アフィリエイト広告を利用しています
ファン
<< 2024年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新記事
写真ギャラリー
カテゴリーアーカイブ
日別アーカイブ

2022年05月11日

コロナのリバウンド?

GWが明けて3日目、水曜日になった。
3年ぶりに、コロナウィルスに関連する外出制限などのない連休となったわけだが、結果的には、やはり一気に感染者の増加が、日本のあちこちで現れてきた。
220511コロナ再拡大?.jpg
(NHKサイトより)

今日の感染者数は、全国で45955人とGW前の数字を大きく超えた。沖縄は、2702人と2千人を超える大幅増。東京も4764人と増加している。この傾向がどうなっていくのかが、今後の感染の行方を決めることになるだろう。

ニュースでの人手の映像を見ている限り、久しぶりの行楽気分は、日本中に広がったと感じた。
行楽地はいずこも大混雑で、電車や飛行機などの交通機関も、久しぶりに混雑が帰ってきた。
休日を満喫する皆さんの楽しそうな顔もむべなるかなと思うけれど、人が行き交い、気持ちが緩めば、用心もゆるむ。
久しぶりに家族が集まって食事をすれば、当然マスクをつけたりはずしたりはできないだろう。誰しもそうなる。久しぶりに会った孫の笑顔を見ていれば、話ははずみ食事も盛り上がる。しかし、そうなれば、感染リスクは容赦なく高まり、それはそのまま数字に反映されてくるというわけだ。

しかし、こうして再び増加傾向になって来た今、やはりワクチン接種をあらためて行っていくことがまず求められる。我が家の息子と娘にも、3度目のワクチン接種の案内が来ていたが、若い方に感染が広がっている今、ワクチン接種を積極的に行うことが、やはり大切である。
今週から来週にかけての感染者数の動きを、じっくりと注視しながら、GWで少々緩んでいた気持ちを、もう一度引き締める必要がありそうだ。

#コロナウィルス感染者

2022年05月09日

しおりをはさめ!

昨日のニュースから、5月9日、ロシアの重要な記念日である「対ドイツ戦勝記念日」の式典が注目を集めていた。プーチン大統領がどのような発言をするのか?今後の戦況を見通せるようなコメントがあるのかなど、今日はこのニュースが中心であった。

しかし、予想通りというか、もはやヒトラー化しているプーチンは、欧米に対する一方的な批判と、自国を正当化する演説に終始した。ナチズムについてコメントしていたが、今や彼こそがネオナチとなっていることを自覚していないことが恐ろしい。

ということで、書いているだけで不愉快になってきたので、今日の投稿の見出しについて書こうと思う。
これは、神保町の三省堂ビルに掲げられ8日のネットニュースなどで話題になった懸垂幕のコピーのパロディである。
「いったん、しおりを挟みます。」・・・というキャッチコピーを書いたしおり風デザインが、三省堂ビルに掲げられたのだという。
えっ?!三省堂が閉店?!と一瞬ドキッとしたが、実は、本店建て替えのための建設的な閉店ということで、しおりをはさむという言葉に、そのニュアンスを込めているようだ。
220508三省堂しおりで閉店.jpg
(JCASTニュースより)

私がサラリーマンとしてのスタートを始めたのは、実は、当時神保町にあった創業時からの本社ビルであった。入社研修のために、しばらくの間神保町に通勤して様々な講義などを受けたのがビジネスマンとしての最初の仕事であった。(正確には、本館横に増築された別館でほとんどの研修は行われていたが)
現在は、前職の会社の本社は、赤坂になっているが、嬉しいことに、神保町の本社本館ビルは、千代田区など行政との調整などもあり、再開発ビルの1階に、昔の建物を組み込んだ形で外観が保存されている。

