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2020年10月08日

ハリスとペンス

先日のアメリカ大統領選挙の候補者討論のひどさに、米国はもとより世界中が失望してから1週間ほどが過ぎた。私は、”DEBATE”というタイトルで、それについてブログで投稿した。
そして、今日は、現職副大統領と副大統領候補による討論会が行われ、ふたたび世界が注視した。
201008ハリスとペンス.jpg
(画像は、NHKより)
ABCテレビは「トランプ大統領とバイデン氏の侮辱だらけの混乱と比べて丁寧な討論だった」と評したそうだ。メディアによる編集された映像からの印象ではあるが、大統領候補同紙の討論に比べれば、はるかにまともな ”DEBATE” であったように感じた。
現職副大統領のペンス氏に対し、「大統領を代行する可能性のある人物」たり得るのか、という世間の目に対し、ひとまず及第点を得たのではないか。少なくとも、弁舌のうまさによって好印象を与えただろう。検事としてキャリを積み、カリフォルニア州の検事総長も務めたのだから、論理的なスピーチの巧みさも納得だろう。民主党の大統領候補として注目の候補でもあったわけで、トップとしての資質があるのは当然のことか。
一方、押され気味ではあったが、ペンス氏も、カリフォルニア州知事を務め、下院議員としても、優秀な議員として、エスクアィア誌からも最も優秀な下院議員のひとりに選ばれている。こちらもまた輝かしいキャリアである。

CNNの世論調査によれば、有権者の59%がハリス上院議員が優勢と回答し、ペンス副大統領が優勢と答えた有権者は38%だったという。

トランプ氏かバイデン氏かいずれかが大統領になり、もし万一、その大統領に何かあれば、この二人のどちらかが、代行者としてアメリカ大統領を肩代わりすることになる。
もしかすると、そのほうが、世界とアメリカにとっては、幸せなことになるのかもしれない。いや、あくまで、しがない老人のきわめて勝手な妄想であるが。














2020年10月07日

野菜ジュースでシチュー

今日は、東京からカミさんが来てくれた。先日も来てくれたが、父も元気になったから、わざわざ来なくていいよ、と言ったのだが、私の様子を見る事が大事だと前回来た時に思ったからとの由。ありがたいことだ。
せめてものもてなしと思い、焼きたてのパンを用意することにする。そして、いつもは刺身や魚を買うのだが、パンにあわせて何か作ろうと思い、数日前にTVで見たシチューを思い出し試してみることにする。3分クッキングという例の番組である。野菜ジュースを煮汁に使って作るシチューで、トマト好きの妻にもウケるのではないかとこれを選んだ。
201007野菜ジュースのシチュー.jpg
(写真を撮り忘れたので、3分クッキングのサイトの写真です)

パンを美味しくするために、早めに生地を仕込み、じっくり発酵させた。妻が到着する時間にあわせて、焼きたてになるように準備する。

初めての料理であったが、まあ、トマトスープのような感じ?でも美味しい。ラタトゥユ好きの妻も喜んでくれた。あとは白エビのオリーブオイル炒め。パンもいい具合に焼きあがった。
久しぶりに二人で食事をするのは、やはり良いものだ。
妻曰く、美味しかった1位は、ザワークラウト、2位は、白エビ揚げ、シチューも美味しいしパンも美味しいけど、今日はザワークラウトがすごく美味しかったとのこと。メインよりも常備菜に軍配が上がった(笑)














