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2022年07月19日

絶縁した父の危篤 〜人の悩みの小ささと、人生のあっけなさ〜。

ー目次ー
  1. 絶縁していた父の危篤
  2. 外敵だった父はもういない
  3. 醜い復讐の炎が消えた瞬間
  4. 自分だけは死なないから悩む
  5. 人生の残り時間はやりたいことに費やそう

1.絶縁していた父の危篤

絶縁していた父が「危篤」との連絡が来た。

それまで僕は、
たとえ父が亡くなっても葬儀には出ないと決めていた。

しかし、

「一度だけでも、父に会ってほしい」

母の言葉に、僕の心は不覚にも揺らいだ。



僕は父に、
積年の怨恨をすべてぶつける覚悟を決め、会いに行った。

が、
もう話すことすらできなくなった父の姿を見たら、
そんな気は失せてしまった。

人間の悩みの小ささ、人生のあっけなさを痛感した。




我慢して生きようと、愚痴ばかり吐いて生きようと、
最期はあっという間に来る。

人生の残り時間は決して増えない。

だから1つでも多く、
やりたいことをやって最期を迎えようと、改めて思った。


2.外敵だった父はもういない

僕が最後に父に会ったのは3年前。

当時、僕が生活保護を受けるにあたり、
最後の関門が「親族からの支援の有無」だった。

区役所の面談室では僕と支援員さん、
生活保護課の職員さんの3人で待ち構えた。

面談が始まると、
父は相変わらず1人で持論をしゃべり続け、僕を罵倒した。

母はやはり、父を止めることも、僕を助けることもなかった。



おそらく中〜重度の自閉症スペクトラムの父。
空気を読めず、どんな場所だろうと暴れる父。

「少しは人の気持ちを想像できるようになっているかも」

毎回そんな期待を捨てられず、
会うたびに傷つき、ついに絶縁した父。

僕にとって「危険な外敵」だった父。



あの日からたった3年後、
僕の目の前にはもう、そんな父はいなかった。


3.醜い復讐の炎が消えた瞬間

僕は家族と絶縁して以来、
親子問題や心理学の本を読みあさってきた。

ひたすら泣いて、泣いて、恨んで、叫んできた。

だから、僕の中に渦巻く恨みなど、
とうに出し切ったと思っていた。

会わないまま死別しようと悔いはないと思っていた。



…そんなはずはなかった。

「まだ、恨みをぶつけるチャンスがある」
僕の醜い復讐心が再燃した。




が、
実家のベッドに横たわっていたのは、
衰弱し、もうしゃべることも、目を開けることもできない父だった。

その姿を見た瞬間、醜い復讐の炎はふっと消えてしまった。



僕は少しうつむいたまま、父に語りかける母の声を聞いていた。

僕の心には同情と罪悪感、そして
「もう傷つけられない」という安堵感が同居していた。

同時に、僕はあまりに多くの時間を、
「家族との関係の悪さに悩む」ことに費やしてきたと気づいた。


4.自分だけは死なないから悩む

僕らはどうして悩むんだろう。

悩むより、悩みを解決するために動いた方が、
自分のためになるにもかかわらず。

僕らが悩むのは、どこかで

「自分だけは死なない」
「時間は無限にある」


と思っているからじゃないだろうか。




「悩みなんてくだらない」「時間をムダにすることは悪」
と言いたいわけじゃない。

悩みからの解放を目指して宗教が生まれるくらい、
人間にとって悩みは大きなものだ。

大切なのは悩みの大小ではなく「人生の時間配分」だと思う。
人は、自分が永遠に生きつづけるものと思っているからなのです。

自分の弱さなど少しも念頭になく、
どれだけの時間が失われたかにも気づかない。
涸れることのない泉か何かのように時間を無駄遣いしている。

そうやって他人やものごとのために使っている今日という一日が、
最後の一日かもしれないというのに。

死を免れない者として何もかもを恐れながら、
そのくせ不死の存在であるかのように、
何もかもを手に入れたいと望むのです。


『人生の短さについて』 より



たとえば、
ゲームの各キャラの能力値をどう振り分けるか。
力に全振りするか、バランス型にするか。

それと同じで
人生の時間の多くを「悩むだけ」に費やすか、
「解決」や「楽しみ」に振り分けるか。


僕はいつしか、
人の死に際に直面するたび、その答えを探すようになった。

5.人生の残り時間はやりたいことに費やそう

叔父が亡くなったときも、
父の姿を見たときも、僕はこう思った。

「自分にも同じところに癌ができて、同じように死ぬんだな」



僕にはいつからか、自分本体の中に、
自分を斜め上から見つめるもう1人の自分が生まれた。

心理学でいう「解離」という防衛行為の1つだろう。
任意でカメラ位置を切り替えられるので、バスケのプレー中は便利だ。

そのせいか、僕は親の死も、
未来の自分の最期も、ドライな目で見ていた。


それは「冷たい」「情が薄い」のかもしれないが、
人生の時間配分を考える上では役に立った。



 『どう生きようが、最期はあっという間に来る。
  3年前、区役所で暴れた父がこうなったように。
  だったら最期を迎えるまで、やりたいことをやろう』
と。



僕の親戚には、どこか悟ったような、達観した人が多い。

彼らは自らの病気や死を、笑いながら語る。
それは僕のように「解離」させて心を守ってきたからかもしれない。

そして彼らもまた、人生の時間配分を
「悩む」から「笑う」にシフトしたんだろう。

あまたの死に直面して。



悩むことは決してムダではない。
ひとしきり悩んだら、残りのライフはやりたいことに費やそう。









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posted by 理琉(ワタル) at 19:12 | TrackBack(0) | 家族

