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2022年05月26日

庭木の伐採

中庭で縦横無尽に枝を伸ばし、落ち葉で雨といを詰まらせる原因になっていたヒバの木を、昨日、ついに伐採した。
子供の頃から、庭のヒバと松を眺めて育ってきた私にとって、一緒に大きくなってきた木を切ることには、正直抵抗があった。

しかし、いくつかのことが、伐採を決断させた。
ひとつは、2年前に台所の上の屋根からの雨漏りである。その時に屋根屋さんが行った原因のひとつがヒバの落ち葉だった。
長年父が剪定をほとんどしなかったこともあって、伸び放題に広がった枝は、大量の落ち葉を廊下の屋根と雨樋に積もらせた。
屋根瓦と雨といにたまるヒバの落ち葉を掃除せずにいると、雨樋の水がオーバーフローし、さらに屋根瓦の隙間をヒバの葉が徐々に広げて水をしみこませることにもなるのだという。その二つが組み合わさって屋根の隙間を生み出し、そこから雨漏りになったらしい。

また、大雨のたびに、雨樋から水が激しくオーバーフローして、ほとんど排水が機能しないようなことも何度もあった。私が実家に戻ってから何度か掃除もしたが、仕事をしていた頃は、とうてい追いつかないくらい落ち葉が詰まった。

そして近年最も悩まされたのが、ヒバの上に住みついたアオサギであった。ギャーギャーと大きな鳴き声を昼も夜も発するばかりか、大量のフンで、庭や灯篭が真っ白になった。
木の下に行くと、かけられることもあるので、庭に出にくくなった。松の木の上と両方に難波も住んでいるので、フンの量はものすごかった。

さらに、成長した幹が、太くなってきて、あと数年で廊下の屋根にあたるくらいになっていた。木を切ることは、2年前くらいから考えていたが、やはり愛着もあり、家の歴史のひとつでもあるので、なかなか踏み切れなかったのだが、これだけの理由が集まったので、ついに決断したというわけである。

昨日の朝、木の根元にお酒をかけて、長い間ありがとう、と手をあわせて感謝の言葉を念じた。植木屋さんが入り、上の枝に上っていよいよ切り始めようとする時に、「お酒か塩はありますか?」と私に聞いた。「お清めですか?それなら、今朝、私がお酒をかけておまいりもしました」というと。「ああ、それなら大丈夫です」と安心したように職人が答えた。
古木には、古来から木の精霊のようなものを日本人は感じてきた。木を切る時には、お清めをしてお祈りをするのだということは、私もなんとなく知っていて、きちんとお別れもしたかった。
220525ヒバIMG_2022-05-25-14-19-27-551.jpg

体をロープで固定して、のこぎりとチェーンソーを巧みに使いながら、上から少しずつ職人が木を切っていく。見事なものだ。3時間ほどで、半分の高さまで切り終わった。このサイズまでくれば、狭い中庭のスペースでも、一気に幹を倒すことができる。
最後に木の幹の下部にチェーンソーを入れて、別のスタッフ2人がロープで庭の隙間に上手く倒れるように引っ張っていた。そしてついに何十年も庭の主のように枝を広げていたヒバの木は、姿を消した。
220525ヒバIMG_2022-05-25-15-40-44-541.jpg

切り倒した最後の部分を裁断して、次々と搬出していく。作業が終わった庭には、今まで見たことのない明るく広い空が広がっていたが、どこか寂しい広さにも感じた。
ヒバ君、長い間庭を守ってくれてありがとう。





2022年05月25日

バイデン大統領来日

ようやく、という感が強いが、就任後初めて、バイデン大統領が来日した。
昨日24日は、当然このニュースが中心となっていた。
コロナの流行ということもあったこの2年余りの中での就任ということで、コロナ対策を中心とした国内政策に対応することが最重要課題だっただけに、今回の訪日は、アジア全体にとっての意味も大きかったと思う。
220524バイデン大統領来日.jpg

