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2023年01月31日

変わりゆく街

ついこの間年が明けたと思ったら、もう一月も晦日になった。本当に時間の経つのが早い

そして、今日は、渋谷道玄坂の上に鎮座していた東急百貨店本店が閉店となった。
230131東急本店閉店.jpg
(NHKニュースサイトより)

NHKのサイトによれば、この百貨店は、高度経済成長期の昭和42年(1967年)11月に開業したという。
周辺には高級住宅街があったことから、高級衣料品などの品ぞろえで周辺の富裕層などのニーズに対応して開業したという。そして、平成元年に隣にオープンした複合文化施設の東急「Bunkamura」と共に、文化や流行を発信する渋谷の坂上のシンボルとして営業を続けてきた。しかし、開業から半世紀以上が経過して、建物も老朽化し、東急グループも関わっている渋谷の再開発の一環として、31日で閉店し55年余りの歴史に幕を閉じることになった。

私が大学に通い始めたのが1973年だから、ちょうどこのデパートを訪れたのは、開店から6年くらいのタイミングということになる。以来、私にとっては、公園通りの西部デパートとPARCOに対して、道玄坂を登り切ったところにある東急百貨店は、ちょっとおば様方の多い百貨店というイメージであった。20年くらい前には、百軒店にあったJAZZ喫茶が東急本店の手前に移転したので、時々そこを訪れたり、Bunkamuraでの勘三郎さんの歌舞伎なども見に行ったと思う。

思えば、私が青春時代からサラリーマンを終えるまでの50年というのは、本当に大きな激動の時代であったと痛感する。政治、文化、音楽、風俗、映画、世相・・・・戦争直後の資本主義の到来に続いて、ありとあらゆることが激変した50年であったと思う。
そして、その変化を象徴する街の代表は、渋谷かもしれない。

五島プラネタリウムのあった東急文化会館がなくなり、今はヒカリエに変わった。ついこの間は、大学2年生まで通学の足として利用していた東横線のカマボコ型駅舎が壊されて、東横線は地下に入った。まだ、新しい東横線の渋谷駅には行っていないから、いったいどんなふうに変わったのかは、想像もつかない。迷宮のようだと言う人もいるから、今行くと、きっと電車の乗り換えに戸惑うことだろう。
そもそも、渋谷の宮益坂側にプラネタリウムがあったことなど、もはや40歳から上の年代の人しか御存じないだろう。

時代は変化し、建築物は老朽化し、街は再開発されて新しい歴史をつむいでいく。そして、人もまた世代交代していく。それが人間の歴史なのだけれど、やはりどこか寂しい。
#東急百貨店本店閉店 



2023年01月22日

大根菜と「よごし」

冬の大根はおいしい。大根おろしをすっただけでも、味が違う。そして、葉っぱの部分の味もまた違う。寒い季節に美味しくなる野菜は多い。

今朝の私の朝食のメインは、大根菜の「よごし」だった。
230122よごし.jpg

よごし、と言うのは、富山弁で、味噌やゴマ味噌などで、野菜を和えたもののことである。
その昔、宮中で、やんごとなき女性が、味噌などで和えたものを「汚す」という言葉で表現したのがルーツだという説を、亡くなった方言研究科の叔父が、以前新聞に書いていた気もするのだが、どうも私の記憶が定かではない。

ナスをゴマ味噌で和えたよごしや、大根菜のよごし等が定番である。
どちらも、富山県人にとっては、ソウルフードの一つだと思うが、今の20代から30代の人たちにとってはどうなのだろうか?彼らの親御さんは、私より少し下の世代で、もしかすると、もう日常的によごしを食べる習慣は少なくなっているかもしれない。そうなると、そのお子様たちに、よごしの味が継承されている可能性も少ないかもしれない。

富山県西部は、かつて加賀藩であった。だから、県東部とは色んな事が少し文化の違いがある。しかし、よごしは、県内共通の食べ物だろうと思うのだがどうだろうか。

米食からパン食に食生活が変わると、よごしのように、ご飯のお供のような家庭のおかずは、どんどん衰退していく可能性がある。60歳以下の世帯主のご家庭で、よごしは継承されているのだろうか。私の子供たちには、たまに食べさせてはきたが、妻を含めて私以外に積極的に作ろうとする家族はいない。わが家においても、おそらくこの先には消えていく食文化になるのだろう。

そんなことを思いながら、やっぱり大根菜のよごしとご飯の相性は最高だ!と心の中で叫びながら、朝食を楽しんでいた。
#よごし #富山弁








2023年01月11日

昭和は遠くなりにけり

私が、大学を卒業してサラリーマンとしての人生をスタートしたのは、昭和52年、丸の内にあったオフィスビル勤務からであった。当時入社した会社の創業本社は、神田錦町にあったが、営業部門や制作部門などは、丸の内エリアのビルに分散して入居していた。私の初任配属先は、東京商工会議所や明治生命ビル近くの富士ビルであった。その他、有楽町ビル、電気ビルなどにも他の部署が入っていて、打合せなどでビルの間をしょっちゅう移動していた。また、ランチタイムには、丸の内界隈のビルのお店を散策するのが楽しみであった。
230111びるブラHP.jpg

