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1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 26日(火)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は昨日に引き続き「世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について」の紹介です。

世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について
〜三陸沖地震の発生メカニズムの解明を目指して(7)〜

平成11年 9月 1日

3. 観測開始までの経緯 (1/2)
海溝で生じる地震の研究には、詳細な地下構造を推定する研究と長期にわたる地震及び地殻変動観測による地震活動度と地殻応力の分布及び時間変化に関する研究が必要です。

後者の長期観測は、深海底にある海溝付近で行うための観測機器の問題、そして深海底に厚く堆積している未固結堆積層の影響を取り除くための設置場所の問題により長い間課題とされてきました。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)結核、ハンセン病院などがある事で清瀬は病院の町として有名だが、「世界の結核患者で清瀬の名を知らない者はいない」と言うほど、清瀬は結核の中枢基地として認知されている。

あのツベルクリン注射、BCGワクチン・・当たり前の様に受けて来たが、国は国民を守る義務がある・・そんな事をこの年になってやっと身近に感じられる様になって来たのは、頭脳の発育不良のせいなのかも。

それと、この清瀬の結核研究所には忘れてはならない人がいます・・そうです、丸山千里博士ですね。

あの丸山ワクチンの開発者ですよね。現在でも有償治験薬ながら、ガン治療における第四の治療法と言われ、支持者が多い事は衆知の事実です。

それにも増して、丸山ワクチンが、体の免疫力向上に主眼を置いている治療法である事が現在の時流ともマッチしている強味です。

素朴な疑問ですが、何故、40年も立っても丸山ワクチンが支持されているのでしょうか?

これらの免疫効果が期待出来るのであれば、それこそアンプル剤やサプリメントとしても必須のアイテムとなり得る筈。












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 25日(月)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は昨日に引き続き「世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について」の紹介です。

世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について
〜三陸沖地震の発生メカニズムの解明を目指して(6)〜

平成11年 9月 1日
海洋科学技術センター 

2 今回の作業及び調査にあたって(2/2)
約2/3のエネルギーは、地震以外の現象で消費されていることになります。

こうした現象は、地震計では捕えられないゆっくりとしたプレートの滑りなどであろうと思われています。
三陸沖で度々発生する地震と太平洋プレートの動きとの関係を明らかにするため、本年7月及び8月に広帯域地震計・傾斜計・体積歪計を深海底の掘削孔内に設置しました。

今回、これらの機器の設置状況把握及び動作開始のための作業及び調査を行います。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)この中野歴史資料館は区の北部地域に位置する。

中野区は戦前から江古田地区に結核療養所が設置されていた事から、中野に住まいを求める人からは敬遠されて来たと言う。この為、新青梅街道から北側地域の開発は遅れた。

昭和42年には地上10階、地下1階の新病棟が建設され、新病棟の754床と旧病棟の一部256床を加え総病床1010床の結核療養所となり、名称も国立療養所中野病院と改称された。

しかし、結核患者の激減と清瀬市に15施設程の結核関連施設があった事で療養施設は充分に賄われ、平成5年10月1日(1993年)に国立療養所中野病院は、国立国際医療センター(新宿区)に統合され、73年の幕を閉じたのである。

その療養所跡地は、江古田の森公園(約18000坪)、公務員宿舎用地として活用されており、災害時の避難場所にも指定されている。

又、地下鉄の都営大江戸線が近くの目白通りの下に開通した事で、大江戸線の新江古田駅からは徒歩5分程の立地となった為、緑溢れる環境を背景にマンション建設計画が増加している様である。












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 24日(日)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は昨日に引き続き「世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について」の紹介です。

世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について
〜三陸沖地震の発生メカニズムの解明を目指して(5)〜

平成11年 9月 1日
海洋科学技術センター 

2 今回の作業及び調査にあたって(1/2)
当センターでは、海溝域で発生する地震の研究のため、これまで日本海溝周辺での地震反射法や爆破地震動を利用した構造探査を他機関とも共同して行って来ました。

日本海溝では,太平洋プレートが年間9-10cmの速度で日本の下に沈み込み、この運動が三
三陸はるか沖などの大地震の原因と考えられています。

しかし、こうした大地震だけではプレートの沈み込みによる歪の蓄積を約1/3しか解消できません。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)「江古田原沼袋合戦」は室町時代の末ごろに起こった戦いである。