2020年10月06日

介護食という食事

今朝は、介護関連の団体の担当が来訪した。その方に、父の食事の状況を説明しながら、きざみ食など高齢者向けの食事作りということは、つくづく奥が深いものだなと考えていた。
その担当者に、父に食べさせている食事の写真を見せながら内容を説明したら、「すごいですね」、と感心された。
歯が悪くなり、飲み込む力も落ちた高齢者には、きざみ食とか、ミキサー食といった細かくした食事を食べさせる。しかし、ミキサー食をおいしく作ろうと思ったら、食材ごとにミキサーにかけないとたぶん美味しくないと思う。施設などでは、ひとまとめにミキサーしてしまうだろう。でも、そうしないと大変な作業になる。ミキサーの後片付けなどが面倒なこともあって、私は、「きざみ」「おろし器」「すり鉢」でやっている。
トマト、キャベツ、レタスなどの生野菜は、細かく刻んでいる。みじん切りをしてから包丁でさらにたたいて、ほとんどミキサー食くらいに細かくする。なめろうを作るくらいの感じだ。キュウリもおろして出す。それから、「つぶす」=マッシュだ。ここ数日、父はカボチャのマッシュを喜ぶので毎食出している。里芋煮もマッシュして出す。挽肉の煮物でさえ、時々飲み込めずに出したりするので、さらにすり鉢で擦ってから食べさせている。アボカドのマッシュも時々食べさせる。
201006介護食DSC_0044.JPG

そんなわけで、最近は、スーパーで買い物をしながら、どうやったら食べやすく出来るか?などとイメージをしながら野菜などを見ている自分に気づく。
そんな風にあれこれ考えていると、介護食と言うのは、もっと愛情を持って工夫すれば、いっそう美味しく楽しくなるのではないか?と。

写真の通り、寝たきりになった今でも、父の夕食には、盃に2杯程度の酒を飲ませている。「旨い、旨いなあ・・」と、嬉しそうに喜ぶ父の笑顔のせいで、私はこんな風に、自宅介護という余計な苦労を背負いこんでいるのだろう。しかし、たとえ介護食であっても、それは単なる栄養補給だけでなく、やはり少しでも美味しく楽しむべき「食事」なのだから。

#介護














2020年10月05日

今宵は、シェイクしたマティニで

数回の転勤やら、介護のための引っ越しやらで、この20年ほどの間に、大好きなジャケットや、ネクタイやら、私の色んな荷物が、見当たらない。
実は、シェイカーもそのひとつで、最後に使ったのは東京の家のような気もするので、もしかするとあそこの戸棚の奥にあるのかもしれない。そんなわけで、久しくシェイクしたマティニを飲んでいなかったが、なんだかシェイカーでお酒を作りたくなって、ついA●●●●さんで、ポチっとしてしまった。(また買ったと知れたら、カミさんに叱られる(笑))ということで、いつもはスティアして作るのだが、今日はシェイクで。シェイカーを振るのも20年ぶりくらいか?
シェイクしすぎると、氷が溶けすぎて水っぽくなるので、アマチュアは、スティアして作るほうが味が安定する。シェイクする時間と振り方で氷の溶け方が変わり、味も変わりますよ、と名バーテンダーさんに教えていただいたことを思い出す。
201005マティニ.jpg

しかし、やはりいつものものとは一味ちがう。お酒とは、本当に面白いものだ。

口開けのマティニに誘われた今宵の夕食は、シンプルにした。アボカドディップとトマトのサラダ、ウィンナのポトフ、ザワークラウトなど。昨日は、25年前にミュンヘンで食べた肉団子のことを書いたが、その時以来好きになっているザワークラウトも、今では私の定番常備菜だ。
201005夕食DSC_0040.JPG


マティニ用のグラスもポチっとしようかと思ったが、使っていなかったデンマーク製のワイングラスを思い出し引っ張り出してみたら、ぴったり。これはマティニにも使えるな!と思いがけず新しい発見もした夜。(笑)

#マティニ













2020年10月04日

心に残る食べ物の記憶

料理は、時と場所、一緒にいた人やシチュエーション、そして見た目や味など様々な要素が組み合わさって、より記憶に残るものとなる。
昨日、ハンバーグを作る話の中で書いたけれど、ミュンヘンで食べたレバークヌーデルズッペ(Leberknödelsuppe)というレバーの肉団子のスープは、本当に印象に残るひき肉料理だった。
201004ドイツの肉団子.jpg
(写真は、参考例です)

