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2022年03月22日

テレビとレンジ

認知症が進み、父の記憶と、それを適格に理解する能力が、やはりかなり変化してきているようだ。
最近起きた大きな誤解というか理解ミスが、テレビと電子レンジとの混同である。
実は、これまでも時々起きていたことなのだが、テレビを指さして、「その中に魚が入っているから、出して食べよう」というようなことがたびたびあった。それが最近は激増している。
テレビに映った食べ物と、電子レンジは食べ物が入っているもの、という記憶とが、混ざり合って起きているように思える。

昨日は、「あそこに食べ物が入っているから、フタをあけて取り出してくれ。食べたいから!」とテレビを指さして、2時間ほども繰り返し言い続けて、私を大いに困らせた。
父が一人暮らしを続けていた30年ほどの時間の中で、最も日常的に活用していたのは、おそらく電子レンジだったのであろう。電気の仕組みやメカには、すこぶる弱い父が使うことのできた数少ない便利な機械である電子レンジと、テレビに映る食事の映像の記憶が合体して、テレビで見たもの=電子レンジの様に扉をあければそこに入っていて取り出して食べられるもの、という記憶として上書きされたのだと思われる。
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「頼むから、あれを開けて取り出してくれ、食べたい!」と最後は、私に懇願していた。
「テレビを開けることはできないし、テレビの中に食べ物は入っていないんだよ」と何度説明しても、「そんなことはない、俺はいつもそこから出して食べている!」と言い続けた。
遂に私は、配線をはずし、父の部屋のテレビをひとまず撤去した。1時間余りに及ぶ父への不毛な説明で、私もすっかり疲れ果てていた。

幸い、テレビを見たいという欲求は、私ほど強くない人なので、テレビがなくなったことには、昨日も今日も、ほとんど関心を示さなかった。しばらくこのままでも大丈夫なようだ。

現在の父にとって、最も大きな関心事は、「食べる」ということである。食事をしたことをすぐに忘れるため、1時間おきに何かを食べたいと言う。もちろん、そのたびに、それに応じることはしない。3度の食事の時間と3時のおやつ、それ以外には、せいぜいあと1回ていど、栄養ゼリーや果物、スープなど、できるだけ過剰摂取にならないようなものを食べさせて父の欲求を調節している。

人にとって、最終的に残る重要な記憶は、やはり生命を維持するための最重要課題=食べる事なのだろう、と痛感する。うたたねをして目覚めた時にも、旅先で美味しいものを食べた、などと夢の中の話しをしてくる。
「食べる」という生きるための根本的な記憶こそが、最後まで残り続ける重要な記憶なのかもしれない。
最近の父は、時々母の名前を忘れるようになった。もっとも、母と過ごした時間よりも、一人になってからの時間の方が長くなってしまったから、そのことで父を責める気にはならないけれど。
食の記憶は、愛の記憶に勝ってしまうのだろうか・・・

#食べるという記憶

2022年03月20日

ラジオの魅力

ラジオというメディアには、大きなハンディがあった。それは、映像情報がないことだった。音声だけで伝えるメディアだから当然だが、これだけ映像全盛の時代にあって、その点は、やはり大きなマイナスであることも多くなっていた。

しかし、音声だけ、というのは、実はメリットも多い。まず、映像というのは、ブラウン管であれ、ディスプレイであれ、携帯であれ、ビジュアル情報を把握するためには、映像を表示する画面を注視する必要がある。ということは、その瞬間に他のことをすることはできない。しかし、ラジオは、音声のみなので、何かの作業をしながらでも、聞いていることができる。携帯のディスプレイを見ながら運転することは、現在では立派な交通違反であるし、そもそも安全運転ではない。しかし、ラジオであれば、運転中でも情報収集が可能だ。

そして、もうひとつは、イマジネーション力を高めたりすることができる。音声情報を聞きながら、そのシーンや映像を、頭の中でイメージすることができる。それによって、脳が活性化して認知症予防にもつながるという学説まで出ているようだ。
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(文化放送HP)