国際関係を一変させたロシアのウクライナ侵攻という大事件によって、今回の日米首脳会談では、これまでにない具体的な発言が多かったように思う。さらに、クアッドも開催されたことも大きな意味がある。
一昔前なら、岸田総理からの防衛費に関する発言をはじめ、普通なら野党やマスコミが大騒ぎするようなコメントが日米両首脳から数多く出てきた。またIPEFなど、これほど新しい計画を具体化するような議題が盛り込まれた会談はこれまであまりなかったのではないか?(トランプ大統領によってTPPから抜けたアメリカの苦肉の策という感は否めないが)
たいていは、「両国のきずなをより強化することを確認し合意した」というていどの形式的なまとめで終わるような会談がほとんどだったように思うので、その点でも異例の会談といえる。

それもまたウクライナ侵攻による国際関係の緊張の高さと複雑化を表しているといえる。
台湾有事の際には、軍事的に関与すると明言して、失言と言われてホワイトハウスもすぐにそれをフォローするステートメントを出していたが、大統領発言を撤回することはなかった。
案の定中国は、報道官が怒り心頭のコメントを出したが、これだけ国際関係の緊張度が高まっている中では、バイデン発言を歓迎する声も多かったようだ。これもまた国際関係の変化を象徴している。

私的な会食という名目で行われた目黒八芳園の周辺には、数多くの人がスマフォを構えてアメリカ大統領を撮影しようとしていた。トランプ氏とはまた別の意味で、注目を集めているのは意外だった。

とにかく、「異例がてんこもり」の訪日というのが、私の印象である。
どこかのニュースで、記者がコメントしていたが、「日本は、ロシア、中国、北朝鮮、すべての国と国境を接し、どの国よりも現実的な緊張関係にさらされている。何が起きてもおかしくない」という言葉が、以前とはくらべものにならないくらいに実感のある言葉として心に残った。

しかし、日本が巻き込まれる「有事」など決してあってはならない。「いかなる国との戦争にも関わらない国」それこそが平和を希求し続けている日本たる立場であり続けてほしい。

と、実は昨日、ここまで下書きをしていたのだが、日本での仕事を終えて帰路についた大統領に、ショッキングなニュースが届いた。
銃による学校での乱射事件である。銃規制が思うように進まないアメリカにおいて、またしても悲しい乱射事件で多くの命が失われた。バイデン大統領も、銃規制強化を検討すべきという主旨のコメントをすぐに発表している。

このニュースを見て、民間人における銃の所有率を調べてみたら、一位は当然というかアメリカなのだが、実に驚くべきはその数字。民間人100人あたりで、実に120個だという。(2018年のデータ)
これだけの銃の普及率の国で、いかに銃を規制するのかは、本当にハードルが高いと痛感する。

ウクライナでも、アメリカでも、銃が大きな課題になっている。
それは、不安定な国際情勢の象徴かもしれない。
#バイデン大統領





2022年05月24日

「同期」の訃報

24日の午前中は、葬儀に出席してきた。
出席といってもコロナ禍で主流となっている焼香だけを行い、着席しない形式である。
亡くなられたのは、任期付職員として私も勤務した市役所に同時期に採用された平田さんであった。
短期間であったが、いわば「同期」である。個性的な前市長の元で、共に難題が山積していたプロジェクトを担当した。二人共、心労の連続するなかなかタフな仕事であった。

享年60歳。若い、若すぎる!
病気がわかってからわずか数ヶ月だったようだ。さぞや無念であろうと思う。
奥様のFB投稿で亡くなられたことを知り驚愕した。
220523平田さん葬儀.jpg