2022年07月11日

【同一視の心理】強い国家≠強い自分。

ー目次ー
  1. 戦争には行かないが”強い国=自分”と思いたい心理
  2. 国家が強い≠自分が強い
  3. ”偶然その国に生まれたこと”は自信につながるか
  4. 攻撃性は”自分が傷つけられた”という悲鳴
  5. ”人間は弱い生き物”と認める風潮が広まってほしい

1.戦争には行かないが”強い国=自分”と思いたい心理

政治の話題にふれたり、街頭演説を耳にしたりすると、
最近はこういう声が目立つように感じる。

「日本は国防軍を持つべき」
「反撃できる力を持つべき」

それも一意見だが、中には
「敵国をつぶせ」といわんばかりの過激な声もある。

そこまで喧嘩腰にならなくてもいいのでは、と
気圧されてしまう。



・他国に強硬的な姿勢を取る
・力や強さを誇示する


僕はそういうものを見るたび、疑問に思う。

「彼らは実際に戦争になったら戦地へ行くんだろうか?」

おそらく、自ら前線で銃を握る人は少ないと思う。
自分が参加した方が、勝利の当事者意識が強まるにもかかわらず。



では、なぜ自分が参加するわけでもないのに、
そこまで攻撃的になるのか。

その背景には
「自ら動いて強さを証明したい」
「勝利をつかみ取りたい」
という実利ではなく

「”何か強いもの=自分”と思いたい心理」が見える。

2.国家が強い≠自分が強い

人は弱い生き物だから、心の拠りどころが必要だ。

自分が自分である意味、存在する意味。
自信をなくしても、自分にはこれがあると思えるもの。

ここではそれを「アイデンティティ」と呼ぶことにする。



自分の心を守るには、
「自分次第で変えられるアイデンティティ」を
複数持っておくことが必要だと思う。


仕事でも趣味でも、何でもいい。

複数あれば、1つが揺らいでも、
残りのどれかを拠りどころにして踏ん張れる。

逆に、アイデンティティの大部分を
「自分1人では変えられないもの」が占めている状態は危険。


それが揺らいでも自力では回復できないし、
回復できないことによって無力感も大きくなるから。



 強い国家や軍隊を熱狂的に推す
 他国の脅威や外国人への配慮に怒る

という人は、

 自分のアイデンティティの大半が
 「国や軍隊の強さ=自分の強さ」で占められている


のではないかと思う。

日常生活でたとえるなら、

・推しのアイドルが人気
 =そのアイドルの良さを知っている自分はすごい

・好きなスポーツチームが活躍する
 =そのチームのファンである自分は強い

という心理状態ではないだろうか。

キラキラしたものと自分を同一視すれば、
「本当は強くもなく、すごくもない自分から目をそらしていられる」から。


3.”偶然その国に生まれたこと”は自信につながるか

国家やアイドルを
自分のアイデンティティにすること自体は問題ない。

が、それらがアイデンティティの
大半を占めている状態は危ない。

国力やアイドルの人気は、
自分だけではコントロールできないからだ。

自国が不景気になったり、好きなアイドルが叩かれたりすると、
それに合わせて自分のアイデンティティも乱高下する。


しかも自分では回復できないため、より大きな無力感に襲われる。



さらに、国籍取得や帰化をしていない限り、
「その国の民であること」は
自力でつかみ取ったものではない。


心からの自信につながるのは、
自分が苦しんで成し遂げたことと、
偶然その時代、その地域に生まれたことのどちらだろうか。

4.攻撃性は”自分が傷つけられた”という悲鳴

自国のネガティブなニュースが増えることも
推しのアイドルの人気が落ちることもある。

そんなとき、必要以上に攻撃的になる人は、
「自分が傷つけられた」と叫んでいるように思う。

あまりにも
「強い国=自分」「人気アイドル=自分」が強いため、
それが傷つくことは自分自身が傷つくことと同じになる。

そのときに、

「まぁいいや、ゲームに打ち込むか」
「スポーツして忘れよう」

という、”別のアイデンティティへの避難”ができなければ、
何とかして自分を守ろうと「戦うか逃げるか」モードになる。


だが他のアイデンティティがないので戦う一択になる。
彼らの攻撃性は、そんな「常に背水の陣」ゆえではないだろうか。

5.”人間は弱い生き物”と認める風潮が広まってほしい

「強くありたい」
「力を誇示したい」
「認めてもらいたい」

それは大切な欲だと思う。
欲があるから人間は成長できる。

ただ、僕はそれと同じくらい
「人間は弱い生き物だと認める風潮」も広まればいいのにと思う。

頼れる人、打ち込めるもの、逃げ込める場所がない。
たったそれだけで、人の心は簡単に壊れる。
アイデンティティの崩壊を防ごうとして攻撃性が高まる。



「強さこそ正義」
「お金こそ力」

世界が”強さ信奉”へ向かう限り、
最強国以外の”弱い国”は増えていく。

そのときに「弱い国=弱い自分」とならないよう、
自分次第で変えられるアイデンティティを
複数持っておくことが大切だと思う。


やりたかったことやってみよう
失敗も思い出

はじめよう やってみよう
誰でも最初は初心者なんだから

WANIMA『やってみよう』 歌詞より

打ち込めるものを増やしておこう。








オーディオブック配信サービス - audiobook.jp
posted by 理琉(ワタル) at 19:14 | TrackBack(0) | 生き方

2022年07月01日

【YouTube:自作MV16作目】魔王魂『Feels happiness』Short。

僕は2020年12月より動画制作を始め、
YouTubeへの投稿をスタートしました。

本記事で紹介するのは、
英訳つき自作ミュージックビデオ16作目:

魔王魂『Feels happiness』Short Ver.

