アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2019年10月11日

老眼鏡

数年前から老眼鏡のお世話になっている。
年々老眼が進んできているようだ。

一方で、さらにその数年前から裸眼の視力が上がり、どちらも1.5の視力になった。
当然のことながら、近視の眼鏡も、コンタクトも不要になった。

しかし、その分老眼が進んだ模様で、今は事務仕事や、PC画面を見るときは、必ず老眼鏡のお世話になっている。

「先生、この変形どう計算すればいいのですか?」
高校の問題集の別冊解答、あまりに小さく書かれた模範解答の途中式の変形。
それを手にした私は、まったくその字が読めなかった。

そろそろ、授業中にも老眼鏡が必要になったということか。

すでにデスクワークで、字を読むときは欠かせない。
PCの画面でも、近くで小さい字を見るときは、眼鏡を掛ける。

当然、本を読むときも必要。
少し暗くなったら、大きめの字でも読めない。

最近困るのが、公用車乗車後の運行日誌。
夜になると、暗くなるので、日中は見えたものが途端に見えなくなる。

一時期眼鏡ルーペを使ってみたが、視線をずらすと立ちくらみがする。

眼鏡も複数用意して、持ち歩き用、自宅のデスク用、隠れ家のデスク用、そして職場のデスク用と、同じものを置いている。

もはや老眼鏡が手放せない状況になった。

先日も、コンビニで宅配便を送ろうと、レジで送り伝票を書いていたが、どこに何を書くのか分からず、結局間違えて、書き直しになった。慌てて、車から眼鏡を取ってきた次第である。

以前から、授業中、教科書等の指数が読みにくくて困っていたが、そろそろ離しても読めなくなった。
手の長さには制限があり、離せる距離に限界があるのだ。

人は齢五十を過ぎると、皆こうなるのだろうか。

「この指数は、2それとも3?」
「4です!」
「先生、読めないんですか?」
「年寄りを馬鹿にするんじゃない!」

そういえば、授業中、こんな会話が多くなった。

若い生徒たちがうらやましい…。

2019年10月10日

学年の食事会

考査のなか日ということで、試験が終わってから学年で食事会に出掛けた。
自動車で30分弱走れば、お山の観光地に洒落たレストランがたくさんある。

今回は、「肉が食べたい」という若手男性教員のリクエストにより、肉料理店になった。

生徒を放課させてからなので、出発は13時半。
さすがにこの時間になると、お昼休みになる所が多く、お店選びに難航したようだが、私はただ連れて行ってもらい、食べるだけなので、そうしたことには関知しない。

私の学校では、試験中の日中、こうした食事会をよくやっている。
ほとんどの場合、夜も教室で勉強させているので、その担当者も学年から出ており、食事会で夕食をとるのは、生徒が休みの日以外は難しいのだ。

