2015年07月03日
生きていることが辛いと思うときは、幸せを呼び込むチャンス!?
度合いこそ異なれど、日々の生活が辛い、しんどい、
面倒くさい、何て言うことが自然に頭を巡る時はあります。
人間は聖人ではありませんので、そう思うことは悪ではありません。
至極当然の感情とも言えるでしょう。
意味も無く辛いとき、しんどいとき、
頑張っているのに、辛いとき、しんどいとき、
一番辛いのは、結果的に何が辛い原因なのかわからないと言うことも
あるのではないかと思います。
この状態が悪化すると、単なる逃げ出したいとか、
見て見ぬふりをしてきた自分ではやり過ごすことができなくなり、
消えてしまいたい!とか、死にたい!などの希死念慮がでてくる人も
いるのではないでしょうか。
ここまで来ると、自分一人でどうにか出来る範囲を超えてしまっているので、
家族の理解を得て、病院やクリニックなどで、カウンセリングを受けたり、
薬の力も借りて、改善を目指す必要があります。
私も、消えたいとか、死にたいっていう気持ちに、さいなまれたことが
ありますが、今思えば、こんな気持ちが隠れていたように感じます。
「誰も自分を理解してくれないなら消えたい(死にたい)。」
「誰も自分を必要としていないなら消えたい(死にたい)。」
「誰も自分を評価してくれないなら消えたい。(死にたい)」
他人から必要とされたり、他人が自分の全てを理解してくれたり、
他人が自分を自分が考えている以上に評価してくれたり、
常に頭にはこんな事ばかりが自動思考で巡ってきていました。
「どうして誰も俺の気持ちをわかってくれないんだよ!」
「どうして誰も俺を必要としてくれないんだよ!」
「どうして誰も俺を評価、称賛してくれないんだよ!」
こんな気持ちで脳みそが占有されているわけですから、
責任の所在は、周りの環境か、他人に求めていくことが殆どです。
自分の存在を、他人の目線でしか認めることが出来ていないため、
例えば、周りに知り合いが10人いて、9人意見が概ね合ったとしても、
1人が自分を批判したり、避難したり、そぐわない人がいると、
それだけで気持ちが不安定になります。
超客観主義者ですね。一般的には完璧主義者と言われますが、
自分を客観的な評価でしか、認めてあげることが出来ないのです。
物事を精査するのは好きですが、基本的には失敗しないように、
ベストを求めすぎてしまい、物事を選択することに恐怖を覚え、
自分が決定したことで、問題が発生したり、失敗することに
耐えきることが苦しくなる性格のため、他人に様々な選択をゆだねたりもします。
一見、他人の意見を良く聞く、視野の広い人にも見えるのですが、
根底にあるのは、他人と共感しておきたいという不安感と、他人の意見
を受け入れることで、最終的には自分が決定したことではないと
責任逃れが出来るような状態に持ち込むことも得意です。
なにをそんなに恐れているのか、失敗すると人生が終わってしまうのか。
そんなことはありませんよね。それなのに、固執するのです、執着するのです。
依存対象の人や物や行為や関係に。。。
辛いと思うのは、本当の自分の気持ちとは異なることをしているから
辛いのであって、自分の中の本当の自分を見つめ直すチャンスでもあるのです。
第一歩はやはり、自分の思考の癖に気づくことだと思います。
面倒くさい、何て言うことが自然に頭を巡る時はあります。
人間は聖人ではありませんので、そう思うことは悪ではありません。
至極当然の感情とも言えるでしょう。
意味も無く辛いとき、しんどいとき、
頑張っているのに、辛いとき、しんどいとき、
一番辛いのは、結果的に何が辛い原因なのかわからないと言うことも
あるのではないかと思います。
この状態が悪化すると、単なる逃げ出したいとか、
見て見ぬふりをしてきた自分ではやり過ごすことができなくなり、
消えてしまいたい!とか、死にたい!などの希死念慮がでてくる人も
いるのではないでしょうか。
ここまで来ると、自分一人でどうにか出来る範囲を超えてしまっているので、
家族の理解を得て、病院やクリニックなどで、カウンセリングを受けたり、
薬の力も借りて、改善を目指す必要があります。
私も、消えたいとか、死にたいっていう気持ちに、さいなまれたことが
ありますが、今思えば、こんな気持ちが隠れていたように感じます。
「誰も自分を理解してくれないなら消えたい(死にたい)。」
「誰も自分を必要としていないなら消えたい(死にたい)。」
「誰も自分を評価してくれないなら消えたい。(死にたい)」
他人から必要とされたり、他人が自分の全てを理解してくれたり、
他人が自分を自分が考えている以上に評価してくれたり、
常に頭にはこんな事ばかりが自動思考で巡ってきていました。
「どうして誰も俺の気持ちをわかってくれないんだよ!」
「どうして誰も俺を必要としてくれないんだよ!」
「どうして誰も俺を評価、称賛してくれないんだよ!」
こんな気持ちで脳みそが占有されているわけですから、
責任の所在は、周りの環境か、他人に求めていくことが殆どです。
自分の存在を、他人の目線でしか認めることが出来ていないため、
例えば、周りに知り合いが10人いて、9人意見が概ね合ったとしても、
1人が自分を批判したり、避難したり、そぐわない人がいると、
それだけで気持ちが不安定になります。
超客観主義者ですね。一般的には完璧主義者と言われますが、
自分を客観的な評価でしか、認めてあげることが出来ないのです。
物事を精査するのは好きですが、基本的には失敗しないように、
ベストを求めすぎてしまい、物事を選択することに恐怖を覚え、
自分が決定したことで、問題が発生したり、失敗することに
耐えきることが苦しくなる性格のため、他人に様々な選択をゆだねたりもします。
一見、他人の意見を良く聞く、視野の広い人にも見えるのですが、
根底にあるのは、他人と共感しておきたいという不安感と、他人の意見
を受け入れることで、最終的には自分が決定したことではないと
責任逃れが出来るような状態に持ち込むことも得意です。
なにをそんなに恐れているのか、失敗すると人生が終わってしまうのか。
そんなことはありませんよね。それなのに、固執するのです、執着するのです。
依存対象の人や物や行為や関係に。。。
辛いと思うのは、本当の自分の気持ちとは異なることをしているから
辛いのであって、自分の中の本当の自分を見つめ直すチャンスでもあるのです。
第一歩はやはり、自分の思考の癖に気づくことだと思います。
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