というわけで、三省堂ビルは、お茶の水駅からの通勤時に毎日通る場所であり、研修の帰りなどには頻繁に足を運んだ思い出の場所でもある。もっとも、ネット記事などを読むと、現在の三省堂ビルは1981年に建ったものだというから、私が研修に行っていた頃は、もう一代前のビルということになる。そう言われると、確かにこの写真のビルとは少し違って、なんか交差点の三角の敷地にむりやり建てたような細いビルだった気もするが定かではない。
この懸垂幕のしおりのコピーを見ながら、「そうだ、ウクライナでの戦いにこそしおりを挟むべきだ!」と、軍事パレードのニュース映像を見ながら思ったのが、本日の投稿の見出しとなった次第である。
ウクライナに平和を!!
#三省堂閉店 #しおりをはさむ





2022年05月08日

GWの終わり

コロナウィルスが流行して3年、まんえん防止など制約のないはじめてのGWが終わった。久しぶりに人の移動が活発になり、高速道路から列車や飛行機まで、交通機関はこの数日久しぶりに混雑していたようだ。厳しい経営環境にあった交通業界にとっては、何よりだと思う。交通インフラの衰退は、社会生活の危機でもあるわけだから。

しかし、最終日となった今夜のニュースでは、やはりコロナウィルス感染者の全国的な増加傾向も報じられていた。週が明けたら、感染者の動向にはあらためて注視する必要がありそうだ。

介護にあけくれる私にとっては、GWといっても、いつもと変わらない一週間であった。
と言いながら、実は、その前の週に、久しぶりに東京の家に帰ったのだが。
家の用事があったことと、やはり久しぶりに家族に会いたかったからである。
わずか数日のことだったけれど、父の介護を離れ家族の顔を見られたことは、私の心にとっても大きな薬になったと思う。

まあそんなわけで、世間とは異なり、いつもと同じように静かなGWを過ごしていたのだが、今日ラジオを聞いていて興味深かったことがあった。NHKでは、「ゴールデンウィーク」という言葉をニュースなど報道の際には、使わないようにしているという。確かに言われてみれば、「大型連休」という言葉で統一されているようだ。必ずしもゴールデンというような喜ばしい状況の人ばかりではないということから、そのようになっているのだという。ガッテンガッテンガッテン、である。
(あ、そういえば、NHKの人気長寿番組であった「ガッテン」がいつの間にか終了していた。やはり、小野みゆきアナウンサーの転勤も関係していたのだろうか?志の輔さんも私と同じ年だから高齢でもあるしなあ)

220507タケノコDSC_0009.JPG
220507タケノコDSC_0012.JPG

昨日SNSにも投稿したが、私は、いつもと違うせめてものこととして、少し手間のかかるものや、年金老人には多少ぜいたくな旬の食べ物を買ってきて調理して食べたりしてすごしていた。昨日買ったタケノコは、SNSで宣言した通り、若竹煮、そして土鍋でたけのこご飯を炊いて食べた。幸いなことに、隣家の裏庭に山椒の木があって、我が家の庭に、枝がほんの少しだけ越境侵入してくれていることもあって、お隣の奥様に一言お断りしたうえで、葉っぱを数枚頂いている。そのおかげで、若竹煮は、各段にグレードが上がってくれる。山椒の葉のない若竹煮は、別物だと思う。

久しぶりにコメのとぎ汁で煮てあく抜きをして調理したが、今日もその煮物の残りや、たけのこご飯を食べた。静かなGWであったが、旬の味をゆっくり楽しむGWにもなった。
#ゴールデンウィーク #GW #タケノコ






2022年05月06日

ウグイスの鳴かなかった春

5月に入り、急に暑くなった。夏日にまでなった。今日は、Tシャツで歩いている人を見かけた。
ふと気がついたのだが、今年は中庭にウグイスが来なかった。
実は、中庭で大きな葉をつける木の枝を昨年伐採した。植物好きのカミサンによれば、勝手に生えてきた木で、庭師が植えた木ではないという。確かに、中庭の茶室用の便所の建物の脇から不自然に生えていたので、不思議な木だなとは思っていた。
この木の葉は幅広の大きな葉で、秋に落葉するとものすごい量の落ち葉ゴミとなった。

