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1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 24日(日)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。

そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。

今日は昨日に引き続き「世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について」の紹介です。

世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について
〜三陸沖地震の発生メカニズムの解明を目指して(5)〜

平成11年 9月 1日
海洋科学技術センター 

2 今回の作業及び調査にあたって(1/2)
当センターでは、海溝域で発生する地震の研究のため、これまで日本海溝周辺での地震反射法や爆破地震動を利用した構造探査を他機関とも共同して行って来ました。

日本海溝では,太平洋プレートが年間9-10cmの速度で日本の下に沈み込み、この運動が三
三陸はるか沖などの大地震の原因と考えられています。

しかし、こうした大地震だけではプレートの沈み込みによる歪の蓄積を約1/3しか解消できません。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)「江古田原沼袋合戦」は室町時代の末ごろに起こった戦いである。

道灌所属の上杉氏の内部抗争が激化・・。

ついには武力衝突となり、扇谷上杉氏側の太田道灌と、山内上杉氏についた豊島氏が、文明9年(1477年)4月に江古田で合戦を繰り広げたのが江古田原沼袋合戦です。

この結果、豊島氏は滅び、この地域の支配は太田道灌に移りました。

この戦いは川越城、江戸城に居城していた道灌に対し、その中間に位置する石神井城、練馬城の豊島氏がその行き来を封鎖した事により勃発した。

石神井城は現在の石神井公園の三宝寺池の畔に、練馬城は現在の豊島園に築城されていた。

関東管領は主に支配地域の守護及び地頭の管理に当たり、武蔵守護も兼任していた為、関東の広い地域で道灌の逸話が数多く残っているのである。

江戸城を築城し、現在の東京の基礎を造った功績は後世にも伝えられる事となり、自分達も小学校時代から英雄の一人として教えられて来た。

又、道灌の銅像が関東周辺で8箇所も建てられている事は、生涯30数回の合戦を主人の命で戦い抜き、ほとんど独力で上杉家の危機を救って来た道灌を称えたものでもある。

☆一昨日あたりから、花粉症の症状が出始めた。
中国からの汚染物質が関東にも降りかかって来たようである。













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