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2020年09月07日

ジンの魔力

いつ頃からジンを好きになったのだろうか?
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たぶん、ハードボイルド小説の中で登場したジンというお酒に興味を持ったのが大学の頃で、ちょうど折よく(いや折悪しく?)ジンにも詳しくお酒好きなK君と仲良くなって、頻繁に飲みに行くようになったことが大きいのではないかと思う。ここ何年も会ってはいないが、彼とは、今も交流がある。

サラリーマンになって2〜3年目に、K君に連れて行ってもらった赤坂のイングランドパブが、私のジンへの本格的な入口となった。当時そのパブというかバーにいたバーテンダーのSさんが、勉強熱心でお酒やカクテルに詳しく、彼の話を聞きながらカクテルを飲ませてもらうの楽しくてしようがなかった。他の店で飲んだ帰りにその店に寄って、アースクェイクという相当強いと言われたカクテルを、いきがって5杯飲み、カウンターの椅子から崩れ落ちたことも懐かしい思い出だ。

ジンは、そもそもは、オランダで薬になることをめざして生まれた。ジンの風味のもとになっている杜松(ねず)が、利尿・解熱効果があることから、大学の医学部で薬として作られたものだ。しかし、そのさわやかなおいしさは、オランダ国内で飲み物として人気を博した。
一方で、18世紀のイギリスでは、安くてすぐに酔える酒として貧しい労働者たちに人気を呼び、それが大量のアル中を生み出し社会問題にもなった。

ジンの代表的な飲み方といえば、やはりマティニだろうか?これもまたエピソードは数知れぬカクテルである。曰く、チャーチルは、ほとんどジンだけのマティニを、ベルモットの瓶を横目で眺めながら飲んだというし?ジェームズボンドは、「Shaken, not stirred(ステアでなく、シェイクしてくれ)」という有名なセリフで、一世を風靡した。私も、このセリフを実践したくて、バーでそんなふうにオーダーしたことがある。(馬鹿だね) でも、優れたバーテンダーさんが作るマティニは、シェイクでもステアでも美味しい。

そんなことを思い出しながら、ジンの魔力につかまり続けている私は、今宵もバーMINOで、「シェイクでなくステアで」自分でマティニを作って飲んでいる。「ステアは、静かに100回回す」という銀座の著名なバーテンダーさんの話を聞いてから、それを実践しているが、100回静かに素早くステアすると水っぽくならずにおいしいマティニができる。ぜひお試しを。
あ、ステアするには、やはり、ちゃんとしたバースプーンか、マドラーが必要です。

#マティニ












2020年09月06日

久しぶりのニョッキ

5時過ぎに目が覚め、5時半からのNHK「晴れ時々ファーム」のジャガイモ特集などをひさびさに見ていたら、ニョッキも作っていた。そういえば、このところニョッキを食べてないな、と思い、生クリームを消費しないといけないことも思い出し、ランチメニューはニョッキのクリームソースに決定。(しかし、早朝から、ランチのことを考えている自分に思わず苦笑い・・)

ということで、11時過ぎから仕込みにかかり、ジャガイモを茹でて、薄力粉と小麦粉を用意してニョッキを作り始める。ジャガイモを茹でていたら、今朝の番組では、ポテサラも作っていたのを思い出し、ジャガイモの一部は、それ用に少しキープしておく。
茹で上がったジャガイモと粉を一緒にポリ袋に入れて手でこねて、混ぜながらつぶし、小さな団子を作る。
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手で丸めてスプーンで軽くつぶして成型し終わったらひとまずトレーに並べて置く。今度はソースだ。常備菜の鶏手羽を煮たスープストックから、柔らかくなっている手羽を取り出し、身をほぐす。昨日から煮込んだものだから、既に身はホロホロだ。
玉ネギのスライスをオリーブオイルで軽く炒めて、そこに手羽のほぐした肉を入れ、生クリームと牛乳とクリームチーズとピザチーズを入れてチーズが溶けるまで煮込む。これでソースの完成。
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沸騰したお湯にニョッキを投入する。茹で上がると上に浮かんできて揺れているのが「茹で上がったよ!」と言っているようだ。
ざるにあげてお湯を切り、ソースと合わせて、イタリアンパセリの刻んだものをかけて完成。
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ちょっとカロリー高めが気になるけれど、できたての手作りニョッキのおいしさを堪能したランチであった。
ジャガイモと小麦粉などを混ぜることで、パスタに似た主食になることを見つけたイタリア人もなかなかやるな。