生徒が休みの日は、教員も休みだったりするので、これもなかなか難しい。

何のことはない。ただ、皆で出掛けて食事をするだけであるのだが、こうしたコミュニケーションの場は、いろいろなところで効いてくるだろう。

私の学校では、いわゆるアルコール付きの懇親会は一切行われないので、こんな食事会でも、職場を離れたリラックスタイムになる。

山が近づくと、山が赤っぽく見てた。
そろそろ紅葉のピークで、観光客で週末は大渋滞するほど。

そんな観光地に、さまざまなレストランが点在している。

肉料理とは言っても、地元牛のステーキは5000円ほどするので、そうした高級料理には手は出せないが、それでもおいしい手作りハンバーグをいただいた。

さすがに早食いの教員たち。
あっという間に平らげてしまう。
ゆっくりコーヒータイムを取る間もなく、学校に戻る。
このあとも採点する先生ばかりなのだ。

私は隠れ家で、畑を耕し、愛犬たちの散歩。
何日か分の餌を作ってきた。

試験は明日までだが、生徒たちは大騒ぎしながら遊んでいる。

先日、テレビ番組で、定期試験を廃止した東京の公立中学を特集していた。
「こんな方法もありかな…。」
とも思う。

一番大切なのは、生徒が「勉強しよう」、と自発的にやることだ。

そうでなければ、成績は伸びない。

そう思いつつ、易しい問題にしてしまった中間考査を眺めながら、最低作業に勤しんだ。
時折、気分転換にピアノを弾きながら…。








2019年10月09日

早朝の天体ショー

今朝はこの秋一番空気が澄んでいた。
一時的な冬型の気圧配置になり、風は強かったのだが、その分、塵や埃も飛ばされたらしい。
思わず、息をのむほどの星空だ。

私の愛犬の散歩時間には、徐々に空が白んでくるのだが、今朝はどんな北東の空に立て続けに流星が見えた。どちらも二等級の明るさのものだ。

ちょうど、りゅう座流星群(ジャコビニ流星群」のピークだったが、放射点の位置からすると散在流星だろう。

ふと天頂を見ると、人工衛星が見えた。
朝夕は、人工衛星が太陽に光に照らされて光って見える。
調べてみたが、ISS(国際宇宙ステーション)ではないようだ。

最後まで見えていた星がおおいぬ座のシリウス。−1.5等の明るさ。全天一明るい恒星だ。

散歩が終わることには、すっかり空が明るくなった。
今日は山もきれいに見えるだろう。このところの冷え込みで、近くのお山の紅葉も進み、毎日配信されるSNSの写真は、私をうずうずさせる。

そんな中、同僚の若い先生が「天の川も流れ星も見たことがない」、と言っていたのを思い出した。
私の住む田舎では、日常茶飯事のことなのだが、そうした時間帯に外に出たことがないか、夜空を見上げるという経験がないのだろう。

私は、教員はいろいろなことを知っているべきだと思っている。
もちろん、その道のエキスパートであることが求められるが、それ以外にもたくさんの知識を持っていると、いろいろな生徒との関わりが増えるし、彼らの興味をそそることもできる。

世間的にも、ある程度悪いことも知っておくことも必要だろう。
教員は聖職者であるべきと言われるが、だから私は聖職者にはなれない。

星を見ていると、一時期すべてを忘れる。
届いてくる光の距離が違うのも不思議な感じがする。

あの星は、今はないかも知れない、と思うと、人間の一生など一瞬だろうし、多少の悩みなど吹っ飛んでしまう。

生(なま)の星空には、プラネタリウムでは感じられない、五感の刺激がある。

私の教え子たちも、ほとんどは天の川も流れ星も知らない。

なんと人間は狭い世界で生きているのだろう…。




2019年10月08日

自習は面白くない?

「丹澤先生、今日も自由ですか。」
「違う違う…、試験対策をするんだ、」

中1のG君は自習と自由を間違えたのだ。
彼は、この時間も自習できると思ったらしい。

私の学校では、考査前になると自習の授業が増える。
自習を授業と定義するかは怪しい。
だが、担当の教員が教室にいるのだから、「質問対応」というなの自習授業なのだろう。

自習が増えれば、その分生徒には勉強時間が確保されるわけで、その結果、放課後の勉強は減ってしまうのではないだろうか。

以前、私が最初に務めた学校では、考査の前日は午前中授業だった。
「午後は各自、勉強しなさい!」、という訳だ。

午前中授業になって、午後の時間を有効に活用できるかどうかは、甚だ疑問だが、試験直前の授業はことごとく自習になるのも、なんだか異常な感じがする。

先生たちは、試験範囲を終わらせるために必死に授業をされているわけで、「何かあったとき」を想定して、少し余裕を持って授業計画を立てているのだろうが、余った時間を単なる自習にするのは、ちょっと乱暴ではないか。