あわせて、制作のコンセプトや使用ツールも紹介します。


ー目次ー
  1. 制作した動画
  2. 作品の概要
  3. 制作の所感

1.制作した動画




2.作品の概要


3.制作の所感

独自解釈テーマは
「無償の愛を抱きしめて生きる」


ーー<ストーリー>ーー

あるところに、仲睦まじいエルフの母娘がいた。

母はあたたかい心で娘を包んだ。
娘は母からの無償の愛を受け、幸せに暮らしていた。

だがある日、エルフの村は突然の人間の襲撃により壊滅。
母は帰らぬ人となった。


突如、奪われた幸せな日々。
何の罪もなく、独りぼっちとなった境遇。

それでも、彼女は絶望を乗り越えた。
母がくれた無償の愛を心の拠りどころに生きていけたからだ。



 『私は今、幸せだよ。寂しくないよ。
  お母さんがくれた無償の愛が、私を支えてくれるから。

  ”幸せになるため歩いていくんじゃない
   幸せを感じる心を手に入れるために
   歩いていくんだと気付いたんだ”

  つらくなったら、いつも思い出してるよ。
  私を愛してくれてありがとう。』



彼女はいつも、母の墓前でこう伝える。

母の幻がほほえみかけてくれるような、
そんな気がするから。

ーーーーー


「無償の愛」は
僕が親からもらいたかったものです。

エルフの母娘の関係は、
「無害であたたかい親がほしかった」という僕の願望です。

エルフの母は、
僕が母親からもらいたかったぬくもりそのものです。

そのエルフの母が帰らぬ人となったのは、
「親からの無償の愛はもらえない」ことを
受け入れたかったからです。




親は僕に、無償の愛を注いだのかもしれません。

ただその形が、
「あたたかい言葉やふれあいではなく命令や人格否定」
だっただけ。

親がどうしてそうしたのかは、彼らだけが知っています。
不器用、プライド、恥ずかしい、伝え方を知らない、𠮟咤激励…。

親の真意はどうあれ、無償の愛は僕に伝わってきませんでした。



この曲を初めて聴いたとき、涙が止まりませんでした。

  ”幸せになるため歩いていくんじゃない
   幸せを感じる心を手に入れるために
   歩いていくんだと気付いたんだ”

この歌詞が僕の胸に突き刺さりました。
動画制作中、再生ボタンを押すたびに涙ぐむこともありました。

それは
「幸せは”もらえたもの”が決めるんじゃない、自分の心が決めるんだ」
と、気づかされたからかもしれません。

過去をどう捉えるか、不幸だと思うのか。
不幸だと思うなら、何もせず嘆き続けるのか。
その思いを糧にして、未来を良くするために動くのか。

それが幸せへの分岐点ではないかと気づきました。



今回の動画で、親からもらいたかったものを表現しました。
その過程で、親からもらえなかったものと向き合えました。

動画の公開を終えて、
僕は残りの人生から問われている気がしました。

「さぁ、お前は幸せのためにどう捉える?どう動く?」
と。







2022年06月26日

話を聞いてもらえないのは、話を聞いてほしいと思っているから。

ーー

「話を聞いてほしい」
「寂しい、話し相手がほしい」


あなたがそんな思いを持て余しているとする。

そして、今のあなたには運よく、
話を聞いてくれる友人がいるとする。

あなたは、たまにその友人に会うと、
ここぞとばかりにしゃべり倒す。しかし…

時間が経つと
なぜかその友人はあまり会ってくれなくなる。

あなたの「話を聞いてほしい」という飢えは癒されず、
また話を聞いてくれる人を探し始める。

ーー



こんな経験を繰り返したことはないだろうか。

残念ながら、

「話を聞いてほしい」から話してばかりいると、
「話を聞いてくれる人」はあなたから離れていく。


ー目次ー
  1. 独演会は、相手にもある”話したい欲求”を奪う
  2. 独演会は、相手の人生の残り時間を奪う
  3. 聞く側が感じる”大切にされていない自分”
  4. 話を聞ける人になれば、話を聞いてもらえる
  5. 話を聞く≠相手に”自分を攻撃する隙を与える”
  6. 話を聞いてくれる人を大切に

1.独演会は、相手にもある”話したい欲求”を奪う

人は自分のことを話したい生き物だ。
ほぼすべての人が、話を聞いてくれる人を求めている。

話を聞いてくれる人は、

「自分の気持ちに共感してほしい」
「自分を否定せず受け入れてほしい」

という欲求を満たしてくれる。

だから、人が好意を持つのは、
「話がおもしろい人」よりも「話を聞いてくれる人」だろう。



話を聞いてほしいからといって、
あなたばかりがしゃべり倒すのは、

「相手の欲求を一方的に奪う行為」だ。


独演会の最中、
あなたは気持ちいいかもしれない。

自分が受け入れられている実感に
ひたっているかもしれない。

忘れないでほしい。
その快感はあなたが相手から奪って初めて得られたものだ。

2.独演会は、相手の人生の残り時間を奪う

一方的にしゃべり倒すのは「相手の時間を奪う行為」だ。

1日24時間は、人に平等に与えられた命そのもの。

それをあなたの「話したい欲求」に消費させると、
人生の貴重な残り時間を奪うことになる。



「そんなことはない、自分の話はおもしろいし有益だ」
「相手も楽しんでくれている」

話したいあなたは、そう思うかもしれない。
だが、

あなたの話が有益かどうかを決めるのは、
あなたではなく聞く側だ。


あなたの自慢話を聞いた相手が、

「聞いていて楽しい」
「人生の残り時間を使うに値する」

と思えないなら、残念ながらそれは時間泥棒だ。

3.聞く側が感じる”大切にされていない自分”