実家に戻った時に、中庭はジャングルと化していたが、土に豊富な栄養を与えていたのは、この葉も一役買っていたように思う。暮らし始めた最初の年の5月には、まずジャングルの草刈りをした。
しかし、ともかく大量の大きな落葉は、秋の庭掃除で毎年私を悩ませてきた。しかも雨樋も詰まらせる。そんなわけで、昨年、電動チェーンソーを買った時に、思い切って枝を全部切り落とした。それだけで、庭はものすごく陽が差して明るくなり、昨年の秋は、大きな落ち葉に悩まされることもなくなりやれやれと思った。

今年の春になって、そういえばウグイスの鳴き声が聞こえなかったことに気が付いた。
ウグイスは、姿を隠せるような木があるところにやってくるという。どうやら、大きな葉の木が、実はウグイスの隠れ家でもあったようだ。
実家に戻って以来、毎春、ウグイスの鳴き声を楽しみにしていたが、自らその楽しみをつぶしてしまったのかもしれない。

そして、昨日は、長年庭の中で違和感を感じていたシュロの木を切った。
これもまた、大きな葉が日差しをさえぎり、庭を暗くしていた。また、その葉を剪定すると、その大きさ故、ゴミとして処分するのもけっこう面倒だった。そもそもこの町家の和風の庭とは合わないとずっと感じていた。ということで、実は長年切りたいなと思っていたのだが、子供の頃からあった木でもあるので、なんとなく躊躇していた。しかし、私も高齢になり、こうしたものもいわば終活の片づけの一環として整理するべきかなと思うようになった。今日は、葉を切ってゴミ袋に詰め、幹を小さく裁断した。
220506シュロDSC_1616.JPG
(写真の通り、恥ずかしながら、落屑で落ちた灯篭の笠は、まだ戻していません)

父に聞いても今や、なぜ植えたかも覚えていない。昭和の初め頃は、シュロの木が流行ったようで、わが町の古いお宅でシュロが生えている家を見かけることがある。
流行りだからと植木屋さんにすすめられて植えたのではないかと思っている。

最近は、石と灯篭だけの庭でも良いな、とまで思うようになっているのだが、松の木だけは、虫に食われていてもアオサギの巣になっていても、いちおう私が元気な間は、残しておこうかと思っている。どのみちこの家も、人が住むのは、おそらく私の代までだと思う。私の体が動くうちに、少しでも整理をしなければと考えている。
ともあれ、ウグイスの声が聞こえない春は、やはりちょっと寂しかった。





2022年05月03日

旬を楽しむ

5月に入り、雪の心配も完全になくなり、ようやく春を実感している。
とはいえ、数年前だったか、GWに雪が降ったことがあった。ちょうど東京を車で往復した頃だったが、幸いその時はまだスノータイヤを履いていて、雪を気にせずに安心してドライブができた。以来、GWが終わるまでは、タイヤを掃き替えなくなった。

そんな事を思い出しながら、夕食に、春の味覚のひとつであるホタルイカを久しぶりに楽しんだ。
産地に住んでいるのに久しぶりというのも妙だが、実は、産地だけにスーパーで売っているホタルイカのパックがほとんど家族用の数人分の量なので、実質一人で食べる私には多すぎて、毎年、小さいパックを見つけた時の1〜2回くらいしか食べないことが多かった。

漁が始まって以来、今年は豊漁だというニュースがテレビでも流れていて、実際スーパーなどの店頭には、毎日数多くのホタルイカが比較的手ごろな価格で並んでいる。
そして、今日は、量の少ないパックが珍しく売られていたので、思わず手が伸びたという次第。
220503ホタルイカ.jpg

少し前は、白エビの時期、そしてホタルイカの季節。かますもおいしくなるし、初夏になれば、大間のマグロの若いのが、能登沖にやってきて、氷見港でも水揚げされる。
このマグロがまた美味しい。当然、少々高いけれど、この時期だけの美味しさである。
そして、山の幸といえば、筍の季節である。県内では、多くの美味しい筍が獲れる。わが家の周辺でも、我が町産や氷見産などあちこちの筍が店に並ぶ。

そんな旬の味を楽しみながら、季節の変化を感じられることは、本当に幸せだなとあらためて感じている。日本人が育んできた旬の味覚を楽しむ心は、素晴らしい文化財産だと思う。
ついさっき、SNSで友人が、ホタルイカの新しい食べ方を教えてくれた。
そんなこともまた、新たな時代の旬の楽しみ方かもしれない。

