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2022年10月11日

【YouTube:創作ストーリー】『魔王の娘は解放された』PART4。

オリジナルストーリー『魔王の娘は解放された』
ノベルゲーム風の動画に仕上げてみました。

今回はPART3からの続きです。
あわせて、制作背景や使用ツールを紹介します。

ー目次ー
  1. 制作した動画
  2. 作品の概要
  3. 制作の所感

1.制作した動画




2.作品の概要


3.制作の所感

PART4のテーマは、
『現実と綺麗事の激突』です。

 魔物を捕らえて売りさばく行為を
 「是か非か」だけで裁いていいのか?

 そこへ唯一の居場所や、
 生きる糧を見出した者の苦しみは、
 誰にも見つけてもらえないのか?


そんな葛藤が伝われば嬉しいです。



現実世界でも、

「”奴隷貿易”で利益を得た」
「貧困層の若者を”経済的徴兵”して戦地へ送った」

こう聞くと、裁きたくなります。

断罪したい、自分は正義だと証明したい、
「なんてひどいことをするんだ!」と
言いたい欲求を刺激されます。

僕自身も、誰かを不幸にするやり方は違うと思います。

同時に、

 「許されざる行為」に
 手を染めるしかなかった者の心は無視されていないか?


とも思います。



もし自分が幼くして、
家族も、今日の食べ物も、雨風をしのげる家も失ったら。

生きる希望を失ったら。

そんなとき、

「奴隷を捕まえる仕事がある」
「ついて来い、仲間がいる」


などと紹介されたら。
僕は断る自信がありません。



きっと生涯、
「誰かを不幸にして自分が生きる罪悪感」を
背負うことになります。

それでも、生きるためにワラを掴んだ者を、
断罪する権利などあるんでしょうか?


「届かない弱者の声」を聞いた勇者の苦悩。
それが少しでも伝われば幸いです。



⇒「PART4」小説版はこちら
【ファンタジー小説】『魔王の娘は解放された』4

2022年10月07日

【短編小説】『ゆりかごは、この手でゆらしましょう』

【MMD】Novel Yurikago SamuneSmall1.2.png

「サヨナラ」

あなたにそう伝えるときの私は、
もっと泣きじゃくると思っていた。

ドラマで見る別れのシーンのように、
劇的なんだと思っていた。

けど、現実は驚くほど淡泊なんだ。

「ーーSayonara.ーー」

私は機械のように、その言葉を口にした。
私の心には、感情の嵐など訪れなかった。



「あなたにとっての1番でなくてもいい」

私がそう望むなど、あり得ないと思っていた。

ー私は”純愛”を貫くんだー
根拠もなく、そう信じていた。


愛人も、都合のいい関係も、
私にとっては現実離れしたアイドルでしかなかった。

…あなたに出逢うまでは。



あのときの私は、
寂しかったわけでも、
何かにすがりたいわけでもなかった。

そして、あなたが
私だけを見ているわけじゃないことも知っていた。

なのに…どうして私は…。

あなたの
上っ面の愛情表現に、
薄っぺらい愛の言葉に、

あんなにも”満たされた”と錯覚したんだろう…?



私は、私の心に
穴が空いていることにさえ気づけなかった。

他人の気持ちを優先してばかりで、
私の気持ちを押し殺してきたことにさえ
気づけなくなっていた。

 「甘えたい、抱きしめてほしい」
 「ゆりかごをゆらしながら、優しくなでてもらいたい」

あなたは、
私のそんな隠された願いを叶えるフリが巧かった。




あなたにとって、私は1番じゃなかった。

私はそれに気づいていながら
”偽りの恋人”を演じていた。

私、きっと怖かったんだ。
私をあやしてくれる存在を失うことが。




恋人との関係が終わったら、
甘ずっぱい思い出は色あせてしまうの?

それとも、
記憶の片隅でいっそう鮮やかに彩られるの?

あなたと過ごした”偽りの時間”さえも?

いいえ、どちらでもない。

すべてが終わった今、
あなたと過ごした時間は、
彩りを失くすことも、彩られることもない。

始めから、彩なんて付いてなかったんだ。



私、やっと気づいたの。

私も、あなたも、
失った過去を取り戻そうとしていただけだって。

あなたも、私も、
互いに「お母さんの代わり」を求めていたんでしょう?
互いの愛情飢餓感を埋めようと、もがいていたんでしょう?