藝大を出たアーチストでもあったので、彼が長年製作してきたオブジェが、遺影の周りを飾っていた。私も何度か拝見したことがある。

帰り道、まもなく完成予定の公共施設の横を通り過ぎた。初めて見たけれど、想像以上に大きな施設であった。亡くなった彼が取り組んでいたプロジェクトである。
私の仕事もそうだが、様々な経緯によって、自分たちが取り組んでいた時の思いとは多少方向の異なる施設に変わった。

公共プロジェクトというのは、なかなかに難しい。
行政、議会、市民、そして何よりもトップである首長、それぞれの思いや関係のちょっとしたバランスが、プロジェクトの行く先を大きく変えることがある。ほんの少しのボタンの掛け違えが、大きな変化や変更にもつながる。時には反発やあつれきを生むこともある。

ともあれ、最終的には、市民に喜んでもらえる施設になることこそが公共施設の何よりも大切なところだと思う。

私よりはるかに若い年齢で旅立った彼のご冥福を祈りながら、建設中の施設を横目で見つつその横をゆっくりと通り過ぎた。
まもなくオープンとなる新しい施設が、市民に愛されるものとなることを心から願っている。

2022年05月21日

スカイツリーの10年

NHKBS1で「スカイツリー10年」という番組が放送されていた。
懐かしい方々のインタビューや見慣れた街並み、毎日のように通ったエリアが映し出され、私にとっては、懐かしく思い出深い映像でもあった。
220521スカイツリー10年NHK.jpg

2012年5月22日、冷たい雨が降る東京スカイツリー開業のその日、スカイツリープロジェクトの仕事に多少関わっていた私は、会社の仲間たちと一緒に、スカイツリーの1階にある商業ゾーンのビルの中で、オープニングの瞬間を待っていた。冷たい雨を受けながら、外には、数多くの報道陣がオープニングの瞬間を撮影すべく待機していた。

ツリーの開業から半年ほど経ったところで、郷里で一人暮らしをしていた父が、突然倒れた。悩んだ末に、私は定年を繰り上げて介護のために帰郷することを決断した。
あれから、もう10年近い年月が経ったのだと思うと、本当に感慨深い。
番組で取り上げられていた皆さんにとって、大きな変化となった10年は、私にとっても大きな人生の転機であった。

この10年弱の間に、私が世話をし始めてしばらくしてから、父が完全に元気になった期間が1年強ほどあった。しかし、それ以降は、どんどん寝たきりになり、この3年ほどは、本格的な介護生活に突入した。この10年は、仕事を捨て、お金も時間も、ほとんど父の介護を中心に費やしたような時間でもあった。
父の汚物を処理したり、シーツや衣類を洗濯したりしながら、実は、何度か涙を流したこともあった。介護をすることに対して、多少心にゆとりが持てるようになったのは、数年前くらいだろうか。しかし、認知症が急激に進んできたこの1年ほどは、私の精神的な負荷もまた増してきている。

地域を動かす大きなプロジェクトの末席に仕事で関わったことは、私にとって本当に大きなことで、父が倒れなければ、もしかするとその時に知り合った方々と今でも仕事をしていたのではないかと思う。人生、何が起きるか、どう変わるのかは、本当に先が読めないものである。

番組では、私も大好きな商店街の人たちや、なじみの町工場の社長など、それぞれの人たちの変化に満ちた10年が描かれていた。
その映像を見ながら、私も、この10年を振り返っていた。
そしてこれからの10年について、あらためて考えていこうと、思いを新たにした。

#東京スカイツリー10年

2022年05月19日

機種変更

数年使ってきたスマフォが、アプリをいくつか削除しても、写真や動画をすべてカードのほうに移しても、何をしてもデータ容量の空きがなくなり、これはもう限界かなと、携帯ショップに相談に行った。

