15年前、旧西礪波郡福岡町と高岡市の合併後、高岡市域に組み込まれる旧福岡町の住民の意思をより反映させるための会議として設置され、15年間でのべ41回開催された。15年間の議事録もきちんと残され、20日の会議では、これまでの15年間の主な成果を振り返る目次のようなインデックス資料も配布され説明が行われた。
郡の中の町、独立した自治体としての歴史を閉じて、新たに別の市の中に組み込まれると、当然その存在感は薄くなるだろう。近隣では、伏木、戸出、中田といった町が、高岡市と合併して、各々の町の歴史が、高岡市の中に組み込まれていった。
小さくても、首長がいて独立した予算を持つ自治体から、大きな市の中に組み入れられることには、様々な変化が起こる。個別の予算を持つ町と、市の予算運営の中の1エリアとして位置づけられるのとでは、予算裁量や使い方も変わってくる。もちろん、町の時代にはなかった行政サービスが拡充されたり、国からの補助金を受けやすい事業も出てくる(あるいは逆にサービスが低下することも)など、合併によって様々なメリットやデメリットも出てくる。そうしたプラスマイナスを伴う合併の不安を、少しでも解消して住民の意向を吸い上げようという目的の会議であった。
この最終会議では、旧福岡町役場である福岡庁舎にある現在の行政センターも、次年度には規模を縮小されて、支所となることも説明された。
予算や新組織など様々な議事について説明を受け、会議の終わりのほうで、私も最後の意見を述べさせていただいた。曰く、この会議で発言された意見が、どこまで市政に反映されていくのか、言いっぱなしで終わってしまうのでなく、これまでの記録ももう一度レビューしていただき、今後の市政に活かしていただきたい。また、行政組織が縮小され、旧福岡町のポジショニングも小さくなってしまうことのないようくれぐれもお願いしたい〜等々。私以外にも、同様の趣旨の意見を述べられた方が多かった。
会議の締めくくりには、ご意見番として毎回同席された合併時の旧福岡町長であった石澤名誉市民も、同様に、わずか15年で庁舎機能が支所に縮小されることなどに不安を感じ、一言ぴりりとした苦言を呈された。合併を行った当時の首長として、その思いもひとしおであろう。(ちなみに石澤氏の前の町長は、私の父であった)
合併によって消える町は、どうしてもその固有の歴史や思いも薄まってしまう。しかし、感傷に流されるだけでなく、行革など時代の求める行政のあり方の中で、町の次の未来を考えてつなげていくことが必要だ。子や孫のために良い町と安心で住み良い暮らしを・・。それが誰にも共通の思いであろう。
ウィキペディアで、合併前の町を検索すると、たいてい、「●●に、かつて存在した町」と書かれている。
しかし、かつて存在した町は、決して消えた町ではない。今もちゃんと人が暮らし、これからもその暮らしが続いていく町なのである。
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