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2023年04月23日

福山雅治劇場

今日は、夕食の時間帯から、久しぶりにTBS系列ばかり見ていた。
大好きな「バナナマンのせっかくグルメ」、そして日曜劇場の新番組「ラストマン」までTBSを見続けていた。

そもそも、昨日あたりから、日曜劇場のメインキャストである福山雅治と大泉洋が、番宣のためにTBSの色々な番組に出演していた。(何しろ民放TVと共に生まれ、TV大好きな在宅時間の長い無職の年金ジイサンだからつい見てしまう)
だいたい「番宣」などと言う言葉も、かつては我々広告業界やマスコミ業界の言葉だった。コンセプトという言葉もそうだが、今や近所の商店街のオバサンでも理解できる言葉になっている。業界用語の一般化である。

まあ、それはさておき、巧みな番宣パブリシティにしっかり乗っかり、バナナマンの番組からそのままCMチャンスなしで日曜劇場に突入するという最近お得意のパターンで、福山雅治主演ドラマに突入した。
230423TBSラストマン画像.jpg
(TBSサイトより)

脚本・黒岩勉、巧である。グランメゾンもそうだし、TOKYO MRもまた彼の作品である。今日の番組では、後半多少粗削りで乱暴な印象のところもあったけれど、テンポよく心をグッと捕まえるストーリー展開は見事なものだ。
しかし、今日のドラマを見ていると、演出、そして何より福山雅治の魅力が大きな力であった。
まさに「福山劇場」である。シナリオと演出の意図を見事に広げ、見るものの心を巧みに捕まえていく演技力。本当にすごい。
この二枚目のミュージシャン、いや、ハンサムなアーチストは、バナナマンのせっかくグルメでは、食べている瞬間の魅力的な食レポから、お店の人たちへの気配りに至るまで、見る者の心を素早く奪い、そしてそのままドラマでは、全く別の演技による力で見るものを引きずり込んでいく。かくして、女性ファンだけでなく、ドラマ好きのオヤジまでも巻き込んでしまうのだ。

事前の番宣番組の中で、大リーグの大谷さんの天才ぶりをほめていたが、福山さん、あなたもそれに負けず劣らぬ天才エンターテイナーである。
日曜の夜、福山雅治という異才に舌を巻いたひとときであった。
#福山雅治 #ラストマン

2023年04月12日

叙位・叙勲と位階・位記

今日は、父の死後に授与される叙位・叙勲伝達式があり、久し振りに県庁に赴いた。
多分、支社勤務時代にプレゼンか入札かで訪れたのが最後ではないかと思うので、実に20年ぶりくらいということになる。
230412県庁.jpg

定刻の30分ほど前に到着したが、県庁の特別室には、15人ほどの方が既に着席されていた。父は、平成八年に叙勲を受けているので、今回は位階が書かれた位記と呼ばれる書状を受けるセレモニーとなる。と書きながら、実は会場に着くまでは、もう一度勲章を頂くことになるのだろうか?額装とか大変だな、さてあの大きな額がもうひとつとなれば、どこへ飾ればいいのだろうか?などと余計な心配をしていた。会場に入って、係りの方からセレモニーの流れを説明されて、生前に叙勲されている方は位記だけを頂くのだと理解した。恥ずかしながら、位記と言う言葉も知らず、「イキ?さて、どんな字だろう?」と帰宅後にあらためて検索して知った次第。
2時になり、順番に名前を呼ばれ、副知事から位記を頂いた。式は、10分ほどで終了した。
230412県庁特別室にて.jpg

父の叙位が、小さなベタ記事で新聞に載った数日後、叙位・叙勲の額装などのカタログが数件届いて驚いた。父の叙位を知ったのも、そのDMに入っていた新聞のコピーのお蔭で、掲載された新聞記事を探すことができた。