#ホタルイカ #旬の味














2022年04月29日

ロングドライブの楽しみ

この1週間ほどブログを書かず、FBもほとんど投稿せずにいた。
実は、久しぶりに少し長めに、東京の家に帰っていた。東京の家にも私の使えるPCはあるのだが、今回は、忙しくてPCでブログの内容を考えることができなかった。東京の家の荷物を少し富山に移動して、マンションの中を少しでもきれいにするために、朝から晩まで小さな引っ越し作業のようなことをやり続けてへとへとになった。

とはいえ、毎日父のそばで介護中心の生活をしてきたので、ロングドライブを含めた5日くらいの、いわば、まとまった「お休み」は、私にとって大きな気分転換だった。
出発した時には、小出から湯沢あたりまで、桜が咲いていた。帰り道では、その桜が、少し散っていた。北海道に向かっての桜前線の動きだけでなく、本州の真ん中で思いがけず桜前線の移り変わりを楽しむことができた。(運転中で撮影できなかったので、写真は、湯沢町の桜ガイドマップより岩原の桜です。このサイトは、すごく充実したサイトです。ぜひご覧ください)
https://www.e-yuzawa.gr.jp/sys/cherry/
220429湯沢岩原桜.jpg

長距離を一人で運転してドライブをするということは、緊張感もあるけれど、運転に集中することで、他の思考があまり入らない時間というのが、かなり多くなる。
もちろん、ハンドルを握りながら色んなことを考えたり思い出したりする時間もあるけれど、運転することにだけ集中している自分もいる。それが楽しい。

しかし、前期高齢者になって変わったこともある。それは、夕方から夜にかけての視力の衰えだ。標識の見え方が衰えるなど、ストレスがかかることが増えてきた。
それでもやっぱり、ハンドルを握り、運転に集中し、あるいは窓外の桜や、たそがれの海の景色に心を癒されたりすることはやはり素晴らしい時間だ。

東京の家に帰っても、家族みんな、仕事がすごく忙しいので、結局私が食事を作ったりすることも多い。実家で料理して、東京でも料理をしているけれど、でもそれはそれで私は楽しい。家族がおいしいと言ってくれると嬉しくなる。

身体能力の衰えは感じるけれど、まだ、なんとか安全運転はできていると思うので、あともう少しロングドライブの楽しみを大切にしたいと思う。


2022年04月21日

リラックスタイム

最近のマイブームというか、リラックス出来る時間がある。
それは、整骨院。実は、介護で父を抱えたりしたことが影響して、慢性的な腰痛になり、一昨年余りの痛みに、整形外科病院でMRIを撮ってみたら、ヘルニアになっているとのことだった。だましだまし生活してきたが、何かの拍子に痛みが出ることもある。

今年は、2月の雪かきの時に、ズキっと来た。
病院の整形外科に行くのも、時間がかかるのでなかなか大変、ということで、父も通っていた近所の整骨院に出かけた。
低周波治療器のような電気を腰にかけてから、マッサージ等を受ける。
先生曰く、腰もさることながら、背骨が曲がってきていて、老人のような背骨になっていると言われた。以前、東京の家に帰った時に、娘が、「パパの背中が丸まって、姿勢が悪くなってすごく老けた!」とショックを受けていた。実は、言われた私もすごくショックだったが、さらに整骨院の先生に言われると、やはりなんとかしないといけないと思った。
坐骨にもゆがみがあるので、それも少しでも矯正しようと言われ、一日おきくらいのペースで通っている。
220421整骨院DSC_0007.JPG
(無理やりの自撮り)

まずうつぶせになって腰に電気をかけられていると、少しウトウトとしてくる。終わったところで、マッサージを受けながら、父の様子や、最近のニュースなどについて先生と会話する。
コロナで人と話す機会がほとんどない中で、静かな音楽が流れる院内で施術をされていると、体が楽になるだけでなく、心もリラックスする。
介護を続けるために、腰痛は少しでも改善したいので、2月からしばらくは、毎日行っていたが、腰痛はかなり良くなったので、今は、一日おきくらいのペースで治療してもらっている。