それがわかった今だから、こう言えるの。

「私、先に行くね」



これからは、未来を彩るために歩いていくの。

”純愛を夢見る少女”を捨てるわけじゃない。
けど、白馬の王子様に焦がれるだけは、もうやめるの。

だから、
あなたに依存しちゃった私が、
こんなことを言うのもなんだけど…。

せめて、私からピリオドを打たせてね。



互いに”都合のいい関係”は、ここで幕引きにしましょう。

「ーーSayonara.ーー」



⇒他作品
【短編小説】『また逢いましょう、ホタル舞い降りる川で』全7話

【短編小説】『心だに 君の際なられば 果報』全1話

⇒この小説のPV


⇒参考書籍






2022年10月03日

【YouTube:創作ストーリー】『魔王の娘は解放された』PART3。

オリジナルストーリー『魔王の娘は解放された』
ノベルゲーム風の動画に仕上げてみました。

今回はPART2からの続きです。
あわせて、制作背景や使用ツールを紹介します。

ー目次ー
  1. 制作した動画
  2. 作品の概要
  3. 制作の所感

1.制作した動画




2.作品の概要


3.制作の所感

PART3のテーマは、
『真の敵は”人間の心の問題”ではないか?』です。

今作では地政学がとても役に立ちました。



西の街のモデルは、
ウクライナ、朝鮮半島、トルコなど、
歴史的に「大国同士の取り合い」に巻き込まれてきた地域です。

 『争いから貧困が生まれ、不平等から怒りが生まれる。
  追い詰められた心は「他人から奪う」以外の選択肢を消し去る。

  移民が移住先で差別や格差に苦しむ。

  居場所のなさはやがて憎しみに変わり、
  自分を疎外して者たちへの復讐心に変わる。

  憎しみや復讐心は子どもへ、またその子どもへ、
  増幅しながら連鎖していく。

  親が子どもへ伝えたのは、ぬくもりでも安心感でもなく、
  「自分をこんな境遇に落とした誰かへの復讐」』


そんな、おそらく世界中の紛争地域で起きている問題を描きました。
地政学を学んだおかげで書けたストーリーです。



国のトップたちは、
地図にチェスの駒を置いて、陣取りゲームをします。

「あの国はもともと我が国と1つだ」
「敵に奪われた聖地を取り戻せ」

彼らはそう言って、指をちょっと動かし、相手の駒を取ります。

しかし、駒の下に敷かれた地図からは、
そこで必死に生きている人たちは見えません。


犠牲になるのは一部の陣取りゲームのプレーヤーではなく、
その下にいるたくさんの住民たちです。
ナミ
「…こんな簡単に…人って死んでいいの?」

ロビン
「地図の上から…人は見えない。彼らはただ、
 感情もなく世界地図から小さな島を1つ消すだけよ。」


『ONE PIECE 44』425話 より

『ONE PIECE』では、
世界政府の掃討作戦「バスターコール」によって、
ロビンの故郷・オハラは一夜で滅ぼされました。

 陣取りゲームの勝利のため?
 自分を脅かす何かを知りすぎたため?
 自分が描く世界観を傷つけられたため?

彼らの目的が何であれ、
指令室には住民の悲鳴も、怒りの声も届きません。



「勇者とは、誰を救う者なのか?」
「真の敵は魔王ではなく、人間の心の問題ではないか?」


本作では、それが少しでも描けていれば幸いです。



⇒「PART3」小説版はこちら
【ファンタジー小説】『魔王の娘は解放された』3

2022年09月29日

子どもがいらないのは、ずっと”親の親”をやってきたから。

ー目次ー
  1. 子どものままでいたいのは、”子どもでいられなかった”から
  2. 子守り唄ではなく、”親守り唄”を歌ってきた子ども
  3. 親になると、子どもに”与える役割”を強いられる
  4. 子どもは侵入者、”私から親の愛情を奪わないで”
  5. 子どものままでいたいなら、子どものまま生きればいい

