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2020年08月28日

心の澱

今日は、「おいしい生活」というこのブログタイトルにあまりふさわしくない、<おいしくない生活>?の話をしたいと思う。平たく言えば、ぐち、だが、自宅での介護にひそむ大切なことのひとつを少しでも知って頂きたいと思い、あえて書こうと思う。

私の父は、非常に自我の強い人で、要介護になって、ほとんどベッドの上だけで暮らしている今でも、自分が要介護老人でほとんど寝たきりだということへの自覚がまったくない。
自分は介護老人でなく、元気な老人で、多少不都合なところを息子に世話してもらっているだけ、という認識だ。(息子が親の世話をするのは当たり前なのに、なぜ息子は苦しいとか大変そうにしているのだろうか?)という思いが、たぶん彼の本音、変わらぬ基本的な状況認識なのだと思う。
そして、その無自覚、無理解が、介護をしている人間にとっては、最もつらく、苦しく、いつのまにか心をいらだたせて疲弊させる。

「どれだけ大変だと思っているのよ!」こんな言葉が、思わず口をついて出てしまうのが、長く介護をしている人に共通することだという話をよく耳にする。
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少し前にNHKで放送された俳優の織本順吉さんの老いのドキュメンタリーの中でも、世話をしている奥様が、このような言葉を思わず織本さんにぶつけていた。私もよくわかる。恥ずかしながら私もそうだ。同じようなことをつい言ってしまったことがある。
一生懸命世話をしているのに、自分の努力や苦労がほとんど相手に伝わっていないこと、相手の無理解こそが、実は介護する人間の心の力を奪っていくのだ。これは、世話をしているものでないとたぶん実感できないと思うが、誰の上にも起きる事なので、今回あえて書いた。

実は今夜も、父が、「俺は元気で、自分で歩いているしゴルフにも時々行っている。(と自分ではいまだに思っている。)ちっとも介護老人ではないと思う。それなのに、なんでお前はそんなに大変そうにするんだ・・」と言いだした。この6年間、いちばんつらいのが、彼が自分の置かれている状況を客観的に理解できないところだった。一人ではもう歩けないと何度説明しても、出かけようとしたこともあった。最近は、本当に体が動かなくなったので、立とうとして、「あれ、今日はなんで起きられないんだ、なんで歩けんのだ?・・・まあ今日はやめておこうか・・・」というような感じになるが、自分の正確な状況認識にはどうしても至らない。
「ああ、俺も年をとってすっかり体が衰えて歩けなくなってしまったんだなあ・・」と言う風には、これまで一度もならないのである。

毎日こうしたことが起きると、どんなに心の優しい人でも、たぶん疲れてくると思う。心が荒れて少しずつささくれだってくる。無力感が拡大していく。
自分で言うのはなんだが、私は、これまでの人生で、たぶん<優しい人、温厚な人、穏やかな人>と思ってくださる人が多かったのではないかと思う。自分でもまあ、そこそこ穏やかで優しいタイプの人間だと思っていたし、あまり怒ったりはしなかった。しかし、心が傷ついていると、時には声を荒らげることも起きてくるのだ。自分でも驚くことだった。

介護と言うのは、ある意味長期の疲弊戦だと思う。毎日少しずつ、じわじわと心と体が疲れていく。終わりが見えない苦労への苛立ちも、静かに心をむしばむ。それをうまくコントロールしながら、なんとか一生懸命やっていこうとする。優しい気持ちを持っている人であればあるほど、自分の心の中に潜む闇のような部分が顔を出した時には、時に自責の念にもかられる。自分の中の自己矛盾、心にたまる澱のようなものに驚くのだ。そんな人たちが、きっと日本中にたくさんいらっしゃる。

だから、誰かに話したり、私のように、こうして文章にしたりすることによって、心にたまる澱や、心のガスを抜くことが必要なのだ。

<あなただけではありませんよ、みんな同じです。>













2020年08月27日

運転免許更新で心も更新

運転免許証の更新時期がやってきた。ゴールド免許だったので5年ぶりの更新。そして、これまでずっと東京都公安委員会の免許だったのが、今回は地元の県発行の免許証になる。免許の取得は、大学生の時に実家近くの教習所に通ったので、今回と同じ県発行の免許だと思うが40年以上も前なので記憶は定かではない。

前回更新時も、実家にすでに帰ってきてはいたが、住民票はまだ東京にあったり、東京の家と頻繁に行き来していたこともあって、免許証はそのままだった。そのため更新は東京で行った。サラリーマン時代も、あちこち転勤したが、東京で更新していたと思う。それが、初めて実家のある町での更新となった。