「これは、ストレージ容量を見ても、残念ながら、もう機種変するしかないですね。このままだと、突然LINE等を含めてアプリが動かなくなるみたいなことが起きる可能性が高いと思います。」という店員の言葉。何しろ、7GBくらいしか本体のストレージがないのだから。今の機種は、ほとんどが64GB以上、そりゃあ到底無理だなとあらためて納得して機種変更をすることに決めた。
ただし、いくつかのアプリのパスワードなどがきちんと控えてあるかを再確認したうえでまた来ますということでいったん帰宅し、主要なアプリについて、控えを見て確認した。
IPHONEユーザーの方は、アプリの引継ぎができるらしいけれど、アンドロイドは、その点が不便だったが、最近はケーブル接続で一部のアプリは継承できるのだという。

先日誠実な印象だった青年を予約し、再度携帯ショップを訪ねて、無事に新機種を手にした。
帰宅して、アプリをいくつかダウンロードしたところで、ケーブルでつないて継承できる方法もマニュアルで発見したので、早速試してみたら、心配していたよく使うアプリが、ほとんど問題なくコピーできた!
とはいえ、なんのかんので、約3時間くらいの作業となった。

機種変更の説明やセットアップなどで、店頭で約1時間、電話帳などのデータは自分でバックアップしていたので、説明時間を含めて私はまだ時間的には早いほうだと店員は言ってくれていたが、中には、2時間近くかかる方もあるという。確かにそうだろう。何しろ64GBの端末なのだから、これは一昔前であればパソコンの容量である。そんなものが今はポケットに入っている。その分、パソコンとそん色のない機能が満載されている。
220519新携帯DSC_0002.JPG

一日経って、ようやく慣れてきたが、同じメーカーの後継機種でありながら、色んな操作方法がかなり異なる。デスクトップのデザインや使い勝手も違う。アプリも色々変わっている。前の機種のほうが使いやすかったなあと今のところ思うことが多いが、まあそれはきっと使い慣れていたからだろう。
私は、SNSの投稿やチェック、デジタル本を読む、ラジオや音楽を聴く、支払いに使う、もちろんメールをして写真を使うのは当たりまえと、もはや携帯がないとつらい。
ほとんどの人が今や同じ状況だろう。

携帯電話の機種変更をするということは、もはやパソコンの入れ替えくらいの大仕事になっている。それは、携帯電話という小さなツールが、実はとんでもなく進化したということの裏返しでもあるのだろう。

#機種変 #スマフォ機種変

2022年05月16日

沖縄730

沖縄が本土に返還されて50年が経った。15日の日曜は、このニュースが当然中心となっていた。先週から、様々なテーマで、沖縄のこれまでの歴史を振り返る特集番組などが数多く放送されていた。これまで知らなかったことを知る機会にもなったが、沖縄の皆さんのご苦労に、あらためて頭が下がる思いと同時に、50年経った今でも状況が変わっていないことが多いようにも感じた。この話は、とてもデリケートで複雑で難しく、私の能力では到底書ききれないので、今回はこれ以上書くのはひとまず控えておきたい。

この返還50年のニュースを見ながら思い出したのは、本土復帰から6年後、1978年に行われた右側通行から左柄通行への変更という一大事業のことであった。
実は、ちょうど1978年の7月、私は、夏休みをとって会社の友人と一緒に沖縄にいた。
変更が行われたのは、7月30日で、私が訪れた時は、その直前で、まだ右側通行であった。私が人生で初めて車での右側通行を経験したのは、沖縄であった。
220516沖縄78年730.jpg

町中に、7月30日の変更を告知するマークが掲示されていたのを覚えている。小さなステッカーなどもあった気がするが、残念ながら私の手元には何も残っていない。
こういう記念の印刷物などが好きな私にしては珍しく、何も残っていないのがちょっと残念だが、ともかく、私より運転のうまい友人が、ほとんどレンタカーを運転して、私はもっぱら助手席に座っていた。左側通行の本土では運転席である左ハンドル車の助手席に座るのも初めての経験で、そこから見る景色はいつもと違う視点で、新鮮な驚きだった。

