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2019年05月13日

頼れる先生が帰ってきた

彼女は非常に優しい。
無私無我で、常に他の人の幸福を考えている。
誰に対しても親切で、相手の良いところをたくさん発見する。
しかし、いざ事が起こると、その解決能力はきわめて高く、あっという間にことを収拾される。
宗教性も高く、本当に聖女のような方である。

そんな頼れる存在の先生が、戻ってこられた。
私にとっても、とても嬉しい。

人は誰か一人くらいは、悩めるときに相談したい人が欲しいものだ。
私のように、友達の少ない人生を生きていると、結局は自分の中にとどめ置こうとして、かえって物事を悪化させ、精神的に大きなダメージを受ける。

そんな私でも、困ったときに相談できる人は欲しい。
本当に苦しいときこそ、誰かに聞いて欲しいのだ。
その相談相手だったら、どんなに救われたかと思った一人が、彼女である。

波乱万丈の人生を生きてこられたから、ご自身も数多くのご苦労を乗り越えてきたのだろう。
だからこそ、人の痛みが分かるのだ。

「先生が戻ってこられると聞いて、涙が出そうになりました。」
挨拶回りにいろいろな先生をつかめてはお話されている彼女が私のもとを訪ねたとき、私は、そう答えた。

その場で、ほんの立ち話ではあったが、話が出来た。
「そういうときは、ゆっくりをお休みされたらいいんですよ。またエネルギーが溜まってきますから…。今まで、本当にお疲れ様でしたね。」

涙が出そうになった。
「大丈夫ですよ。丹澤先生…。」
そういいながらニコっと笑って去って行かれた。

「世の中には、こういう方がいらっしゃるのだなぁ」、と思う。

逆に、私が生徒に対して、こんな風に接することができれば良いのだろうともう思う。

だが、まだまだ修行の足りない私は、そうそうこんな優しさで生徒を包み込むことはできない。

これは、一生の課題なのかも知れない…。













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2019年05月12日

権利収入の準備

「一生懸命働いていれば、必ず道は開けるのだから、今を生きればいいのだ。」
という考え方もあるが、前回の東京オリンピックの年生まれの私でも、さすがに将来が心配になってくる。

私の職場では、決められた定年もないが、退職金もない。

国が、「生涯現役で働く」ことを勧めているのは、おそらく近い将来破綻するであろう年金制度への布石に違いない。年金受給を75歳に引き上げた場合、定年が60歳だと空白の15年間の収入に困ってしまうので、「働け」と言っているのである。

ただし私は、「老後も何かしら、世の中の役に立つことをし続けなければ、生きがいがなくなるだろう」、と思っている。その意味では、細々ながらも仕事がある方がいいのだろうが、身体が思うように動かぬ場合も、忘れっぽくなってくることもあり、一律にはいかないことも事実だ。

そんな折り、『権利収入』の話があり、今日は、練習後、その説明会に出掛けてみた。
『労働収入』に加え、いくつかの『権利収入』があり、その収入があれば、少しは生活が楽になるはずだ。ただし、こうした取り組みは、早めに手を打っておく必要がある。

地方都市での開催は、めったにないようだが、なかなか充実した時間を過ごすことができた。
もちろん、行き帰りの移動時間の方が長いのだが、他の方も、かなり遠方からおいでになっており、その意気込みの高さがうかがえる。

時代の流れを読んだ、面白いビジネススタイルだと感じだ。
いつかこのブログでも紹介できると思う。

今回出掛けたのは、もう一つ理由がある。
それは、もともとこのビジネスの話は、実家のすぐ近くにお住まいの方から紹介を受けたもので、その方も、わざわざ東京からお越しになるというのだ。

父の逝去の折り、時間を作ってお会いして一ヶ月くらい経ったが、また再開できたのは嬉しかった。
年齢も近いし、志も高い方で、私はいい方と巡り会えたと思っている。

この先も長くお付き合いできそうだ。

この午後のイベントのため、午前中の野球の練習時間を開始時間と終了時間を少し早めたが、結構充実した練習になった。生徒たちがテキパキ動ければ、短い時間でも充実感が出る。