これまで買い物などで時々前を通っていたのに、あんまり気に留めなかった免許センターに初めて入った。4階か5階建てくらいの小さな建物だった。コロナVのことがあるので混雑していると嫌だなと思っていたが、私が入った時、手続きに来た人は、私を含め4人しかいなかった。入口でアルコール消毒をして、待合の椅子に間隔をあけて座らされる。午後の受付時間になりカウンターで書類を受取り、名前等を記入してお金を払い、視力検査など適正確認をして講習室に入る。ここまで東京なら、大行列で平日でも30分以上かかるが、わずか5分程度。最終的に講習室に入った更新者は、わずか7人!まあ密な状態ではなく、ほっとした。
今回、私は優良でなく一般ドライバーの区分になったので(あれっ?違反したっけ?)講習は1時間。30分くらい話を聞いて、残り30分ビデオを見るというおなじみのパターン。講習では、準中型免許ができたことなど改定道交法の説明などがあった。テキストにはあおり運転のことも書かれていたが、それには触れなかったことは意外だった。そしてビデオ。これまでの更新では、たいてい電通制作のもので、ちょっとドキッとする事故の映像などもあったが、今回は比較的淡白な?作り。制作はテレ朝映像。へえ、電通じゃないんだと思った。

東京と違って、新しい免許は即日交付でなく、現在の免許の裏に更新中のハンコが押され新免許証は、後日警察署に取りに行くか郵送というスタイル。(*個人情報のため画像は加工してあります)
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こうして、約2時間弱で終了し帰路についた。いつもそうだが、更新手続きの帰り道には事故を起こしたくないと思いながら用心深く帰宅した。面倒くさい手続きだが、数年に一回、初心にかえって、ハンドルを握る気持ちを新たにすることにはやはり意味があると思う。
帰り道、さて、あと何度更新に来れるだろうか?と考えたのが、これまでの更新とは大きく異なった点であった。健康で、事故を起こすことなく免許返納する日を迎えたいと願っている。

2020年08月26日

デザインの輪郭

大阪万博のロゴが発表された。ちょっと独特のデザインだったので、私も「ぎょろっとした目玉のようで、ちょっと・・・」と、ややネガティブな感想をfacebookに投稿したら、皆さんいろいろとコメントを書き込んで下さった。やはり違和感を感じていた人が多かったように思えた。曰く、選んだ人のデザインセンスは?とか、関東と関西のセンスの違いだ、と書いた人もいた。
念のため、万博のサイトをのぞいてみた。

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(大阪万博HPの画像)

もちろんトップページにこのロゴがドーンと出てきて、その下に、「ロゴマーク最優秀作品が決まりました」と書かれている。ロゴ単独でなく、HPに使われているのを見てもやはり少し違和感があった。あくまで個人的感想だが、なんだか座りが悪い印象がある。

ロゴと言えば、やはり・・と、東京オリンピックのサイトを見てみた。これまた個人的感想だが、あらためて見ても、すっきりと美しいよくできたロゴだと思う。作者の野老さんを多少存じ上げていることを抜きにしても好ましいデザインだと思う。(本当は、オリンピックのロゴの画像も入れたいところだが、さすがにオリンピックロゴは、何かと大変そうなので、個人のブログといえども転用を差し控えました)

ロゴデザインとは、難しいものだ。企業のロゴマークでなくても、数年にわたってたくさんの人が目にする機会の多いビッグイベントのロゴは、まず大多数の人に受け入れられる必要がある。その意味では、この大阪万博のロゴには、どこか万人向けではないデザインセンスがあると思う。そこには、関西ならではのシニカルな笑いのセンスのようなものも感じてしまう。「当たり前のもんなら、おもろない!」みたいな。こういってはなんだが、少し毒のあるような。

今回の投稿タイトルは、デザインの輪郭とした。これは、デザイン界の巨匠、深澤直人さんの著書名であり、彼がよく使う言葉でもある。「デザインは、環境とものとの間の関係の輪郭線を決める行為」とも語っているが、コンセプトをカタチにしてプロダクトデザインの輪郭を作りあげるとか、デザインというものの本質的な部分をとらえていると思う。今回のロゴを見ていて、このタイトルをふと思い出した。

