観光誘致を目的として、東ドイツが、東京青山に政府直轄の観光局を開き、日本での観光プロモーションを始めたのだ。
当時、私は、飛行機会社の担当をしていて、その関係で、ハワイやベルギーなど各国の政府観光局の仕事も、所属している部署にいくつか依頼が入ってきていた。
まだ、パンフレットを数千部作る程度の小さな予算規模だったせいか、入社して数年の私が担当することになった。
そのきっかけは、たまたま部にかかってきた外人からの電話に、私が応対していたのを部長が見ていたからであった。電話を終えた私に、「君は英語が話せるんだな」と部長が声をかけてきた。当時は、今と違って、英語を話せる人というのは極端に少なかった。たまたま私は、高校生の頃から英語に興味があって、モンキーズやビートルズなどの音楽等をきっかけにして英語が好きになっていた。とはいえ、上手いなどとは、お世辞にも言えないレベルだったが、それでも当時は、会話ができると言われたのだ。
まあ、そんなわけで、いきなり東ドイツ政府観光局のオフィスに通うことになった。オフィスと言っても、ドイツ人の所長と女性、それに日本人の女性というわずか3名のスタッフ構成だった。ジンが大好きなゼペット爺さんのような所長は、息子くらいの年齢の私をとても可愛がってくれた。
時々、写真素材を預かるなどの用で、東ドイツ大使館にも行くことがあったが、事前に必ず所長から連絡を入れてもらい出かけた。鉄格子の入っている受付で名前と顔をチェックされ、ゲートが開いて入ることができた。受付は女性だったが、私が入る時に、いつも引き出しを軽く自分の側に少し引いていた。何度目かに、その引き出しに拳銃が入っているのがちらっと見えた時には正直驚いた。今にして思えば、私の写真かビデオも、毎回撮影されていたに違いないと思う。
(NHK)
そんなことを思い出しながら、NHKの「バタフライエフェクト」という番組で、メルケル首相の回を見ていた。彼女と私は同い年である。そして、彼女は東ドイツ出身で、私が政府観光局に通っている頃は、まだ物理学者になろうとしている頃だったのということを放送で知った。しかし、その後、政治家に転身し、ドイツ統一後、初の女性首相となった。各国首脳にも物怖じしない肝の座ったその発言は、いつも痛快で、私は就任当時から好感を抱いていた。プーチン大統領と最も心が通じていたのも、おそらく彼女だっただろう。
そんなメルケル首相も、昨年退任し、国際政治の肝っ玉母さんのような愛すべきキャラクターは、国際政治の舞台から姿を消した。もし彼女が、今も首相であったら、プーチンに対して誰よりも影響力のある交渉ができたのではないかという気がする。
しかし、もはや専制君主となったプーチンの耳には、たとえ親愛なるメルケルおばさんの進言でも届かなかったかもしれないけれど。
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