右折と左折の車の走る位置が違うので、対向車線に突っ込んでいくような感覚はちょっと怖くもあった。当時の沖縄は、日本であったが、右側通行を含めて、圧倒的にアメリカ的な雰囲気の町だった。我々が訪れる少し前までは、本土から行くときにはパスポートが必要な時期があったと思う。
ステーキの味とわらじのように巨大な肉のサイズもアメリカ的で、デザートのアイスクリームも、味も大きさも外国に来たような別次元の味わいを強く感じたものだ。もう半世紀近く前のことなので、記憶はあいまいだが、ステーキのボリューム感とアイスクリームの味は、それまで食べたものとは全然違ったものだったことは、強烈な印象として今も心に残っている。

私が感じた驚き以上に、ドルを中心とした通貨社会から円を中心とする社会に変わり、交通システムが変わり、という生活の大きな変化は、地元住人である沖縄の人たちにとっては、我々が感じる以上に劇的な変化だったに違いない。

琉球王朝からの歴史的な社会文化と、アメリカによって持ち込まれた文化がからみあった社会は、沖縄独自の生活文化となり沖縄県民ならではの気質を生み出していると思う。それは、日本の他の県とは、やはり違うものだと思う。そうした生活文化に根ざした様々なものが、沖縄の人たちの中に、本土は、わかってくれていない、という大きく深い溝のような思いを形づくっているのではないだろうか。

730の交通システム大変革のシンボルマークを見ながら、そんなことを考えていた。

#沖縄730

2022年05月11日

コロナのリバウンド?

GWが明けて3日目、水曜日になった。
3年ぶりに、コロナウィルスに関連する外出制限などのない連休となったわけだが、結果的には、やはり一気に感染者の増加が、日本のあちこちで現れてきた。
220511コロナ再拡大?.jpg
(NHKサイトより)

今日の感染者数は、全国で45955人とGW前の数字を大きく超えた。沖縄は、2702人と2千人を超える大幅増。東京も4764人と増加している。この傾向がどうなっていくのかが、今後の感染の行方を決めることになるだろう。

ニュースでの人手の映像を見ている限り、久しぶりの行楽気分は、日本中に広がったと感じた。
行楽地はいずこも大混雑で、電車や飛行機などの交通機関も、久しぶりに混雑が帰ってきた。
休日を満喫する皆さんの楽しそうな顔もむべなるかなと思うけれど、人が行き交い、気持ちが緩めば、用心もゆるむ。
久しぶりに家族が集まって食事をすれば、当然マスクをつけたりはずしたりはできないだろう。誰しもそうなる。久しぶりに会った孫の笑顔を見ていれば、話ははずみ食事も盛り上がる。しかし、そうなれば、感染リスクは容赦なく高まり、それはそのまま数字に反映されてくるというわけだ。

しかし、こうして再び増加傾向になって来た今、やはりワクチン接種をあらためて行っていくことがまず求められる。我が家の息子と娘にも、3度目のワクチン接種の案内が来ていたが、若い方に感染が広がっている今、ワクチン接種を積極的に行うことが、やはり大切である。
今週から来週にかけての感染者数の動きを、じっくりと注視しながら、GWで少々緩んでいた気持ちを、もう一度引き締める必要がありそうだ。

#コロナウィルス感染者

2022年05月09日

しおりをはさめ!

昨日のニュースから、5月9日、ロシアの重要な記念日である「対ドイツ戦勝記念日」の式典が注目を集めていた。プーチン大統領がどのような発言をするのか?今後の戦況を見通せるようなコメントがあるのかなど、今日はこのニュースが中心であった。

しかし、予想通りというか、もはやヒトラー化しているプーチンは、欧米に対する一方的な批判と、自国を正当化する演説に終始した。ナチズムについてコメントしていたが、今や彼こそがネオナチとなっていることを自覚していないことが恐ろしい。