道灌所属の上杉氏の内部抗争が激化・・。

ついには武力衝突となり、扇谷上杉氏側の太田道灌と、山内上杉氏についた豊島氏が、文明9年(1477年)4月に江古田で合戦を繰り広げたのが江古田原沼袋合戦です。

この結果、豊島氏は滅び、この地域の支配は太田道灌に移りました。

この戦いは川越城、江戸城に居城していた道灌に対し、その中間に位置する石神井城、練馬城の豊島氏がその行き来を封鎖した事により勃発した。

石神井城は現在の石神井公園の三宝寺池の畔に、練馬城は現在の豊島園に築城されていた。

関東管領は主に支配地域の守護及び地頭の管理に当たり、武蔵守護も兼任していた為、関東の広い地域で道灌の逸話が数多く残っているのである。

江戸城を築城し、現在の東京の基礎を造った功績は後世にも伝えられる事となり、自分達も小学校時代から英雄の一人として教えられて来た。

又、道灌の銅像が関東周辺で8箇所も建てられている事は、生涯30数回の合戦を主人の命で戦い抜き、ほとんど独力で上杉家の危機を救って来た道灌を称えたものでもある。

☆一昨日あたりから、花粉症の症状が出始めた。
中国からの汚染物質が関東にも降りかかって来たようである。












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 23日(土)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は昨日に引き続き「世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について」の紹介です。

世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について
〜三陸沖地震の発生メカニズムの解明を目指して(4)〜

平成11年 9月 1日
海洋科学技術センター 

1.概要(4/4)
なお、本観測機器の製作から本年7月から8月にジョイデス・リゾリューション号で行った同海域への設置作業は、当センター、米国に本部のあるODP運営計画管理機構(※注3)、米国カーネギー研究所、東京大学海洋研究所,東京大学地震研究所の多機関との共同研究により実現しました。

※注3:ODPはOcean Drilling Programの略、ODP運営計画管理機構は英名のJoint Oceanographic Institutions Incorporated。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)歴史が凝縮された資料館は謂わば、絵手紙でその当時を忍ばせてくれる様な物の集まり。
それが幾枚にも重なりフラッシュの様に展開される。

当時の、のどかな風景は住宅で埋まってしまった現在だが、当時の名残りとなるお寺、神社、森、川などを点同士で結んで行く事で当時の様子がぼんやりとであるが浮かんで来る。

又、当時の画家などが描いた風景画、古地図などからもその昔の様子が伝わって来る。

そして、それらに似た風景は郊外に未だ点在したり、地方の田園風景の中からも近い物を探す事が出来る。

歴史と言えば、資料館のある前の新青梅街道を目白方向に数百メートル先は、「諸学の基礎は哲学にあり」という教育理念を掲げた井上円了が創設の哲学堂公園がある。

当初はここに大学を設置する予定であったらしい。(現在の東洋大学)

そしてこの地は丘になっており、丘の下を妙正寺川が流れている。
川はその地域の一番低い所を示す重要なマーキングになる様に、この地域も資料館方向から川に掛けては下り坂となっており、その川周辺は丘の下に広がる平地となっている。

この平地こそが、太田道灌と豊島氏の江古田原沼袋合戦が繰り広げられた場所なのである。












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 22日(金)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は「世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について」の紹介です。

世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について
〜三陸沖地震の発生メカニズムの解明を目指して(3)〜

平成11年 9月 1日
海洋科学技術センター 

1.概要(3/4)
また、この2地域での観測結果を比較することにより、地震発生にとって重要な地殻内応力の変化、海洋性地殻の運動と地震発生との関係等について明らかにすることが期待されます。

また、観測海域となる三陸沖のような、たびたび被害地震が発生した場所で深海底の掘削孔を利用する高精度観測を開始することにより、「三陸はるか沖地震」に代表される海溝型地震(※注2)の発生メカニズムの解明を目指します。

※注2:海溝からその陸側に傾斜する面で接する2つのプレートの動きによって生ずると考えられる逆断層型の地震のこと。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)館内では写真、模型、文化財の展示などで、中野区の歴史を知る事が出来、解体後復元された実際の古民家の台所が設置されたりしています。