野球は、百回に一度のプレイを一つひとつ潰していく練習スタイルなのだが、できる範囲でできることをやろうと思う。

楽しく野球する中に、時に厳しさがあり、自分を磨ける場があり、仲間との協力体制があり、勝利があれば、それで百点満点なのかも知れない。

私自身も、充実の一日となった。














2019年05月11日

子どもは草食系、親は肉食系

何年かぶりに自チームだけの9人で野球の練習ができた。
夏の大会は、このメンバーに若干の助っ人を加えて試合に出なければならない。
正味二ヶ月だが、できる限り頑張ってみようと思う。

少子化が進んでいる私の地域では、ギリギリの人数でチームを組んでいる学校が多い。
クラス数の多い学校ならば、小学校から野球人気の地域なので、部員獲得には困らないのだが、各学年一クラスずつ、のように規模の小さい学校での野球部員の獲得は大変難しいのだ。

今回県大会に出場することになった学校も、部員数は10人。夏の大会後中学3年生が抜けると、4人になるという。今日の反省会で、事前調査をしたところ、秋以降単独でチームが組めない学校が、6校ほどあった。

そんな中でも、県大会に出れば、上位へ進出するのが当たり前になっている地域なので、極端にレベルの低いチームは存在しない。
先生方の努力は、並々ならぬものだろう。

「今回の負けは、私の指導不足でしょうか…。」
近隣の若手の先生が、そんな風に私に聞いてきた。
中高生の野球は、一度歯車が狂うと、坂道を転げ落ちるように、どんどんマイナス方向に加速していく。そうなると、もう監督の力だけでは止められなくなってしまう。
要は、いかに精神的ダメージが小さいうちに、押しとどめて、ポジティブの方向へマインドをチェンジさせるかが大切になってくる。

「先生は、そうした声かけが上手いじゃないですか…。」
私はそう答えたが、今回は読み切れなかったと言う。

初回に連打され、立ち上がりのピッチャーとしては、大きなショックを受け、結局、「どこに投げても打たれそうだった」、と後から知る。

それをどう励まし、安心感と奮起を促すか、それが教師の言葉かけにかかっている。

ここ10年で、生徒と保護者の様子はがらりと変わった。
一言で私が表現すれば、『子どもは草食系、親は肉食系』のように見える。

子羊を護るライオンは、時に猛獣の本能をむき出しにする。

「楽しく野球をやりましょう。」
これが、同じく県大会に出場することになった別のチームの年間方針だそうだ。
彼らの野球のポテンシャルは高い。

生徒が変わってきたら、それに伴って教員も変わっていかないと、トラブルばかりが起こって、結局何もかもが上手くいかなくなる。

試行錯誤でもいいから、自ら変わってゆこうという、そういう柔軟さが教員に求められる時代になった。










2019年05月10日

春季大会初日

合同チーム最後の試合となる春季大会。
初戦はなんとか勝利した。

組んでいる監督からすれば、もしかしたら公式戦初勝利かも知れず、喜びもひとしおだろう。
今回も、私の学校の選手たちは、徹底的にサポートにあたる。
部長先生にはスコアラーをしてもらったし、ベンチで何をしていいか分からない一年生は、たとえ登録していたとしても、ベンチ外に出した。

そんな中で、積極的にランナーコーチに行ったり、ボールボーイやバットボーイをしたり、代理キャッチャーを務めたりと、なかなか健気であったと思う。
「何から何まで、本当にありがとうございました。」
と、相手校の校長先生が言って下さるのも、確かにうなずける。

生徒たちには、
「君たち、何の役に立ったの?」
などと、圧力をかけてはみたが、まずまずだと思う。
もちろん、私の理想にはまだまだほど遠い…。

というわけで、二試合とも、私の学校の選手は、一人も守備につくことも、バッターボックスにはいることもなく終わった。

合同チームを組む条件がそうだったのだから仕方がない。
「自分たちで勝った。」
という実績を作りたかっただろうが、私のチームがチャチャを入れる形で合同チームを組ませてもらったのだ。

