アフィリエイト広告を利用しています

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2022年05月12日

【きょうだい差別】親にとっての”悪い子”は、支配できない子。

ー目次ー
  1. きょうだい差別されるのは、自分の意志を持つ子
  2. ”悪い子”とは、親の価値を高めない子
  3. ”あなたのため”は、”私が不安だから支配させなさい”
  4. あなたが親にとっての”悪い子”なら、誇っていい

1.きょうだい差別されるのは、自分の意志を持つ子

あなたには兄弟姉妹がいるだろうか。

もしいるなら、たとえば親が
「かわいがる子と、かわいがらない子を差別していた」
ことはなかっただろうか。

・親はお兄ちゃんや妹ばかりかわいがり、私はほったらかし
・親は姉や弟のことは褒めるのに、私は否定ばかり
・親は私にばかり厳しくし、下の子は甘やかした

こんなふうに、
あなたが他のきょうだいよりも不遇だったなら、
今もこんな思いに苦しんでいないだろうか。

「どうして私だけ…?」
「私は実の子じゃないの?」
「私はいらない存在なの?」



あなたが親から愛されなかったのは、
決してあなたが”悪い子”だからじゃない。

親があなたを支配できなかったからだ。
あなたが自分の意志を持ち、自分の人生を生きようとしたからだ。


2.”悪い子”とは、親の価値を高めない子

「親はすべてのきょうだいに平等な愛情を注ぐはず」
できれば、そういう母性神話・父性神話を信じていたい。

しかし現実は残酷だ。

「この子はかわいいが、この子はかわいくない」
そんなきょうだい差別は残念ながら存在する。

そして、親のきょうだい差別が強いほど、
「かわいくない子」「悪い子」と判定された子は苦しむ。



いったい何が、親にその判定をさせるのか。
それは

「その子が親自身の価値を高めてくれるかどうか」

に集約されるのではないか。

その子は独立した人格というよりも、
自分の身代わりであり、分身であり、さらには賞賛の鏡である。


その子の可愛いらしさや優秀さは、親自身の優越性を映し出し、
親の自己愛をこのうえなく満足させる。

賞賛の鏡である子どもは、主体性をもってはいけない。
盲目的に親を讃え、愛さねばならない。

『きょうだいコンプレックス』 より

かわいい子とは、親に「自分はすごい」と思わせてくれる子。
かわいくない子とは、親に「自分はダメだ」と思わせてくる子。

良い子、悪い子を作り出しているのはあなたではなく親。
支配欲を持て余し、心の問題を放置してきた親自身だ。

3.”あなたのため”は、”私が不安だから支配させなさい”