話を聞いてくれる人も
「話を聞いてほしい」欲求を持っている。

なのにあなたは「話を聞いてくれるから」と、
その人の欲求を奪ってしゃべり倒す。

話を聞いてくれる人は、
話を聞いてほしい欲求と、人生の残り時間を奪われる。

これが繰り返されると、話を聞いてくれる人は、
「自分は大切に扱われていない」と感じるようになる。



人間関係はWin-Winのバランスが良くないと、
どこかでゆがみが生まれる。

 片方は多くの欲求を満たす
 片方は我慢の度合いが大きい

こんな状況が続くと、関係は崩れていく。

そして、多く我慢している方の自己重要感がゆらぎ始める。

「話を聞いてくれる人なら誰でもいいのでは?」
「この役割は”相づち共感機能”を搭載したロボットにも務まるのでは?」


あなたには、そんなつもりはないかもしれない。

が、あなたが一方的にしゃべり倒す限り、
「あなたは大切な友人」という思いを伝え損ねている。

4.話を聞ける人になれば、話を聞いてもらえる

「そうは言っても、話を聞いてほしい欲求を抑えきれない」
「じゃあどうすればいいの?」

話を聞いてほしい欲求を叶える方法は、
話をすることではなく、相手の話を聞くことだ。


<聞き手にまわる>

話上手になりたければ、聞き上手になることだ。
興味を持たせるためには、まず、
こちらが相手に興味を持たねばならない。


相手が喜んで答えるような質問をすることだ。
相手自身のことや、得意にしていることを
話させるように仕向けるのだ。

『人を動かす』 ”人に好かれる六原則” より


話を聞ける人は、

・自分の話をしたい欲求を満たしてくれる
・自分の気持ちに共感し、受け止めてくれる
・自分は大切な存在だと実感させてくれる
・自分の話を聞くために人生の時間を使ってくれる

そんな人になればいい。

話を聞ける人になれば、相手は
「こんなに自分を大切にしてくれる人の話なら聞きたい」
と思ってくれる。



「寂しくて仕方ない」
「どうしても話したい」

それも切実だが、
自分の欲求ばかりぶちまける人と
長期的に付き合いたい人がどれだけいるだろうか?


ここは
「その場だけ発散できればいい」という考えを捨てて、
人生全体の充実をつかみにいこう。

5.話を聞く≠相手に”自分を攻撃する隙を与える”

「話を聞くことに耐えられない」
「とにかく話していないと不安」

という人は、

「話を聞く=相手に”自分を攻撃する隙”を与える危険な行為」

と捉えていないか、自問してみてはどうだろう。


 『相手に話すチャンスを与えると、
  罵声や人格否定の言葉に刺されるかもしれない。
  だから相手に攻撃の隙を与えないよう、自分が話し続ける』

心のどこかに、そんな怯えはないだろうか。



あるいは

「話し続けて自分をアピールしないと、相手が離れていく」

という焦りはないだろうか。


子どもの頃、
ことあるごとに、親から罵倒や人格否定を受けてきたのか。
親の愚痴や、パートナーの悪口を聞かされてきたのか。

「成績が良ければ愛してやる」と、
条件付きの愛情しかもらえなかったのか。
親に、自分の話を聞いてもらえなかったのか…。

だから見捨てられないように、
話し続けて相手をつなぎとめていたいのかもしれない。




自分はなぜ、相手の話を聞けないのか?

その奥底には、
満たされなかった子どもの自分がいるんじゃないだろうか。

6.話を聞いてくれる人を大切に

話を聞ける人は貴重だ。
そして優しいから、あなたを傷つけないよう静かに去っていく。

あなたが「話を聞いてほしい」と思っているなら、
話を聞いてくれる人の話を聞ける人になってほしい。


話を聞いてくれる人の欲求と時間を奪わないよう、
大切にしてほしい。

そして、
「自分はなぜ、話を聞いてほしい欲求を持て余しているのか?」
自問してみてほしい。


あなたに
話を聞いてくれる生涯の友人ができることを、

あなたが、
話を聞ける人になれることを願っている。








TALKFULLNESS(トークフルネス)
posted by 理琉(ワタル) at 19:27 | TrackBack(0) | 生き方

2022年06月17日

普通でいたいと思うのは、孤独になるのが怖いから。

「普通になりたい」
「普通はこうすべき」
「常識的に考えて」

そう言われたり、つい言ってしまうことはないだろうか。

普通とは何だろう。
なぜ普通でいたいんだろう。
なぜ他者にも普通を押し付けるんだろう。

なぜ、僕らは”普通”にこだわり、”普通”に怯えているんだろう?


ー目次ー
  1. 普通でいたいのは”孤独になって死にたくないから”
  2. 普通とは”自分を押し殺して他人に合わせる行為”
  3. 普通になるために生まれた”教育制度”
  4. 普通が苦しいなら”普通なんて目指さなくていい”

1.普通でいたいのは”孤独になって死にたくないから”

「普通でいたい」と思うのは、孤独になりたくないからだ。



普通とはその時代、その社会での多数派のこと。

そして人間は社会的な生き物なので、
多数派の集団に属していたいと考える。

少数派になると群れから追い出されるし、
数の暴力に勝つことは難しいからだ。



 集団に属していたい
 多数派の一員でいたい

という欲求を持つ人間の社会で、
普通から外れる、孤独になることは、

「仲間外れにされて死ぬ」ことを意味する。



普通じゃない人を攻撃することは、
生き残るための必死のアピールなのかもしれない。

いじめや悪口は、

「私は多数派と同じ考えなのでこの集団に置いてください」
「私は多数派に属しているので攻撃しないでください」


という訴えなのかもしれない。

2.普通とは”自分を押し殺して他人に合わせる行為”

普通でいることには「多数派に属せる」というメリットがある。
生き残って子孫を残せる確率が上がる。

「なら普通でいいじゃないか」
「”普通はこうすべき”という押し付けの何が悪いの?」

その通りだ。子孫を残すためなら普通は最適だ。



最適なのに、なぜこんなに苦しそうな人が多いのか?

