ふと気がついたのだが、今年は中庭にウグイスが来なかった。
実は、中庭で大きな葉をつける木の枝を昨年伐採した。植物好きのカミサンによれば、勝手に生えてきた木で、庭師が植えた木ではないという。確かに、中庭の茶室用の便所の建物の脇から不自然に生えていたので、不思議な木だなとは思っていた。
この木の葉は幅広の大きな葉で、秋に落葉するとものすごい量の落ち葉ゴミとなった。
実家に戻った時に、中庭はジャングルと化していたが、土に豊富な栄養を与えていたのは、この葉も一役買っていたように思う。暮らし始めた最初の年の5月には、まずジャングルの草刈りをした。
しかし、ともかく大量の大きな落葉は、秋の庭掃除で毎年私を悩ませてきた。しかも雨樋も詰まらせる。そんなわけで、昨年、電動チェーンソーを買った時に、思い切って枝を全部切り落とした。それだけで、庭はものすごく陽が差して明るくなり、昨年の秋は、大きな落ち葉に悩まされることもなくなりやれやれと思った。
今年の春になって、そういえばウグイスの鳴き声が聞こえなかったことに気が付いた。
ウグイスは、姿を隠せるような木があるところにやってくるという。どうやら、大きな葉の木が、実はウグイスの隠れ家でもあったようだ。
実家に戻って以来、毎春、ウグイスの鳴き声を楽しみにしていたが、自らその楽しみをつぶしてしまったのかもしれない。
そして、昨日は、長年庭の中で違和感を感じていたシュロの木を切った。
これもまた、大きな葉が日差しをさえぎり、庭を暗くしていた。また、その葉を剪定すると、その大きさ故、ゴミとして処分するのもけっこう面倒だった。そもそもこの町家の和風の庭とは合わないとずっと感じていた。ということで、実は長年切りたいなと思っていたのだが、子供の頃からあった木でもあるので、なんとなく躊躇していた。しかし、私も高齢になり、こうしたものもいわば終活の片づけの一環として整理するべきかなと思うようになった。今日は、葉を切ってゴミ袋に詰め、幹を小さく裁断した。
(写真の通り、恥ずかしながら、落屑で落ちた灯篭の笠は、まだ戻していません)
父に聞いても今や、なぜ植えたかも覚えていない。昭和の初め頃は、シュロの木が流行ったようで、わが町の古いお宅でシュロが生えている家を見かけることがある。
流行りだからと植木屋さんにすすめられて植えたのではないかと思っている。
最近は、石と灯篭だけの庭でも良いな、とまで思うようになっているのだが、松の木だけは、虫に食われていてもアオサギの巣になっていても、いちおう私が元気な間は、残しておこうかと思っている。どのみちこの家も、人が住むのは、おそらく私の代までだと思う。私の体が動くうちに、少しでも整理をしなければと考えている。
ともあれ、ウグイスの声が聞こえない春は、やはりちょっと寂しかった。
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