あ、ちなみに、並行して作っていたポテサラは、ランチでは食べずに、今夜のおつまみです。

#ニョッキ












2020年09月05日

モツの誘惑

先日、FBで鶏モツの煮込み料理を投稿した。
200901鶏モツ煮.jpg

これ、実は、レバーパテを作ってみたくなってネットでレシピを調べたら、鶏レバーのパテが多かったので買ってきたためであった。レバーパテで使うのは、レバーだが、買ってきたモツには、キンカンを含めて、他の部位も入っていたので、パテ用に使う以外の部位は鶏モツ煮にした次第。レバーパテの写真がないのは、残念ながら初めてのトライはいまひとつで、見た目も黒っぽいものになってしまったので、今回は写真を撮らなかった。

鶏モツ料理を作ったにも関わらず、翌日、別のスーパーで買い物をしていた時に、豚モツの安いのを見つけた。こちらはニラとキャベツと一緒に煮てモツ鍋にするのが私のいつものパターン。ちょうどニラを処理する必要もあったので、つい買ってしまった。

既に煮込んである鶏モツ煮の鍋をにらみながら、豚モツは、取りあえず下茹でだけしておき、明日食べることにして、鶏モツを先に消費することにした。晩酌を鶏モツ煮などで楽しんだ。翌日、下茹でした豚モツに味を付けて夕食用の仕込みを行う。良く煮込んでおいて、夕方、キャベツとニラと豆腐を入れて煮てもつ鍋風煮物の完成。昨日の鶏モツとは、また一味違うモツ料理になった。(*写真を撮り忘れたので写真はありません)

翌朝、残った豚モツ煮に火を通していて、これでモツ煮込みうどんを作ると旨いだろうな、と思いついた。かくして、ランチにモツ煮込みうどんを作って食べた。
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鶏モツと豚モツの誘惑に負けたモツ三昧の3日間、痛風の持病がないことを、神に感謝した。

#モツ煮込み












2020年09月04日

着古したTシャツ

もう30年以上着ているTシャツがある。
200904NAUTICAのTシャツ.jpg

NAUTICAというわりと名の通ったブランドのもので、買った当時は、Tシャツにしては、そこそこ高かったと思う。
虫食い穴が広がってみっともないのだが、昔のTシャツの襟ぐりは、最近のものと違って、まだまだしっかりしてるし、生地がくたびれて柔らかくなり、すこぶる着心地も良い。

最近のTシャツは、何度か洗濯するとすぐに襟が伸びてくたびれてくるが、30年くらい前のTシャツは、ハワイのクレイジーシャツや、ドイツで買った楽団の記念Tシャツなどいずれも襟はあまり伸びていないし、型崩れも少ないと思う。
日本で最初にTシャツを作った墨田区の老舗、久米繊維さんで以前お話しをお聞きしたことがある。「Tシャツは素材と縫製で仕上がりが違ってくる、しっかり作ってあるTシャツは、襟ぐりも、シルエットもくずれません」とおっしゃっていた。実際、東京の家に置いてある久米さんのところで買った数枚のTシャツは、生地も肉厚で襟ぐりもしっかりしている。10年くらい経った今でもしっかりしたシルエットのままである。

昔は、Tシャツも千円とか2千円とかしていた。昔に比べて最近はずいぶん安くなったが、その分長持ちもしない。私は、ファッション好きだったし、サラリーマン時代に買った服には、わりあいしっかり作った良いものも何点かあったりするのだが、それらは、40年くらい経った今でも、シルエットの崩れなどもなく生地の風合いも素晴らしいままだ。15年ほど前に、毎年着ているツイードの赤いCPOジャケットのようなものを来て銀座の洋服屋をのぞいた時に、ベテランの店員さんが、「これツイードですね、あ、ハリスツイードだけど、こんなにしっかりと紡いであるものは、今はあんまりお目にかかれませんよ」、と絶賛されたことがあった。昔は、丹念に良いものを作る文化があり、それをちゃんと見抜く目利きの店員と目利きの客がいたのかもしれない。

さて、このTシャツ、今日は、アイロンパッチを当てて穴をふさいだ。
よし、まだまだ着るぞ。












2020年09月03日

浮世床

先日父の具合が悪くなり、救急搬送したことを書いた。
その翌日、父の仲良しである近所の床屋のおじさんが、「お父さん救急車で運ばれたんやって?具合どうや?」とのぞきに来られた。聞けば、すぐ近くの町の有力者の方から電話があり、ちょっと様子を見て来てくれと言われたとのこと。