深川にある江戸資料館の様な、町の風景をそのままだったり、家一軒丸ごとの様な訳には行きませんが、自分達の身近にある歴史の変遷を形で確認出来る事の中に、自分達の命が継承されていると言う事も合わせて再認識させてくれる展示物である。

こんな時代を通って来ただけに妙に親近感が湧く。

1階ではこの近くの哲学堂の創始者、井上円了に拘わる展示、又、中野区のむかしの暮らしなどを写真、遺跡の出土品、ジオラマなどで分かりやすく再現

2階は常設展示、文化財展示、企画展示の3つのテーマごとに仕切られており、今回は企画展示室で「おひなさま展」が開催されていた。

@常設展示室は、原始-現代の歴史を写真やイメージ画、ジオラマなどで再現
A特別展示室は、季節ごとに館が収蔵する美術・工芸品、浮世絵、陶磁器などを展示
B企画展示室は、年に3-4回、テーマを替えて展じており、その一つの「おひなさま展」は都内随一である
又、このイベントは今年で24回目を迎えるそうで、中野区に伝わる江戸時代から昭和初期までの「おひなさま」を約40組展示。

又、名誉都民である山崎喜作さんが寄進した山崎家に代々伝わる江戸時代のひな壇飾りをはじめ、山崎家古今ひな、内裏びな等と、御殿飾りと呼ばれるひな飾りも。

鯉桶、挟(はさみ)箱、提(さげ)重、文箱(ふばこ)、胡弓(こきゅう)なども展示している。












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 21日(木)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は「世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について」の紹介です。

世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について
〜三陸沖地震の発生メカニズムの解明を目指して(2)〜

平成11年 9月 1日
海洋科学技術センター 

1.概要(2/4)
観測装置は、掘削孔内の体積歪計、傾斜計、広帯域地震計と海底にある機器制御・データ収録装置から構成されており、微小地震の多発している地震活動度の高い地域と微小地震の発生していない地震活動度の低い地域の2ヶ所の設置場所は、海半球ネットワーク(※注1)の観測点となります。

※注1:文部省の科学研究費により国内の大学で運営される海洋部分の地球物理観測ネットワーク。島への機器設置、海底への機器設置,設置する機器開発、解析手法の開発研究という4つのグループからなる。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)資料館に入る前の巨木の驚きで、資料館内部の見学は二の次となってしまった。

館内の構造はRC2階建てながら充分な空間が確保された設計で、こじんまりながら館内の動線にも配慮され、開放感も心地よい。又、入館無料が何とも嬉しい。

建屋脇の巨木の存在が気になり、この資料館の由来に興味を抱き事務室前に設置された図書の数々に目を通す。

館内の案内書には「昭和59年(1984)に名誉都民である山ア喜作氏から資料館用地に役立ててほしいと、土地2600uを寄付された事を契機に、郷土の文化遺産を保存し展示活用していく為に、平成元年(1989)「山ア記念中野区立歴史民俗資料館」として開設したもの」とあった。

その山崎家については1748年に農業を営む傍ら質屋を始めた事が始めとなったそうで、1776年には醤油醸造を始める様にもなり、江戸周辺の有力な商家に数えられるまでに大成したとの事。

そして、その経済力をもとに江古田村の名主となったそうである。

それで、この巨木の謎も解ける・・。
資料館の隣にあるのは山崎家の茶室・書院だったのである。

しかし、普段は開放されておらず10月〜11月に一般開放されているらしい。
結局、山崎家の敷地の一部に資料館が建っていると言う事が分かった。












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 20日(水)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は「世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について」の紹介です。

世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について
〜三陸沖地震の発生メカニズムの解明を目指して(1)〜

平成11年 9月 1日
海洋科学技術センター 

1.概要(1/4)
海洋科学技術センターは、9月2日より三陸沖地震発生帯に近い、水深約2,500m及び2,700mの2地点の掘削孔内(海底下約1km)に設置した深海底長期地震・地殻変動観測装置の動作開始作業に着手します。