ということで、書いているだけで不愉快になってきたので、今日の投稿の見出しについて書こうと思う。
これは、神保町の三省堂ビルに掲げられ8日のネットニュースなどで話題になった懸垂幕のコピーのパロディである。
「いったん、しおりを挟みます。」・・・というキャッチコピーを書いたしおり風デザインが、三省堂ビルに掲げられたのだという。
えっ?!三省堂が閉店?!と一瞬ドキッとしたが、実は、本店建て替えのための建設的な閉店ということで、しおりをはさむという言葉に、そのニュアンスを込めているようだ。
220508三省堂しおりで閉店.jpg
(JCASTニュースより)

私がサラリーマンとしてのスタートを始めたのは、実は、当時神保町にあった創業時からの本社ビルであった。入社研修のために、しばらくの間神保町に通勤して様々な講義などを受けたのがビジネスマンとしての最初の仕事であった。(正確には、本館横に増築された別館でほとんどの研修は行われていたが)
現在は、前職の会社の本社は、赤坂になっているが、嬉しいことに、神保町の本社本館ビルは、千代田区など行政との調整などもあり、再開発ビルの1階に、昔の建物を組み込んだ形で外観が保存されている。

というわけで、三省堂ビルは、お茶の水駅からの通勤時に毎日通る場所であり、研修の帰りなどには頻繁に足を運んだ思い出の場所でもある。もっとも、ネット記事などを読むと、現在の三省堂ビルは1981年に建ったものだというから、私が研修に行っていた頃は、もう一代前のビルということになる。そう言われると、確かにこの写真のビルとは少し違って、なんか交差点の三角の敷地にむりやり建てたような細いビルだった気もするが定かではない。
この懸垂幕のしおりのコピーを見ながら、「そうだ、ウクライナでの戦いにこそしおりを挟むべきだ!」と、軍事パレードのニュース映像を見ながら思ったのが、本日の投稿の見出しとなった次第である。
ウクライナに平和を!!
#三省堂閉店 #しおりをはさむ





2022年05月08日

GWの終わり

コロナウィルスが流行して3年、まんえん防止など制約のないはじめてのGWが終わった。久しぶりに人の移動が活発になり、高速道路から列車や飛行機まで、交通機関はこの数日久しぶりに混雑していたようだ。厳しい経営環境にあった交通業界にとっては、何よりだと思う。交通インフラの衰退は、社会生活の危機でもあるわけだから。

しかし、最終日となった今夜のニュースでは、やはりコロナウィルス感染者の全国的な増加傾向も報じられていた。週が明けたら、感染者の動向にはあらためて注視する必要がありそうだ。

介護にあけくれる私にとっては、GWといっても、いつもと変わらない一週間であった。
と言いながら、実は、その前の週に、久しぶりに東京の家に帰ったのだが。
家の用事があったことと、やはり久しぶりに家族に会いたかったからである。
わずか数日のことだったけれど、父の介護を離れ家族の顔を見られたことは、私の心にとっても大きな薬になったと思う。

まあそんなわけで、世間とは異なり、いつもと同じように静かなGWを過ごしていたのだが、今日ラジオを聞いていて興味深かったことがあった。NHKでは、「ゴールデンウィーク」という言葉をニュースなど報道の際には、使わないようにしているという。確かに言われてみれば、「大型連休」という言葉で統一されているようだ。必ずしもゴールデンというような喜ばしい状況の人ばかりではないということから、そのようになっているのだという。ガッテンガッテンガッテン、である。
(あ、そういえば、NHKの人気長寿番組であった「ガッテン」がいつの間にか終了していた。やはり、小野みゆきアナウンサーの転勤も関係していたのだろうか?志の輔さんも私と同じ年だから高齢でもあるしなあ)