親は不安にかられて子どもを支配する。

その不安とは
「世間様からの、自分の評価が落ちる不安」

自分で自分の価値を認められないから、
”世間様”というあいまいな他人に自分の評価をゆだねる。



親に従順な子は、親の不安を解消してくれる。

 この子なら世間様から評価されるだろう
 そしたら親である自分の評価も上がるだろう
 何しろ、私が正しいと思うことだけやらせたんだから

こうして、その子は”良い子”と認定される。



自分の意志を持つ子は、親の理想を体現してくれない。
親は「世間様からの、自分の評価が落ちる不安」にさらされる。


だから支配しようとする。

「良い子の親である自分はすごい」
という幻想が打ち砕かれるのが怖いから。

自己愛的な親は、
従順で扱いやすい子どもをペットのように手なずけ、
一番のお気に入りにする傾向がある。

気骨があり、自分の信条や信念を持つような人間は、
煙たい存在でしかない。


つまり、見所のある子どもほど、
しばしば自己愛的な親からは疎まれることになる。

『きょうだいコンプレックス』 より

親はその不安をごまかすため、子どもへこう言う。

「あなたのためを思って」

本当に”あなたのためを思って”いるのなら、
子どもを「悪い子」と判定するだろうか。

子どもをけなす、きょうだい差別する、
それが”あなたのため”と矛盾していることに、
親は気づいているだろうか。

親は否定するかもしれないが、”あなたのため”を翻訳するとこうだ。



「あなたが私の思い通りになってくれないと”私が”不安」

4.あなたが親にとっての”悪い子”なら、誇っていい

「親の言う通りにしない自分は間違っているのか?」
「自分が好きなことをすると後ろめたさに襲われる」

その罪悪感は決して、あなたが”悪い子”だから生まれたものじゃない。
親があなたを支配し続けるために植え付けたものだ。




「きょうだいよりも、親から疎まれた」
「きょうだいよりも、親から愛されなかった」

その悲しみは一生、消えないかもしれない。
”悪い子”扱いされたあなたは、ずっと苦しんできただろう。

それでも罪悪感と戦い、ここまで生きてきた自分を誇ってほしい。
親に支配されず、自分の意志で決断してきたことを誇ってほしい。




親に従順な人生ではなく、自分で決める人生を選べるあなたが、
”悪い子”なわけがないんだから。



親は変わらない、最大の復讐は自分が幸せになること。

子どもがいらないのは、ずっと”親の親”をやってきたから。










posted by 理琉(ワタル) at 19:29 | TrackBack(0) | 家族

2022年05月02日

【スマホネグレクトの現実】親の愛情をあきらめる”良い子”たち。

ー目次ー
  1. スマホネグレクトの現場を見た
  2. これ以上、この人に愛情を求めてもムダだ
  3. 1番大切なのは、親自身の理想と満足
  4. 脳の注目を独占するスマホと、子育て受難の時代
  5. ”良い子”の悲しみが、お母さんに届きますように