そんなことをあれこれ考えながら、万博のロゴを眺めていると、カタチがシンメトリーじゃないとか、かなり使いにくいだろうなあと思ってしまうが、まてよ、その使いにくい手ごわい感じこそ製作者が狙ったところなのか?命の輝きをテーマに、細胞(セル)をデザインしたと表向きでは言っているが、やはり関西流のただでは終わらないひねり技が、このロゴデザインの輪郭なのかもしれない。













2020年08月25日

冷麦を楽しむ

一日の半分くらいを、冷房のない暑い台所で過ごしていて、少々夏負け気味なのか、今年は、いつもの年より、昼に冷たい麺を食べたくなることが多い気がする。
また、父の歯の具合が良くないのと、体力も少し落ちてきているせいか、この1ケ月ほど食欲のない時が目立ってきた。特にお昼はあまり食が進まない。そんなわけで、麺類なら父も食べやすいようなので、余計に麺類の登板回数が増えている。
今日のランチは、ちょっと変化球で冷麦にしてみた。そうめんとは口当たりがまた違う。私は、もっちりとした冷麦はけっこう好みである。父には、卵やトマトの具を添え、ミョウガと大葉とショウガの薬味を加えて供した。私は、先日「やまと尼寺精進日記」で見た冷麦のジェノベーゼを作ってみた。
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大葉とバジルを刻んですり鉢ですって、オリーブオイルをかけておく。それに茹で上がった冷や麦を加えて塩コショウをして完成。シンプルだが、パスタより柔らかい歯ごたえもなかなか美味しい。これはいいなあ。麺の半分でジェノベーゼを作り、残り半分は父と同じく普通の薬味で、オーソドックスな冷や麦として楽しんだ。(あ、写真の麺の量が少ないのは、最初に食べたジェノベーゼの写真を撮り忘れたので、あわてておかわりを作って撮ったからです。食べすぎた・・(笑))

ところで、そうめんと冷麦の違いをご存じだろうか?
日本educe食育総合研究所のサイトによると、現在は機械化が進んだために、両者とも同じような作り方になっていて、違いは麺の太さで分けられる事が多いとのこと。
しかし、本来、そうめんと冷麦は作り方が異なったらしい。諸説あるそうだが、そうめんのルーツは奈良・平安時代に中国から伝来した「索餅」(さくべい)といわれ、それを基に鎌倉時代以降に考案されたのがそうめんの原形である「索麺」で、小麦粉や米の粉等と塩・水を合わせて練り、油をつけて手で細く延ばして乾燥させた物とのこと。これは、確かに今のそうめんも最後に油をつけて細く練っていて同じような作り方である。
一方冷麦は、小麦粉等を塩・水と合わせて練り、延ばして切った切り麺と呼ばれる製法で作られた物だったという。室町時代になって、熱い冷麦を「熱麦」冷たいものを「冷麦」と称したそうだ。

そんな情報をキッチンのパソコンで眺めながら、へえ〜、とうなづきつつ冷麦をすすった。
今週もまだまだ残暑は続きそうだ。

#冷麦 #そうめん












2020年08月24日

食パンへの挑戦

またまた、パンの話題で恐縮だが、知人がFBに食パンを作っている様子を投稿していた。
私は、肉やお酒と一緒に夕食にパンを食べることはあるが、朝食は、ごはん食なので食パンは、あまり食べない。しかし、焼きたての手作り食パンの写真は、魅力的だった。ついアマゾンさんちで検索などしたら、食パンの型の小さいのを見つけてしまった! で、つい「ポチッ」と・・・

送られてきた型は、千円以下だったにもかかわらず、想像以上にしっかりした作りだった。
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厚みのある重い材料でできている。接合部分も曲げ加工も、面取りも、表面仕上げも、とてもていねいにやってあった。これで数百円とは信じがたい! ものづくり工場などをいろいろ訪れ、多くの職人さんを取材した経験もあるので、きちんと作ってあることがとてもよくわかり、それだけで嬉しくなって、益々食パンを焼きたくなった。
ということで、さっそく食パンを作ってみたが、第一回は、大失敗!
かと思いきや食パンではないが、別のおいしいパンが生まれた。

材料の分量を少し間違えた。水が多すぎた。(レシピは1.5斤分だったが、その1/3くらいの大きさにしようと思ったが、分量の計算ミスをしていた)
生地をこねている段階で、水が多くて柔らかすぎて「あ、こりゃあ駄目だな」と思ってしまった。この半年、パン作りはそこそこやってきたので、生地の状態が少しはわかる。
でも、まあ、しょうがないから、このまましっかり発酵させて、ともかく型に流し入れて焼く練習をしよう、そう思い直した。
ところが、結果的には、ふわふわふかふかのパンが焼きあがった。
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いつもの塩パンのレシピからは生まれないふかふかのパンだった。水が少し多かったらこうなるのか?レシピ通りだったらどうなるのか?食べながらまた焼きたくなった。まったく、これだから、パン作りはやめられない(笑)

