『安全地帯IV』六曲目、「消えない夜」です。
雰囲気満点の歌詞!のっけから「星屑の名を呼ぶ」って何ですか!「……プレアデス……」とかですか(笑)。そんな訳はないので、これはもちろん比喩なんですが、冷静に考えるまで比喩だと気づかせないのがもの凄いところです。詞の力と歌の力、演奏の力が本気でこの世界を構築しに来てます。冷静に言葉を読みとるスキを全く与えるつもりがないんですね。
言葉を隠したって、何か言いにくいことがあるから黙ってごまかしたのでは?
「忘れかけた記憶の微かな痛み」を感じて、「指先の力が背中でこわれた」というのは、何か嫌なことを思い出して気分が萎えたということ?
あーーー!すべて野暮!安全地帯最高裁で銃殺刑を宣告されても仕方ないくらい野暮です。そうです。この曲は、安全地帯チームが全力で作り上げている世界に浸りきり、すべての感情の機微を美しいヴェールで包み、恋人たちのみにスポットライトをあて、外界はロマンチックなものしか視界に入らないように細心の注意をはらう義務を課しているのです。
ただ、実はそんな義務を意識するまでもないんですね。この世界には強力な魅力がありますので、わたくしもそうなんですが、大概のリスナーはあっさり陥落し、歌詞の内容を疑問に思うことすらほぼないでしょう。
この曲を流せば、たちまちあの世界に行けます。「ふっかつのじゅもん」でたちまちファンタジー世界の勇者になれたのと似ています。
音だけでこれだけの世界を創り出せるのですから、安全地帯はまさに超絶技巧の職人です。わたくし、やや古いタイプの人間ですもので、人間は自分の技巧の範囲内でしか物事を思いつかないと思っておりますから、技巧を高めることが同時に頭や心を耕して豊かにすることだと考えております。ですから、クニハラ派みたいに、武沢さんの目の前でスプーン持ってコップをチンチン叩いて、これが音楽だとおっしゃる方々には、爆笑しか差し上げられません。ああよかった、おれはマチイ派だなあ、とか思うんですが、実際にマチイ派のみなさんからは「あれ?オマエはあっち側じゃなかったっけ?」とか言われてうなだれてしまいそうなくらいにしか技巧がないような気がしないでもありません。
マチイ派、クニハラ派というのは、旭川で出入りする楽器屋によってなんとなく分かれていたアマチュアミュージシャンの派閥ですね。いまはもうなくなっちゃいましたけど、かつてこのエピソードを武沢さんのコラムで読むことができました。頑張ればインターネットアーカイブとかで今でも読めるかもしれません。
追記です。読みたくなって頑張ってみたら読めたので、アドレスを残しておきます。
http://web.archive.org/web/20031127030319/http://yutakatakezawa.sub.jp/
余談になりますが、わたくしも多少旭川にゆかりがありますもので、実は少しわかるんです。この頃の雰囲気。1980年か1981年に、松山千春の『空を飛ぶ鳥のように 野を駈ける風のように』を父が旭川のレコード屋さんで買ったのに付き合った記憶がありますから、おそらくマチイかクニハラか、どちらかだったのだと思います。思えばそのころ、メンバーは上京するかしないかの頃だったのでしょうね。
さて、この曲、アレンジは、シンセがうすーく流れてはいますが、基本的にギターのアルペジオで作られています。わたくしアコースティックギターだと思っていましたが、よくよく聴いたらこれはクリーントーンのエレキギターでしょうね。安全地帯のクリーントーンはほんとうにウットリさせてくれます。いったいどんなギターとアンプを使ったら……いやいや、機材の問題じゃないんですね、本質的には腕の問題です。ただ、安全地帯のこういう曲を聴くたびに、クリーントーンにももっと気を遣わないといけないなあ、と痛感させられます。
ただ、ギターソロだけは、ガットギターに聴こえますね……これも技術でエレキギターでもなんとかできるのでしょうか……不可能な気がしないでもないんですが、あの二人ですから、油断はできません(笑)。ライブでどうしてもギターを持ち替えられない時ならともかく、レコーディングでそんな無理をする理由もないでしょうから、おそらくガットギターをお使いになったと思われます。ただ、通常のガットギターですとかなり弾きづらいポジションになりますので、おそらくカッタウェイ(高音部まで弾けるようにボディが削られている形状)のあるものをお使いになったと考えられます。普通に考えれば、ですけど。なにしろあのお二人ですから(以下略)。
この曲の最初から鳴り響いている田中さんのドラムですけど、最初がそれなりに単調なリズムの繰り返しですから、なんだ楽勝……とか思っていたら、サビでちょっと面喰らうことになります。といっても、あんまり自信はないんですが、サビのドラム、毎小節の三拍めのバスドラ、直前に、ごくわずかにバスドラを鳴らして連打しているように聴こえるんです。これは、ペダルを踏んで、その跳ね返りをさらに押し返すという、わりと慣れが必要なテクニックで、わたくしなど「あっ間違えたちょっと早かった!それ!」とかいうときに偶然そうなりやすいのですが(笑)、毎小節聴こえるところをみると、明らかにわざとです。ああー、田中さん!こんな、こんなわずかな音を!こんなにも丁寧に……!これは感動ものです。皆様もぜひ耳を澄ませてお聴きになってみてください。こうしてわたくしの口車に乗せられて「おおー」とか思っているときに「あれはディレイだよ」とか田中さんがおっしゃったりしたら、わたくし切腹ものです(笑)。
さて、またまた余談ですが、わたくしかつて安物のフォーク・ギターを買って、最初に弾いてみた曲がこの曲でした。すぐにカポタストが必要だとわかりましたが、この曲、EmじゃなくてF♯mだったんですね。ギターで曲を作るとき、EmかAmで作って、そのあといろいろやってみて一番きれいに聴こえる、もしくは歌いやすい、演奏しやすいキーに変えるのがありがちなパターンだと思うんですが、これはきれいに聴こえることを優先したのではないかと思われます。「キツイ奴ら」に出てきた「コモエスタ赤坂」「ラブユー東京」「夜の銀狐」「さよならをするために」、弾いてみるとわかりますが、ぜんぶキーはAmです。だから玉置さんもEmかAmを基準にギターをつま弾くのではないかな〜と、考えるにはちょっと根拠が薄いでしょうか。
で、ですね。フォークギターで喜んでこの曲を弾いていたんですけど、本来の16分アルペジオでなくて、8分でジャンジャンージャジャ、ジャンジャラーンジャジャ、と、六土さんのベースのリズムで弾いていたんです。ああ、この曲でわたくしが一番印象に残っていたイメージは、六土さんのベースだったんだ!と気づかされた瞬間でした。わたくし、いつかはこんな誰かの脳裏に焼き付くベースを弾いてみたいものです。
いやはや、銃殺になったり切腹になったり、あまり穏やかな記事でなくて失礼しました。いつも以上に話が飛びまくっているのも承知しております。こんな年の瀬に大変失礼しました。かさねてお詫びいたします。
2016年中には『IV』が終わるくらいまではいけるかな〜と始めたころは思っていたんですけど、そうはいかずに持ち越しになってしまいました。こんなしょうもないブログですが、新年もどうぞよろしくお願い申し上げます。
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