試合後、相手校の監督から
「どうして出なかったのですか?」
と、尋ねられた。
「徹底的なサポートもできないで、試合には出られません。」
と、答えておいた。

夏は、自チームで出場しなくてはならない。
「あー疲れた。」
「帰ったらすぐお風呂かな…。」
などと、試合中に話をしてしまう一年生たちを、何とか戦う集団に育て上げなければ、相手チームに多大な迷惑をかけてしまう。

野球以前の問題を解決することなく、試合レベルには達しないのだ。

「丹澤先生、ばらばらになっても、練習試合みたいに一緒にやってもらえませんか。」
合同チームの相手校の監督が申し訳なさそうに相談に来る。

「いいですよ…。」
と、にこやかに私は答える。

まずは一勝できて、チームの皆も、その保護者たちも満足だろう。

湿度は低いとはいえ、一日屋外で過ごすのは、さすがに体力を消耗する。
明日も、出掛けて審判だ。










2019年05月09日

そっと手を差し伸べる

新居のネット回線工事が決まっていたので、朝の授業だけをして早退させてもらった。
当初の時間割では午後に授業はなかったのだが、時間割作業を別の先生に引き継いだら、午後にも授業が入り、結局他の先生に代講を頼むことになってしまった。

明日から春季大会で、金土と授業ができないので、さすがに三連続の自習はまずかろう、とお願いしたのだ。

以前ならば、「何としても授業」、という授業優先の生活をしていたが、最近はそういう思いは消えた。
「自分が自分が…」、という嫌らしい自己顕示欲が薄れてきたのか、それとも冷めてしまったのか、真偽のほどは分からないが、どちらも真実だろう。

9年ぶりに担任が外れたので、教室掃除からトイレ掃除になった。
密かに、「トイレ掃除にして欲しいな…」、と思っていたのだが、その通りになって、毎日楽しく掃除をしている。

いわゆる不浄の部分が、ピカピカになるのは、この上なく嬉しい。
入ってきた人も、ぱっと雰囲気が変わっているのが分かるだろう。
よく見れば、やるべきことは限りなくあり、毎日の10分間では、とてもとても終わらない。
担当箇所が終わりブラブラしている生徒は、広い視野と観察眼がないのだ。
そんな人間観察もしつつ、彼らを諭すこともできる。
中1から中3までの縦割りの班編制も面白い。

「学校の様子を知るには、生徒の昇降口とトイレを見ればいい」、というのは、今の時代でも健在だろう。昨今は、さすがにトイレの汚い学校はなくなったが、その波動というか、雰囲気は感じることができる。

若い担任を見ていても、あれこれ余計な忠告することもやめている。
彼らの成長を見ているということもあるが、やはり「自分のやり方」でやらせてみたい、と思ったからだ。

思えば、「かくあるべし」、という押しつけばかりだったように思う。
もっと、信じられる人になりたかった、と今は反省しきりである。

若手がしくじったら、そっと手を差しのばし、フォローすればいいのだ。
そんなに目くじら立てることもない。

人は失敗という経験を通して、成長していくものだ。

工事に時間がかかったので、今日は畑の手入れや、種まきなどもできた。
土がいいので、よく育つだろう。
こちらも、手をかけすぎず、そっと手を差し伸べるくらいがちょうど良いのだろう。

うまく収穫できたら、皆にお裾分けしよう。
今は、それがささやかな楽しみ…。














2019年05月08日

諸行無常

父親の火葬後、骨壺に骨をいれたときのシーンが、未だに忘れられない。
八十二歳とはいえ、元気な頃は、毎日何キロも歩いていたせいで、骨が太く、頑丈だったのだ。
一方、病気で治療した頭蓋骨の中は、やや緑がかっていた。

ご案内のもとに、骨壺に骨を収納するするのだが、途中で入りきらなくなった。
すると、ゴリゴリと骨を潰し、骨壺内の領域を広げ、また次々と骨を入れてゆく。
焼けた骨はもろいから、結局はすべての骨が収まってしまうという訳だ。

人間は魂が抜けると、その肉体は単なる抜け殻、外見は生きていたときの姿だが、その肉体は朽ちていくものであり、日本では概ね火葬をして骨にする。個人の面影を骨に委ねるというよりも、すべて消えてしまうことへのささやかな抵抗なのだろう。

