2013年02月21日
日本が危ない(1003)余震が多いが、日本沈没は大丈夫か?特別篇(704)
1000年に1度、未曾有の大地震来襲
2013年2月 21日(木)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。
そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。
今日は「世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について」の紹介です。
世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について
〜三陸沖地震の発生メカニズムの解明を目指して(2)〜
平成11年 9月 1日
海洋科学技術センター
1.概要(2/4)
観測装置は、掘削孔内の体積歪計、傾斜計、広帯域地震計と海底にある機器制御・データ収録装置から構成されており、微小地震の多発している地震活動度の高い地域と微小地震の発生していない地震活動度の低い地域の2ヶ所の設置場所は、海半球ネットワーク(※注1)の観測点となります。
※注1:文部省の科学研究費により国内の大学で運営される海洋部分の地球物理観測ネットワーク。島への機器設置、海底への機器設置,設置する機器開発、解析手法の開発研究という4つのグループからなる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆(昨日からの続き)資料館に入る前の巨木の驚きで、資料館内部の見学は二の次となってしまった。
館内の構造はRC2階建てながら充分な空間が確保された設計で、こじんまりながら館内の動線にも配慮され、開放感も心地よい。又、入館無料が何とも嬉しい。
建屋脇の巨木の存在が気になり、この資料館の由来に興味を抱き事務室前に設置された図書の数々に目を通す。
館内の案内書には「昭和59年(1984)に名誉都民である山ア喜作氏から資料館用地に役立ててほしいと、土地2600uを寄付された事を契機に、郷土の文化遺産を保存し展示活用していく為に、平成元年(1989)「山ア記念中野区立歴史民俗資料館」として開設したもの」とあった。
その山崎家については1748年に農業を営む傍ら質屋を始めた事が始めとなったそうで、1776年には醤油醸造を始める様にもなり、江戸周辺の有力な商家に数えられるまでに大成したとの事。
そして、その経済力をもとに江古田村の名主となったそうである。
それで、この巨木の謎も解ける・・。
資料館の隣にあるのは山崎家の茶室・書院だったのである。
しかし、普段は開放されておらず10月〜11月に一般開放されているらしい。
結局、山崎家の敷地の一部に資料館が建っていると言う事が分かった。
2013年2月 21日(木)
地震の謎を探っていたら、「深海探査船・ちきゅう」に行き着いてしまいました。
地震予知では全くダメでしたが、他の分野では思わぬ研究成果を上げていました。
そこで、深海探査船・ちきゅうを運用している、海洋研究開発機構の興味深い研究成果
を紹介して見たいと思いました。
今日は「世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について」の紹介です。
世界初の深海底長期地震・地殻変動観測研究の開始について
〜三陸沖地震の発生メカニズムの解明を目指して(2)〜
平成11年 9月 1日
海洋科学技術センター
1.概要(2/4)
観測装置は、掘削孔内の体積歪計、傾斜計、広帯域地震計と海底にある機器制御・データ収録装置から構成されており、微小地震の多発している地震活動度の高い地域と微小地震の発生していない地震活動度の低い地域の2ヶ所の設置場所は、海半球ネットワーク(※注1)の観測点となります。
※注1:文部省の科学研究費により国内の大学で運営される海洋部分の地球物理観測ネットワーク。島への機器設置、海底への機器設置,設置する機器開発、解析手法の開発研究という4つのグループからなる。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
※ 今日は勝手ながら「石田博士の提言」はお休みとなります。
ーーーーーーーーーーーーーーーーーー
☆(昨日からの続き)資料館に入る前の巨木の驚きで、資料館内部の見学は二の次となってしまった。
館内の構造はRC2階建てながら充分な空間が確保された設計で、こじんまりながら館内の動線にも配慮され、開放感も心地よい。又、入館無料が何とも嬉しい。
建屋脇の巨木の存在が気になり、この資料館の由来に興味を抱き事務室前に設置された図書の数々に目を通す。
館内の案内書には「昭和59年(1984)に名誉都民である山ア喜作氏から資料館用地に役立ててほしいと、土地2600uを寄付された事を契機に、郷土の文化遺産を保存し展示活用していく為に、平成元年(1989)「山ア記念中野区立歴史民俗資料館」として開設したもの」とあった。
その山崎家については1748年に農業を営む傍ら質屋を始めた事が始めとなったそうで、1776年には醤油醸造を始める様にもなり、江戸周辺の有力な商家に数えられるまでに大成したとの事。
そして、その経済力をもとに江古田村の名主となったそうである。
それで、この巨木の謎も解ける・・。
資料館の隣にあるのは山崎家の茶室・書院だったのである。
しかし、普段は開放されておらず10月〜11月に一般開放されているらしい。
結局、山崎家の敷地の一部に資料館が建っていると言う事が分かった。
【(カテゴリなし)の最新記事】
投稿者:がくがく|22:34
この記事へのコメント