最近、毎週聞いている番組がある。日曜の10時〜12時で、東京の文化放送でオンエアされている「日曜のほとり」という番組である。阿川佐和子さんと、ふかわりょうさんが、のんびりゆったりと、日々の生活の中で感じたことをピックアップしながら、お互いに話をする間に、様々な広がりを生み出していく。最近は、大人が聞くに堪えるトーク番組というのは少なくなったけれど、くだらない話ではなく、小野ごとに対するちょっとしたテーマや事象を糸口として、感じたことを話していく。そして、時にはそれが広がって新しい話題に発展したりもする。さらにそのトークの間を、非常に計算された選曲によってえらばれた音楽が、絶妙の間合いで、トークをつないで結い上げていくのである。
そんな番組というのは、あるようで意外に少ない。ゲストのトークに頼ったりもせず、二人が、きっかけとなる話題を軸にしてお互いの感じ方を話しながら、どんどん話が広がっていく。その広げ方や掘り下げ方が面白く、聞いていて飽きることがない。

私は、昔、トークイベントの進行役を何度かしたことがあった。魅力的な方々 あかりであったが、その話題の肝を抽出し、展開し、さらに話し手がそれをうまく発展させてくれるように話を広げていくことは、非常にむずかしいということを痛感した。トークというのは、それくらい難しいものだと思う。

ゲストを呼ぶこともなく、二人の会話と音楽だけで、二時間を持たせるというのは大変な技だと思う。それは、構成作家のようなこともできるふかわさんの能力と、作家であり、インタビューアでもあった阿川さんという絶妙なインテリコンビだからこそできるトークの妙であるように思う。

コロナ禍によって、在宅でラジオを聴く機会が増えてradikoの利用者も増えたという。
ちょっと印刷媒体のような深みを持たせることも可能なラジオの魅力というものを、この二人のトーク番組は、感じさせてくれる。
#日曜のほとり

2022年03月19日

卵と美術品

我が町は、隣の市に合併する前までは、郡部に属する人口1万数千程度の小さな町であった。そんな町の地場企業として、安全な鶏卵を生産・供給することを追求し、日本国内の業界大手企業にとどまらず、アメリカやアジアにも進出した隠れた世界企業がある。イセ食品という会社である。

TKGという言葉まで生まれるほど、生卵をご飯にかけて食べる美味しさを、日本人は当たり前に味わってきた。しかし、生卵をそのまま食べる国というのは、実は世界的にはそれほど多くはない。大半の国では、加熱せずに鶏卵を食べれば、病気に感染する可能性も高いことから、卵は加熱して食べる食品なのである。そんな卵の品質を、安全で美味しくすることを追求し、生産管理から出荷までの体制を改良しながら発展してきたのがイセ食品である。結果的には、アメリカやアジアで、そのノウハウを活かした事業を成功させ、創業家出身の伊勢前会長は、大成功を収め大きな富も得て、町では成功者として有名であった。
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(北日本新聞)

また、伊勢氏は、美術好きで、コレクターとしても世界的に有名で、そのコレクションを集めた個人美術館も作ったほどであった。
ところが、事業拡大路線による借入増の一方で、コロナ禍による飲食業の業績悪化などの影響による業績不振から債務超過に陥り、11日に債権者からの訴えにより、会社更生法の手続きに入ったと発表された。ただ、前会長は、これを不服として訴えを起こしている。

実は、私がこのニュースを聞いて懸念したのが、伊勢氏の美術品コレクションのことであった。ピカソを始め世界的に著名な画家たちの作品を数多く所有し、一部は法人化した団体が管理している。町にとっても将来にわたって大きな文化財産だと思っていたのだが、会社がこうなると、あの美術品を手放すということも、もしかするとあり得るだろうか、とそのことを個人的に懸念していた。
そして、今日になって、やはり次々と美術品をオークションで転売しているというニュースがローカル紙で報道されていた。ああ、やっぱりそうなったか、と残念な思いもあったが、伊勢氏の会社をつぶさないため、というコメントも胸に響いた。
人生をかけて集めた美術品を手放すことは、誰よりもご本人が、一番つらいことだろう。
伊勢氏の美術コレクションについては、これまで賛否両論様々な意見もあったが、これだけの世界的コレクションが、小さな町にあることは、やはりすごいことである。それが散逸していく。やはり残念なことで、個人的にはとても複雑な心境である。少しでも、コレクションが残ることを望むけれど、会社の存続もまた大切な課題である。

近所のスーパーで買って毎日食べている卵は、もちろんイセの卵である。
今朝も卵を焼きながら、テーブル脇に置いてある新聞の、この記事のページをそんな思いで眺めていた。
#イセ食品 