当時、展示会の仕事で、1ケ月もの長期にわたるヨーロッパ出張をしていた時だった。支社の関係者や、ドイツの施工会社の人など、一日の半分は、英語での打合せで、しかも欧州の担当支社のあったデュッセルドルフからミュンヘン、ジュネーブへと、あちこちを移動しながらの仕事で、心身共に相当に疲れていた。たぶんいくつかの仕事の山場を超えて一息ついた頃ではないかと思うが、ドイツ支社の担当者が連れて行ってくれた店で、ミュンヘンのオペラハウスの近くだったように思うが、もはや記憶が定かではない。
ビールをひとくち飲んでほっとしたところで登場した名物料理がこれだった。お皿の上ににぎりこぶしくらいの大きな肉団子が鎮座した姿は、なかなかインパクトがあった。そして、味もパワフルで、レバーと肉の香りがしたことを覚えている。幸い、私はレバーの臭いなども、わりと平気なので美味しく頂いたが、もっと臭いが強いお店もあるそうで、食べられない日本人もいるようだ。
25年も前に食べた食事なのに、ミュンヘンのど真ん中のレストランで食べているという高揚感や、仕事が一区切りしてほっとした気持ちなどがあわさって、記憶に残る味になったように思う。
この前後にも結構海外出張が多くて、ロンドンに出張した時には、シェイクスピアも通ったというパブで、キドニーパイのような料理を食べた。イギリスには美味しいものが少ないと言われていて、確かにそうかなと思っていたのだが、この料理は美味しかった。この時に一緒に食事をした大先輩の海外関係の仕事をしていたコピーライターのKさんも、既に鬼籍に入られて久しい。でも、彼と一緒に食べたこのキドニーパイの味と共に彼のことは忘れないだろう。













2020年10月03日

ハンバーグを楽しむ

おいしい生活、といいながらここ数回、食事の話題を書いていなかったので今日はお料理の話を。
ここ1年ほど、父が固いものを食べられなくなって、ひき肉を使うことが多くなった。父用に肉団子にして煮物にしたり、そぼろのようなものを作って常備菜にしたり、自分用に餃子やミートローフのようなパテを作ったりもするようになり、週に1~2回はひき肉を買う。そんなこともあって、ハンバーグを作る機会も増えた。
最初は、玉子を入れたりナツメグを入れたり、その他色んなレシピを参考にして作ってみたが、最近は、みじん切りの玉ねぎとパン粉くらいしか入れなくなった。(もちろん工程がシンプルで手軽だということもあるが)それをしっかりとこねて粘りを出してから少し休ませる。それだけである。
201003IMG_20201003_200210.jpg

確かに玉子を入れたりその他の材料を足したり、香辛料を色々加えたりすれば味の複雑さは増す。しかし、シンプルに玉ねぎとパン粉と塩コショウだけで作ると、肉の味がしっかりする。ハンバーグは子供の食べ物のように思っていたけれど、このシンプルなハンバーグは、大人の味で、肉肉しい香りもする。まさに、ハンブルグのステーキ、という名の通り、ステーキの味わいのある立派な食事メニューだということを再認識した。
そういえば、ミュンヘンで食べたレバークヌーデルズッペ(Leberknödelsuppe)というレバーの肉団子のスープも、印象に残るひき肉料理だった。握りこぶしほどもある巨大なレバーのミンチで作った団子が、スープにどんと鎮座している。少し臭みはあったが、肉の旨味がダイレクトに感じられる強烈なスープだった。25年も前に食べたものなのに、今でも覚えているくらい心に残っている。
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今夜も、ひき肉をこねて、ハンバーグステーキを焼き、美味しく頂いた。しかし、今夜の味の決め手は副菜の、ヒラタケとカブのバターソテーだったかもしれない。主役のハンバーグを引き立てて余りある美味しさであった。

#ハンバーグステーキ












2020年10月02日

大統領の感染

昨日は、東証のシステムのトラブルで株取引が全面的にストップした。
システムを納入した富士通の名前は昨日から今日まで大々的に報道された。これはとてつもなく大きなブランドイメージの失墜だけでなく、システムセールスにおいても大きな損失になるだろう。おそらく昨日から今日にかけて、富士通がITシステムを納入したクライアントからは、「うちのは大丈夫だろうな?」と、ものすごい数の問合せと点検要求が出たに違いない。全国のシステムメンテナンス担当と営業にとっては、経験したことのない苦難の日々の始まりになるかもしれない。

