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2020年09月18日

大切な記憶

実は、この1週間ほど、父の具合が思わしくなかった。ちょっと危険な時もあったのだが、また天国のドアを、ノックだけして戻ってきてくれた。しかし、食事があまりのどを通らなくなり、おかゆや具のない味噌汁、野菜ジュース、ゼリーなどの流動食を食べさせている。
200918流動食IMG_20200918_093947.jpg

認知症も少し激しくなり、意味のわからないことを一生懸命しゃべることもあるが、突然普通の状態に戻ってしゃきっとしたりする。この数日は、ゴルフに行ってきたから疲れた、と何回も言っている。もちろん、ゴルフはもう何年も前からやっていない。

数日前、かなり意識混濁があった時には、私のことがわからないこともあった。「お前誰や?なんでここにおる?」と問いかけられ、あんたの息子だからずっと世話をしてるんや、と言っても、「わからん」と答え、また「あんた誰や?」という問いかけを繰り返した。一昨日くらいからかなり元気になってきたが、それでも時々、訳の分からないことを言い出す。今寝ている場所が、自分の家だというのもわからず、「ここはどこや?俺の家はどうなっとる?」と繰り返すこともあった。昨日何度も言っていたのは、かつて毎晩通っていた飲み屋へ行って一緒に飲もう、というものだった。客は、顔なじみの友人ばかりのその店で、毎晩たわいもない会話を楽しみながら酒2合を飲んで帰宅するというのが父のかつての生活だった。「この2年ほど、あの店には行っとらんよ、毎晩、家で俺と飲んでたんだよ」そう話すと、「いや、そんなことはない、昨日も行って飲んだ」と言う。「お前と飲んだことは覚えていない」と悲しいことまで言い出した・・・

彼にとって、楽しくて大切な時間の記憶は、家族である私と過ごした時間ではなく、ゴルフをやり、なじみの居酒屋で毎日飲んだことなのだろうか?

認知症になった時に、いちばん強く残る記憶は、人それぞれ異なるだろう。今、自分が大切な記憶だと思っていることが、はたしてその通り残ってくれるものなのだろうか?私も父と同じように、家族の記憶ではなく、違うものが残っていくのだろうか?・・・それは神のみぞ知る・・・















2020年09月16日

菅内閣の船出

安倍路線継続の菅さんでひとまず着地だろう、と私も以前FBに投稿したが、おおかたの予想通り、菅内閣がスタートした。
200916菅内閣suta-to jpg.jpg
(画像は、NHKより)

一見地味な印象だが、実はしたたかだという噂の菅総理のもとで、安倍内閣の政策を継承していく流れだ。組閣を見ても、続投やなじみの顔ぶれなど新規性を感じない、というコメントが、おそらく明日の朝刊と野党のコメントにはあふれることだろう。

こんなことを書くと、色々と反論を頂きそうだが、コロナVの時代にあって、奇をてらった組閣と政策でウケを狙うより、国難を乗り切るためにも、現状の施策に大きな変化を起こさず、延長線上で、何をどうやっていくかをしっかり詰めていくというほうが、まずは大切だと思う。新たなことは、国の安定を作ってから考えればよい。新規アイデアにはリスクが伴う。これまでの世の中であれば、時には新規性も必要だが、今、この瞬間は違うと思う。ただし、オリンピックは、中止すべきだと私は思っているのだが、この国の政治では、走り出したものはなかなか止められないという悪しき伝統がある。世界の感染国から、比較的感染者がおさまっている日本に、数多くの感染者が訪れることによる結末は、あまり見たくはない。

そんな中で、農水相に富山県選出の参議院議員である野上氏が任ぜられた。53歳と言う若さだが、官房副長官もつとめた実力のある政治家だ。1〜2度直接お会いしたこともあるが、真面目で好感の持てる方だと思う。ぜひ頑張ってもらいたい。また、話題のIT関連で、電通OBの平井卓也氏が入閣した。なんであれ、広告業界OBが入閣することはある意味歓迎すべきことだろう。

巷間言われているように、外交面では、ちょっと頼りないような印象も感じるけれど、ともあれ、派閥に属さない菅氏には、ある意味自由なところもあるわけで、安倍路線を受け継ぎながらも、もしかすると菅らしさがうまく発揮される可能性もある。ぜひ、素晴らしい舵取りをお願いしたいところである。