2022年03月18日

フェイクニュース戦争

数週間前に、ウクライナへのロシア侵攻に関連して、実際の戦争と並行して、情報戦争も進んでいるというようなことを書いた。
それから数週間経ったが、なんと、びっくりするような情報戦争のニュースがあった。
ウクライナのゼレンスキー大統領の映像を、AIを使って偽造し、国民に降伏するようにスピーチするニセの映像がネットで流されたというのだ。驚くべきフェイクニュースである。
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そもそも、今回の紛争では、ロシア側の流しているフェイクニュースのひどさには、たびたび驚かされ、国連出の会議に出席しているロシア代表の嘘つきスピーチにもあきれさせられ、ロシアのフェイク情報のすさまじさにはショックを受けた。
それだけ、プーチンヒステリーが、国を支配し反論できる余地のない状況になっているのだろう。
一般市民が避難している場所を攻撃したのは、ウクライナだと言いだしたり、実際にそういうニュースが、ロシアの国営放送で流されているという。かつての「大本営発表」である。

そんな中で、ロシアの国営放送では、「戦争をやめろ、プロパガンダを信じるな」という紙を持った女性社員が、生放送に乱入した。
国営放送しか見ないロシア国民は、プーチンを支持する数字と同じくらいの比率でいるらしいが、国を挙げての嘘のメディア情報に対し、この女性の行動は、大きな一石を投じたのである。おそらく、「もしかするとロシアは、おかしなことになっているのかもしれない。」と感じた人が少しは増えたのではないか?そうなれば、この女性のメッセージは大きな功績をもたらしている。

映像ニュースというのは、編集で全く印象が変わる。破壊された建物に、「ウクライナは、自らの国民を爆撃した」とナレーションをかぶせれば、そう見えてしまう。ディテールには目がいかなくなる。それは映像の持つ両刃の刃のような恐ろしさでもあるということを、今回のニュースは、我々に教えてくれている。
#ディープフェイクニュース

2022年03月17日

スランプ


ブログへの投稿が、はじめて、2日も空いてしまった。
なんだか、書きたいテーマの糸口みたいなものが、湧いてこなくなったのである。見えなくなったというべきかもしれない。実は、ほぼ毎日投稿しようと思い立って以来、600本を超える投稿を書いてきた。まあ、いわば毎日連載600回超えのミニエッセーというわけである。

これまでも、もちろん同じようにネタを見つけるのに苦労もしてきたけれど、なんとかギリギリ日付が変わる前までにアイデアをまとめて投稿してきた。
そして、ふと、思った。「そうか、これがスランプかもしれない」と。流行作家気分である、といえば恰好が良いけれど、まあ、凡人である私の場合、アイデアを見つけて書いていく力が、やっぱり600本あたりで行き詰ってくるのかなあと感じた。連続1000本ノックにも届かなかった。

日々の生活の中の、ちょっとしたことに対する目線みたいなものを大事にして、そこから感じたことを書いていこう、というのが最初の頃の思いだった。しかし、そもそも昔と違って、ほとんどの時間を家で過ごし、介護と家事に大半の時間を使う生活なので、だんだん、それだけではかけなくなってきて、ほかのテーマに目を向けるということで、ニュースをネタにして、自分が感じたことを書き始めた。このところは、ニュースネタがほとんどになっていたようにも思う。

しかし、コロナとウクライナ情勢が、ニュースの中心になってきて、ニュースの見方も少し変わってきた。2つのきわめて力の強いニュースのおかげで、それ以外のテーマへの目線が少しくもってきたのかもしれない。
そんなわけで、ついに、ネタに苦しんでいることを書きながら、ちょっと自分の心のレビューをしようと考えたわけである。

自分の暮らしの中の小さな当たり前のことの中にあるものを、ていねいにつまんで書いたりすること、そういう原点みたいなことにも、もう一度きちんと向き合っていくように暮らしていきたい、とスランプのことを思いながら、あらためて暮らし方についても見つめなおそうと思った。そういえば、このところ、パンを焼いたり、ケーキを作ったりすることが減ってきていた。そんなことも、私にとっては、大切な心の刺激だったのだな、としみじみ感じた。穏やかな暮らしの中で、感じ方を磨いてようなやり方を、あらためて考えてみたいと思った一日であった。でも、明日もまだスランプである可能性は高いかもしれないけれど。

2022年03月15日

キッシュと玉子焼き

キッシュという料理がある。卵を使った料理で、フランスの料理というところだろう。
ウィキで調べてみると、「キッシュ(仏: Quiche [ˈkiːʃ])は、卵と生クリームを使って作るフランス、アルザス=ロレーヌ地方の郷土料理」とある。ベーコンの入ったキッシュ・ド・ロレーヌが代表的なキッシュのようだ。