日直の日誌をみると、一日のうちほとんどが自習だったりするわけで、これはやはり、「何かおかしい」と思うのが、普通の感覚のはずだ。

と言って、試験範囲外の授業を進めることも現実的ではないだろう。

そう考えると、「やっぱり復習授業かな…」、とも思うが、「分かりきった生徒にとっては時間がもったいないかなぁ…」。

「自由に勉強できて、質問もできるなら、自習もありかな…」、など心が揺れる。

「ごめん。俺、解説しちゃうと、試験問題をしゃべっちゃいそうだし、新しいテクニックを教えちゃうと、試験に出したくなるし…。」

私の作問はギリギリだ。
試験問題の完成は、たいてい試験の二日前になる。

そんな風に誤魔化しつつ、今回も、一部のクラスで自習をしてしまった…。
反省…。

2019年10月07日

考査監督表

先週末の駅伝の引率のために、金曜日の夜のうちに監督表を教務主任mに届け、職員室内にも掲示したのだが、結局、監督表を見た先生方はほとんどいなかったようだ。

月曜日の朝である今日、私が全教員に印刷して配るやいなや、変更要請が立て続けに来て、とうとう第1版が修正に修正を重ね、第9版になってしまったのだ。

私はやけくそになって、変更のある度に、「面白い!」、と叫んだ。

こういうときに見えるのが、先生方の人間性である。

「すいません。私のチェック漏れです。修正お願いします。」
という低姿勢のお願いもあれば、

「無理だよ、これ…。」
など、ぶっきらぼうな人もいる。
これは、男女、関係ない。

女性であっても、キツイ人は、とことん切りつけてくる。

「ああ、またW先生か…。」
私は心の中でじっとたえながらも、彼女の言葉に傷ついた。

自信満々なのはいいのだが、人の心のひだを感じることができないタイプのようである。

私は、昨年くらいからW先生とは仲良くできずにいる。
私が人間の好き嫌いをするのは滅多にないのだが、昨年秋から、残念ながらそうした関係になってしまったのだ。

言葉に棘があると、相手の心を傷つける。
逆に考えれば、私もそのように他の人を傷つけていることも多いのだろう。

ツンツンタイプの女神様。
気に入らないことがあると、徹底的に相手をたたきのめす。
自分のことを批判されると、大騒ぎして女の武器を使う。

少し前まではそんな風に彼女を見ていたのだが、昨今は距離を取っているので、そうした気持ちは薄くなった。

主任や担任を外れて、「思ったことを言わない」という術を身につけた。

それは我慢か無関心か。それとも第三の道なのか…。

今年は静かに過ごそうと決めたのは私自身。

やっぱり大人とはあまり仲良くできそうもない…。




2019年10月06日

考査前の休日

考査前の休日

考査前で部活動がなくなり久しぶりの休日を得た。
一日のんびり過ごせた休日は、夏休み以来かも知れない。

そうは言っても、数時間は試験問題を作っていたわけだが、それでも、時間に追われるプレッシャーはないので、どことなく安心して過ごせたように思う。

今朝はいつもより1時間半ほど遅く隠れ家に行き、愛犬の散歩。その後、朝食をとり、概ね午前中は試験問題の作成。

午前中は小雨が止まなかったで、畑仕事ができなかったのだが、ちょっとした雨が止んだ時間帯に、渋柿を収穫した。

気温的にはまだ高いので、もう少し粘った方がいいのだろうが、こうした作業は、助っ人がいる時の報がいい。

脇助っ人は、柿の木横の塀に上り、高枝切り鋏で、チョキチョキ切って、柿を落としてくれた。
本当は、自作した特製の柿採り竹を使ってみたのだが、あまりに効率が悪く、結局枝を切って落としてしまった。

幸い地面は草が生え、時々枝にも引っかかる。
合計五十個ほど採ったが、さてどうしよう。

干し柿にする(皮をむく)には、まだ気温が高すぎるのだ。

昼食後は少し休んで、午後は畑の手入れ。発芽した冬野菜の苗を植えた。
そして、『サルナシ』の収穫。

この歳になって初めて『サルナシ』の存在を知ったが、完熟した実は、非常に美味だった。
熟したキウイの味である。ベビーキウイとも言うらしい。

しかしその後が大変だった。茎と花柄を一つ一つ取り除き、果実酒にする。
「しまった。焼酎が足りない…。」
何とか、実が浸かるくらいにはなったが、明日追加しよう。

そんな感じの日曜日。
朝食時、助っ人の高校生が、
「優雅な朝食ですね…。」
とつぶやいた。
コンビニで買ったパンを食べたが、コーヒーだけはミルでひいた。

このおかげで、試験問題の作成が、はかどったのかも知れないな…。

いい日曜日だった。

2019年10月05日

市内駅伝

地元の駅伝大会が行われた。
聞けば一般の部は66回目、中学生の部でも29回目だそうで、なかなか伝統ある駅伝である。

今回、野球部員を全員、特設駅伝チームに編入させたこともあり、私も行かねばならなくなった。
もちろん、彼等の走りぷりを見たいし、その雄姿を写真で収めたいという気持ちもある。

