2022年05月20日
【同調圧力】外でもマスクをする理由は”みんなしているから”か。
ー目次ー
ノーマスクで電車に乗ることに慣れてきた。
幸い「マスク警察」に声をかけられたことはない。
最初は周りからの視線が気になったが、
今ではマスクをしない自由への喜びが勝る。
街を歩いても「自粛しろ」という閉塞感は感じない。
多くの人が出歩いているし、
もはや「コロナ怖い」という雰囲気でもなくなっている。
にもかかわらず、
街を歩く人のほとんどが未だにマスクをしているのはなぜだろう。
「思いやり」「飛沫云々」「マナー」というのは
キレイな建て前でしかないと思う。
カンセンして重症化するのが怖いから?
多くの人が本当に怖がっているのはそこじゃないのでは?
僕には、多くの人たちがマスク1枚に
「”みんなと同じ”という安心」を求めているように見える。
そして、その安心の根底には
「みんなに同調しないと嫌われる」という不安が隠れている。
本当に怖いのはウィルスではなく、人間からの村八分。
この国には、布1枚で簡単に仲間外れになる恐怖が染み付いている。
2020年、同志社大学が
「マスク着用の1番の目的は同調のためではないか」
という研究結果を発表している。
『マスク着用は感染防止よりも同調のため!?』
まだコロナ茶番が隆盛だった2020年でさえ、
「みんなしてるから」の割合がもっとも高かったのは驚きだ。
もちろん、この結果がすべてではないし、
調査対象も多くないので参考程度。
それでも、この研究結果から
「もっとも不安なのは自分の体調ではなく周りの目」
という傾向が見て取れる。
各国の国民性を表す「沈没船ジョーク」というものがある。
沈みそうな客船から乗客を脱出させたい。
そのために船長は各国の乗客を海へ飛び込ませたい。
どう言えば飛び込んでもらえるか。
こういうジョークが生まれ、説得力を持つのは、
僕らがそれだけ同調圧力に怯えている証拠だ。
『甘えの構造』によると、甘えとは
「相手の好意をつなぎ留めておきたい心理」だという。
「みんながしてるからマスクをしないと不安」というのは、
同調圧力が強い社会(と思っている人が多い)ということ。
そして同調圧力が強い社会とは、
他者への無言の期待=甘えが強い社会ということ。
みんなと同じくマスクをするのは
「同じことをすれば嫌わないでいてくれるだろう」
という、他者への甘えの心理がある。
裏返せば
「私はみんなと同じくマスクをするから、嫌わないでくれるよね?!」
というプレッシャーをかけ合っている。
甘えが良いか悪いかという問題ではないが、
昨今はマスク着用をめぐって互いに期待し合い、
相互監視しているように見える。
本当はマスクを外したい、いい加減わずらわしい、
なのに周りの目が不安で外せない、という人も多いと思う。
それは、この土地が
他者への無言の期待=甘えで成り立っている社会と知っているから。
その社会で同調を放棄することで、
「甘えさせてもらえなくなるのが怖い」からではないだろうか。
ノーマスクへの批判は簡単だ。
思いやりがない
マナーがなってない
カンセンさせたらどうする
と言っておけば、
他者への気づかいができる
協調性の高い人間と評価してもらえる。
それはきっと正しいんだろう。
世渡り上手で、器用な生き方なんだろう。
「とりあえずマスクをしておけば文句はないだろう」
というのもまったく正しいと思う。
僕みたいに「マスクをしない自由」を謳う者は不器用で、
何かと損をするのかもしれない。
今日は晴れ、外はあたたかくて気持ちよかった。
僕は帰宅前に公園を歩いた。
短い春の空気と、満開のライラックの香りを楽しんだ。
周りのほとんどの人は、やはりマスクをしていた。
僕はその光景を見るたびに疑問に思った。
いちばん大切なのは自分の健康ではなく”世間様”なのか?
と。
「みんな飛び込んでいますよ」
「みんなマスクをしていますよ」
僕はそんな同調圧力に抗いたい。
マスクをしない”自由”を手にして生きたい。
- マスク1枚に求めるものは、機能ではなく安心か
- 従いたくなる言葉、”みんなマスクを付けていますよ”
- ”同調するから嫌わないよね?!”という甘えの心理
- ”世間様の目”は、自分の命や健康よりも大切か?