#パン作り #食パン作り

















2020年08月23日

清し朝

清し朝・・「すがしあさ」と読んで頂きたい。すがすがしいさまを表す形容詞である。俳句にも使われる。
今朝は、猛暑がひと山超えて、少しだけ秋に傾いたような、清清しい空気だった。中庭に面した廊下の戸をいつものように開けると、すがし空気が入ってきた。なぜか、この「すがし」という言葉が心に浮かんだ。そうか、こういうことか、と独り言ちた

百年古民家のエアコンのない台所は、今日も30度だったが、昨日までの暑さとは少し違うように感じた。
夕方、外に出てみたら、昨日よりは、暑さが少しマイルドな気がしたので、散歩に出た。
久しぶりに川沿いの道を歩いたら、田んぼの稲が青々として、稲穂も大きく実ってきていた。
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以前にも書いたが、コロナVが猛威をふるっていても季節はめぐり、米は、秋の収穫に向けてしっかりと育っている。
さて、我々人間はどうなのだろうか?評論家やコメンテーターの百万言より、自然に学ぶことのほうがはるかに多いようにも思える。

#すがし

2020年08月22日

和のスイーツにトライ

父は、要介護となった現在でも、毎日晩酌をしている。(実は、それが、施設を嫌がり、自宅で介護している最大の理由でもあるのだが)そして、3時のおやつも欠かさない。昔流に言うと甘辛の両刀使いである。だから、毎日なんらかのお菓子を用意しておかなければならないということが、私がお菓子作りを始めたきっかけのひとつでもある。

そんなわけで、買い置きしてあるお菓子とあわせて、チーズケーキやら、マドレーヌやらのお手製スイーツを作っているわけだが、考えてみたら和のお菓子は作ったことがなかった。そこで、今日は父の好きなお団子に挑戦。大昔に白玉団子を作ったことがあるがそれ以来である。スーパーで、だんご粉というものを見つけたので、それをこねてお団子を作る。
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丸めたお団子を、ゆでて、浮かんできてしばらくしたら、水にさらして、ざるに上げれば完成。あとは、黒蜜でもきな粉でもつければよいわけだ。私は、みたらしが好きなので、砂糖と醤油を煮詰めてみたらしのたれモドキを作って黄な粉と一緒にかけてみた。
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初トライとしては、まずまず。父も好物のみたらし風団子なので、喜んで食べた。
時には和スイーツも悪くない。やっぱり日本人にはお団子だな。

#手作り団子
















2020年08月21日

パンを焼きながら考えた

今日も小麦粉をこねてパンを焼いた。
実は、テレビで見たパン職人の言葉と焼き方が心に残っていて、今日は、じっくりと発酵させてみようかと考えていた。
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その職人さんの言っていたことのひとつが、「小麦粉によって水の吸い方が違う」、ということ。彼が使おうと思った小麦粉は、水を吸うのにすごく時間がかかるということで、彼はなんと生地を作るのに10時間もかけたという。もちろん素人の私が異なる産地の小麦粉を使ったりなどということはないわけだが、生地をこねていて、粉と水のなじみ方が違う時があるなあ、とは感じていた。たとえば冬と夏など、気温や湿度の違いによって生地の出来方がずいぶん違うなあとは感じていた。そして、もうひとつ、発酵をしっかりすることについても語っていた。そんなことを思い出しながら、今日はまず、こねはじめる最初の段階で、粉が水を吸う状態を、なるべく丹念に見ながら混ぜていこうと考えた。そしてもうひとつ、いつもより長めに発酵させてみようと。いつもは、一次発酵を25分くらいで、そのあとガスを抜いたら、すぐに焼いていた。今日はそれを、一次発酵も少し長めの時間にして、そして二次発酵もしっかり行いさらに生地を軽くこねてから、もう1時間くらい生地を休ませてみた。結果的には、たぶんそれらが功を奏したのだろうと思うが、これまででいちばんふっくらと美味しく焼きあがった。
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こんな風にパンを焼きながら考えた。
こうして小麦粉と向き合いながら無心で時間を過ごすこと。それは、穏やかに暮らすということのひとつ。そんな時間が、年を取ってとても心に滲みてくる。それは別にリタイヤしたからというようなことではない。生きるということの在り方、普通に暮らすことのありがたさ、そういったものをしっかりととらえながら生きていくことがいかに大切かということ。
最近よく見ている番組も、365日の貞子さんとかやまと尼寺精進日記とかベニシアさんの番組とか。そういう番組は、人はどう生きるか、などと大上段に構えなくても、穏やかな毎日をていねいに過ごしながら、自然な形で自分に合った生き方を楽しむことの素晴らしさを教えてくれている。
静かにパン生地をこねてパンを焼いている時間は、自分の心を見つめる時間のようなところもある。