2チーム12名中、野球部で5名が選手になっているのは、なかなか誇らしい。
もっとも、お隣の学校は、野球部だけで別にチームを作って、ユニフォームで走っているのだから、まだまだ道のりは長い。

少し気温が高いが、秋晴れの中、ピストル音で発走。

中学で一番早い選手は、中1の野球部員。
だが、まったく太刀打ちできない。

それでいい、このさき地区駅伝、地区のマラソン大会と年内は、走り系のイベントが控えているが、負けて学ぶことも多い。

なにせ地区駅伝は全国レベルなので、にわか駅伝部では、互角に戦えるはずがないのだ。

駅伝の練習を通して、足腰が鍛えられ、体力がアップすれば、それが春以降の野球の試合にも効いてくるはずだ。

もっとも、地区の学校、どこであってもその主力メンバーは野球であったりするわけで、その意味では、平均に一歩近づいたと言える。

選手が走り出すと私はカメラマン。
逆光にならず、できるだけ長い時間撮影でき、なお遠くから選手がやってくるポジションを探してスタンバイ。

私がこの駅伝に出向いたのは今回が初めて、小一時間ほどかけて、いい撮影ポイントを見つけた。

中学生の前に小学生のレースがあり、その時に試験撮影も完了。

発走から十数分後、第一区間での先頭選手が来た。
速い速い…。
中学生の部は一般と同時に行われたので、トップは一般だった。昨年の区間賞の選手だという。
その後、中学生がやってきたが、私の学校の選手が来たのは、ずっとずっとあとになってから…。

初レースの彼等は何を感じただろう。

今年はほとんど中3が参加していないので、ほとんどが中2と中1。
また高校のバスケとサッカーも参加し、バスケが入賞している。

生徒を乗せたマイクロバスを運転し、レースを撮影し、帰校後は4時間目の授業。

今朝は、いろいろあって3時起きだったので、その後すぐにお休みさせて頂いた。

いい一日だった。




2019年10月04日

公開授業

またしても公開授業が回ってきた。

私の学校では、前学期に行った生徒による授業評価が行われ、評価が高かった先生の授業が公開されることになっている。私の場合、中3の授業を行うことになった。

以前は、授業にも自信をもっていたが、最近はそうした自信はない。
ただ、普通に授業をしているだけ。
その意味では公開する意味はあるのかも知れないが、ちょうど試験直前ということもあり、本当にいつも通りの『普通授業』を見てもらった。

できれば、そうした面倒なことからは避けたいが、私の授業で、若手の先生方が少しでも参考になればいいという気持ちはある。

一方で、「こんな授業を公開していいのだろうか…」、という思いもある。

期待して見に来られた先生方はがっかりしただろう。
私自身の評価では30点くらい。落第点である。

つまり最近の私の授業は、いつも通りが30点くらいということになる。

教材は「数学A」の「整数の性質」、その中で「いろいろな不定方程式の解き方」、の授業を行った。
いわゆる例題解説型の授業で、「こう解くと上手くいく」、という中で、「どう解けば、スムーズに解けるか」、については説明した。

併せて、多少の知的好奇心をそそるために、代数や整数論について、また1985年に解決されたフェルマーの最終定理についても触れた。

そのため授業の最後が駆け足になってしまい、自分としては消化不良感が残った。
恐らく生徒たちもそう思っただろう。

5時間目の数学科の教科会で、反省会が行われたが、ベテランの年齢になっている私に配慮してか、いろいろな先生からたくさんのお褒めの言葉をいただいた。

教頭先生にいたっては、「授業がもう完成の域に近づいている」、という最大限の賞賛。

私自身の評価とはずいぶん違うものだ。
もちろん長年の経験により、いろいろなコツは心得、当たり前のこととして行ってはいるのだが、そうした自然な授業展開が、スムーズに見えるのだろう。
一方で、若手の先生の授業レベルが、学校の求めるラインに達していないということにもなる。