そんな中で、今日の取引はどうなるのか?と多くの人たちが様々な思いで固唾をのんで見守った朝、無事に取引が再開された。これだけ世界的な影響のあるマシントラブルを発生させたとはいえ、わずか1日半の間に、故障したマシンをはずし、代替機を起動させ、システムチェック行って無事に再稼働させた現場のシステム担当者には、心から同情し、敬意を送りたい。おそらくたくさんの関係者が不眠不休で働いたことだろう。トラブルを起こしたことは責められるべきだが、サイバーテロ説もあるようだし、何はともあれ、お疲れ様と言いたい。

そんな中で、3時のティータイム前に、思いがけないニュースが飛び込んできた。トランプ大統領が、ついにコロナに感染したという。(例によって自らのツイッターでそれを告げたところも彼らしいが。)
201002トランプ感染のツイッター.jpg
(画像は、トランプ氏のツイッター)
つい、「ついに」と書いてしまったが、あまりに非科学的なコメントを繰り返し、多くの人と会うのが仕事の大統領でありながら最近までマスクを付けることも拒否していた彼が、なぜ感染しないのか正直不思議だった。神様まで味方につけているのか、といぶかっていたのだが、やはり感染はさけられなかった。ということで、私個人的には、科学的必然の通り推移した結果だと、思わず小さく快哉を叫んでしまった。こんなことを言っては申し訳ないが、ほんの少しだけ中症化して、コロナVの怖さを身をもって実感していただきたいものだ。(非科学的人間には、制裁を(笑))
ただし、私が懸念していることがある。それは、トランプ氏が比較的軽症のままで復帰し、「そらみたことか、コロナVなんて大したことはない!私は見事にそれを実証した!」などと鬼の首を取ったようになることだ。神様、そういうシナリオだけは、どうかご勘弁を。













#トランプ大統領感染 #コロナ

2020年10月01日

IT社会のほころび

今日は、東証の取引が全面的にストップした。前代未聞の事態だ。ネット取引が主流になっているこの時代、今や日本の株売買においては、海外の投資家が7割ほども占めるという!
201001東証.jpg

今回のトラブル、ソフトウェアのエラーかと思ったら、システムを動かすメインマシンのハードウェアが故障し、バックアップマシンへの切替に不具合が生じて切り替わらなかったという。いわば、フェイルセーフのフェイルである。

数週間前には、NTTドコモの電子決済サービス「ドコモ口座」を使った預金の不正な引き出し事件が発生した。システムに多少脆弱性のある地銀口座を狙った頭脳的なネット泥棒の仕業だ。
現代社会は、ネットによって、考えられないほど便利になったが、やはりここへ来て、ITのほころびのようなものが起きてきている気がする。
かくいう私も、ネット社会の恩恵にどっぷりつかって暮らしている。田舎で介護をしていてほとんど外出しない状態にあって、銀行振込から、ネットショッピング、東京の家族とのテレビ電話、テレビ会議、音楽配信、ささやかながら株の取引というか管理、新聞・雑誌の閲覧、映画鑑賞、メールでの連絡、SNSでの交流、ブログ、原稿の受注と原稿送受信・・・・ざっと書いてみても、こんなにネットのお世話になっている。そこにもし何かのほころびがあれば、それは恐ろしいことになるだろう。

過剰なほどのネット依存社会と言われるが、しかし、便利なことの快楽というか、慣れとは、麻薬である。一度その魔力を知ると、もとにはなかなか戻れない。殆どの人が、スマフォのない生活は、もはや考えられないだろう。

東証は、当面の間、装置の動作状況や切り替えについては、人的監視を強化することで対応するという。皮肉なことに、フェイルセーフの最後の頼みの綱は、やはり人間なのだ。













2020年09月30日

DEBATE

今日のキーワードは、”Debate”:ディベート、である。
「討論する、議論する」という意味だと覚えていたが、念のため再確認しようと思って検索した。そしたら、いきなり本日の大統領候補の動画もセットで表示された。
そう、この言葉の意味を再確認したのは、「ディベートって、もっとちゃんとした議論のことじゃなかったっけ?」と思ってのことだった。
200930大統領候補討論.jpg
(CNNの映像より)

