残念ながら、失った家族は帰ってくることはなく、悲しい記憶は消えることはない。
11年前、私は、明治記念館での会合を終えて、信濃町駅から、電車に乗った。かなり記憶が怪しくなってきているが、市ヶ谷のあたりで、電車が信じられないような揺れ方をした。とっさに何が起きたのか理解できなかったが、30秒くらいして、「これは地震だ!!」とわかったが、今まで経験したことのない揺れ方だった。まるで、見えざる手につかまれて酢さぶられているような激しいローリングだった。窓外に見えた電柱が激しく揺れていたのを今でも覚えている。すぐに電車は停車した。乗務員も何が起きたか理解できていなかったようで、アナウンスがあるまでしばらく間があった。状況を確認していますと、慌てている声が社内に流れた。幸い電車は駅に止まっていた。まだ、余震がおきるかもしれない。電車の中で暫く待つか、外に出るか迷ったけれど、降りて駅から歩いて会社に戻ることに決めた。
かなり気が動転していたので、市ヶ谷か四谷がどちらの駅だったかは、記憶がさだかではないが、外に出ると、電車も地下鉄も全て止まったためか、たくさんの人たちが歩いていた。東京都内で、これほど多くの人が歩いているのを見たことはなかった。遅く生まれたわが家の子供たちは、当時まだ小中学生くらいだったと思うが、休みか何かで、ちょうど家にいた。携帯で家に電話をしたが、つながらない。ツイッターで連絡したら、とりあえず無事だと返信が来た。とはいえ子供たちだけなので、会社に戻るのをやめて、そのまま帰宅することにした。
東京駅まで歩くと、信じられないくらいの人数の「人の群れ」が東京駅を取り囲んでいた。これほど多くの人が東京駅周辺にあふれているのは見たことがなかった。尋常ではないことが起きているとあらためて実感した。歩きながらネットで検索して、東北で大きな地震が起きたことはわかった。結局4時間くらいかかって家に帰ったように思う。子供たちもけがをした様子もなく、家の中も、家具などが倒れた様子もなく、ひとまずほっとしたが、妻は、仕事で埼玉のほうに出かけていた。返れないかもしれないと思い、車を出して迎えに行くことにした。無事に妻をピックアップしたけれど、結局夜中の1時頃に帰宅することになった。その日以来、TVで繰り返し流れていた恐るべき津波の映像は、強烈なインパクトで心につき刺さり、今も残っている。
あれから11年、まだ行方不明者は多く、街は少しずつ蘇ったように見えても、廃炉も汚水や廃棄物の問題も解決していない。災害は終わっていない。
#東日本大震災
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