1.子どものままでいたいのは、”子どもでいられなかった”から

「結婚はしたいけど、子どもはほしくない」
「結婚したくないし、子どももいらない」
「子どもがいても、いなくてもいいじゃないか」


ひと昔前よりも、
”子どものいない人生”が市民権を得てきた気がする。

僕は”子どもがいらない人”の1人なので、
この恩恵をありがたく受けている。



なぜ、子どもがいらないと思うのか。
ネットで検索すると、いろんな理由が出てくる。

・自由でいたい
・経済的に厳しい
・子育てするイメージがない
・パートナーとの時間を大切にしたい

どれも納得感がある。が、もっと根源的な理由は

「子どものままでいたいから」

ではないかと思う。



なぜ、子どものままでいたいのか。

それは子どもの頃に、
十分に”子ども”をすることができなかったから。

そして、
十分に”子ども”をすることができなかったのは、
ずっと「親の親」の役割を担ってきたから

ではないだろうか。

2.子守り唄ではなく、”親守り唄”を歌ってきた子ども

「お父さん、見て見て!」
「お母さん、聞いて聞いて!」

子どもは親にそう言いたい。親に話を聞いてほしい。
そして、親からのあたたかい反応がほしい。



ところが、

親が子どもの声をさえぎって、愚痴を聞かせ続けたら。
長い説教で子どもを縛りつけたら、どうなるか。

子どもは、親の心をケアするカウンセラーにされる。

「小さい頃から母親の愚痴の聞き役だった」
「父親の長い説教を聞かされ続けた」

それは、子どもが親をあやしている状態。


親が子どもに”子守り唄”を歌っているのではなく、
子どもが親に”親守り唄”を歌っている。

【親子の役割逆転】子どもに”親のカウンセラー”をさせる親。

3.親になると、子どもに”与える役割”を強いられる

親になると、子どもに”何かを与える役割”を要求される。

その人の心の底に、

「まだ子どものように、好きなだけ遊びたい」
「まだ子どものように、お母さんに話を聞いてほしい」


という欲求が残っていても関係なく。

現代の親たちの中には、無意識では
「親になるのは嫌だ、親になるのは嫌だ」
と叫んでいる人が多くいる。

「俺はまだ子供でいたいよ」と叫んでいる。

しかし現実はその叫び声を無視して、
子供も社会もその人に親の役割を果たすことを迫る。

『子供にしがみつく心理 大人になれない親たち』 より

親になると、子どもに与え、
子どものために我慢し、子どもの要求を受け入れる。

いや、「親なんだから受け入れろ」と強要される。

親自身が子どもの頃、親に与え、
親のために我慢し、親の要求を受け入れてきたのに?


十分に”与えられる側”として過ごせなかったのに、
親になったからといって、急に”与える側”になれるだろうか?

4.子どもは侵入者、”私から親の愛情を奪わないで”

親になってしまったら、
子どもでいさせてもらえなくなる。

子どものように親に甘えたいのに、
甘えさせてもらえなくなる。

親自身、親の親に甘えさせてもらえなくても、
心のどこかで”親に甘えるチャンス”を諦めきれずにいる。


なのに子どもができてしまったら、そのわずかな希望を奪われる。
親の愛情を独占できなくなる。

その人自身が子ども時代の課題を引きずっていて、
子ども時代を卒業できないでいる。

その人は、まだ子どものように自分が優先され、
愛される必要があるのだ。

そんな状態なのに子どもを持てば、
ただでさえ危うい状況を、さらに脅かすことになってしまう。

子どもは自分にとってライバルや侵入者となってしまい、
無意識の敵意を向けかねない。

そのことを本能的に感じ取っているから、
「子どもなんか、ほしくない」「子どもは嫌いだ」と思うのである。


『死に至る病 あなたを蝕む愛着障害の脅威』第5章 より

「子どもがいらない」
それは、子どものままでいたいという叫び。

そして、子どものままでいたい人は、

 「ママのひざまくらは自分だけの特等席だ!
  もう手に入らないことくらいわかってる。
  けど、せめて可能性をゼロにしないでくれ…!」


という心の叫びに気づいている人、ではないだろうか。

5.子どものままでいたいなら、子どものまま生きればいい

子どもがいらないと気づいているのは
「親子の役割逆転」で生きてきたから。
親の親をしてきて、十分に”子ども”ができなかったから。

その悲しみを背負って「子どものままでいたい」と言う人を、
誰が責められるだろうか。

子どものままでいたい気持ちを抱えたまま、懸命に親をしている人に、
「親の資格が」などと言えるだろうか。



そして、
「子どものままでいたい」の何が悪いんだろうか。

 「”大人になるべき”に囚われた人の、
 『自分は我慢してるのに許せない』という嫉妬を掘り起こす」

それ以外に、迷惑などかけていないではないか。



今は「子どもがいらない」と言っても、
社会的に抹殺されない時代。

どこかで村八分になっても、
「子どもがいらない」を肯定してくれるコミュニティへ移れる時代。


子どもがいらない。子どものままでいたい。
それでいいじゃないか。

幼稚?半人前?ピーターパン症候群?
言わせておけばいい。

子どもの頃に”子ども”として過ごせなかったなら、
残りの人生で”子ども”を取り戻していけばいいじゃないか。




反出生主義は、親に愛されなかった者たちがたどり着く救済思想。

話が通じない親には、”心の実体”が存在しないのではないか。










posted by 理琉(ワタル) at 19:14 | TrackBack(0) | 家族

2022年09月20日

知らない人に怒鳴られたら、”無礼の伝染”を断ち切る勇気が大切。

ー目次ー
  1. 無礼への遭遇”知らない人に怒鳴られる”
  2. 無礼な態度は人から人へ伝染する
  3. 不寛容社会は”勝てそうな相手”を拡大させる
  4. 無礼の伝染を断ち切る勇気

1.無礼への遭遇”知らない人に怒鳴られる”