”Presidential Debate” 大統領候補による公開討論会を、こう呼ぶ。直訳すれば、大統領討論会だ。だから、冒頭のdebateの意味の再確認に至ったのだ。討論とか議論というのは、もっと論理的な戦いではないのか?そう思ったからだ。

今日の2人の大統領候補の討論は、あまりにもおそまつだった。お互いの政治論を戦わせるどころか、ののしりあいに近い。しかも、相手の発言はおろか、司会者に話す隙も与えないほどの。これが良識の代表たるべき大統領候補の行いだろうか。バイデン氏も、もっとましな人かと思っていたから、正直驚き失望した。これでは、トランプと変わらないではないか?前回のヒラリーのほうが、誹謗中傷のような発言もあったが、はるかに知的な会話や切り返しを行っていた。そして、あらためてオバマ大統領のスピーチにはなんと品格があったことか・・・。

アメリカのメディアの論調もおおむねそうであったが、一般のアメリカ人のインタビューでも、「どっちが勝ったとは言えない」、「どっちもどっちだ」、「泥試合・・・」などなど、大きな失望感にあふれていた。
一言でいえば、"terrible” だ。そう、この歴史的ディベートには、勝者はいなかった。ノーサイドである。ラグビーのノーサイドとはちょっとニュアンスが違う!勝者も敗者もいない泥試合という意味でのノーサイドである。

debate には、相手を打ち負かすように討論する、というニュアンスがあるらしいが、二人とも打ち負かし方をはき違えている!政策論争をしっかりできない現職大統領とそれに挑発されたチャレンジャー。
アメリカ国民の失望感はきっと我々以上に大きいに違いない。大国アメリカの未来は、一体どこへ向かって行くのだろうか?・・・・












2020年09月29日

介護と痛み

数日前から右手首が痛い。今日の午後からは、ヤカンを持ち上げるのもけっこう辛くなってきた。
なぜだろう?思いあたることはないのになあ、と考えていたら、そういえばこの数週間、父が完全にオムツのみにたよる状態になり、自分で体を動かすこともほとんどできなくなったために、以前よりオムツ交換作業の回数が増え、彼の体の向きを変える作業も激増していることに気付いた。(あ、父は、なんとか元気ですのでご心配なく)そういえば数日前デイサービスに送り出す時にも無理な姿勢で父を持ち上げた。
200929ジイマ介護2.jpg  

老々介護のきびしいところは、当たり前だが、介護をする側の体力・気力も年老いてくることだ。2〜3年前に比べて明らかに自分の体力がおちていることを感じる。特に、ちょっとしたことで、手や足に無理をかけると思いがけない痛みが発生することだ。少し不自然な姿勢で力をかけただけで、ひざや腰が悲鳴を上げる。以前ならなんともなかったことだというふうに体が思っているから、つい同じような動作をしてしまうと、それが思わぬ痛みの原因になる。特にコロナVのせいでスポーツジムやプールに行けなくなったので、体をきちんと鍛えることができていないことも大きいと思う。
手首の痛みは去年も起きたので、その時に整形の主治医からは、年を取ればちょっとした動作でも痛みは起きます、と言っていた。この数日、腰痛もまたぶり返している。介護は中腰の姿勢で行う力仕事も多い。当然腰にも無理がかかるだろう。
今、私が手や腰の痛みで父を動かせなくなると、大変な事になる。誰がオムツを替えるのか?父の体の向きをどうやって変えるのか?どうやって着替えさせるのか?彼を抱き起して動かし、防汚シ−トやシーツを交換しないと大変なことになる・・・などなど、私の痛みは、日常の大切なルーティンを停滞させてしまうことになる。

そして、体の痛みに加えて、心の痛みをおぼえることも多い。老々介護にとって、介護する人間の体と心の痛みは、大敵であり大問題なのだ。

BSでしょっちゅう目にする「痛みには、●●シンJV、富山でお電話お待ちしております!」という富山の製薬会社の鎮痛剤CMの誘惑に乗ってみようかと毎日考えてしまう。
もし明日も痛みが続けば、かかりつけの整形外科に行って痛い注射をしてもらおうかなあ・・・・やだなあ。












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