今回の動作開始作業では、当センター所有の深海探査機「ドルフィン-3K」を使用し、海底下に既に設置されている観測装置の電源投入と動作確認を行います。

動作確認が成功すれば、これまで世界で最長4ヶ月であった記録(1981年ハワイ大学)を上回る、長期にわたる地震観測が可能となり期待されます。

また、地殻変動を目的とする深海底観測として世界で初めての試みとなります。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)何故か今日の小さな旅は、このシイの大木を見る為に来たのかも知れないとの思いが・・。
余りの巨木に圧倒されたついでに、ここで日本での巨樹、巨木のベスト20を調べ見た。
驚く事に70%がクスの木である。

その他はイチョウとスギの木が仲良く2本づつ分け合い、残り2本は樹木林と言って、数種類の木々の根が混ざりあって、林の様な姿になっている状態らしい。

クスの木で思い出される事に、自分達の小学校時代は鉛筆箱、下敷きなどはセルロイド製品が結構主流であったかと記憶するが、セルロイドの原料はこのクスの木が用いられていたんだよね。

当初は写真フィルムとして開発されたが、この製品に使われている薬品が極めて燃え易く、摩擦などによっても発火し易い事、又、光などで劣化し、耐久性が低いという欠点があった為に、昭和30年代以降は順次、他の合成樹脂製品に取って変わってしまった。

そんな事であっと言う間にセルロイド製品は消える事になってしまったのだが、現在でも僅かに使用されている物がある。
ピンポン玉、人形、ペン軸などである。

セルロイドが発明されてから、当時の日本はクスの木の輸出国でもあったんだね。

又、大昔の丸太をくり貫いて作った丸太舟はクスの木だったし、この臭いが虫害や腐敗に強いのを、当時の人達は既に知っていたんだよね。












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 19日(火)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は昨日に引き続き「四国沖南海トラフにおける海山の発見」の紹介です。

四国沖南海トラフにおける海山の発見
〜海溝域巨大地震発生過程の解明を目指して(4)〜

平成12年 7月 3日
海洋科学技術センター 

3.観測及び考察(2/2)
このことは、同フロンティアのPhil Cumminsチームリーダ等が実施した、1946年の南海地震データの波形解析結果でも、海山の東方で大きな地震波を伴う高速破壊が生じ、海山西方では、主として津波を伴うゆっくりとした破壊が生じる断層モデルが得られたことからも明らかであり、この海山は、1946年の南海地震の破壊過程に対し、バリアー・フィルター的な役割を果たしたと推定されました。

今後は、この海山の役割と南海地震との関係については、さらに研究を進めていく予定です。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)七段飾りを見学した後、新青梅街道に向かって進むと、店舗に雛飾り人形が飾ってあるお店、又は子供達の作品或いは自分達の手作りらしき作品を並べてあるお店が目に付く。

100店近くが参加しているお店の殆どで、これらの作品も一緒に並べられている様であり、この中の55店舗で雛飾り人形が飾られているらしい。

道の両脇の店舗に、その様な展示品を飾ってあるのだが、バス通りが狭く車の行き来が気になり、とても全部を見る事も出来ず、終点近くにある中野歴史民族資料館に足を向けた。

この資料館がある事は以前から知ってはいたが、一度も訪れる事がなかった為、今回は是非とも見学したいと思っていたからでもある。

道路を進み新青梅街道との交差点を渡って右方向(東)に少し進むと、道路沿いにこの資料館はあった。

通りに面して駐車場が配置され、その奥に古民家を模した資料館の建物がある。
駐車場を左に見て、玄関までの道を進むと、建物脇、隣家との境の周回道に武蔵野の面影を残す様に、シイの大木が目に飛び込んで来る。

樹齢500年とのプレートがあったが1500年位は優に経っているのでは?と思わせる程、幹廻りが極太である。

これ程の幹を持つ木の事を巨樹、巨木と言うのであろう。(巨樹、巨木の定義は大人の胸の辺りの高さ(1.3m)の幹周りが、3メートル以上の樹木と言う事になっている。)

それにしても、凄い存在感を放っており、ただただ圧倒された・・。(続く)












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 18日(月)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は昨日に引き続き「四国沖南海トラフにおける海山の発見」の紹介です。

