います^^
焦らず、じっくり生きましょう^^
コメントありがとうございます。
インナーチャイルドと向き合い癒やすって、
言葉以上に本当に難しいと思います。
どんなに、頑張って取り組んでも、
劇的に人間が変わったようにはならないので、
余計実感を得にくいのも困りますね^^
今まで何十年もACの考え方に洗脳されて生活してますから、
やっぱり抜け出すのもそれ相応の時間が人それぞれかかるのかもしれません。
カウンセリングにも行っているのであれば、きっとじわじわと効果が出てくると思いますよ!
ACから抜け出すことに執着しすぎず、以前よりも考え方の幅が広がったとか、
改善している良い面の自分で受け止めてあげられると不安よりも肯定感が
生まれてくるかもしれません。
ACについての夫さんのご見解、共感しすぎて、拝読していて辛くなることも多々あり休み休み拝読しております。
アスペルガーの夫や(未診断)カサンドラの自分については、自分を客観視でき冷静に分析できるのですが、ACの部分は、考えることを心が拒否するように冷静にはなれません。
非現実なお話ですが、タイムマシーンがあるなら、子供の頃の時代に戻って幼い自分を親から助けてあげたいし、親に反撃したいです。
夫さんも記事を書かれていて辛くなることも多いかと思います。
それなのに記事をご投稿してくださりありがとうございます。
一言お礼を申し上げたく思い、メールさせていただきました。
書かれてる通りかもしれません。
思わず、そうなんだよね〜。と心の中で叫んでいる自分がいます。
でもね・・なかなかできないですね。
何故か・・・。
何度か、インナーチャイルドを癒やそうと頑張ったけど、どうしても途中で、
虚しくなって、気が付くと、自分以外の人に、癒やしを求めてます。
心療内科も行ってないし、カウンセリングは、何か月かに一回なので、本当に、ACから抜け出せるのか不安です。
アスペ嫁の苦悩夫さん、いつも、ブログ参考にさせていただいてます。
また、来させていただきます。
いつもありがとうございます。