2020年09月15日

息子からの贈り物

先日息子と妻が来てくれたが、その時に、息子が私にプレゼントをくれた。 
「おじいちゃんの世話が少しでも楽になるかなと思って」とのこと。

単身赴任や介護などで、子どもたちと離れて暮らす時間が長かったこともあって、わが家は、家族間でのプレゼントの習慣が比較的少なかった。(離れていたことを言い訳にしているなあ)
そのせいか、私の誕生日に子どもたちからプレゼントをもらったのは小学生までで、それ以降はほとんどない。私も子どもたちへのプレゼントは、彼らが中学生くらいになったころからほとんどしていないかもしれないから彼らを責められない。子供たちが初月給を貰った時には、もしかすると何かあるかな?と密かに期待をしていたが、それも見事に裏切られた。

そんなわけで、思い返してみると、これは、息子が自分でお金を稼ぐようになってから初めてのプレゼントかもしれない。
それが、非接触型体温計。コロナV騒ぎで、大ヒット商品になっているあれだ。
200915体温計IMG_20200915_205627.jpg

確かに、寝たきりになっている父の熱を測るのは、意外に面倒だ。特にここ数日は、左腕に関節炎が起きて激しい痛みがあり、体温計をうまくはさめなくなっている。そのことも知っていた息子が、ネットでポチっと買ってくれたらしい。
使ってみると、確かにすごく便利だ。父のおでこを触って、ちょっと熱っぽいかな?と思ったら、わずか3秒で検温できる。自分の体温もすぐに測れる。来訪する看護師さんたちも測ったりできる。

息子よ、ありがとう。なかなか泣かせることをやってくれるじゃないか!
あ、嬉しくて熱が出てきたかも(笑)














2020年09月14日

コロナ禍の新総裁

安倍首相の突然の辞任表明を受けて行われた自民党総裁選。総裁選と言いながら、「二階の方」などの力もあってか?正規の選挙を行わずに、国会議員と地方票による投票によって総裁が決定した。意外?だったのは、2位が岸田さんだったことか。石破さんとそこそこの票差となった。総裁選の報道映像で、岸田さんが小さく快哉を叫んだのが印象的だった。
次回総裁選が面白くなると言ったら失礼だが、官僚の話をそのまま語るので演説がつまらないという評もあるが、気をよくしている岸田さんは、カメラの前で次回の出馬を明言した。

あと数日で、菅新総理による政権がスタートとなるだろう。安倍政権の政策を継承した形で、まずは安倍政権の任期までのおつとめとなるわけだが、批判も多いけれど、短期政権になるか、2期目を迎えられるかはさておき、まずはその手腕をじっくりと拝見したいところだ。
小渕さんに続いて年号を掲げた人が総理大臣になるというのも不思議なエポックである。おそらく、今夜から明日にかけては、このネタがマスコミの報道で多用されることだろう。
200914菅新総裁と年号.jpg
(画像はヤフーニュース)

実は、外相時代の活動とサラリーマン経験者といったことなどから、ほんの少し岸田さんをひいきにしている私としては、気が早いけれど次回総裁選の行方にも注目したいが、大きなミスがなければ、やはり菅政権続投ということになるのだろうか?
ともあれ、コロナ禍の世の中にあって、大きな政策変化というよりも、まずは、しっかりコロナVを乗り越えて、国民生活のプラスとなる政権運営に期待したい。














2020年09月13日

家族のありがたさ

ちょっと用事ができたので、東京から妻と息子が来てくれた。
何か月ぶりの再会だろうか?1年近いかもしれない。もちろんTV電話などはしていたが、リアルで一緒に食事をするのは本当に久しぶりだ。

この2週間ほどで、体を動かすのがかなり大変になり、首も動かせなくなった父の服を着替えさせ、シーツの交換を三人で一緒にやった。一人でやるのと三人とでは、こんなにも作業効率が違うものか、こんなにも楽なのか、とあらためて驚いた。
食事や、介護のことはもちろん、買い物、そして食事の支度など、ごく当たり前の普通のことが持っている幸せを痛感した。さりげなく私を気遣ってくれていることが伝わった。いつもは、一人で食べるパンを、今日は二人のために焼いた。美味しいと喜んでくれる笑顔が、人の心を幸せにしてくれることを実感した。

父も私も、少し元気になった。

2020年09月12日

HBD2U?