位階は当然、序列であるわけだが、位記についてもいくつかの種類というかランクがある。
正一位から従八位まで16の位階がある。(そういえば冠位十二階という言葉もありましたね。いわばあの流れなわけですから)「正一位」「従一位」は親授とされ、天皇が自ら授与することを意味するもので、位記には天皇の署名と天皇御璽が捺され、内閣総理大臣の自署も必要とされている。その下の、「正二位」から「従四位」までが勅授とされ、勅命によって授与されるということで、位記には天皇御璽が捺される。
そして、父が頂いた「正五位」以下は、奏授とされ天皇のご裁可により上奏者(=内閣)が授与することを意味し、位記には内閣印が捺されていた。
230412位記.jpg
(写真は、名前の部分をカットしております)

父の叙勲の時には、橋本龍太郎総理の名が署名してあり、今回の位記は、岸田総理名である。
受け取った位記は、意外に小さくてシンプルなもので、少し驚いた。(すみません)
しかしながら、父の死後にもその勲功を国から称えて頂いたわけだから、本当にありがたいことである。不肖の息子である私には、このようなものにはとうてい縁がない。そんなことをあれこれ考えながら、仏壇に位記を供え父に報告をして、父のことを思い出していた。合掌
#叙位・叙勲

2023年04月03日

四十九日は心の区切り

昨日、父の四十九日法要と納骨を無事に済ませることができた。
本当は、三月二十七日が四十九日だが、お寺の事情などにより四月二日になった。
今回、葬儀から四十九日までの様々なことをいろいろ調べて読んだり、自分が対応したりしたが、七七・四十九日というものは、実によくできた時間の流れだなと実感した。

そもそもは、極楽浄土に行くために、七日ごとに審判を受けて4週目にようやく浄土にけることがきまるのだという。
大切な人が亡くなり悲しみに打ちひしがれる最初の一週間。
少し落ち着いて、片付けや色々な手続きをしながら、少しずつ平静を取り戻す二週間から三週間。そして、法要の準備に向けた四週間目。
故人の思い出をトレースしながら心の平静を取り戻したり、相続や遺品整理など煩雑な手続きの中で、何をしなければいけないのかということを少しずつ片付けながら過ごす時間。そうしたことをやりながら、故人にお別れをして、気持ちの整理もつき、やるべきことも少しずつ片付いてくる。
そして、親戚など近しい人にお声をおかけして個人が極楽浄土に召されることをお祈りしながらお寺さんにお祈りをしていただき、お骨をお墓に納めた後に、故人の思い出を話しながら食事を共にして四十九日を終える。

なるほど、よくできた流れだなとあらためて思った。
私は、自宅で四十九日法要を行った。親戚が少なくなっていたこともあるが、父は自宅での法事を喜ぶだろうとも思った。自宅の座敷の片づけや、当日の準備等に始まり、納骨から会食を終えて、皆さんがお帰りになった時には肩の力が抜けた。ほっとして脱力した。
「ああ、ひとつ終ったな」と思った。

葬式もそうだが、四十九日以降の法要も含めた全てのことは、故人が極楽浄土に旅立つためのしきたりではあるけれど、実はそうしたセレモニーをこなしていく中で、残された人間は、心を整え、面倒な諸事も少しずつ収まってくるのだ。

四十九日=4週間というのは、まさしく心と雑事の整理が整う時間の区切りなのだ。
230209頃祭壇一部マスキング.jpg

翌日、葬儀社が座敷に設えられていた祭壇を撤収にやってきた。手際よく片付けられていく祭壇。30分ほどで、座敷は、普段の部屋に戻った。
帰りがけに、玄関に貼ってあった忌中の札も葬儀社の担当者がはがしてくれた。忌中は終ったのだ。

床の間にあった香炉などを戻しながら、ああ、これで日常に戻っていくのだなあと感じた。
日本人の生活の知恵は深くてありがたい。
オヤジ、ありがとう。どうぞ安らかに。合掌。

#四十九日
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