その翌日、父の仲良しである近所の床屋のおじさんが、「お父さん救急車で運ばれたんやって?具合どうや?」とのぞきに来られた。聞けば、すぐ近くの町の有力者の方から電話があり、ちょっと様子を見て来てくれと言われたとのこと。
かつては、郡部の人口1万3千人ほどの独立した地方自治体であったこの町。父は、その昔、首長をつとめていたこともあった。わが家は、この小さな町の真ん中で、旧北陸道沿いにある。かつては、参勤交代も木曽義仲もこの道を通った。いわば歴史的メインストリートでもある。(笑)
私もそうだが、救急車が、そのメインストリートを走れば、「あれっ?どこのお宅だろう?」と外に出て救急車の行方を見る事が多い。そんなわけで、おそらくご近所の有力者の方も、わが家の前に止まった救急車を見るか聞くかして、床屋さんに電話されたのだろう。(こう書いていて、考えてみたら、いつもならご本人がお越しになるのに、床屋さんに連絡されたということは、もしや体調がお悪いのかもしれない。あとで連絡してみよう)
その翌日、またご近所の方に「お父さん、大変やったらしいな」と声をかけられた。床屋さん→町内会の班長→そのご近所の方〜と情報が伝わったらしい。
浮世床という落語もあるが、江戸の昔から、髪結いと銭湯は、情報ネットワークの拠点だった。この田舎町もまた同じで、床屋さんは情報拠点で、これまで何度か父が倒れたり入院したりした時も、床屋さん発で、ずいぶん情報が拡散した。
大学生の頃、東京から電車で帰ってきて、駅前でご近所の方とすれちがったので会釈をした。数時間くらいして、2ブロックくらい離れた親戚の叔母様が、「●●ちゃん帰ってきたんやって?」と手作りの総菜を持参して来訪され驚いたことがある。駅で会った方から、叔母様に情報が伝わり、「おやそうかい」と顔を見に来られたという次第であった。
今では高齢者の町になり、ご近所の顔見知りの方もかなり減ってきてしまった。先ほどの叔母様も、だいぶ前に鬼籍に入られた。
インターネットなどない時代でも、小さな町や村社会では、情報は思いのほか早く伝わった。これまで書いた通り、1日〜2日で、結構な範囲に情報は広がる。SNS並みの伝播力である。私も、悪いうわさで人の口にのぼることのないように、せいぜい気を付けなくては(笑)
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