整骨院にいると、5つくらいある治療用ベッドの会話も聞こえてくる。私と同じような腰の治療や、背骨などの矯正を受けている人が多いなあとあらためて感じる。前期高齢者の私を含めて、整骨院には当然高齢者の患者が多い。そもそも、この町も高齢化が進んでいるので、近所の住民のほとんどが高齢者だ。私もそうだが、年をとれば、体のあちこちにガタが来るのだ。

ともあれ、世間話をしながらマッサージをを受けたり、ぼーっとしながら電気をかけてもらったりする時間は、体だけでなく心もほぐれる時間だということをしみじみと感じている。
そんな時間は、今や私の貴重なリラックスタイムになっている。

#腰痛 #整骨院

2022年04月19日

小さな工夫

故郷に帰り、父の世話をするようになってから、もう9年が経った。最初の6年は、父も自分で歩けた。しかし、かえって心配なことが多かった。私の目を盗んで、自分で勝手に動いて、自転車で出かけたりして、転倒してけがをしたことが3度あった。
3度目の時は、歩道と車道の区切りのブロック石に、あともう少しで頭をぶつけるような倒れ方で、転び方が悪ければ命をおとしたかもしれないというような事故であった。その時は数日入院した。

自宅にいても、ベッド横のポータブルトイレでなく自分でトイレに行こうとするが、途中で間に合わなくなって、衣服から廊下までを汚してしまったことが何度もあった。この頃が、私が一番悩んでいた時期かもしれない。「汚す」ことがものすごく多かった。衣類からシーツから廊下まで、毎日汚物の処理ばかりをしているような気になった。汚物処理は、想像以上に心を痛めつける。今だから書けるが、廊下の掃除をしたり洗濯をしたりしながら、何度か涙を流したこともある。

完全に寝たきりの父を介護するようになって3年余りだろうか。実は、父が動けなくなって、むしろほっとしたところもあった。私のいない時に勝手に出歩いたりして事故にあう心配をしなくてすむようになったからだ。それでも、寝たきりの最初の頃は、「ゴルフに行く」と言い張って、「俺を起こして支度をしてくれ!」と何度も言うことがあって、そのたびに言い争いをした。彼は、自分が歩けなくなっていることを、今でもあまり自覚していない。自分は今でも動ける、ゴルフもできるという気持ちでいる。逆にそれが、彼の命を維持している強さなのかもしれないけれど。

ともあれ、何年か介護をしていると、当然慣れも出てくるようになる。酒を飲みながらテレビに夢中になったり、原稿書きの仕事に集中したりしていると、夜のオムツ交換作業をつい忘れそうになることもあった。そのため、小さな三角形のPOPを作った。
220419オムツサインDSC_0001.JPG

オムツ交換を忘れないように、昼と夜の作業時間の前、昼食の時と、夕食の片づけを終わった頃に、ダイニングテーブルの上にこのPOPを置く。自分の部屋のPC前にも同じPOPがあって、それも同じタイミングで置いておく。おかげで、作業が遅れることはほとんどなくなった。

このPOPを裏返してテーブル奥に下げると、ようやく私の一日が終わる。これは、私の一日の区切りをリマインドしてくれる大切なツールになっている。
今夜も、ルーティンの作業が終わり、POPを裏返して私の一日がようやく終わる。
#介護の工夫

メルケルとプーチン

1979年頃から数年、私は、旧東ドイツ政府観光局の仕事を担当したことがあった。
観光誘致を目的として、東ドイツが、東京青山に政府直轄の観光局を開き、日本での観光プロモーションを始めたのだ。

当時、私は、飛行機会社の担当をしていて、その関係で、ハワイやベルギーなど各国の政府観光局の仕事も、所属している部署にいくつか依頼が入ってきていた。
まだ、パンフレットを数千部作る程度の小さな予算規模だったせいか、入社して数年の私が担当することになった。
そのきっかけは、たまたま部にかかってきた外人からの電話に、私が応対していたのを部長が見ていたからであった。電話を終えた私に、「君は英語が話せるんだな」と部長が声をかけてきた。当時は、今と違って、英語を話せる人というのは極端に少なかった。たまたま私は、高校生の頃から英語に興味があって、モンキーズやビートルズなどの音楽等をきっかけにして英語が好きになっていた。とはいえ、上手いなどとは、お世辞にも言えないレベルだったが、それでも当時は、会話ができると言われたのだ。