小さい子がスーパーのドアを開けようとしていた。
赤ちゃんを抱えたお母さんがドアを支えていた。

僕はその親子が出るまで待ってから入った。
すると、僕の後ろに並んでいたおじさんが怒鳴った。

 「兄ちゃん何してんねん!
  今のケースなら先に入らなあかんやろ!あぁ?!」




おじさんは僕の顔の前まで詰め寄った。

僕は恐怖で頭が真っ白になったが、
何とか無言でその場を立ち去ることができた。

地上へ出ると、政党の街頭演説の応援団がいた。

応援団のおじいちゃん、おばあちゃんは、
その親子に笑顔で「かわいいね」と話しかけていた。

あの子も、母親も笑っていた。
それを見て、僕も嬉しくなった。



無礼さは、まわりに伝染する。
無礼な態度を取られた人は、他の誰かに無礼になる。
どこかで断ち切らなければ、無礼と不機嫌は無限に拡がる。


僕は図らずも、無礼さの伝染を断ち切れた。
恐怖体験で得た嬉しさだった。

2.無礼な態度は人から人へ伝染する

誰かに無礼な態度を取ること、取られることを、
「自己完結的」な体験だと思っている人は多い。

だが、実際には無礼さはウイルスのように
人から人へ伝染していく。


その後、関わった人たちすべてに悪影響を与え、
人生を悪い方へ導くことになる。

『Think CIVILITY「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』 より

「誰かの無礼は、人から人へ伝染する」
それは日常にいくらでも潜んでいる。たとえば、

1.「イライラした上司が部下を責める」
2.「職場の”空気”が悪くなり、社員が不機嫌になる」
3.「仕事のパフォーマンスが落ち、余計な残業が増える」
4.「疲弊した社員が帰宅し、家族に八つ当たりする」
5.「子どもは学校でいじめや問題行動に走る」

⇒1へ(以下、無限ループ)



誰かの無礼に遭遇したとき、自分もイライラするか、
いたたまれなくなるか、怖くなるか。

どう感じるかは人それぞれだが、
高確率で平常心から遠ざけられる。



彼を「知らない人に怒鳴る」行為へ駆り立てた原因は、
ループ1〜5のどこから発生したのか。

「急ぐべき」「自分が優先されるべき」などの”べき思考”か。
長引くコロナ茶番によるイライラか。

それとも、
親に甘えたいのに甘えられなかった悔しさだろうか。

3.不寛容社会は”勝てそうな相手”を拡大させる

知らない人に絡まれる系の話では、
「自分より弱そうな相手を選んでいる」と言われる。

そこで発生しているのは、怒りの「置き換え」だ。

本当に怒りたい相手はいるが、怖くて言えない。
だから代わりに”勝てそうな相手”に置き換えている。



彼の身長は僕より20センチくらい低かったが、
ためらいなく詰め寄ってきた。

 「相手が同性でも、体格に違いがあっても、
  ”勝てそうな相手”になり得る」

そう思い知ったとき、
僕は昨今の不寛容社会に危険を感じた。



怒りをぶつける相手を探している人の
「”こいつなら勝てる”と思える範囲」が拡大しているのでは?