そんな出来事からほんの二週間ほどだが、同じ頃、祖父を亡くした生徒がいた。
聞けば事故だという。
ツアーで山登りに出掛けたが、トイレに行っているうちにはぐれ、そのまま行方不明になり、翌日痛いで発見されたとのこと。
どうも、足をすべらせ首の骨も折り、登山道近くであったにも関わらず、助けを求められなかったらしい。77歳であったそうだ。

こうした事故は、後々にいろいろな所に禍根を残しそうだ。
病気ではなく、突然の死には、家族も動揺を隠せまい。

人生の中で、人の死を経験することは、避けては通れないことだ。

お釈迦様に、「私の子どもを生き返らせてください」、と懇願した母親は、
「今まで身内で亡くなった人のいない、そうした家から、辛子種をもらってきなさい。それができたら助けよう。」
と、母親に諭す。
母親は、必死で家々を巡るが、身内に不幸のなかった家などないのだ。
結局、「そうした家は一軒もありませんでした」、とお釈迦様に報告するのだ。
一見、意地悪にも思えるが、興奮して冷静さを失っている母親の心を落ち着け、子どもの死を見つめさせるという効果はあったのだろう。

その後、母親は諭され、子どもの死を受け入れる。

四苦八苦の一つである、『愛別離苦』(愛する人と別れる苦しみ)は悲しい。
だが、誰もが必ずや体験しなければならない、人生の出来事だ。

「ああ、もう親父はこの世にはいないのだな…。」
あまり仲がよくなかったとはいえ、やはりいなくなるのは寂しい。
残された母親も、ぽっかり心に穴があいた感じだろう。

しかし、そうやって時は流れ、人類は連綿と生きてきた。

すべては諸行無常。

この世に永遠なるものは、何一つないのだ。














2019年05月07日

ツバメの巣

この時期、家の軒下にツバメが巣を作り子育てをする。
学校も校舎の屋根や、換気口あたりに巣を作る。

先日訪ねた学校は、ツバメが巣を作るであろうと予想される場所のすぐ下に、小さな板を設置してあった。はじめは、その板にツバメが巣を作るのかと思ったが、そうではなく、糞が下に落ちないようにするための板だった。
人間とツバメが上手く共存していると思う。

毎年のことで、特に珍しくはないであろうツバメの巣作りと子育てだろうが、何とも『優しさ』を感じる取り組みだ。
先生方にとっては面倒なのだろうが、子どもたちにも良い影響を与えるに違いない。

一方、私の学校にもツバメの巣が作られた。ちょうど昇降口のど真ん中。少し前から糞が落ちていたので見上げてみると、毎日少しずつ、巣が作られ完成していたと思われた。

しかし、今日の夕方、落ちた糞が綺麗になくなっていたので、ふと上を見ると、巣が撤去されていたのだ。

昇降口に近づくと、なかなかつがいのツバメが鳴きながら飛び出してきたから、てっきり巣があるのだろうと思ったが、跡形もなく消えていた。

つがいのツバメは、近くに羽を休めるも、何とも困惑しているように見えた。

恐らくは用務員の独断か、事務長の一声で、巣が撤去されたのだろう。
以前の用務員の時は、注意を喚起する張り紙があったが、今回の対処には若干失望した。

板を設置して、ツバメと共存している近隣の学校とは大違いである。
「愛がない」と思う。

ゴールデンウイーク明け、私も10日振りの授業になったが、以前と変わらず、楽しく授業ができた。生徒たちも全員が登校。

変わったことは、日差しが強くなって紫外線もアップしていること。日中があたたかくなったこと。たいていの田んぼで田植えが終わったことだろう。

こうして時が流れていくのだ。

ツバメのつがいは、また別の場所に巣を作るのだろうか。
産卵のタイミングに間に合うのだろうか。

「うちの子がツバメの糞が降ってきたって言うんです。学校はどうなっているんですか?」
というような、こんなクレームを怖れているのだろうか。

私自身、そういう思想にはついてはゆけない。

何かがおかしい…。














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