なぜ人を見下す人、八つ当たりする人が多いのか?
なぜ死んだ目をしたスマホゾンビが溢れているのか?

普通を求めるとは
「自分を押し殺して多数派に合わせる行為」だからだ。




普通と言われていることと、
自分が望んでいることが一致しているなら問題ない。

普通でいることが苦しいのは、
自分の本当の欲求と一致していないからだ。


 「本当はゲーム実況がしたい、YouTuberになりたい、
  だけど普通でいるためにサラリーマンをしている」

 「本当はゴシックファッションが好き、
  だけど普通じゃないから我慢してスーツを着ている」

そのズレが、自分を縛るストレスになり、
普通じゃない誰かへの嫉妬になる。

普段から、無理して普通を演じている人ほど
普通じゃない人を叩きたくなる。

 「私は我慢して普通を演じているのに、
  あの人は好きなことをしているのが許せない」


から。

3.普通になるために生まれた”教育制度”

『人生の質なんてどうでもいい。とにかく子孫を残せ』
そう割り切るには、僕らの脳は発達しすぎてしまった。

「普通でいれば生き残れるが苦しい」
「でも仲間外れが怖いから普通を演じなければ」

そんな葛藤に折り合いをつけさせるために、
僕らは「普通になるための教育」を受けて育ってきた。



世界で義務教育が始まった理由の1つは、
「兵士たちに命令や情報を正確に伝えるため」だそうだ。

明治維新後の日本では、
教育は均質で命令に忠実な兵士を養成するために。

戦後の日本では、
教育はサラリーマンを養成するために。

いずれも
「その土地を征服した少数の支配者が、多数の現地住民を統治するため」
に作られたもので、少数の”普通じゃないトップ”を養成するためではない。


「普通でいるのが良いこと」と思わせ、
葛藤や苦しさを納得させるためだ。



もちろん、そのおかげで今がある。

これだけ恵まれた今があるのは、
普通を演じて働いている大多数のおかげ。

確かに社会”全体”は発展した。
決して「個人の苦しみ」が考慮されることのないまま。


4.普通が苦しいなら”普通なんて目指さなくていい”

「良い学校を出て、良い企業に入って、家族を養う」
「収入の高い人と結婚し、家庭に入って子どもを育てる」

それが”普通”であり、幸せのモデルだった時代もあった。
経済が上向きだったから、多くの人に実現の可能性があった。



しかし、収入が上がらないのに物価が上がる時代に突入した。

「良い企業」「結婚」など達成できそうもない人が増えたのに、
「普通の幸せのモデル」という残像だけが強く残った。


今、苦しそうな日本人が多いのはそのせいじゃないかと思う。



僕は上記のような”普通”にはとても届かない人生を送ってきた。
以前は普通になれない自分を呪い、苦しかった。

今は「自分を押し殺して普通にならなくていい」と思えるようになった。
それ以来、僕はずっと生きやすくなった。


非正規、低収入、家族なし、
それは”普通”とかけ離れているんだろう。

代わりに僕は好きなことをやって生きている。
バスケ、野球、ブログ、動画編集、読書…。

僕は普通じゃない自分に苦しむことがなくなった。



苦しいなら普通なんて要らない。
短い人生だ。自分がやりたいことをやればいい。







posted by 理琉(ワタル) at 19:44 | TrackBack(0) | 人生観

2022年06月15日

【YouTube:自作MV15作目】魔王魂『12345』Short。

僕は2020年12月より動画制作を始め、
YouTubeへの投稿をスタートしました。

本記事で紹介するのは、
英訳つき自作ミュージックビデオ15作目:

魔王魂『12345』Short Ver.

あわせて、制作のコンセプトや使用ツールも紹介します。


ー目次ー
  1. 制作した動画
  2. 作品の概要
  3. 制作の所感

1.制作した動画




2.作品の概要


3.制作の所感

独自解釈テーマは
「ネグレクトが生んだ恋愛依存症」



ーー<ストーリー>ーー

「あの人は”母親”よりも”女”を優先し、夜の街へ消えた」
「私にとって彼氏とは”依存先”で、”お母さんの代わり”」

主人公はそんな心の傷を抱えた少女。

「遊び相手でもいい」

彼女は今日もそう言って、
彼氏という”お母さんの代わり”を求め続ける。

彼女の根底にあるのは、
ネグレクトによって植えつけられた深い自己否定。


「私は母親にすら愛される価値のない人間」

だから、私は必要とされたい。
求められることで、自己否定から逃れたい。

「あなたがほしい」と言ってくれるなら、
ダメ男でもチャラ男でもいい。

…ウソでもいい…。

ーーーーー



動画を作りながら、
僕は彼女に小学生のころの自分を重ねました。

学校では担任と理科の先生からいじめられ、クラスでは孤立。
家には僕に無関心な母と、怒鳴るか説教するかの父。

居場所を求めて児童館へ通うも、上級生にいじめられて孤立。

そして、
毎回いじめられるのがわかっているのに、
2年も児童館へ通い続けた自分。


いま考えれば、それは形を変えた恋愛依存症だったと思います。



「本当はどこかで、いじめられることを喜んでいたかもしれない。
 なぜなら、どんな形であれ”自分に関心を向けてもらえる”から」

「児童館へ行けば、いじめてもらえる。
 無関心の苦しみから逃れていられる。」


動画制作が1フレーム進むたびに、
当時の自分の気持ちに気づいていきました。



動画編集は本当に大変です。

目にはもちろん、
マウスやキーボードを使う手首にも
大きな負担がかかります。

それでも、時間を忘れて没頭できるくらい楽しいです。

オリジナルキャラを作ること、
自分のストーリーを具現化できること。
そして自分の気持ちと向き合えること。

本当にたくさんの成長をさせてくれました。
動画を作る楽しみに出会えたことは一生の宝物です。



勇気を出して挑戦して、本当に良かった。
「自分にはできない」ではなく「今はまだできない」だけ。








uniconverter

2022年06月03日

劣等感を刺激されたら、次の日から感謝する。

ー目次ー
  1. ありがとう、見返す決意を固めさせてくれて
  2. 図星で怒る自分を認めるのは苦しい
  3. ”お前シュート入らないな”という図星
  4. 劣等感は成長のための巨大なエネルギー