昨日は、私の誕生日だったが、朝イチに病院で検査、という日になった。
そのことについてSNSにも投稿したが、たくさんの皆さんからお祝いのメッセージを頂いた。
本当にありがたい。この場を借りてあらためて御礼申し上げます。

頂いたメッセージの中で、いくつか印象に残ったことがあった。ひとつは、返信する手間を相手にかけてしまうから誕生日メッセージは送らないことにしているというもの。それから、頂くのも返信するのも大変だから誕生日を公開していないという方もいた。私も誕生日の公開については、当初躊躇した。重要な個人情報であり、ネットなどの本人確認にも使われるのが誕生日である。それをオープンにしていいものか?と迷った。しかし、たくさんの人がお祝いメッセージのやりとりをしているのを見ると、それは楽しいことだなとも思い、数年前から誕生日を公開している。そして、こんなに多くの方からお祝いしていただくのは、やはりとても嬉しいこと、というのが最近の私の偽らざる感想である。

頂いたメッセージの中で、数件、「これなんだ?」と思ったのが、表題の「HBD2U」である。
200912HBD2U.jpg

(ちなみに写真は、キャンドルだそう)
しばらく見ていて、「あ、なるほど、ハッピーバースデートゥユーか!」と気づいた。

SNS時代のコミュニケーションだな、と感じる略称メッセージであった。
メッセージのやりとりに関する賛否の意見といい、HBD2Uといい、新しい形のコミュニケーション関係が生まれているなあと感じた誕生日でもあった。













2020年09月11日

60数回目の秋

秋になった。古民家キッチンも、昨夜は半袖だと少々肌寒いくらいだった。
誕生日の朝、実は病院で検査を行っていた。ちょっと気になるところがある、と主治医がおっしゃった臓器の検査だった。幸い悪いものではなかろうとのことであったが、経過はしっかり見ていきましょうとの仰せである。無罪放免ではなく執行猶予か。最低10年以上の猶予はつけてほしい。
60代になって、生活環境が激変して、立て続けに大病を患った。
生き馬の目を抜くといわれる超ストレス社会の広告業界で37年間無事だった体が、種類の違う激しいストレスが重なったとたんに壊れた。死を覚悟した瞬間もあった。それをどうにかギリギリのところですり抜けてきた。神様に感謝である。

よく言われることだが、年を取ると健康のありがたさが身にしみるという。まさにその通り。
健康は、何物にも代えがたい。仕事をするにしても、家庭生活を営むにしても、趣味に励むにしても、健康でなければどうしようもない。若い時や、病気をしたことのない間は、健康であることの素晴らしさ、ありがたさを実感しがたい。それが損なわれたときに、しまった、と思う。お金で買えなくて、損なうとお金がかかかるもの、それが健康である。

少しほっとして病院を出て空を見上げたら、見事な秋の雲だった。
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夏の猛暑からさわやかな秋空へ。そしてまた冬がやってくる。四季の移ろいに心を動かされながら、これからの人生の季節を、ひとつひとつ大切に過ごしていきたいと思う。













2020年09月10日

パンの不思議

今日も、夕食用にパンを焼いた。
先日手に入れた、食パン用の焼き型をまた使ってみた。型いっぱいに膨らむくらいの分量で焼けば、真四角に焼けるだろうが、それでは、一人で食べるには多すぎる。それでも、いつも焼く分量の1.5倍くらいの量で生地を作った。
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生地をこねると、今日の手ごたえは、なんかこねやすくて良い感じだな、と思った。小麦粉、塩、水、ドライイースト、そして、砂糖、バター、各々の量のバランスや混ぜ加減で、味も風味も変わる。同じレシピでやっているつもりが、ほんの少しミルクを入れた加減と、バター(僕の場合は、バター入りマーガリンだが)の分量や入れるタイミングなどで、大きく変わる。そして、発酵のさせ方と、型に入れる入れないの違い。型に入れると、柔らかくふっくらしたまさに食パン風の仕上がりになる。熱の回り方が変わるからだろう。この型は、肉厚の金属で、しっかりした作りだから、持っただけで、なんだかじっくりと美味しく焼いてくれるような手ごたえがある。

発酵も、ていねいに時間をかけるとふっくら感が変わる。ベンチタイムという寝かせる時間もとても大切だ。こう書くとなんだか大変そうだが、商売でなく自分用のパンを作るだけなら、「こねて」、「待って」(=発酵)、「焼く」だけだからそんなに難しい話ではない。やるたびに慣れてくる。でも結果は、いつも少し違う。
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私などまだ、始めて数ケ月だから偉そうなことは言えないけれど、パン作りは、シンプルだが、本当に奥が深くて不思議なものだ。

