2013年02月19日
日本が危ない(1001)余震が多いが、日本沈没は大丈夫か?特別篇(702)
1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 19日(火)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。
そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。
今日は昨日に引き続き「四国沖南海トラフにおける海山の発見」の紹介です。
四国沖南海トラフにおける海山の発見
〜海溝域巨大地震発生過程の解明を目指して(4)〜
平成12年 7月 3日
海洋科学技術センター
3.観測及び考察(2/2)
このことは、同フロンティアのPhil Cumminsチームリーダ等が実施した、1946年の南海地震データの波形解析結果でも、海山の東方で大きな地震波を伴う高速破壊が生じ、海山西方では、主として津波を伴うゆっくりとした破壊が生じる断層モデルが得られたことからも明らかであり、この海山は、1946年の南海地震の破壊過程に対し、バリアー・フィルター的な役割を果たしたと推定されました。
今後は、この海山の役割と南海地震との関係については、さらに研究を進めていく予定です。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆(昨日からの続き)七段飾りを見学した後、新青梅街道に向かって進むと、店舗に雛飾り人形が飾ってあるお店、又は子供達の作品或いは自分達の手作りらしき作品を並べてあるお店が目に付く。
100店近くが参加しているお店の殆どで、これらの作品も一緒に並べられている様であり、この中の55店舗で雛飾り人形が飾られているらしい。
道の両脇の店舗に、その様な展示品を飾ってあるのだが、バス通りが狭く車の行き来が気になり、とても全部を見る事も出来ず、終点近くにある中野歴史民族資料館に足を向けた。
この資料館がある事は以前から知ってはいたが、一度も訪れる事がなかった為、今回は是非とも見学したいと思っていたからでもある。
道路を進み新青梅街道との交差点を渡って右方向(東)に少し進むと、道路沿いにこの資料館はあった。
通りに面して駐車場が配置され、その奥に古民家を模した資料館の建物がある。
駐車場を左に見て、玄関までの道を進むと、建物脇、隣家との境の周回道に武蔵野の面影を残す様に、シイの大木が目に飛び込んで来る。
樹齢500年とのプレートがあったが1500年位は優に経っているのでは?と思わせる程、幹廻りが極太である。
これ程の幹を持つ木の事を巨樹、巨木と言うのであろう。(巨樹、巨木の定義は大人の胸の辺りの高さ(1.3m)の幹周りが、3メートル以上の樹木と言う事になっている。)
それにしても、凄い存在感を放っており、ただただ圧倒された・・。(続く)
2013年2月 19日(火)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。
そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。
今日は昨日に引き続き「四国沖南海トラフにおける海山の発見」の紹介です。
四国沖南海トラフにおける海山の発見
〜海溝域巨大地震発生過程の解明を目指して(4)〜
平成12年 7月 3日
海洋科学技術センター
3.観測及び考察(2/2)
このことは、同フロンティアのPhil Cumminsチームリーダ等が実施した、1946年の南海地震データの波形解析結果でも、海山の東方で大きな地震波を伴う高速破壊が生じ、海山西方では、主として津波を伴うゆっくりとした破壊が生じる断層モデルが得られたことからも明らかであり、この海山は、1946年の南海地震の破壊過程に対し、バリアー・フィルター的な役割を果たしたと推定されました。
今後は、この海山の役割と南海地震との関係については、さらに研究を進めていく予定です。
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※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
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☆(昨日からの続き)七段飾りを見学した後、新青梅街道に向かって進むと、店舗に雛飾り人形が飾ってあるお店、又は子供達の作品或いは自分達の手作りらしき作品を並べてあるお店が目に付く。
100店近くが参加しているお店の殆どで、これらの作品も一緒に並べられている様であり、この中の55店舗で雛飾り人形が飾られているらしい。
道の両脇の店舗に、その様な展示品を飾ってあるのだが、バス通りが狭く車の行き来が気になり、とても全部を見る事も出来ず、終点近くにある中野歴史民族資料館に足を向けた。
この資料館がある事は以前から知ってはいたが、一度も訪れる事がなかった為、今回は是非とも見学したいと思っていたからでもある。
道路を進み新青梅街道との交差点を渡って右方向(東)に少し進むと、道路沿いにこの資料館はあった。
通りに面して駐車場が配置され、その奥に古民家を模した資料館の建物がある。
駐車場を左に見て、玄関までの道を進むと、建物脇、隣家との境の周回道に武蔵野の面影を残す様に、シイの大木が目に飛び込んで来る。
樹齢500年とのプレートがあったが1500年位は優に経っているのでは?と思わせる程、幹廻りが極太である。
これ程の幹を持つ木の事を巨樹、巨木と言うのであろう。(巨樹、巨木の定義は大人の胸の辺りの高さ(1.3m)の幹周りが、3メートル以上の樹木と言う事になっている。)
それにしても、凄い存在感を放っており、ただただ圧倒された・・。(続く)
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投稿者:がくがく|22:45
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