私は、日本での公開当時は中学生で、おそらく何年かしてテレビで放送されたのを見たか、大学生か社会人になったばかりの頃に名画座で見たのではないかと思う。
しかし、見た当時は、まだソフィアローレンの悲しい生涯のドラマの重みとか男女の心の機微などは、まだまだ十分には理解できなかった。ただ、ヘンリーマンシーニの作った哀愁漂うテーマ曲と、映画のタイトルになった広大なひまわり畑の映像が、強く心に残っている。
ウクライナへのロシア侵攻によって、この映画のことが何度かメディアで取り上げられている。実は、この映画の美しいひまわりの映像は、ソヴィエト連邦当時のウクライナで撮影されたものだということがその理由である。ひまわりの映像に重ねられたクレジットには、”The scenes in the USSR were photographed with the co-operation of MOSFILM,Moscow” とテロップが表示されている。つまり、「USSRで撮影されたこのシーンは、モスクワのMOSFILMの協力によって撮影された」という意味である。
撮影された当時、この美しいウクライナのひまわり畑は、ソヴィエト連邦のひとつだった。
つまり、連邦の中の同朋国だったわけである。その兄弟国を、暴君の勝手な理屈で侵攻し、さらには、数多くの一般市民を虐殺している事実が次々と明らかになっている。
プーチンと軍部は、世界中が認める戦争犯罪者となった。
日本の報道では、一部の映像をマスクして放送されていたが、ウクライナの道路のあちこちに、無残に射殺された市民の遺体が、そのまま放置されていたという。
女性に暴行を加えたソ連兵のことも報道されている。
プーチンは、USSR時代への強い思いを持ち、その体制に戻したいという思いが、行動の軸にあるようだ。確かに、ソ連が安定した時代には、この映画が撮影されたような、平和な時もあったのかもしれない。
しかし、ソ連時代を夢見て、その体制に暴力で戻そうとする暴挙は、美しいひまわり畑のあった国を、めちゃくちゃにしてしまった。ウクライナがもとに戻るには、何十年もかかるに違いない。
これほど無残な殺戮と破壊によって、いったい何を得たいと思っているのか?
オデーサの石油施設なども破壊されたというが、仮にウクライナを手にしても、都市機能を失った町は、プーチンの役にもあまり立たないだろう。
プーチンは、もはや、世界中を敵に回した気の狂った殺人者の専制君主でしかない。
#映画「ひまわり」
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