1.ありがとう、見返す決意を固めさせてくれて

僕は劣等感を刺激されることを言われたとき、

・その場では怒る
・その日は落ち込む
・次の日からは感謝する


ことを心がけている。



「お前ヘタだな」
「●●できないのか」
「シュート入らないな」


ずっと以前に言われた、この言葉。
いまでも思い出すたび、練習したくて仕方なくなる。

腹立たしかったし、人よりヘタな自分に落ち込んだが、
最終的にこう思えるようになった。



ありがとう。
成長のチャンスをくれて。
絶対に見返してやる決意を固めさせてくれて。


2.図星で怒る自分を認めるのは苦しい

何かを言われて怒るのは図星だからだ。

本当は気にしている。
なのに認めたくなくて、目をそむけている自分。

図星を突かれるとは、
そんな自分を他人によって引きずり出されること。



図星を突かれて怒れることは大切だ。
その反骨精神を燃料にして、行動へ移せるから。

ただそれ以上に、
「図星で怒った自分を認めること」が大切だ。

そして、この
「図星で怒った自分を認めること」が
いちばん苦しいフェーズだと思う。


人は”できない自分”なんて認めたくないし、
できないことで恥をかきたくないから。



「お前ヘタだな」
「お前シュート入らないな」

そう言われた後で、
怒って終わるか、見返してやろうと練習に打ち込むか。

その分かれ目は、
この苦しいフェーズを越えられるかどうかだと思う。


3.”お前シュート入らないな”という図星

僕は20歳くらいまで、スタミナがなかった。
「お前ぜんぜん走れないな」と言われた。

僕はシュートがヘタだった。
「お前シュート入らないな」と言われた。

僕は3ポイントシュートが届かなかった。
「お前には3ポイントないから楽だ」と言われた。

そのときは内心、すごく怒った。
人と比べて落ち込み、できない自分を卑下した。
上達しない自分に絶望し、泣いた。



僕は実力がないくせに、負けず嫌いだった。
だからか、そこで「見返してやる!」と思えた。


十数年後のいま、僕は社会人チームでバスケを続けている。

あの頃に言われた課題は一通り、クリアできた。
「走れないな」「シュート入らないな」とは言われなくなった。

ようやく、感謝するフェーズに入れた。



僕は怒るフェーズと、落ち込むフェーズがすごく長かった。
それは長い間、恥を認められなかったから。

認めたくないことから目をそむけている自分と、
正面から対峙する勇気がなかったから。


4.劣等感は成長のための巨大なエネルギー

人間は集団で生活する生き物だから、
人と比べることは避けられない。

劣等感は、人と比べた瞬間に生まれる。
そして劣等感はよく、悪者扱いされる。
”悪い”劣等感を克服するために、こんな呪文が唱えられる。

「他人と比べなくていい」
「昨日の自分を超えていればいい」




それは正しいんだろう。

自分の成長を実感できればそれでいいし、
”自己肯定感を上げる”には最適なんだろう。

ただ、人間は仙人でも、聖人でもない。

人と比べたり、嫉妬したり、自己正当化したりして、
何とか立っている弱い生き物だ。

そんな弱い人間にとって、

劣等感は成長のための巨大なエネルギーになる。



劣等感を練習する力に変換できるなら、
怒ったり落ち込んだりしていいと思う。

悔やんでも、泣いてもいい。

「あのときは悔しかったけど、おかげで本気になれた、ありがとう」

笑ってそう言えるまでの期間を、
少しずつ短くしていけたらいいんじゃないかな。










posted by 理琉(ワタル) at 19:21 | TrackBack(0) | 生き方

2022年05月31日

親は変わらない、最大の復讐は自分が幸せになること。

ー目次ー
  1. 子どもを苦しめる”親への期待”
  2. 常に自分より下の存在がほしい親
  3. 子どもの幸せが許せない親への復讐
  4. ”親は子どもの幸せを願うものだ”という神話
  5. 自分が幸せになって、人生全体で勝利しよう

1.子どもを苦しめる”親への期待”