いつの間にか大手デパートの食品売り場などでは、定番メニューとして売られている。この20年くらいの間だろうか。
日本では、というか、私の中では、初めて食べた時の印象が影響しているのか、ベーコンとほうれん草のキッシュが、代表的なものだ。
まあ、乱暴に言ってしまえば、具入りの玉子焼きをオーブンで作ったもの、というようなわけだが、しかし、やはりそれだけでは簡単に済まないところが、料理の面白いところだ。

キッシュはワインに合う。出汁巻玉子や玉子焼きは、日本酒に合うが、ワインには今ひとつしっくりこない。ビールでもいける。同じ卵料理でも、そこには、やはり国によって異なる微妙な食文化の違いが現れている。
私が初めて食べたのは、40年前くらい?霞町(もうこの地名も通じないだろうけれど)のフィガロというフランス料理屋だったような気もするし、池袋西武で買って食べたような気もするが、いずれにせよ、30〜40年くらい前だと思う。

初めて食べて以来、私は、キッシュがわりと好きで、レストランで食べたり、食品売り場で買って来たりしていた。ネットでレシピが手軽に検索できる時代になり、キッシュもそれほど難しい手間なく自分で作れるのだということを知ってからは、時々作るようになった。特に、父の介護をするようになり、料理をする時間が、一日の中で大きな時間を占めるようになってからは、作る機会が増えた。何しろ、田舎町のスーパーには、キッシュなどほとんど売っていないので、自分で作れるならそれにこしたことはない。
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というわけで、冷蔵庫のほうれん草を片付けたいということと、美味しいバゲットを買ってきたということもあって、今夜は、久し振りにキッシュを作った。基本的には、「生クリームを入れ、パイ生地でくるんだ具入り玉子焼き」なのだが、生クリームを入れ忘れ、パイ生地もないので、厳密に言えばキッシュではないので、私自身は、「キッシュもどき」と称している。しかし、味わいとしては、そこそこキッシュで、ワインにも良く合う。

あとは、私の定番のコールドミートである、鶏むね肉の塩ゆでスライスと、買ってきたミラノソーセージ、そしてこれも定番のベーコンと野菜のポトフ、これが今夜のメニューとなった。
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生クリームを忘れたけれど、今夜のキッシュもどきは、結構うまく焼きあがった。なかなか美味しい。ワインもつい進んでしまった。

しかし、テレビからは、今日もウクライナで戦火をくぐり抜けながら生きている親子の姿が報道され、フランス国営テレビの美人記者もウクライナの報道をしていた。ウクライナには、ボルシチのようなロシア料理の他に、独特のウクライナ料理もあるという。彼らは、これまで当たり前に楽しんでいたウクライナの郷土料理を食べることもできないのだ。
申し訳ないと思いながら、私は、キッシュをかみしめていた。
#キッシュ













2022年03月13日

北京パラリンピック閉会

ふと気が付くと、北京パラリンピックも閉会式の日を迎えていた。
北京オリンピックの閉会式での演出モチーフなども、随所に活かされながら、例によって、迫力満点の画像演出が会場の床面を中心に展開されていた。今回あらためて、中国の画像技術と演出技術の発展には、驚かされた。次は2026年イタリアでの開催である。
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(Nifty news)

色んなことがあったので、富山県出身の川除選手の金メダルの話題などを投稿できなかったが、素晴らしい活躍であった。地元の新聞やテレビでも、川除選手の特集がずいぶんと組まれていた。県民の気持ちを鼓舞してくれる、ほんとうに素晴らしい活躍だったと思う。あらためて、心からおめでとうと言いたい。

北京オリンピックとパラリンピックの開催期間をにらみながら、ロシアの軍事侵攻は、展開されてきた。停戦交渉に応じる気のないプーチン大統領の意向を受けた外相以下のメンバーは、驚くような現実と乖離したコメントを発言し続けながら、のらりくらりと国際的な批判の声の波をかきわけている。残念ながら、おそらく停戦ということには至らないだろう。