#パン作り












2020年09月09日

ユーミンを聴きながら

それは、音楽好きの若者にとってはちょっとしたエポックだった。
1973年、大学1年生だった僕は、音楽クラブのバンド仲間と一緒に、そのアルバムのことについて熱っぽく語りあった。荒井由美という無名のシンガーソングライターが出した「ひこうき雲」というアルバムは、それまで出会ったことのない音楽センスにあふれた衝撃的なアルバムだった。コード進行もメロディラインもすべてが新鮮だった。そして、詩のリリカルなことと、何よりも淡々として、ちょっと乾いたユーミンの声。バックのベースやドラムのやっていることやアレンジも新しいスタイルの音づくりばかりだった。
「すごいな、このベース、カッコいいよな、ドラムの、この裏で入ってくるチッツチッツ〜ていうたたき方、ミノちゃんやってくれよ・・」などなど、どの曲も驚くことばかりだった。今の若い人たちが感じるものとは全然違うインパクトだった。

あれから50年以上の時間が経った。ユーミンと僕は同い年である。一緒に人生を歩いてきたような感覚がある。恋の思い出から、仕事で悩んだ時などなど、いつもユーミンの曲がそばにあった気がする。
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ランチに何を食べようかと思いながら、キッチンのパソコンを起動した。
ひき肉の残りを片づけないといけないので餃子を焼くことにした。radikoで、先週金曜のユーミンの番組を聞き始める。ユーミンの晩夏が流れた。これも大好きな曲だ。それを聞きながら、餃子の皮に具材を詰めていく。昨日作ったパテの残りのひき肉だから、4つか5つくらいだなと思いながら作っていくとちょうど5つできた。父は、餃子ですら、もう噛むのが大変そうだし、あまり好きではないので、これは私が食べる。あとは、ひやむぎをラーメン風のにゅう麺にして食べるつもり。

番組が終わったので、久しぶりに「ひこうき雲」をかける。
静かなピアノから曲が始まる。本当にストイックだよな、と思いながらフライパンに餃子を入れて焼き始める。50年以上、人生を一緒に歩いていくミュージシャンに、これからの若い人たちは果たして出会えるだろうか?ユーミン、そして竹内まりやと山下達郎、イェローマジック・・・同時代を半世紀以上も共にしてきたミュージッシャンがいることは、本当に幸せなことだと思う。
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餃子が焼きあがった。僕の人生は、まだまだ焼きあがってはいない。












2020年09月08日

パンを焼きながら考えた

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日本人は、昔からエコな暮らし方が上手な民族であった。江戸時代は、エコライフの見本と言われる。
尾籠な話で恐縮だが、たとえば、トイレに排泄されたものも、農作物の肥料に使っていたし、履き古したわらじを、リサイクルする商売もあったという。「いかけや」という言葉をご存知だろうか?鋳掛屋と書く。鋳物の鍋や釜を修理する商売である。金つぎという割れた食器修理する技術もある。ともかく使えるものは、簡単に捨てずに、直して使う。

私が子供の頃、豆腐は、鍋をもって豆腐屋に買いに行った。買った豆腐は、持ってきた鍋に入れてもらって持ち帰るのだ。プラスチック容器も何も使わない。油揚げは、古新聞に包んで渡された。そういえばおからも、豆腐を作る過程で出た廃棄物を無駄にしない食の知恵だ。しかも栄養満点でお腹にも良い。

パンを自分で焼いてみることも、ある意味エコな暮らし方かもしれない。16分くらいオーブンを使うから電気を使いCO2も消費するが、ビニール袋に入ったパンを買ってくることよりは、もしかすると別の意味では、エコなことなのかもしれない。
サラリーマン時代も今も、ペットボトルの飲み物にはお世話になっている。でも、自分でお茶を入れて飲むだけで、ペットボトルを買うことが1本や2本は減るだろう。
経済活動は、回さないといけないけれど、ここ数年の異常気象を見ていても、地球が大きく変化している原因のひとつは、おそらく人間の暮し方も影響していると思う。自分でできることを増やし、穏やかで地球に優しい暮らし方を考えることは、とても小さなことだけど、これからますます大切なことではないかと思う。パンを焼きながら、そんなことを考えた。












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