誰かの無礼な態度が、まわりに伝染する。
それが無限ループし、どこかに怒りをぶつけたい人が増える。

はじめは「店員」「年下」「気が弱そうな者」しか狙わなかった者が、
怒りのターゲットを拡大させていく。




RPGではよく”味方の攻撃力を高める魔法”が出てくる。
強いモンスターや、硬いモンスターも倒せるようになる。

昨今はまるで、
世の中に「攻撃力を高める魔法」がかけられているようだ。


はじまりは小さな”誰かの無礼な態度”。
その影響が断ち切られることなく、魔法が拡がり続けたんだろうか。

4.無礼の伝染を断ち切る勇気

<M・W・モンタギューの言葉>
「礼節に費用はかからないし、礼節があれば何もかもうまくいく。」


私たちの1人ひとりが些細な行動に注意すれば、
温かく、互いのことを認め合える雰囲気、
皆に元気を与える空気を作り出すことができる。

これは今日から、今からでもできることだ。
すぐに始めない理由はどこにもない。

『Think CIVILITY「礼儀正しさ」こそ最強の生存戦略である』 より

「誰かの無礼に腹を立てた人が、他の誰かに八つ当たりする」

その無限ループによって、
怒りをぶつけたい人たちの攻撃力はどんどん上がっていく。

そんな”超・攻撃的社会”を生き抜くため、
僕らに必要なのは「無礼の伝染を断ち切る勇気」


・格差社会
・物価高騰
・未来への希望を持てない

など、
ストレスの雨が降りしきる社会で
その勇気を持つのは簡単じゃない。

それでも、
無礼な態度を取らない意識を持つことは、
初期投資ゼロで、今すぐ始められる。


僕は今回の恐怖体験で、それを学ぶことができた。



彼の怒りが、あの親子に向かなくて本当に良かった。



劣等感を刺激されたら、次の日から感謝する。

他者をバカにする人は「自分が他者にしてはいけないこと」を教えてくれる。






posted by 理琉(ワタル) at 19:41 | TrackBack(0) | 生き方

2022年09月13日

毒親の葬儀に出席するかどうかは自分で決めていい。

ーー『私の親は、”毒になる親”だったのか…?』ーー

そう気づいた人。
気づかないが”生きづらさ”に悩む人。
気づいた上で距離を取った人。
そして、絶縁した人。



親との確執を抱える人の、最後にして最大の難問。
それは

『毒親の葬儀に出席するべきか?』

ではないだろうか。



僕も同じ問題で悩んだ。

僕は過去に”毒になる父親”と絶縁した。
「父の葬儀には出ない」と決めていた。

が、先日”毒になる父親”が亡くなった折、
僕は「出ない」と決めたはずの葬儀に出席した。

本記事では、僕がこの経験から感じたことを伝えたい。

『毒親の葬儀に出席するべきか?』
そう悩む人に、少しでも参考になれば嬉しい。

ー目次ー
  1. 葬儀に出席するかどうかは、自分で決めていい
  2. 葬儀に出席してもしなくても、後悔は残る
  3. 子どもを攻撃し過ぎると、葬儀で泣いてもらえなくなる
  4. どんな自分で、故人と向き合いたいか

1.葬儀に出席するかどうかは、自分で決めていい

結論。
毒親の葬儀に出るかどうかは自分で決めていい。

「苦しいから出席しない」
「仕方なくでも出席する」

どちらも正解だと思う。

「まわりがどう言おうと、私は出ない」
その意志を貫けるなら、出席しないハードルはかなり下がる。



「嫌だけど世間体が気になるから仕方なく出席する」
それだって、立派な理由だ。


・親戚からいろいろ言われたくない
・”セケンサマ”から「親の葬儀に出ないなんて」と思われたくない

それは”自分がない””打算”かもしれないが、
波風を立てず、うまく世渡りした結果でもある。

【過度の一般化】”世間様”とは誰なのか。

2.葬儀に出席してもしなくても、後悔は残る

毒親の葬儀に出席してもしなくても、後悔はする。

「悔いを残さない」は美徳とされがちだが、
後悔をゼロにすることは難しい。

出ないと決めていたのに出れば、
「自分の意志を貫き通せなかった」後悔が残る。

苦しさから出席しなければ、
「自分は逃げたのではないか?」という後悔が残る。



そもそも、僕らには
『親とうまくいかなかった後悔』が積もりに積もっている。


たとえどれだけ酷い親だったとしても、
悲しいことに親は特別な存在だ…。

「愛されたかった」
「気持ちを受け止めてほしかった」

生まれてからずっと、そう求め続けた相手。
特別な相手との関係に失敗した後悔と、罪悪感。

それは葬儀に出る出ないにかかわらず、
一生、付き合っていく感情なんだろう。

3.子どもを攻撃し過ぎると、葬儀で泣いてもらえなくなる

父の葬儀中、僕はまったく泣かなかった。

心の中は静まり返り、目の前の事実だけを淡々と受け入れた。
通夜でも、火葬場でも。

ずっと同居してきた母と妹は、夜通し泣いていた。
僕と家族との間には、果てしない距離ができていた。



父は高確率でアダルトチルドレンだ。

祖父母からの愛情不足も、
父が親の亡霊に追い詰められていることも、
僕はなんとなく気づいていた。

そしておそらく中〜重度の自閉症スペクトラム。
とりわけ「アスペルガー症候群」の気質が強い。
共感能力の低さから、コミュニケーションに苦労してきただろう。



ただ、父にどんな事情があろうと、
僕にとっては父は「危険な外敵」だった。

父が故人となり、
僕がもっとも強く感じたのは「安堵感」と「解放感」だった。

罵声、無関心、説教、支配…。

親がそういう関わり方を続けると、
子どもの心はもう戻って来れないほど離れてしまう。

結果、『葬儀で泣いてもらえなくなる』




だから、もし親の葬儀で泣けなくても、
自分を責めなくていい。

悲しいことだが、自分の親は最期まで
「子どもの心に気づけない人」だっただけ。

話が通じない親には、”心の実体”が存在しないのではないか。

4.どんな自分で、故人と向き合いたいか

葬儀に出れば一応、”ケジメ”にはなる。

それでも、親へぶつけられなかった怒りや、
伝えきれなかった本音はどうしたって残る。

そのとき後悔と罪悪感に襲われたら、
「人との関係が完結して終わることはほとんどない」
ことを意識してほしい。
人との関係が完全に完結して死ぬ人はほとんどいないのです。
もしあなたが自分にとっていちばんよいことだと信じて行動して、
後になって間違っていたかもしれないと感じたら、
あなたは悲しく思うかもしれません。