1.スマホネグレクトの現場を見た

ある日、僕はとある始発駅から電車に乗った。

若くてきれいなお母さんと、
5〜6歳くらいの男の子が乗ってきた。

お母さんは男の子と手をつないで歩いてきたが、
片手にスマホ、視線もスマホだった。


2人は僕の向かいの席に座った。

お母さんはとても姿勢よく座っていたが、
ずっと手に持ったスマホをいじっていた。

男の子は時おり、お母さんに話しかけたが、
お母さんは気のない返事をするだけだった。

男の子の方を向くそぶりは見せなかった。



「間もなく発車します」
アナウンスの後、電車のドアが閉まった。

男の子はおとなしくしていた。
泣くことも、「お母さん聞いて聞いて」と騒ぐこともなかった。

大人に言わせれば、
あの子は「電車でおとなしくしていられる良い子」だった。

だけど、僕はそうは思わなかった。
僕は泣きそうになるのを必死でこらえた。



僕にはなんとなくわかった。
あの子はあきらめたんだ。

親にとって1番大切な存在であることを。
親からの1番の愛情や注目をもらうことを。

あの子は悟ってしまったんだ。
親は自分よりもスマホの方が大切だということを。


僕は「スマホネグレクト」の現実を見てしまった。

2.これ以上、この人に愛情を求めてもムダだ

子どもが親から十分にかまってもらえないと、
子どもの行動は「抵抗→絶望→離脱」と移り変わるそうだ。


自分が親から愛されているかを確かめるために。

親に話しかけても反応してくれなければ、
「ねぇ見て見て!聞いて聞いて!」と抵抗する。
泣いたり、わざと問題を起こしたりして「試し行動」をする。

それでも親から注目をもらえなければ、子どもは絶望する。
そして、あきらめて離脱する。

何もしなくなる。泣くことも、親に話しかけることも。

それは決して「良い子」になったからじゃない。
もう、裏切られて傷つきたくないからだ。

子どもが親に世話や関心を求めても、
無視され、期待を裏切られる状況が繰り返されると、
子どもは、やがて期待するのをやめ、傷つくのを避けるようになる。


(中略)
すべてのモチベーションや行動は、それによって心地よい応答、
つまり報酬が与えられて初めて強化され、継続されるからである。

回避性愛着障害〜絆が稀薄な人たち〜 第2章”ネグレクトと回避” より


親は、公共の場で静かにする子どもを見て喜ぶかもしれない。
自分のしつけや子育てが成功したと思うかもしれない。

そんな親の満足感は虚構だ。

「良い親」として悦に浸っているその裏で、
子どもに見限られているんだ。

「これ以上、この人に愛情を求めてもムダだ」と。

3.1番大切なのは、親自身の理想と満足

僕はあの子と同じくらいの頃に、同じ道をたどった。

親には僕の気持ちを知ろうという意思がないこと、
僕を放任していたのではなく無関心だったことを悟った。

僕が子どもの頃にはスマホなんてなかった。
ネグレクトという言葉も知らなかった。

それでも、

「親が1番大切なのは僕じゃない、親自身の理想と満足だ」

認めたくないその事実を受け入れたとき、
自分の中で何かが決定的に冷めた。



あの子はまだ、かすかに「抵抗」していた。
電車内を見回して、気づいたことをお母さんに話しかけていた。

それでも、お母さんの視線はスマホから少しも動かなかった。

電車が走り出す頃には、あの子の口は完全に閉じていた。
その目は虚ろで、光が消えたように見えた。

あの子がスマホを与えられたら、
スマホ以外に無関心になるかもしれない。

もしそうなっても、親が子どもを責めるのは筋違いだ。
自分自身が「大人のモデル」として、
子どもに無関心な姿を見せ続けてきたんだから。


4.脳の注目を独占するスマホと、子育て受難の時代

『スマホ脳』によれば、
スマホは人間の興味を独り占めするように作られているという。

・ゲームで勝ちたい、快感を味わいたい
・新しいことが知りたい、誰かのゴシップが知りたい
・いいねがほしい、承認されたい、自分のことを話したい

それらの欲求は「周りを知り、仲間外れを防いで生き延びるため」。
スマホはそんな人間の脳の習性を利用し、依存させてくる。

だからスマホが手放せなくなるのは、
「ヒトが生き延びるための、ごく自然な行為」とも言える。




それに、現代は本当に子育て受難の時代だと思う。

核家族化、個人主義化、自己責任化が進み、
誰にも手伝ってもらえない、孤独な子育てが当たり前になっている。

余裕がない、助けもない、
何かあれば「毒親」とバッシングされる風潮。

こんな過酷な子育て環境で、
親が救いを求めるようにスマホへ依存するのも無理はない。

労力も対価も不要で、楽しくて、快感を得られる場所。
退路のない現実の子育てから唯一、逃げられる世界。
それがスマホの中なのだから。


5.”良い子”の悲しみが、お母さんに届きますように

僕は親になったことがないし、なるつもりもない。

僕が言えるのは子育てられる側の悲しみ。
だから、子ども視点からの意見になることをお許し願いたい。



僕の親も、電車で会った親も、
きっと「ネグレクトした」だなんて思っていないだろう。

残念ながら、ネグレクトされたかどうかを決めるのは親じゃないんだ。

親からすれば、本当に理不尽だ。
人生の多くを犠牲にして育てたのに、
結果が子どもからの一方的な意見に左右されるんだから。



それをわかった上でも、子育てられただけの僕は実感する。

「親が1番関心があるのは自分じゃない」
幼い頃にその絶望を味わってしまったら、
もうその傷を”無かったこと”にはできない。

生涯が「誰も自分に興味がない絶望」との戦いになる。


あの「良い子」の悲しみが、いつの日かお母さんに届くことを願う。












オーディオブック配信サービス - audiobook.jp
posted by 理琉(ワタル) at 19:53 | TrackBack(0) | 家族

2022年04月22日

【自作MV13作目・初Vroid】魔王魂『煉獄セレナーデ』ショートver。

僕は2020年12月より動画制作を始め、
YouTubeへの投稿をスタートしました。

本記事で紹介するのは、
英訳つき自作ミュージックビデオ13作目:

魔王魂『煉獄セレナーデ』ショートver.