まあ、そんなわけで、いきなり東ドイツ政府観光局のオフィスに通うことになった。オフィスと言っても、ドイツ人の所長と女性、それに日本人の女性というわずか3名のスタッフ構成だった。ジンが大好きなゼペット爺さんのような所長は、息子くらいの年齢の私をとても可愛がってくれた。

時々、写真素材を預かるなどの用で、東ドイツ大使館にも行くことがあったが、事前に必ず所長から連絡を入れてもらい出かけた。鉄格子の入っている受付で名前と顔をチェックされ、ゲートが開いて入ることができた。受付は女性だったが、私が入る時に、いつも引き出しを軽く自分の側に少し引いていた。何度目かに、その引き出しに拳銃が入っているのがちらっと見えた時には正直驚いた。今にして思えば、私の写真かビデオも、毎回撮影されていたに違いないと思う。
220418映像の世紀メルケル.jpg
(NHK)

そんなことを思い出しながら、NHKの「バタフライエフェクト」という番組で、メルケル首相の回を見ていた。彼女と私は同い年である。そして、彼女は東ドイツ出身で、私が政府観光局に通っている頃は、まだ物理学者になろうとしている頃だったのということを放送で知った。しかし、その後、政治家に転身し、ドイツ統一後、初の女性首相となった。各国首脳にも物怖じしない肝の座ったその発言は、いつも痛快で、私は就任当時から好感を抱いていた。プーチン大統領と最も心が通じていたのも、おそらく彼女だっただろう。

そんなメルケル首相も、昨年退任し、国際政治の肝っ玉母さんのような愛すべきキャラクターは、国際政治の舞台から姿を消した。もし彼女が、今も首相であったら、プーチンに対して誰よりも影響力のある交渉ができたのではないかという気がする。
しかし、もはや専制君主となったプーチンの耳には、たとえ親愛なるメルケルおばさんの進言でも届かなかったかもしれないけれど。
#メルケル

2022年04月17日

料理の力

冷蔵庫に残っているほうれん草を使わなきゃ、ということもあって、今日は、キッシュを作った。
父には中の具材が噛めないし、キッシュをみじん切りにするのは私自身あまり気乗りがしない。何より、父はこういう西洋風の料理はそれほど好きでもない。
というわけで、私一人しか食べないので、いつもは、卵を2個だけ使って小さいのを作るのだが、今日は、パイ皿にちょうど入る量の卵3個で作った。そのため、昼に作って、ランチにも少し食べて、量を減らすようにした。
220417キッシュ.jpg

ほうれん草とベーコンのキッシュが食べたい、という気分は、料理の持つ最初の力だ。
「食べたい」という思いと、それを具体化すること、それが料理を作る力になる。
そして、材料を調理し、自分ができる範囲のやり方で、少しでも美味しくなるように配慮しながら作っていく。卵の白身を切るように混ぜたり、炒め加減を気にしたりして作ることは、料理というアクションの持つクリエイティブな面だろう。作るということが、人の発想や感性も刺激する、それもまた料理の力である。

そして、きれいに出来上がった時の喜び、それはひと仕事を終えた達成感となり、それを食べて味に満足できれば、美味しさと料理がもたらす栄養が、生きる力と喜びを与えてくれる。
材料を加工し、味を含めてひとつのかたちにまとめあげていくプロセスは、デザインであると言えるかもしれない。
私にとっては、こうした料理が与えてくれる一連の力が、ともすれば自宅介護で折れそうになる心を支えてくれる、まさに大切な力となっている。

明日もまた、父と私のために、さて何を食べようかと、料理という総合的なデザインワークに取り組むだろう。
#料理の力
検索
最新コメント
タグクラウド
プロフィール
ドミノセブンさんの画像
ドミノセブン
プロフィール