かつては、郡部の人口1万3千人ほどの独立した地方自治体であったこの町。父は、その昔、首長をつとめていたこともあった。わが家は、この小さな町の真ん中で、旧北陸道沿いにある。かつては、参勤交代も木曽義仲もこの道を通った。いわば歴史的メインストリートでもある。(笑)
私もそうだが、救急車が、そのメインストリートを走れば、「あれっ?どこのお宅だろう?」と外に出て救急車の行方を見る事が多い。そんなわけで、おそらくご近所の有力者の方も、わが家の前に止まった救急車を見るか聞くかして、床屋さんに電話されたのだろう。(こう書いていて、考えてみたら、いつもならご本人がお越しになるのに、床屋さんに連絡されたということは、もしや体調がお悪いのかもしれない。あとで連絡してみよう)

その翌日、またご近所の方に「お父さん、大変やったらしいな」と声をかけられた。床屋さん→町内会の班長→そのご近所の方〜と情報が伝わったらしい。
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浮世床という落語もあるが、江戸の昔から、髪結いと銭湯は、情報ネットワークの拠点だった。この田舎町もまた同じで、床屋さんは情報拠点で、これまで何度か父が倒れたり入院したりした時も、床屋さん発で、ずいぶん情報が拡散した。

大学生の頃、東京から電車で帰ってきて、駅前でご近所の方とすれちがったので会釈をした。数時間くらいして、2ブロックくらい離れた親戚の叔母様が、「●●ちゃん帰ってきたんやって?」と手作りの総菜を持参して来訪され驚いたことがある。駅で会った方から、叔母様に情報が伝わり、「おやそうかい」と顔を見に来られたという次第であった。
今では高齢者の町になり、ご近所の顔見知りの方もかなり減ってきてしまった。先ほどの叔母様も、だいぶ前に鬼籍に入られた。

インターネットなどない時代でも、小さな町や村社会では、情報は思いのほか早く伝わった。これまで書いた通り、1日〜2日で、結構な範囲に情報は広がる。SNS並みの伝播力である。私も、悪いうわさで人の口にのぼることのないように、せいぜい気を付けなくては(笑)












2020年09月02日

前掛けオヤジ

サラリーマン時代は、毎日スーツを着て会社に通った。手前みそで恐縮だが、妻や息子は、当時、「パパはスーツ姿が、いい」と言ってくれたこともあった。リタイヤしてから、ちょっと手抜きしてよれよれの普段着で東京の家に帰ったりすると、「昔みたいに、もっとびしっとしてね」とお叱りを受けたりする。

実家で父の介護生活をしている現在のユニフォームは前掛け、つまりエプロンである。
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ちょっと見づらい写真だが、これが毎日愛用している藍染の前掛けである。父の使っていたものを使っている。色々探したが、落ち着いたシンプルな前掛けというのがあまり売っていない。奥様用に首からかけるものが主流で、前掛けタイプのものがそもそも少ない。そこそこの金を出せば、落ち着いた良いものもあるが、3千円から5千円という価格だったりする。前掛けに何千円も払うのはちょっとしゃくにさわる、ものと価格の適正な関係と言う点で腑に落ちない。というわけで、父の使っていたこれが非常に宜しい。長年使っているので、洗濯しても落ちない汚れもついているが、そこもまた良い。台所仕事だけでなく、父の世話をする際にも、汚れ防止になるため、一日の大半はこれを付けているから、まさに私のユニフォームである。これともう一枚、歌舞伎の縞柄のような臙脂色を主体にしたものと2枚を交互に洗濯しながら使っている。あと1枚黒のカフェエプロンも昨年買ったが、これは格好いいので、来客時のよそゆきにしているが、黒は汚れが目立つので、まだ一度くらいしか使っていない。

服と言うか、仕事で身に着けるものとは面白いもので、毎日それを着ていると体になじんでくる。スーツ姿もしかり。新入社員の頃は、スーツが板についていないが、仕事で苦労をして何年か過ぎると、仕事優先で服のしわも気にしなくなってくると、スーツがなじんでくる。私も毎日これを付けているから、たまにそのまま外に出てご近所の人に会うと「おっ、似合うね、居酒屋のオヤジみたいだね」と言われたこともあった。
きっと今はスーツよりこっちが似合うのかもしれない。毎日の料理にもそこそこ気合を入れているから、前掛け姿のオヤジ、それも良しである。
ちょっと寂しいのは、3年前までは着られたスーツが、ジムに行かなくなって、お腹が出た今ではほとんど着られなくなったことである。前掛けもスーツも似合うオヤジでいたいと思ってはいるのだが・・・やれやれ