あわせて、制作のコンセプトや使用ツールも紹介します。


ー目次ー
  1. 制作した動画
  2. 作品の概要
  3. 制作の所感
    1. 独自解釈テーマの背景
    2. 3Dモデル制作始めました

1.制作した動画




2.作品の概要


3.制作の所感

1. 独自解釈テーマの背景

独自解釈テーマは
「回避依存症の母 〜もらえなかった愛情〜」

モデルは僕の母で、
僕の幼少期の実体験をもとに作りました。

「回避依存症」とは他者と親しくなることや、
情緒的なかかわりを避けることで自分の心を守ろうとする傾向です。



母に対する僕の印象は
「家事という”業務”以外のあらゆる責任を避ける人」です。

父親が僕を怒鳴っても、外に放り出されても、
母は助けませんでした。

解放された後でも、子どものフォローをせず、
「お父さんは大変だから」と夫をフォローしました。

学校で何があったか、どんな気持ちになったかを
僕に尋ねたことは一度もありませんでした。

「子どもがかわいい」「もっとふれあいたい」
という気持ちは、母からは伝わってきませんでした。

伝わってきたのは
「主婦だから家事をし、親だから子育てをする」
という義務感や業務感でした。

母は自分から一切の発信をせず、
ただひたすら自分の殻に閉じこもっていました。

僕はそんな母を見て、すごく悲しい気持ちになりました。




そんな親子のすれ違いを、
少しでも描きたくて挑戦した作品です。

2. 3Dモデル制作始めました

今回は初めてのオリジナルキャラクター制作にも挑戦しました。

「VRoid Studio」を使って

・少女
・少女(子ども時代)
・お母さん

の3名のモデルを制作しました。
大まかな手順は

1. VRoid Studioでキャラを作る
2. MikuMikuDanceで動かせるように変換する
3. MikuMikuDanceでモーションを作る

ですが、この中では2がいちばん難しいです。

いろんな便利ツールを使って変換していくんですが、
手順を間違えて失敗を繰り返しました。

髪色がおかしかったり、腕が伸びたり、服が身体を貫通したり…。
彼女らがうまく動いてくれたときの感動は忘れません。



次回作でもオリジナルキャラを作ろうと思います。
動画制作は大変ですが、こんなに楽しいことに出会えて感謝です。






2022年04月08日

【オリジナル歌詞】『権力という虚像』

ー目次ー
  1. 歌詞
  2. 制作背景

1.歌詞

『権力という虚像』
<作詞:2022.4.8>

あなたは何に怯えているの?
あなたはなぜそんなに力がほしいの?



あなたの一声で大軍が動く
あなたの一存で大勢が死ぬ

「自分は万能だ」「完璧な人間だ」
あなたはなぜ そう錯覚していたいの?

 あなたの敵は あなたの外にはいない
 あなたの敵は あなたの中にいる自分
 失うことを恐れ 無力感に怯え
 うずくまる 少年のあなた自身じゃないの?



あなたは幾つも 虚像を立てた
陸地に海に 見えない線を引いて

「国」と呼ばれるそれはあなたのもの なのに
あなたはなぜ そこに隠れて震えているの?

 あなたの怯えを ごまかすために
 あなたの力を 誇示するために
 どれだけの命を散らすつもりなの?
 いつまで 国という虚像の後ろで震えているの?



「完璧な自分」「力ある自分」

あなたはそんな虚像が崩れることが
怖くてたまらないんじゃないの?

 あなたの怯えを ごまかすために
 あなたの力を 誇示するために
 どれだけの命を散らすつもりなの?
 いつまで 国という虚像の後ろで震えているの?


 あなたの敵は あなたの外にはいない
 あなたの敵は あなたの中にいる自分
 失うことを恐れ 無力感に怯え
 うずくまる 少年のあなた自身じゃないの?