けれども、もし初めに自分が
いちばんよいことだと信じた通りに行動していなかったら、
おそらくあなたはその時点ですでに悲しいはずです。

『不幸にする親』 ”親の老いと死” より

確かに、葬儀はイエ同士の付き合いや、慣習でもある。

それでも、葬儀はあくまで故人と自分が最後に向き合う場所。
どんな自分で向き合いたいかは、自分で選んでいい。


「”セケンサマ”や”ジョウシキ”が望む自分」も、
「憎しみも罪悪感も抱えた、偽りのない自分」も正解だから。



絶縁した父の危篤 〜人の悩みの小ささと、人生のあっけなさ〜。










posted by 理琉(ワタル) at 19:35 | TrackBack(0) | 家族

2022年09月09日

【YouTube:創作ストーリー】『魔王の娘は解放された』PART2。

オリジナルストーリー『魔王の娘は解放された』
ノベルゲーム風の動画に仕上げてみました。

今回はPART1からの続きです。
あわせて、制作背景や使用ツールを紹介します。

ー目次ー
  1. 制作した動画
  2. 作品の概要
  3. 制作の所感

1.制作した動画




2.作品の概要


3.制作の所感

PART2のテーマは、
『人間からの一方的な視点』です。

・「魔王討伐」を志し、旅立った勇者
 だが、実際に戦った相手は魔族ではなく、
 魔族の売買を生業とする人間

・「街を荒らす魔物の討伐」を依頼された勇者
 だが、実際に魔物を追い詰めていたのは人間



 自分たちと違う
 敵対している
 知らない

 怖い、怖い、怖い…。
 「だから駆逐してもいい」

残念ながら、人間はこれを繰り返して生き残ってきました。
人間同士でさえ、

 ちがう宗教
 ちがう文化
 ちがう肌の色

 正しくない、異端だ、まちがっている…。
 「だから奴隷にしても、殺してもいい」

…現代の僕らの生活は、
「ちがいを知らない恐怖」の
犠牲になった人たちの上に成り立っています。



このテーマは、
『ONE PIECE』に登場する2人の言葉に感銘を受けて決めました。

それは、
「種族か…それは他のミンクを知らぬ者達の怯えかもな
 (中略)嫌うなら個々を判断する」


『ONE PIECE 80』 806話 ミンク族・ワンダの言葉

麦わらの一味が
獣人・ミンク族の国「ゾウ」を訪れたときの、
ワンダという女性の言葉です。

「あなたたちは人間嫌いの種族ではないのか?」
という問いへの答えです。

「恥を知れ貴様ら!!!異形を恐れるは己の無知ゆえ!!」

『ONE PIECE 91』 963話 ワノ国・光月おでんの言葉

ワノ国へ流れ着いた魚人族とミンク族の子どもが、
村人にいじめられていたときの、光月おでんの言葉です。

未知への恐怖がいかに人を攻撃的にするか
よく表していると思います。



僕は子どもの頃、ドラクエにハマりました。

ですが、どうしても
「正義の勇者」「勧善懲悪」が好きになれず、
倒されるモンスターや魔王の痛みばかり想像していました。

モンスターにも、魔王にも事情があり、正義があります。
相容れなくて戦っていても、それぞれに葛藤があります。


みんな、生き残るために必死です。

もし自分が「魔物ハンター」「魔物討伐を依頼する町長」だったら、
同じことをしてしまうと思います。

それでも、本作は

「人間の都合だけで物事を見ていいんだろうか?」

という疑問を投げかけたくて創りました。



⇒「PART2」小説版はこちら
【ファンタジー小説】『魔王の娘は解放された』2

2022年09月06日

【過度の一般化】”世間様”とは誰なのか。

「世間様に恥ずかしい」
「世間様に迷惑をかけるな」


過干渉な親、不安な親、高圧的な先生や上司からの
定番のセリフだろう。



「世間様」には不思議な力がある。

妙に強い説得力と主従関係を感じて、反論を飲み込ませる。
従わなかった場合、得体の知れない罪悪感に襲われる。

「世間様」という言葉は、
日本語の中でも有数のカリスマ性を持っている。

だが、「世間様」の姿を見た者はどれだけいるだろうか?

「世間様」とは誰のことなのか?


ー目次ー
  1. ”世間様”とは、言った本人の価値観
  2. ”世間様”とは、相手をコントロールする手段
  3. ”世間様”は国家権力よりも強いのか?
  4. ”世間様”を使うと、相手への甘えが発生する
  5. ”世間様に恥ずかしい”を怖がる必要はない