四国沖南海トラフにおける海山の発見
〜海溝域巨大地震発生過程の解明を目指して(3)〜

平成12年 7月 3日
海洋科学技術センター 

3.観測及び考察(1/2)
発見された海山は、これまで地磁気異常からその存在が示唆されてましたが、長さ約50km、高さ約3km規模の海山が高知県室戸岬沖東方(土佐ばえ)の深度約10km付近に沈み込んでいることを初めて確認しました。

また、この巨大海山は、1946年の南海地震の余震域の境界域に存在している事も明かとなりました。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)お雛様が飾られているのは、駅から北側、江古田方面に延びる商店街で、終点は500メートル程行った新青梅街道との交差点界隈までである。

この交差点沿い近くには中野歴史民族資料館があり、展示室では丁度3/16日まで「おひなさま展」が開催されており、規模は都内随一であると言う。嬉しい事に入館無料である。

まず最初に訪れたのは、駅から150メートル程行った左側にある実相院と言うお寺の山門前で行われていたイベント広場。

ここでは、テレビでお馴染みの土橋商店が「ひな福袋」を販売していたらしい。(既に売り切れで・・)
この店は各種イベントなどのプレゼントに最適な洋服、雑貨などを格安で提供している所で有名。お店は沼袋駅の南口近くにある。

他に被災地復興支援物産展として岩手県陸前高田市の銘品などが並び、本堂では丁度、桃の花を使用したフラワーアレンジ教室が賑わっていた。

このイベント広場で偶然にも小学校の同級生と再会。彼はこの商店街ですし屋を営む旦那である。テント内で忙しくしている為、長くは話せなかったがとても元気そうであった。

その後、通りを50メートル程進んだ右側の店舗内に七段飾り、つるし雛、卵の殻で作った雛人形、千代紙で作った雛人形などがお店一杯に並べられていた。

この飾りを見て、妹のお雛飾りを思い出した。お雛飾りは母から子に引き継がれて行く様で、どうもその雛飾りは、母が子供時代に飾っていた物らしい。

子供の頃はそんな慣習などは全く知る由もない・・。
毎日、野球に明け暮れていた。(続く)












1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 17日(日)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は昨日に引き続き「四国沖南海トラフにおける海山の発見」の紹介です。

四国沖南海トラフにおける海山の発見
〜海溝域巨大地震発生過程の解明を目指して(2)〜

平成12年 7月 3日
海洋科学技術センター 

2.背景
フィリピン海プレートの沈み込み帯である南海トラフ周辺域では、これまでおよそ100年から200年といった間隔でマグニチュード8を越える巨大地震が繰り返し発生している。

最も最近では1944年の東南海地震(M8.0)、1946年の南海地震(M8.0)が起こっており、それ以前には1854年に東南海地震、南海地震が発生している。

また、1707年の地震(M8.4)では、四国沖から東海沖に至る広域が破壊したと考えられている。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆今日は沼袋のお雛さま祭りを訪ねた。

西武新宿線の高田馬場から4つ目が沼袋駅である。
駅を挟んで南北にメーンのバス道路が延びている。

北側は江古田方面に南側は中野駅方面へと続く。しかし、道幅が充分でない為に道路は北から南への一方通行に制限されているものの、歩道は設置されておらず、非常に危なっかしい。

こんな狭い道路の商店街をあちこちで目にするが、大抵町並みは発展していない。
消費者にとっては車が危険で、買い物には不向きだからである。

そんな沼袋商店街では街起こしにと、毎年この時期に雛人形を各店舗などに飾っている。
題して「まちかどひなめぐり」は、今年は第8回を迎えたそうで、55店舗程が店の正面にお雛様を飾っている。

期間は2月9日から3月3日まで開催されているのだが、この界隈も住宅密集地域で満足なイベント広場が確保出来ないのが、商店街の課題となっているらしい。

今日も風はとても冷たい、中に入って暖を取りたいのだが、それらしきお店が少ないのにはまいった。
せめて大先輩の伊豆稲取のつるし雛に合わせて、温泉とは行かないまでも公衆浴場を無料開放して貰い・・一杯と行きたい位に寒い雛めぐりとなった。(続く)












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