1.マスク1枚に求めるものは、機能ではなく安心か
ノーマスクで電車に乗ることに慣れてきた。
幸い「マスク警察」に声をかけられたことはない。
最初は周りからの視線が気になったが、
今ではマスクをしない自由への喜びが勝る。
街を歩いても「自粛しろ」という閉塞感は感じない。
多くの人が出歩いているし、
もはや「コロナ怖い」という雰囲気でもなくなっている。
にもかかわらず、
街を歩く人のほとんどが未だにマスクをしているのはなぜだろう。
「思いやり」「飛沫云々」「マナー」というのは
キレイな建て前でしかないと思う。
カンセンして重症化するのが怖いから?
多くの人が本当に怖がっているのはそこじゃないのでは?
僕には、多くの人たちがマスク1枚に
「”みんなと同じ”という安心」を求めているように見える。
そして、その安心の根底には
「みんなに同調しないと嫌われる」という不安が隠れている。
本当に怖いのはウィルスではなく、人間からの村八分。
この国には、布1枚で簡単に仲間外れになる恐怖が染み付いている。
2.従いたくなる言葉、”みんなマスクを付けていますよ”
2020年、同志社大学が
「マスク着用の1番の目的は同調のためではないか」
という研究結果を発表している。
『マスク着用は感染防止よりも同調のため!?』
まだコロナ茶番が隆盛だった2020年でさえ、
「みんなしてるから」の割合がもっとも高かったのは驚きだ。
もちろん、この結果がすべてではないし、
調査対象も多くないので参考程度。
それでも、この研究結果から
「もっとも不安なのは自分の体調ではなく周りの目」
という傾向が見て取れる。
各国の国民性を表す「沈没船ジョーク」というものがある。
沈みそうな客船から乗客を脱出させたい。
そのために船長は各国の乗客を海へ飛び込ませたい。
どう言えば飛び込んでもらえるか。
アメリカ人に対しては
「飛び込めばあなたは英雄ですよ」
フランス人に対しては
「飛び込まないでください」
日本人に対しては
「みんな飛び込んでいますよ」
こういうジョークが生まれ、説得力を持つのは、
僕らがそれだけ同調圧力に怯えている証拠だ。
3.”同調するから嫌わないよね?!”という甘えの心理
『甘えの構造』によると、甘えとは
「相手の好意をつなぎ留めておきたい心理」だという。
「みんながしてるからマスクをしないと不安」というのは、
同調圧力が強い社会(と思っている人が多い)ということ。
そして同調圧力が強い社会とは、
他者への無言の期待=甘えが強い社会ということ。
みんなと同じくマスクをするのは
「同じことをすれば嫌わないでいてくれるだろう」
という、他者への甘えの心理がある。
裏返せば
「私はみんなと同じくマスクをするから、嫌わないでくれるよね?!」
というプレッシャーをかけ合っている。
甘えが良いか悪いかという問題ではないが、
昨今はマスク着用をめぐって互いに期待し合い、
相互監視しているように見える。
本当はマスクを外したい、いい加減わずらわしい、
なのに周りの目が不安で外せない、という人も多いと思う。
それは、この土地が
他者への無言の期待=甘えで成り立っている社会と知っているから。
その社会で同調を放棄することで、
「甘えさせてもらえなくなるのが怖い」からではないだろうか。
4.”世間様の目”は、自分の命や健康よりも大切か?
ノーマスクへの批判は簡単だ。
思いやりがない
マナーがなってない
カンセンさせたらどうする
と言っておけば、
他者への気づかいができる
協調性の高い人間と評価してもらえる。
それはきっと正しいんだろう。
世渡り上手で、器用な生き方なんだろう。
「とりあえずマスクをしておけば文句はないだろう」
というのもまったく正しいと思う。
僕みたいに「マスクをしない自由」を謳う者は不器用で、
何かと損をするのかもしれない。
今日は晴れ、外はあたたかくて気持ちよかった。
僕は帰宅前に公園を歩いた。
短い春の空気と、満開のライラックの香りを楽しんだ。
周りのほとんどの人は、やはりマスクをしていた。
僕はその光景を見るたびに疑問に思った。
いちばん大切なのは自分の健康ではなく”世間様”なのか?
と。
「みんな飛び込んでいますよ」
「みんなマスクをしていますよ」
僕はそんな同調圧力に抗いたい。
マスクをしない”自由”を手にして生きたい。
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