1.”世間様”とは、言った本人の価値観

「世間様」とは、言った本人の個人的な価値観
だと思う。

「世間様」というと、あたかも
世の中の大多数の意見に思えるが、実はそうじゃない。

「自分は他人からこう見られたい」
「自分は他人から”こんな価値がある人間”と認められたい」


という、個人的な「こうあるべき」ではないか。



だから「世間様」は、実体ではなく信仰の一種。

『サピエンス全史』の言葉を借りれば、
「人間の想像の中だけに存在する虚構」

多くの人が「お金には価値がある」と信じているように、
「世間様」の説得力を信じている。

2.”世間様”とは、相手をコントロールする手段

「世間様」とは、
相手をコントロールするために有効な手段だ。


自分の意見を”世の中の大多数の意見”に昇華でき、
尋常ではない説得力を持たせられる。

「世間様」が使われるのは、たいてい
「相手が自分の価値観に反することをしたとき」。

そして、「世間様」を使う人は親、先生、上司など、
逆らうことが難しい相手だ。



 『自分の意見を押し付けたいが、従わせる自信がない。
  かといって説得する自信もないし、労力をかけたくもない。』


そんなとき、「世間様」は猛威を振るう。

 『私の意見は”世の中の大多数の意見”だ。
  従わなければお前は”普通”から外される。
  ”普通”でなくなれば、仲間外れになるぞ、孤独になるぞ。』


人間の弱点である孤独。

「世間様」は孤独への不安を煽りながら、
言った人の支配欲を満たさせてしまう。

普通でいたいと思うのは、孤独になるのが怖いから。

3.”世間様”は国家権力よりも強いのか?

2022年5月、厚生労働省は
「他者と十分な距離が取れるならマスクの着用の必要はない」と発表した。
厚生労働省

にもかかわらず、未だにノーマスクの人が少ない。

ここから、
「世間様」の力は国家権力よりも強い
という見方もできるのではないか。



「世間様」にも、今回の政府の発表にも、強制力はない。

ある程度、マスクをするかしないかを選べるのに、
マスクを外さない人が多い。

その理由として「カンセンタイサク」の次点に
「周りの目が気になって外しづらい」が来ている。

厚生労働省が発表したマスクの着用についての発表後も、屋外でもマスクを着用している方は7割以上!マスクを外すことに抵抗を感じている?

これは
 国家が言うことよりも
 他人からどう見られるか≒「世間様」を優先している人が多い

とも言える。

 『マスクを外す人だと思われたくない。
  なぜならノーマスクはまだ少数派だから。
  少数派になると、大多数の意見たる「世間様」から外される。』


という思いが伝わってくる。



<国家権力 VS 集団から外される恐怖>

もし、別の世界線で
「脱マスク義務化法」ができたら、どちらが勝つんだろう。

4.”世間様”を使うと、相手への甘えが発生する

相手を従わせるため、
「世間様」を使って自分の意見を強化する。
そのときに発生しているのは、相手への”甘え”。




『甘えの構造』では、
「甘えとは相手に好かれ、依存できるようにしたい欲求」
と説明している。

 『自分の価値観に合わせなさい、察しなさい。
  世の中の大多数から外れたくないだろう?』

その思惑のウラには、
「世間様」を盾に取れば、自分の意見を通せるだろう
という、相手への依存≒甘えが見える。



「世間様」を使わなくても、
自分の価値観を相手に押しつけこと自体が甘えとも言える。

その上、「世間様」という武器を持つのは、
より強い相手に依存≒甘えていることになる。

5.”世間様に恥ずかしい”を怖がる必要はない

「世間様に恥ずかしい」
「世間様に迷惑をかけるな」

一度は言われたことがある人も多いだろう。
だが、翻訳するとこうなる。

「とにかく私に従いなさい」
「私の価値観に反することは許さない」



「世間様」は、世の中の大多数の意見じゃない。
「世間様」はどこにもいない、”意見強化パーツ”の1つだ。


「世間様」を使ってくる人がいたら、
こんな視点を増やしてみてはどうだろう。

 『この人は私を従わせたいのかな?』
 『他人からどう見られるかが怖くて仕方ないのかな?』


そうすれば、きっと
不要な自責や罪悪感の苦しみをやわらげられる。

「世間様に恥ずかしい」かどうかは、
他人に決められるものじゃない。自分で考えて決めればいい。











posted by 理琉(ワタル) at 19:37 | TrackBack(0) | 生き方

2022年08月30日

【YouTube:創作ストーリー】『魔王の娘は解放された』PART1。

オリジナルストーリー『魔王の娘は解放された』
ノベルゲーム風の動画に仕上げてみました。

あわせて、制作背景や使用ツールを紹介します。


ー目次ー
  1. 制作した動画
  2. 作品の概要
  3. 制作の所感

1.制作した動画




2.作品の概要


3.制作の所感

今回はいろんな初挑戦がありました。

・ミュージックビデオ以外の動画制作
・「ゆっくりボイス」の使用
・サブチャンネル開設

それでも10日で完成できたのは、
ヘタでも2年間、動画制作を続けた経験のおかげだと思います。



何より楽しいのは
「文字で考えたストーリーを映像にできること」です。


アニメやゲームの制作に携わる人たちが感じる喜びは、
こういうものかもしれませんね。

もちろん、Vroidでモデルを作るのも、
MMDで動いてもらうのも楽しいですが、
制作がけっこう大変です(笑)