「もっと若い先生が丹澤先生の授業を見なきゃ…。」
そう憤慨されている先生もいた。
私は複雑な気持ちになった。

最近、体力も落ちているので、以前のようなパワフルな授業がしにくいのだが、それでも授業は楽しい。

教員の世界では、「授業はできて当たり前」、とされる。
その上で、さまざまな生徒指導がある、と教えられる。

完成の域にはほど遠いが、もう少し精進を重ねることとしよう。







2019年10月03日

むかつく

生徒たちが『むかつく』という言葉をつかうのは、よくあることだが、最近、先生たちもこの言葉を使っている。

要は、指導している生徒の態度があまりに不真面目で怠惰なので、『むかつく』のだと言う。

「本当、Hにはむかつきますよ。」
などと、平気で語る。

私のように歳をとって慎重になっている人間からすると、ドキッとするような会話だ。

確かに、生徒は教師の思うようには動いてくれないだろう。
思春期、反抗期で、中学生はもっとも多感な年頃だ。

自己中心的で、気に入らない事があればすぐにキレ、面倒なことからは逃げ、わざと不真面目な態度を取ったり、悪びれてみたり、関心を引こうと悪さをしたり、先生を試す言動で困らせたり、急に甘えてきたりもする。

まさに、この世のものとは思えない行動をするのが、この時期の生徒たちである。

当然、指導に当たる先生たちも大変だ。
優しく諭せばつけあがり、厳しく接すれば、そっぽを向く。

そんな中での、『むかつく』という言葉である。

気持ちは分かる。
そのように思うことも仕方がない。
ふと、口についてしまうこともあろう…。

ただ、私たちは教師なのだ。
そんな彼等を、ほんの少しでも正しい方向に導こうとしたり、苦しんでいる彼等の心に優しく寄り添うことが、その仕事なのだ。

学年会で私が言う。
「話を聞いて上げるだけでいいんだよ。たわいない会話でいいんだよ。」

若手の先生方の中には、生徒と話したら、必ずお説教しなければいけないと思っている人もいるようだが、そうではない。

彼等に寄り添えば、その仕事の8割は終わっていると言ってもいいのだ。

「自分が何とかしなきゃ…。」
と、焦れば焦るほど、指導は空回りする。

指導が困難になれば、放っておいたり、無視してしまう担任もいる。

そう考えると、まだ、私の出番があるのかな…。

2019年10月02日

担任の発熱

同じ学年の担任がK先生が発熱した。
朝から具合が悪かったらしく、2時間目のあと保健室で検温したら38℃台だったという。

彼の不調に誰も気づかず、昼に再検温したら、39℃を超えていた。
体温計を持って、私の元や教頭に報告している様は、何となく嬉しそうに見えた。

顔面蒼白というわけでもなく、顔色は元気そうだったのだ。

あわてたのが養護教員である。
巷ではインフルエンザが流行り始めているのだ。
高3の受験生を抱えている中、教員のインフルエンザ感染第一号は、何としても避けたかったのだろう。
「すぐ病院に連れて行って下さい。」
と要請が来た。

慌てて学年主任が全校清掃中の私のもとを訪ねてきて、「K先生を病院に連れて行って欲しい」、と言う。

一瞬戸惑ったが、午後は授業がなかったので、私は快諾した。

すると、保健室から第二報。
「発熱後24時間経たないと、インフルエンザウイルスが検知されないので、病院に連れて行くのは明日まで待って下さい。」

通院音準備を始めてていたK先生を休ませ、私はとりあえずお役御免になった。

若手の先生方は、このように教員の誰かが病院に連れて行かなくてはならない。
田舎の学校だから、病院までは何十キロもある。

翌日の検査の結果、幸いK先生のインフルエンザは陰性だった。
熱は下がったが、大事を取って一日お休みしてもらった。

バタバタが感が否めないが、養護教員は胸をなで下ろしたに違いない。

「具合が悪いなら帰宅しなさい。」」
が一歩進んで、同僚が病院院搬送する。

面白いじゃないか…。
ファン
検索
<< 2019年10月 >>
    1 2 3 4 5
6 7 8 9 10 11 12
13 14 15 16 17 18 19
20 21 22 23 24 25 26
27 28 29 30 31    
最新記事
カテゴリーアーカイブ
プロフィール
丹澤三郎さんの画像
丹澤三郎
プロフィール
リンク集
おすすめ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。