パラリンピックが終わったということは、ロシアが、キエフ陥落を目指して、明日以降、総攻撃をかけるのではないかと心配している。
いったいいつまで、この不毛な戦争を続けるつもりなのか?ヒステリー状態に陥っているように見えるプーチン大統領の耳には、誰の声も、もはや届かないだろう。国内からの批判の声が上がり始めている中で、ついにメディアへの圧力も激しさを増し、ついにいくつものメディアが休止に追い込まれている。

誰かプーチンに、精神安定剤を注射し、心を落ち着けるように説得できる人間はいないのだろうか?現代の専制君主は、内を目指しているのだろうか?・・・
#北京オリンピック閉会式

2022年03月12日

至福の夕べ

先日の地元バンドのライブに続き、今日は、山中千尋さんのライブに出かけた。
10年くらい前から、ぜひ一度彼女のライブを見たいと思っていたが、介護やコロナなどもあって、なかなか実現できなかった。今回、3回目のワクチン予約が取れたところで、矢も楯もたまらず、すぐにコンサートチケットを買ってしまった。以来、コロナにかからないように、これまでにも増して注意しながら今日のコンサートを楽しみにしてきた。
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このところ、父の認知症の具合がひどい日が増えていて、夜中に起こされることもひんぱんになり、正直、心身共にかなり疲れていた。考えてみたら、父をデイサービスに宿泊させて、つかの間の休みを取ることも、コロナが怖くてしばらく控えていた。父は、私より先に3回目のワクチン接種を終えていたので、そのこともあって、父を預けてコンサートに出かけることに決めた。

会場である小矢部市のホールは、300席くらいの小さなホールだったが、ものすごく雰囲気が良かった。音響も良く、ステージとの距離もとても近くて、ちょっとライブハウスのような趣だった。
会場に着くと、FM富山の山中さんの番組を制作しているディレクターのOさんも、ちょうど入り口にスタンバイしていて、十数年ぶりに再会することができた。

開場時間になり、ホールの中に入り、席に座った。開演前のBGMで、「ミスティ」が流れていた。20代の半ば頃、六本木にあったミスティというJAZZクラブに毎週のように通っていたことがあった。おかげで、当時時々出演していたピアニストの山本剛さんに顔を覚えてもらって、時々声をかけてくれるようになった。そもそもJAZZを聞き始めたのは、大学2年くらいに渋谷の百軒店にあった「Duet」というJAZZ喫茶に入り浸っていた頃からだから、もう45年以上も聞いていることになる。

そんなことを思い出しているうちに、開演時間になった。

今日は、ベースとドラムを加えたトリオ演奏である。真っ赤なドレスで現れたちひろさんは、ピアノの前に座ると、オープニング曲の「インパルシヴ」で、いきなり我々を圧倒した。噂には聞いていたけれど、スレンダーな彼女の、どこにこれほどのパワーが潜んでいるのかと驚くほどに激しい打鍵である。山下洋輔を彷彿とさせる弾き方だ。
この数年、彼女のアルバムは、週に何度も聞いているけれど、やはりライブの音と雰囲気は全然違った。激しく全身を使いながら弾く彼女の姿に、あっという間に心を奪われた。
そして、ウッドベースを弾く長身の山本浩之が、歌うようなメロディアスな音をはじき出し、時に、エディゴメスのように、ピアノの音と巧みにからみ合っていく。
そして、抑えの効いた桃井裕範のドラムが気持ちよく二人の演奏をリズムでサポートしていく。ドラムソロも、派手さはないが、計算され、落ち着いた叩き方が素晴らしく、とても心地よい。

かくして、「テイクファイブ」などのスタンダードナンバーを、全く異なるアレンジで、ちひろミュージックに変えてしまう魔法の時間はあっという間に最後のナンバーを迎えるが、高揚した聴衆からは、アンコールが連続し、3度もステージに登場してくれることになり、なんと、ちひろさんと山本氏が入れ替わって、彼女がウッドベースの腕前まで披露してくれた。そして、約二時間に及ぶ至福の時間は終わった。