小説を映像にすると、
頭の中でぼんやり浮かべていたイメージが
どんどん具体的になってくれます。


文章を書いているだけだと、

「次のセリフはどうしよう」
「どんな雰囲気の場所にいるんだろう」

のように、どうしても手探りになります。

それを映像で見られると、
まるで自分がその中にいるように感じて、
より書きやすくなります。

人間にもっとも強く訴えかける情報は、
文字ではなく「絵」であると実感します。




続きの動画を作ることとは別で、
新しい目標も見つかりました。

「MMDで、このストーリーのPVを作る」です。

新しいことに挑戦すれば、新しい発想が生まれます。
それが楽しくて仕方ないので、これからも創作を続けます。



⇒小説版はこちら
【ファンタジー小説】『魔王の娘は解放された』1

2022年08月23日

【YouTube:自作MV17作目】魔王魂『Burning Heart』Short。

僕は2020年12月より動画制作を始め、
YouTubeへの投稿をスタートしました。

本記事で紹介するのは、
英訳つき自作ミュージックビデオ17作目:

魔王魂『Burning Heart』Short Ver.

あわせて、制作のコンセプトや使用ツールも紹介します。


ー目次ー
  1. 制作した動画
  2. 作品の概要
  3. 制作の所感
    (1)独自解釈テーマ
    (2)制作面での感想

1.制作した動画




2.作品の概要


3.制作の所感

(1)独自解釈テーマ


独自解釈テーマは
「毒親と対決する日」


===<ストーリー>===

「これは、親という抑圧からの解放を目指した少女の物語」

少女の父親は、
国で並ぶ者なしとうたわれる格闘家。

母親は、
宮廷魔術師さえ脱帽する天才魔法使い。


少女は幼い頃から、両親の英才教育を受け、
格闘術、魔術ともに申し分ない実力をつけていった。

恵まれた才能、環境、容姿。
少女は一見、なに不自由ない幼少期を過ごしていた。

ただ1つ、両親は彼女に愛情を注がなかったことを除いては。


父親は自らの強さと、
「”強くなるはず”の娘」にしか興味がなかった。

母親は魔法の研究に没頭し、
己の表情が消え去ったことにすら興味がなかった。


「お父さん、お母さん、わたしを見てほしい」

少女は、子どもとしての
ささやかな願いすら叶えてもらえなかった。

だが少女は、親にそれを伝えることはできなかった。
言えば拳や、攻撃魔法が飛んでくるからだ。

「私はお前に興味がない、私の邪魔をするな」

少女は、親からの暗黙のメッセージに絶望した。
それはいつしか、親への怒りとして、彼女の心に溜まっていった。


「親にずっと伝えられなかった本音をぶつけたい」

少女は、言葉では決して彼らに伝わらないことを悟った。

彼らに少女の気持ちの、ほんの一端でも見せる方法。
それは彼らの土俵に立ち、闘うこと。

すなわち格闘・魔法対決だった。


ーーこれは、私の人生を始めるための闘いーー

  そして、
  親への怒りに囚われたままの、
ーー幼い頃の私を解放するための闘いだーーー


===============



僕自身が両親にぶつけたくて、
ぶつけられなかった葛藤から作った動画です。


この動画の制作期間中に父親が亡くなったので、
なおさら複雑な思いが残りました。

僕にとって父親は「危険な外敵」でした。
僕は父が危篤となり、話せなくなって初めて、顔を見に行きました。

自分の弱さ、卑怯さをかみしめながらも、
そこには安堵感と解放感が勝っている自分がいました。
主人公の少女には、そんな自分の弱さも背負わせてしまいました。


 『僕にはこの先、生前の父を
  殴りに行かなかったことを後悔する日が来るんだろうか?』

 『ロボットのような母に、
  すべてをぶちまけなかったことを後悔するんだろうか?』

その疑問は、この動画を作った記憶の棚にしまっておこうと思います。

(2)制作面での感想

もうとにかく「大変」でした。

・戦闘シーン
・複数のモーションつなぎ
・多様なエフェクト使用

など、多くの初挑戦がありました。

ただ、
もうとにかく大変だった分、
もうとにかく楽しかったです。


モデルの手からビームを出せたり、
身体からサンダーを出せたりするたびに、
PCの向こうで狂喜していました。


たった数秒、数発の撃ち合いの完成に数日。

きっと後年、
「苦労したけど上達できたなぁ」
「父が亡くなったタイミングで複雑だったなぁ」

と思えるような、人生の財産になりました。


動画制作できて、楽しい。
自己表現できて、嬉しい。




⇒MMD過去作品
【YouTube:自作MV16作目】魔王魂『Feels happiness』Short。

【YouTube:自作MV15作目】魔王魂『12345』Short。

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自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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