#パン作り















2020年08月20日

私のお気に入り

ジョンコルトレーンを聞いている。
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マイフェバリットシングス。ミュージカルの名作、「サウンドオブミュージック」でジュリーアンドリュースが歌った曲だが、その後、曲のほうもJAZZのスタンダードとして色んなプレイヤーが演奏している。私は、ジョンコルトレーンの同名のアルバムが好きで、もちろん唄はないけれど、そこに入っているこの曲がとても好きだ。

Raindrops on roses And whiskers on kittens
Bright copper kettles And warm woolen mittens
Brown paper packages tied up with strings
These are a few of my favorite things ・・・・

バラにしたたる雨だれ、子猫のひげ
ピカピカの銅のやかんや 暖かい羊毛のミトンの手袋
紐で結ばれた茶色の紙包 それがわたしのお気に入り  ・・・

ハマースタインUが書いた歌詞を見ていると、とても優しい気持ちになる。
詩のリズムも美しい。そして、歌詞の最後はこんなふうに終わっている。

When the dog bites When the bee stings
When I’m feeling sad I simply remember my favorite things
And then I don’t feel so bad

犬に噛まれたとき 蜂に刺されたとき
悲しい気分のとき そんな時には、わたしのお気に入りを思い浮かべるの
そうすれば、そんなに悪い気分じゃなくなるの

一昨日、お気に入りのチーズケーキを作った。
粉を混ぜて冷やして作るだけのものだが、これが結構おいしい。出来上がると、私は8つにカットする。ざっと計算すると、1ピースが50円弱だが、スーパーで売っている200円くらいのチーズケーキとあまり変わらない。良くできている、さすがM製菓(笑)
私のお気に入りといえば、このチーズケーキ、ミラノソーセージ、自分で作るピザ、自分で作るニョッキ、アルゲリッチのピアノ、ベニシアさんの朗読、沢村貞子さんの365日の献立日記、雨上がりのアスファルトの香り、やまと尼寺精進日記、岸渡川沿いのお散歩、ヨーヨーマの昔のアルバム、15年ほど前に私の腕の中で亡くなった愛犬タロウ・・・それが私のお気に入り・・・

#私のお気に入り

2020年08月19日

パンをこねて焼くということ

今日は、台所に排熱式のスポットクーラー風冷風・除湿機をセットしたいと思い、排熱用ダクトも取付けられるパネルを自作した。結果的には、冷風・除湿機は空振りで、ちっとも涼しくなくて、排熱パイプをつないでもたいした成果が得られそうになく、むしろ怒りで体が熱くなってしまった。まあこの話題はいずれまた。
腹が立ったらお腹が空いてきた。今夜はパンを焼こうと思っていたにもかかわらず、大工仕事などで時間が無くなってしまった。でも、パンが食べたい気持ちはくすぶっていて、買い物から帰った5時過ぎ、「今からなら、発酵はちょっと足りないけど、まあいけるかな?」と夕食の準備をしはじめたところで、並行して強力粉をボールに入れてこねはじめる。5分くらいこねてひとまず発酵、ということで料理に専念する。ひとあたり夕食の準備ができたところで、一次発酵完了?まあいいか、ということで6時すぎに父に夕食を出して、私もツマミなどを食べ始めつつオーブンに火を入れる。父と共通のつまみなどを食べ終わったところで、自分用に豚肉をソテーしてパンの焼き上がりを待つ。6時半過ぎ、オーブン終了、焼き上がりまあまあか。安物の赤ワインをグラスに注ぎ、豚肉のソテーの残りを切りながら、焼きたてのパンをちぎる。(写真を撮らなかったので、ほぼ同じパンの過去の写真を使っております)
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ということで、焼き上がりまで約1時間強。今や、私にとって、粉からこねてパンを焼くことは、ご飯をといで炊くのとおおむね同じ感覚になりつつある。

#パン作り













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