帰路、ステアリングを握る私の心の中には、素晴らしい音楽がもたらしてくれた豊かな暖かさが広がっていた。
#山中千尋 













2022年03月11日

11年目の祈り

今日は、東日本大震災から11年目の日。昨日から、あの恐るべき災害の記憶を振り返る番組やニュースが続いていた。亡くなった遺族を思い手を合わせ祈る姿は、今でも胸を打つ。
残念ながら、失った家族は帰ってくることはなく、悲しい記憶は消えることはない。
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11年前、私は、明治記念館での会合を終えて、信濃町駅から、電車に乗った。かなり記憶が怪しくなってきているが、市ヶ谷のあたりで、電車が信じられないような揺れ方をした。とっさに何が起きたのか理解できなかったが、30秒くらいして、「これは地震だ!!」とわかったが、今まで経験したことのない揺れ方だった。まるで、見えざる手につかまれて酢さぶられているような激しいローリングだった。窓外に見えた電柱が激しく揺れていたのを今でも覚えている。すぐに電車は停車した。乗務員も何が起きたか理解できていなかったようで、アナウンスがあるまでしばらく間があった。状況を確認していますと、慌てている声が社内に流れた。幸い電車は駅に止まっていた。まだ、余震がおきるかもしれない。電車の中で暫く待つか、外に出るか迷ったけれど、降りて駅から歩いて会社に戻ることに決めた。

かなり気が動転していたので、市ヶ谷か四谷がどちらの駅だったかは、記憶がさだかではないが、外に出ると、電車も地下鉄も全て止まったためか、たくさんの人たちが歩いていた。東京都内で、これほど多くの人が歩いているのを見たことはなかった。遅く生まれたわが家の子供たちは、当時まだ小中学生くらいだったと思うが、休みか何かで、ちょうど家にいた。携帯で家に電話をしたが、つながらない。ツイッターで連絡したら、とりあえず無事だと返信が来た。とはいえ子供たちだけなので、会社に戻るのをやめて、そのまま帰宅することにした。

東京駅まで歩くと、信じられないくらいの人数の「人の群れ」が東京駅を取り囲んでいた。これほど多くの人が東京駅周辺にあふれているのは見たことがなかった。尋常ではないことが起きているとあらためて実感した。歩きながらネットで検索して、東北で大きな地震が起きたことはわかった。結局4時間くらいかかって家に帰ったように思う。子供たちもけがをした様子もなく、家の中も、家具などが倒れた様子もなく、ひとまずほっとしたが、妻は、仕事で埼玉のほうに出かけていた。返れないかもしれないと思い、車を出して迎えに行くことにした。無事に妻をピックアップしたけれど、結局夜中の1時頃に帰宅することになった。その日以来、TVで繰り返し流れていた恐るべき津波の映像は、強烈なインパクトで心につき刺さり、今も残っている。

あれから11年、まだ行方不明者は多く、街は少しずつ蘇ったように見えても、廃炉も汚水や廃棄物の問題も解決していない。災害は終わっていない。

#東日本大震災

2022年03月10日

ロシアのマクドナルド閉鎖の意味

ハンバーガーチェーン大手のマクドナルドは8日、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻を受けて、ロシアにあるすべての店舗を一時閉鎖すると発表した。
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(NHK)

思い起こせば、ソビエト時代の末期、1990年にモスクワに進出したのがマクドナルドである。それは、ゴルバチョフが、ロシアの初代大統領に就任した年であり、冷戦の終結を予感させる年でもあった。マクドナルドのモスクワでの開店は、そうした大きな時代のうねりを象徴するニュースであった。私もそのニュースを目にして、「ああ、世界情勢が大きく動いているなあ、もしかすると平和な時代が来るのかもしれない」と感じた。

ゴルバチョフは、1985年書記長に就任し、その後大統領選挙を実施して初の大統領となった。西側からは、評価する声が多いけれど、ロシア内では、ソ連を崩壊させ、国の威信を低下させたとして批判する声も多く評価が分かれている。

そうした時代の象徴となったマクドナルドだけに、今回の一時閉鎖のニュースは、再び冷戦時代に逆戻りしたことを予感させるような事態として感じてしまうのである。
モスクワに開店したマクドナルドは、当時熱狂的な人気を集め、現在はロシアにおよそ850もの店舗があるという。それは、西側との距離が縮まったことを感じさせる店舗数だったともいえる。
ハンバーガーは、まさにアメリカを代表する食文化であり、それが旧ソ連で食べられるようになったというのは、やはり新たな時代の大きなシンボルだった。

マクドナルドは声明で「ウクライナでの衝突とヨーロッパでの人道的危機は罪のない人々に言い表せない苦しみを引き起こしている。状況をよく見ていき、追加の対策が必要であれば決定していく」としているが、さて、この先、いったいどうなるのだろうか。
もしマクドナルドが、ロシアで復活することがなければ、それは、世界情勢が再び混沌とした時代に向かうということでもあるだろう。
#ロシアのマクドナルド閉鎖














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