2020年09月01日

長月と夏

9月を迎えた。旧暦の9月は長月と言われ、今では新暦の9月もこう呼ばれるようになった。
あらためて長月の由来を調べてみると、「夜長月(よながつき)」の略であるとする説が最も有力であるというが、他にも、「稲刈月(いねかりづき)」→「ねかづき」→「ながつき」となったという説や、「稲熟月(いねあがりづき)」が略されたものという説があるそうだ。日本人が季節のうつろいや自然の変化を大切にしながら暮らしてきたことが、こんなところからも感じられる。

サラリーマン時代、9月は年度の上半期末で、売上数字などにも神経質になる時期だった。後輩たちも、同じように数字に追われているのだろうか。コロナVの影響で、ほとんどの業種が厳しい状況にある今年は、我が古巣の会社も、おそらく大きな影響を受けているに違いない。

今朝の朝刊を開いて、印象的だったのは、総裁選や防災の日もさることながら、「今年の8月は戦後最高の暑さ」、という見出しだった。
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とんでもない暑さの8月ということで、私も何度かFBに投稿したが、やはり確かに恐るべき暑さだったのだ。西日本と東日本で違いはあるが、平均気温で1.7度から2.1度も平均気温との差があったという。平均気温が一度上がるというのは実は大変なことだ。それが2度前後上がっているのだから、地球温暖化の影響が明確に出ているといえる。本当に怖いことだと思う。我が古民家もそうだけれど、日本の昔からの暮しと風土に即していた様々のものが、おそらくじわじわと影響を受けているのではないかと思う。例えば古民家でいえば、夏でも涼しかったはずの町家が、かつてないほど暑いという事は、家屋の傷みやカビなどの生え方にもきっと影響が出る。稲をはじめ農作物ももちろん気候変動の影響を受ける。川から海への水の流れも、山の木々や動物たち、そして自然の一部であるヒトもだ。しかもそれに加えてコロナ禍である。

長月は、秋の夜長を楽しむ月だが、台風等の災害やコロナVなどによって、長く苦しい月にならないことを願うばかりだ。













2020年08月31日

父の救急搬送

今朝、父が突然意識消失し、救急車で搬送!しかし、幸い車中で意識は戻った。「ここは、どこや?なんか揺れるな」と。病院に着き、救急センターへ。診察をされCT他各種検査の結果は、幸い特に異状なく入院の必要なしとの由。高齢者は、こういう事が時々起こると言われたが、息が止まり反応がなくなった時は本当に怖かった。
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(注:写真は、イメージです)

具合の悪いところがないため、病院としては入院させる理由がないということで、先ほど家に連れて帰ってきた。朝と昼を食べていないので、帰宅して食事を出したら、何事もなかったかのように元気にご飯を食べた。
「あんたは、今朝息が止まって、あの世の玄関まで行ったんだよ」そう言ったら、「本当か?なんも覚えとらん!」と一蹴。やれやれ、いつものケセラセラな父に戻った。

若いけれどてきぱきした女性の救急担当医は、「認知症の高齢者の方には、眠ったままで、大声で呼んでも起きない、呼吸をしていないようだ、といった今回のような症状がみられる場合があります。原因がわからないことも多いです。今回は一度目ですし、異常がなかったのでひとまず経過観察ということになりますが、二度目が起こり得ることもありますので、どうぞくれぐれもお気をつけて」と。
そして、足の衰えや体力の衰えもちゃんと指摘し、「足が曲げられない、伸ばせないとなると、やはりどんどん体力が落ちていき、寝たきりになってしまう可能性も高くなります・・・」と申し訳なさそうに言った。然り。私もそれはよくわかっているので、最近は、ベッドの上で、寝たままで足の屈伸運動をさせていることを告げた。「それはいいですね、ぜひ続けてください。」彼女は、ポジティブにそう応えた。きっとこれからますます、患者に寄りそう良いお医者さんになっていくだろう。
ちょっと迷ったけれど、今日この投稿をすることにしたのは、自分にとっての記録と言う点と、皆さんにも、こういう事態の状況をお教えしたいという思いからだった。

高齢者は、毎日コンディションが変わっていく。実は、この1か月ほどの間に、父の基礎体力が、かなり落ちてきたように感じていた。
今回の意識消失のようなことは、もう起きてほしくないけれど、高齢者を世話するということは、衰える体力や、突発的事態との向き合いの毎日でもある。





