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2019年10月01日

命あるものを慈しむ心

命あるものを慈しむ心

先日の新人戦での先生たちの打ち合わせ時のできごと。
グランド横で、輪になって集まっている時、H先生の足元にスズメバチがいた。
スズメバチはトンボを捕まえ、そのトンボは必死で逃れようと暴れていたのだ。

打ち合わせ中、足元でバタバタと音がすると気になるもの。
H先生は、自分のすぐ目の前なので、なおさらのことだろう。
H先生は、左右の先生に目配せをしたのち、思いっきりその蜂たちを踏みつぶした。

一瞬にしてバタバタ音は消えたが、その足音は激しく響いた。
打ち合わせが一時中断されたほどだった。

「H先生、ずいぶん激しく殺していましたね。なんだか恨みがこもっていましたよ。」
ある先生が、H先生を揶揄するように言う。
H先生はまだまだ若手の先生なのだ。

その後それぞれのグランドに分かれて打ち合わせ。
その際、球場内にかかっている木の枝が問題になった。
「ボールが枝に当たったら、ボールデットです。」
「いやな枝ですね。」
「切ってしまいましょうか…。」

そんな冗談が交わされている中、T先生が言う。
「簡単に木を切っちゃだめなんだよ。木には宿っているんだから…。ちゃんとお祓いしてからじゃないと…。祟られることもあるんだよ。」
これには私も驚いた。

宗教に関心がある先生だとは分かっていたが、こうした日常会話の中でごく自然にでてくるとは、びっくりした。

かく言う私自身、自宅の木を切りまくっている。
伸びた枝は選定すべきだし、手入れをしてこそ、元気に育つ。
もちろん、邪魔だから伐採するということもある。

この先は、私もきちんと木々に話しかけてから作業をすることにしよう。

確かに、樹齢の長い古木は、人間よりも遙かに長くこの世に存在している。
すべてのものに魂が宿っていると言われるが、そうした古木ならなおさらだろう。

単なる人間のエゴで、自然を壊してはいけないと思う。
だが、一方で、自然と共存するという道もある。
実際はその方が何倍も手がかかるのだろうが、すべてのものに命が宿っているならば、そうした生き方こそ、万物の霊長たる人間の務めなのだろう。

「人間は他の生き物の命を頂戴して生きているのだ」、ということを忘れないためにも、自然の中の命を感じつつ、日々生活したいものだと思った。








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