親との関係に悩んできた僕らを、さらに苦しめるもの。
それは期待だ。


「いつか、親が私の気持ちをわかってくれる日がくるはず」
「いつか、親が私にしたことを謝ってくれる日がくるはず」
「いつか…」

その期待は、
僕らの頭に「毒親」という言葉がよぎった瞬間に顔を出す。



僕らは苦しみの正体を知りたくて、
毒親についての本を読み、人間の心理を学び始める。

皮肉なことに、その理解が深まるほど、親への期待もふくらむ。

「怖い思いをさせてごめんね」
「寂しい思いをさせてごめんね」
「あなたはあなたのままで大切だよ」

いつか、親はこう言ってくれるはず。
いつか、親は変わってくれるはず…



親への憎しみも、期待もふくらませる僕らには、
いつか覚悟を迫られる日がくる。

親は変わらないことを受け入れる覚悟を。

2.常に自分より下の存在がほしい親

親があなたを否定したり、暴言や暴力をふるうのは、
親があなたに寄りかかっているからだ。


親は自分1人では立っていられない、
自分は価値ある人間だと思えない。

だから自分より下の存在がほしい。

ふだん抑圧している本性をぶつけても、
確実に逃げない存在がほしい。


それが、子どもであるあなただ。
親はずっと、あなたを支えるどころか依存してきた。



あなたがいま25歳だとしたら、
親は25年間、そういう精神構造を当然と思って生きてきた。

それを自ら変えられる親なら、
あなたは今も苦しんでいるだろうか。

親があなたの気持ちを想像できるようになるなら、
あなたに浴びせる言葉を選べるんじゃないだろうか。

親にはすでに、人生の成功体験を積まれてしまっている。
「あなたには何をしてもいい、それでも繋ぎとめてこれた」と。


親がそれを手放すことは、自分の人生の否定になる。
だから手放さないだろう。

心の拠り所も、貴重な依存先も。

3.子どもの幸せが許せない親への復讐

「親は変わらない」
僕らは期待の片隅でそれに気づいている。

そして、親との関係を学ぶほど、
親へ復讐したい気持ちも湧き上がってくる。

「今までの恨みに親を罵倒したい」
「親を言い負かし、屈服させたい」
「親に今までのことを謝罪させたい」

それもいいだろう。

涙を流し合って和解?
そんなものはドラマだから描ける理論値だ。
人間はそんなきれいな存在じゃない。



それでも、
僕らができる最大の復讐は自分が幸せになることだ。

自分が幸せになることで、
親の育て方はまちがっていたことを突き付けられるからだ。

「本心ではあなたの幸せが許せなかった親」の育て方。
そのまちがいを。

4.”親は子どもの幸せを願うものだ”という神話

「どんな親でも子どもの幸せを願っているものだ」
できれば、そんな神話を信じていたい。

だが考えてみてほしい。

本当に幸せになってほしいなら、
なぜ親はあなたを苦しめたのだろうか?




「あなたのためを思って言っているのよ」
という言葉が、よくよく吟味してみると

「親の体裁を汚さないでほしい」
「親の思う通りになってほしい」


だったりする。
しかも厄介なことに、
それは「親の愛」だと世間では美化されている。

しかし「親の望む通りに」ということは、
どんなに「親の愛」として偽装されたとしても、
その正体はやはり「欲望」なのです。



『「普通がいい」という病』 より

否定するのが
放置するのが
殴るのが
愛情だ

「あなたのために」


親は本気でそう思っているかもしれない。
が、そんなことをして本当に得をするのは親だ。

罵倒されて傷つくあなたを見て、
優越感にひたる親。

殴られて痛がるあなたを見て、
”愛情あればこそ”と自己陶酔する親。

それでも、生きるために離れていかない子どもを見て、
支配欲を満たす親。

それは本当にあなたの幸せのためだろうか?



親には自分よりも不幸な存在が必要だった。

優越感や支配欲を満たし、
自分の人生は正しいと思い込むために。


だからきっと、
親はあなたの幸せを願うように見せて、
心の奥底ではあなたを不幸なまま繋ぎとめたかったんだ。

5.自分が幸せになって、人生全体で勝利しよう

親に復讐できるならしよう。
ただ、せっかく復讐するなら長期的な勝利を目指そう。

親を罵倒して、謝罪させて、
その場かぎりの優越感を得るのもいい。

が、そうやって新たな憎しみを生むよりも、
自分が幸せになって、人生全体で勝利しよう。

そして伝えよう。
「あなたたちの育て方はまちがっていた」と。


親はあなたへの依存を変えられなかった。
あなたはそれに気づいて、変わろうとした。

その時点で、あなたはとっくに親を越えている。



参考書籍⇒











posted by 理琉(ワタル) at 19:50 | TrackBack(0) | 家族

2022年05月21日

【YouTube:英訳つき自作ミュージックビデオ14作目】魔王魂『彩を失くしたアメジスト』Short。

僕は2020年12月より動画制作を始め、
YouTubeへの投稿をスタートしました。

本記事で紹介するのは、
英訳つき自作ミュージックビデオ14作目:

魔王魂『彩を失くしたアメジスト』Short ver.

あわせて、制作のコンセプトや使用ツールも紹介します。


ー目次ー
  1. 制作した動画
  2. 作品の概要
  3. 制作の所感
    1. 独自解釈テーマの背景
    2. 登場モデルと配役

1.制作した動画




2.作品の概要


3.制作の所感

1. 独自解釈テーマの背景

独自解釈テーマは
「毒親を棄て、仲間と生きていく」

 確かに、厳しい生い立ちは
 人生ゲームをハードモードでスタートさせる。
 が、自分を振り返り、癒し、前を向くことで、
 いくらでも幸せに生きていける。


それを伝えたくて作った作品です。



僕自身、以前は劣等感のかたまりでした。
ネガティブで、無表情で、空虚な目をしていました。

数年前から親子関係の本を読んだり、
人間の心理を学び始めてから変わりました。

苦しかった親との関係と向き合う中で、
自分の中の怒りや劣等感の根源を見つけることができました。

そうして立ち直ることができたのは、
大好きなことや、支えてくれる仲間に出会えたからです。


ずっと続けてきたバスケ。
鬱病から立ち直らせてくれた音楽、ダンス。
内面を表現する自由をくれたブログ、動画制作。

そして、それらを楽しむ中で出会えた仲間。



親との関係を振り返る過程で、
親を責めたり、親のせいにしたりしてもいいと思います。
親からもらえなかった愛情に飢える自分がいてもいいんです。

事実、自分は苦しかったんだから。

それでもタイムリープができない以上、
親からもらえなかったものはもう手に入りません。

それを受け入れ、親以外に心の支えを見つけること。
最終的に自分を支えられるのは自分だけだと悟ること。

その手助けをしてくれるのは、
好きなことや仲間との出会いです。

歌詞の言葉をお借りするなら、
苦しい親との関係には「緋い幕を降ろしましょう」

2. 登場モデルと配役

<メインパーティ>
・女魔法使い(主人公、赤衣装、紫髪)
・女僧侶(シスター風衣装、青髪)
・男賢者(グレーコート、銀髪)
・女商人(道具屋衣装、赤髪)
 +彼らの子ども時代4人