2020年08月30日

プール終わります

としまえんが、いよいよ明日で閉園するという。
僕は、3〜4年くらい西武線沿線に住んでいたことがある。毎日黄色い西武線に乗っていると、中吊り広告や、駅貼りポスターなどで、西武ライオンズや沿線施設のことなどの情報が朝晩刷り込まれる。としまえんの情報も、しょっちゅう電車の中で目にしていた。
そして、広告業界の伝説的名作となった「プール冷えてます」の広告は、前職の会社の同僚が制作したものだ。
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86年の制作で、コピー岡田直也、デザイン大貫卓也というコンビだ。大貫氏は、当時、まだ入社数年だと思う。岡田氏も僕より少し下だから、20代後半だろうか。ちょうど僕は、支社に転勤していたので、直接ポスターなどを目にする機会はなく、社内報や広告業界誌などで、この広告のことを目にしたのだと思う。大貫氏とは仕事をする機会がなかったが、岡田君とは(仕事を一緒にやった後輩なので君ということで(笑))後年、彼が独立する少し前に一緒に仕事をさせてもらった。優秀なコピーライターはおおむねそうだが、非常に緻密で頭の良い人だった。まあ、そんなこともあって、としまえんには、とてもシンパシーを感じていた。

プール冷えてます、の広告以降、としまえんには「何か」がある、という印象が広がり、来園者も増えて行った。次は何が起きるのだろうか?と来園者の心を動かした。それも広告の大きな力だろう。

コロナVが、閉園の大きなトリガーであることは言うまでもない。しかし、としまえんのニュースを聞きながら、考え抜かれたコピーとデザインの広告が社会に与える力を持っていた時代が、ひとつの区切りをむかえたようにも感じた。プールが終わり、ひとつの時代が幕を閉じた。






2020年08月29日

安倍首相、突然の辞任

昨日、安倍首相が持病の悪化を理由に自ら辞任することを発表した。歴代最長の政権となってからわずか数日後のことだ。(最長政権になったタイミングで、発表することを考えていたのかもしれない。)
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約7年8ケ月の長期政権。災害対策やコロナV対策など山積する政治課題を抱え、殆ど休みも取らずに、高いストレスの中での総理の仕事の大変さは、もちろん想像するに余りある。政治家というとびきりタフな人たちといえども当然心身の消耗は大きいだろう。ほとんど同い年である私から見ても、大したものだと感心することもあった。

病気を理由とする辞任だけに、昨日と今日の報道を見る限り、一般人のインタビューなどを見ても、わりに好意的な受け止め方をしている人が多いように感じられた。(もうしばらくすると、批判的な記事が続々と出てくるのだろうが)

支持率から想像すれば、おそらく半分以上の国民が、安倍政権に対しては批判的だろうと思う。私も、今日のブログテーマをあれこれ考えていて、やはりこのタイミングでの大きなエポックと、これに対する感想を自分の記録にとどめるべきと思い、皆さんからのご批判もあるかもしれない危険なテーマ(笑)ながら、書くことにした。

私も安倍政権について大筋は、批判的な意見を持っているが、功績については、あらためて冷静に評価すべきだとも思っている。森加計問題、桜を見る会などの事案は、当然批判されるべきであるし、その真相が未だ明らかになっていないことについては、引き続きその真偽を追求すべきと思う。また、アベノマスクのような勇み足的愚作もあったがあれも論外だ。

西日本新聞のネット記事で、LINEによる2000人の調査データに基づく、安倍政権の一般の評価がわかりやすいまとめで興味深かった。
評価することのトップは、トランプ大統領との関係で、ついでアベノミクスとなっている。トランプのちょうちん持ちのようにも言われる安倍首相だが、アメリカをはじめ、国際政治の中でこれほど存在感を示した首相は、安倍、中曽根以外では、これまで日本にはあまりいなかったのではないかと思う。また、大企業とお金持ち向けの経済政策と揶揄されもしたが、アベノミクスは、景気回復や雇用水準のアップなど数字的実績をあげたことは一定の評価をすべきであろう。ただ、評価しないという点にもアベノミクスは入っているが。評価する・しないの両方に入っているものでは、コロナV対応もあげられる。これは、前述のアベノマスクなどの印象がネガティブ評価につながっているのかもしれない。

その他、ニューズウィークの記者が、「安倍晋三の成績表:景気刺激策、対米対中外交、防衛力強化......もしかして史上最高の首相?」と題して書いている記事もなかなか面白かった。引き続き、各メディアの論調など、今後じっくりと目を通して勉強していきたい。

私個人的には、平和憲法を強引に改正するという暴挙が在任中に行われなかったことについては、ほっとしている。もちろんこの問題は、首相が退任しても自民党としては継続案件だから、この先も気を許せないが。

ともあれ、慢性大腸炎の再発による辞任とのことではあるが、総理の座を自ら降りるほどのこととなると、もしや大腸がんではないかと余計な心配もしてしまう。彼の政治的功罪はさておき、同世代としては、辞任後は、体調の回復を第一に、とにもかくにも元気になって頂きたいと願っている。

#安倍首相辞任













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