認知症も少し激しくなり、意味のわからないことを一生懸命しゃべることもあるが、突然普通の状態に戻ってしゃきっとしたりする。この数日は、ゴルフに行ってきたから疲れた、と何回も言っている。もちろん、ゴルフはもう何年も前からやっていない。
数日前、かなり意識混濁があった時には、私のことがわからないこともあった。「お前誰や?なんでここにおる?」と問いかけられ、あんたの息子だからずっと世話をしてるんや、と言っても、「わからん」と答え、また「あんた誰や?」という問いかけを繰り返した。一昨日くらいからかなり元気になってきたが、それでも時々、訳の分からないことを言い出す。今寝ている場所が、自分の家だというのもわからず、「ここはどこや?俺の家はどうなっとる?」と繰り返すこともあった。昨日何度も言っていたのは、かつて毎晩通っていた飲み屋へ行って一緒に飲もう、というものだった。客は、顔なじみの友人ばかりのその店で、毎晩たわいもない会話を楽しみながら酒2合を飲んで帰宅するというのが父のかつての生活だった。「この2年ほど、あの店には行っとらんよ、毎晩、家で俺と飲んでたんだよ」そう話すと、「いや、そんなことはない、昨日も行って飲んだ」と言う。「お前と飲んだことは覚えていない」と悲しいことまで言い出した・・・
彼にとって、楽しくて大切な時間の記憶は、家族である私と過ごした時間ではなく、ゴルフをやり、なじみの居酒屋で毎日飲んだことなのだろうか?
認知症になった時に、いちばん強く残る記憶は、人それぞれ異なるだろう。今、自分が大切な記憶だと思っていることが、はたしてその通り残ってくれるものなのだろうか?私も父と同じように、家族の記憶ではなく、違うものが残っていくのだろうか?・・・それは神のみぞ知る・・・
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