<シルエットのみ>
・女魔法使いの父親
・女魔法使いの母親

僕は本当に、良い時代に生きていると思います。

オリジナルキャラを作れるVRoid Studio、
作ったキャラを動かせるMikuMikuDance(MMD)、

こんなにも、
”表現したい欲求”を叶えてくれるものが揃っている時代ですから。


もっと技術を磨いて、いろんな表現に触れて、
動画制作を楽しみたいと思います。











2022年05月20日

【同調圧力】外でもマスクをする理由は”みんなしているから”か。

ー目次ー
  1. マスク1枚に求めるものは、機能ではなく安心か
  2. 従いたくなる言葉、”みんなマスクを付けていますよ”
  3. ”同調するから嫌わないよね?!”という甘えの心理
  4. ”世間様の目”は、自分の命や健康よりも大切か?

1.マスク1枚に求めるものは、機能ではなく安心か

ノーマスクで電車に乗ることに慣れてきた。
幸い「マスク警察」に声をかけられたことはない。

最初は周りからの視線が気になったが、
今ではマスクをしない自由への喜びが勝る。

街を歩いても「自粛しろ」という閉塞感は感じない。

多くの人が出歩いているし、
もはや「コロナ怖い」という雰囲気でもなくなっている。



にもかかわらず、
街を歩く人のほとんどが未だにマスクをしているのはなぜだろう。


「思いやり」「飛沫云々」「マナー」というのは
キレイな建て前でしかないと思う。

カンセンして重症化するのが怖いから?
多くの人が本当に怖がっているのはそこじゃないのでは?



僕には、多くの人たちがマスク1枚に
「”みんなと同じ”という安心」を求めているように見える。


そして、その安心の根底には
「みんなに同調しないと嫌われる」という不安が隠れている。

本当に怖いのはウィルスではなく、人間からの村八分。
この国には、布1枚で簡単に仲間外れになる恐怖が染み付いている。


2.従いたくなる言葉、”みんなマスクを付けていますよ”

2020年、同志社大学が
「マスク着用の1番の目的は同調のためではないか」
という研究結果を発表している。

『マスク着用は感染防止よりも同調のため!?』

まだコロナ茶番が隆盛だった2020年でさえ、
「みんなしてるから」の割合がもっとも高かったのは驚きだ。

もちろん、この結果がすべてではないし、
調査対象も多くないので参考程度。

それでも、この研究結果から
「もっとも不安なのは自分の体調ではなく周りの目」
という傾向が見て取れる。



各国の国民性を表す「沈没船ジョーク」というものがある。

沈みそうな客船から乗客を脱出させたい。
そのために船長は各国の乗客を海へ飛び込ませたい。
どう言えば飛び込んでもらえるか。
アメリカ人に対しては
「飛び込めばあなたは英雄ですよ」

フランス人に対しては
「飛び込まないでください」

日本人に対しては
「みんな飛び込んでいますよ」

こういうジョークが生まれ、説得力を持つのは、
僕らがそれだけ同調圧力に怯えている証拠だ。

3.”同調するから嫌わないよね?!”という甘えの心理

『甘えの構造』によると、甘えとは
「相手の好意をつなぎ留めておきたい心理」だという。

「みんながしてるからマスクをしないと不安」というのは、
同調圧力が強い社会(と思っている人が多い)ということ。

そして同調圧力が強い社会とは、
他者への無言の期待=甘えが強い社会ということ。



 
みんなと同じくマスクをするのは
「同じことをすれば嫌わないでいてくれるだろう」
という、他者への甘えの心理がある。

裏返せば
「私はみんなと同じくマスクをするから、嫌わないでくれるよね?!」
というプレッシャーをかけ合っている。


甘えが良いか悪いかという問題ではないが、
昨今はマスク着用をめぐって互いに期待し合い、
相互監視しているように見える。



本当はマスクを外したい、いい加減わずらわしい、
なのに周りの目が不安で外せない、という人も多いと思う。

それは、この土地が
他者への無言の期待=甘えで成り立っている社会と知っているから。

その社会で同調を放棄することで、
「甘えさせてもらえなくなるのが怖い」からではないだろうか。


4.”世間様の目”は、自分の命や健康よりも大切か?

ノーマスクへの批判は簡単だ。

 思いやりがない
 マナーがなってない
 カンセンさせたらどうする


と言っておけば、
他者への気づかいができる
協調性の高い人間と評価してもらえる。

それはきっと正しいんだろう。
世渡り上手で、器用な生き方なんだろう。

「とりあえずマスクをしておけば文句はないだろう」
というのもまったく正しいと思う。

僕みたいに「マスクをしない自由」を謳う者は不器用で、
何かと損をするのかもしれない。




今日は晴れ、外はあたたかくて気持ちよかった。

僕は帰宅前に公園を歩いた。
短い春の空気と、満開のライラックの香りを楽しんだ。

周りのほとんどの人は、やはりマスクをしていた。
僕はその光景を見るたびに疑問に思った。



いちばん大切なのは自分の健康ではなく”世間様”なのか?
と。


「みんな飛び込んでいますよ」
「みんなマスクをしていますよ」

僕はそんな同調圧力に抗いたい。
マスクをしない”自由”を手にして生きたい。










posted by 理琉(ワタル) at 19:36 | TrackBack(0) | 生き方
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理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
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