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昨日SNSにも投稿したが、私は、いつもと違うせめてものこととして、少し手間のかかるものや、年金老人には多少ぜいたくな旬の食べ物を買ってきて調理して食べたりしてすごしていた。昨日買ったタケノコは、SNSで宣言した通り、若竹煮、そして土鍋でたけのこご飯を炊いて食べた。幸いなことに、隣家の裏庭に山椒の木があって、我が家の庭に、枝がほんの少しだけ越境侵入してくれていることもあって、お隣の奥様に一言お断りしたうえで、葉っぱを数枚頂いている。そのおかげで、若竹煮は、各段にグレードが上がってくれる。山椒の葉のない若竹煮は、別物だと思う。

久しぶりにコメのとぎ汁で煮てあく抜きをして調理したが、今日もその煮物の残りや、たけのこご飯を食べた。静かなGWであったが、旬の味をゆっくり楽しむGWにもなった。
#ゴールデンウィーク #GW #タケノコ






2022年05月06日

ウグイスの鳴かなかった春

5月に入り、急に暑くなった。夏日にまでなった。今日は、Tシャツで歩いている人を見かけた。
ふと気がついたのだが、今年は中庭にウグイスが来なかった。
実は、中庭で大きな葉をつける木の枝を昨年伐採した。植物好きのカミサンによれば、勝手に生えてきた木で、庭師が植えた木ではないという。確かに、中庭の茶室用の便所の建物の脇から不自然に生えていたので、不思議な木だなとは思っていた。
この木の葉は幅広の大きな葉で、秋に落葉するとものすごい量の落ち葉ゴミとなった。

実家に戻った時に、中庭はジャングルと化していたが、土に豊富な栄養を与えていたのは、この葉も一役買っていたように思う。暮らし始めた最初の年の5月には、まずジャングルの草刈りをした。
しかし、ともかく大量の大きな落葉は、秋の庭掃除で毎年私を悩ませてきた。しかも雨樋も詰まらせる。そんなわけで、昨年、電動チェーンソーを買った時に、思い切って枝を全部切り落とした。それだけで、庭はものすごく陽が差して明るくなり、昨年の秋は、大きな落ち葉に悩まされることもなくなりやれやれと思った。

今年の春になって、そういえばウグイスの鳴き声が聞こえなかったことに気が付いた。
ウグイスは、姿を隠せるような木があるところにやってくるという。どうやら、大きな葉の木が、実はウグイスの隠れ家でもあったようだ。
実家に戻って以来、毎春、ウグイスの鳴き声を楽しみにしていたが、自らその楽しみをつぶしてしまったのかもしれない。

そして、昨日は、長年庭の中で違和感を感じていたシュロの木を切った。
これもまた、大きな葉が日差しをさえぎり、庭を暗くしていた。また、その葉を剪定すると、その大きさ故、ゴミとして処分するのもけっこう面倒だった。そもそもこの町家の和風の庭とは合わないとずっと感じていた。ということで、実は長年切りたいなと思っていたのだが、子供の頃からあった木でもあるので、なんとなく躊躇していた。しかし、私も高齢になり、こうしたものもいわば終活の片づけの一環として整理するべきかなと思うようになった。今日は、葉を切ってゴミ袋に詰め、幹を小さく裁断した。
220506シュロDSC_1616.JPG
(写真の通り、恥ずかしながら、落屑で落ちた灯篭の笠は、まだ戻していません)

父に聞いても今や、なぜ植えたかも覚えていない。昭和の初め頃は、シュロの木が流行ったようで、わが町の古いお宅でシュロが生えている家を見かけることがある。
流行りだからと植木屋さんにすすめられて植えたのではないかと思っている。

最近は、石と灯篭だけの庭でも良いな、とまで思うようになっているのだが、松の木だけは、虫に食われていてもアオサギの巣になっていても、いちおう私が元気な間は、残しておこうかと思っている。どのみちこの家も、人が住むのは、おそらく私の代までだと思う。私の体が動くうちに、少しでも整理をしなければと考えている。
ともあれ、ウグイスの声が聞こえない春は、やはりちょっと寂しかった。





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