個人的には、大関も経験した実績もありながら、これまで優勝できなかった32歳の高安に勝たせてやりたいという気持ちがあったが、結果的には、若隆景が、高安を下して賜杯を手にした。
やはり、どこか高安には、気迫負けがあったように感じた。彼には、どこか優しくて気弱なところがあるのではないか、そこが、勝負の最後で表に出てきてしまうのではないか、そんなことを感じてしまった。
(ヤフーニュース/読売新聞)
考えてみたら、少年雑誌の表紙が、朝潮、大鵬、柏戸という時代から相撲に接している。
小学校でも中学校でも校内相撲大会があり、画工にはちゃんとした土俵があった。
その当時は運動がああり得意でない私にとって、相撲大会は苦役であったが、今となっては懐かしい思い出である。そして、その当時からテレビで相撲中継を見ているから。かれこれ50年以上も相撲を見ていることになる。だから、熱烈な相撲ファンではないが、場所中は、だいたいコンスタントに相撲中継を見ている。忙しいサラリーマン時代には、もちろんライブでは見られないので、帰宅して、夜のダイジェスト番組などで取り組みを振り返っていたりした。
相撲の技などで、まだまだよくわからないものもあるけれど、取り組みのうまさは、さすがに、なんとなくわかる。あとは、なんともいえない勝つ力士の雰囲気や顔つき勢いみたいなものは感じるようになっている。
今日の若隆景には価値に向かう勢いがあり、取り組みが始まったとたんに、高安の勢いをうまくいなして、冷静に取り組んだ若隆景が優勝を手にした。
どこか優しい表情の高安の表情には、勝てる勢いのようなものが浮かんでいなかったように思う。
相撲とプロ野球は、50年以上見ているわけだが、それくらい見ていれば、やはり、熱烈なファンでなくても、あ、この取り組みは、ダメだなとかなんとなく感じるようになっている。私個人の能力がということでなく、そういう長年の蓄積による人間のAI的蓄積というのは、やはり大したものだなと思う。考えてみれば、AIというのもそういうもので、退路湯のパターンをインプットして、このパターンだとこうなる、と予測する仕組みなわけで、
50年くらい何かを見続けていれば、人間もまたAI的な判断力が蓄積されるわけだろう。いや、もともと、AIというのは、そういう人間の経験的な蓄積能力をデータ化したわけだから、人間がオリジナルであった。(笑)
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