BSフジ「ビルぶら」という番組がある。あの「鎌倉殿〜」で、クールな殺し屋を演じた梶原善さんが案内役となってレトロなビルを探訪する番組だ。昨日の放送では、我々OBや年配の社員にはなじみ深い丸の内エリアの有楽町ビルが取り上げられていた。懐かしいなあという思いで見始めたが、なんと再開発のために今年閉館されるとのこと。隣の新有楽町ビルも一緒に閉館となるそうで、有楽町駅前の景色が、やがて激変してしまうことになる。しかたがないこととはいえ、やはり寂しい。
230111有楽町ビル外観.jpg

思えば、会社の発展に伴い引越の多い会社だった。私の勤務部署は、初任の富士ビルから、なぜか短期間だけ有楽町ビルに移り、その後東京駅南口の東京ビルに入り、そこから神田錦町のビルへ。私自身は、その前後に3度転勤をしたが、さらに錦町から田町のビルへ移り、そこから赤坂へと移転した。転勤を別にして、6回もオフィスを引越しているわけだ。クライアントでもあるN通さんが、大規模引越を請け負っていたが、累計で、ものすごい金額だと思う。

有楽町ビルができたのは、56年前だという。私が東京で暮らし始めたのは、大学からだから、約50年前である。その頃に見た景色、そして、街並みは今では当然大きく変化している。有楽町駅前には、そごうデパートがあったけれど、今はビックカメラになっている。その地下にあった丸の内のランチ中華の名店として懐かしい焼売の小洞天は、もうない。その他、入社した頃に昼も夜も頻繁に行っていた新東京ビル地下の明治屋、新国際ビルだったと思うが、オムライスのエーワン、肉まんが美味しかった山水楼や日比谷側にあった中華の慶楽などのお店もなくなってしまった。有楽町駅の向こう側には、日劇や朝日新聞社、カキ料理の名店レバンテなどがあったが、もうない。
学生時代に乗り換え駅として通った渋谷の東横線の駅やその周辺などは、もう何年も行っていないが、もっと激変している。テレビで見る限りは、もはや、どこに何があるのかわからなくなっていることだろう。

私も今年数え年で70歳となった。古希である。その人生の中心をなす昭和から平成への50年は、日本社会にとっても激動の50年だったと思う。東京という都市、いや日本社会が大きく変わった時代だった。
BSの番組を見ながら、あらためて、昭和が遠くなったことを感じた。
#有楽町ビル



2023年01月07日

七草がゆの朝

年末に、「みそか」というテーマで投稿をしてから、もう1週間余りも過ぎてしまった。
ということで、年明け初の投稿ということになる。

年末に入院した父も、食事を食べられるようになって、少し回復してくれたようで、ほっとしている。
大晦日には、紅白歌合戦で、桑田、Char、野口五郎、佐野元春、世良公則、そして大友康平というスペシャルコラボを見た。紅白でいちばん素晴らしい名演!とFacebookに書いたら、同様のコメントが多数あった。
そして、ウィーンフィルのニューイヤーコンサートも見終わって、本日は7日、七草がゆである。毎年まではいかないけれど、この数年は、できるだけ七草を買って自分で作って食べるようにしている。今日のFacebookでも、以前投稿したことを思い出として教えてくれていた。
230107七草.jpg

今朝も、七草のセットを使って粥を作った。正月三が日にお酒を飲みすぎたり食べすぎたりした体をリセットしようという伝統的な習慣である。こうしたことはたいてい理にかなっているものだ。
「せりなずなごぎょうはこべらほとけのざすずなすずしろ、これぞ七草」。呪文のようなこのフレーズはいったいいつ習ったのか定かではないが、いまだにちゃんと脳裏に焼きついている。もっとも。せりと、すずな、すずしろ以外は、どれがどれやらよくわからないのだが。

七草を軽く茹でて水を切り、細かく刻んで、おかゆに入れてさっと煮る。緑色が美しい。
副菜は、昔のものをイメージして、田作りと香の物程度にした。昨日頂いた我が町の漬物名人の赤かぶと大根の漬物である。世界一美味しい赤かぶ漬だと思う。
味噌汁も、大根とカブだけのシンプルな具にしたが、正しい選択だったような気がする。
230107七草がゆ.jpg

寒い古民家の台所で、ひとり静かに七草がゆを頂いた。
雪のないお正月で、今日も雪がなく、昨日より多少暖かい。雪がないのは、高齢者には本当にありがたい。朝起きて、雪が積もっていないとほっとする。
七草がゆを食べながら、入院中の父も、東京の家族も、そして私自身も、健康で穏やかにすごせることをあらためてお祈りした。
#七草がゆ 




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