2.制作背景

テーマは『自己愛が崩れる恐怖』です。

・ロシアのウクライナ侵攻
『サピエンス全史』

から、考えたことを歌詞にしました。



 ロシアのプーチン
 カンボジアのポルポト
 ソ連のスターリン
 ドイツのヒトラー

など、歴史上「独裁者」と呼ばれる人物は、
心に大きなコンプレックスを抱えていたんじゃないかと思います。


なぜ、多くの人を傷つけてまで力を求めるのか。
その根底には、強い劣等感が垣間見えます。


「無力な自分を見たくない」
「特別じゃない自分など認めたくない」

そんな自分を直視したら崩れてしまう。
だから権力という虚像で隠そうとしているように見えます。



『サピエンス全史』では、人間が地球を支配できたのは
「フィクションを集団で信じる力」だと指摘しています。

たとえば国境を引いて「同じ国民」と言えば、
その中にいる人たちにも「同胞」と信じさせることができます。

本当は土地に線なんてないのに、
多くの人に信じさせ、協力させられる力。

たとえその協力が
「線の外にいる人たちを殺す」だとしても。

それを権力と呼ぶのなら、
多くの命が権力者のコンプレックス解消のために消えています。



権力者として上に行けば行くほど、
自分をかえりみる能力が失われるそうです。

誰もが自分の思い通りに動き、
自分をいさめてくれる人がいなくなるからです。

だから彼らに「心の奥底をかえりみてほしい」と言っても
難しいかもしれません。

それでも、彼らの都合で命が失われています。
そんなのおかしいです。

独裁者の皆さまには、どうか自分の心の底を見つめてほしい。
自分の中の「無力感に怯える少年」に気づいてほしいです。
















posted by 理琉(ワタル) at 19:36 | TrackBack(0) | 歌詞

2022年04月05日

【親からの禁止令】好きなことを楽しむ人が許せないのはなぜか。

あなたは、たとえば

パートナーが趣味に没頭しているのが許せないだろうか。
パートナーが遊びに行くことを許可制にしていないだろうか。


 『お互い、特に予定がないときでさえ、
  なぜかパートナーが楽しみに行くことが許せない』
 『なぜか、「自由時間はそれぞれ好きなことに使えばいい」と思えない』

そんな気持ちにならないだろうか。



あなたはなぜ、
そんなにも「楽しむこと」を禁じてしまうんだろうか。

あなたはなぜ、
他人からも自分からも「やりたいこと」を遠ざけたくなるんだろうか。



ー目次ー
  1. 好きなことができなかった親の後悔
  2. 親の嫉妬”あなただけ好きなことをするなんて許せない”
  3. 親の復讐に付き合う必要はない

1.好きなことができなかった親の後悔

あなたの親は、楽しそうに生きていただろうか。
それとも、我慢にまみれて生きていただろうか。

もし、あなたの目から見た親が
好きなことをして生きていないなら、
たとえばこんな口癖がなかっただろうか。

「やらなくてもいい」
「やめておけばいい」


親はそう言って、規制や我慢を強いてこなかっただろうか。

そんな親の人生を振り返ったとき、
たとえばこんな後悔を口にしていなかっただろうか。



 『本当はやりたいことがあったのに、親の親に禁じられてできなかった』



あなたが自他ともに
好きなことをすることに抵抗感を覚えるなら、
その起源はきっと「親の嫉妬」を浴び続けてきたからだ。

『私はできなかったのに、お前だけ好きなことをするなんて許さない』
そんな親の嫉妬を。

2.親の嫉妬”あなただけ好きなことをするなんて許せない”

あなたの親は、

 『自分はやりたいことができなかったから
  子どもには好きなことをして生きてもらいたい』

と考える人だろうか。
それとも、

 『自分はやりたいことができなかったから
  子どもにも同じ苦しみを味わわせたい』


と考える人だろうか。




もちろん、真意は親にしかわからないし、
親本人にだって自覚はないだろう。

だが、親は表面的に
「好きなことをやりなさい」と言っても、

言葉や態度の端々に
「これ以上は許さない」という意思を
感じ取ったことはないだろうか。



それは親の嫉妬だ。

親があなたの年齢のときにできなかった、
好きなことをしようとすることへの嫉妬。

親があのとき、好きなことができなかった悔しさ、
親の親に逆らえなかった悔しさ。
「自分は理不尽な目に遭い、つらい思いをした」という被害者意識が強いほど、
自分と同じような体験を他の誰かに味わわせようとする。

いや、より正確には、
自分がつらい思いをした体験を他の誰かに味わわせることによってしか、
その体験を乗り越えられないというべきだろう。


『子どもを攻撃せずにはいられない親』第2章”なぜ子どもを攻撃するのか” より


あなたの親はきっと、その悔しさを乗り越えるために、
自分の子どもを自由にさせる方法を選べなかった。

本当は悔しくて泣いている自分を慰めるため、
我慢にまみれる子どもの姿を見る方法を選んでしまった。


自分の人生への後悔に折り合いをつけるため、
自分も他人も楽しむことを禁じてしまった。

3.親の復讐に付き合う必要はない

自分にも他人にも「楽しむこと」「好きなことをすること」を禁じてしまう。
そんなあなたは、親の嫉妬の犠牲者だ。

 『私は苦しんだんだから、お前も苦しめ』
 『私はできなかったのに、お前だけ好きなことをするなんて許さない』


そんな、親の嫉妬の。
親があなたに送り続けた「楽しむな」という禁止令の。



親が本当に、やりたかったことを禁止されてきたなら。
それはとても気の毒で、苦しみは察するにあまりある。

それでも、あなたまで親の復讐に付き合う必要はない。

あなたの親は、
本当は親の親にしたかった復讐をあなたにしているだけ。
あなたは優しいから、それを受け止めてあげただけ。


だから、もういい。

あなたは自分を縛る必要も、
自分に禁止令を出し続ける必要もない。
もう、親の期待に応えなくていい。



きっと、あなたがパートナーに言う
「やらなくてもいい」「やめておけばいい」は、
あなた自身の言葉じゃない。

あなたに嫉妬した、あなたの親の言葉だ。









posted by 理琉(ワタル) at 19:50 | TrackBack(0) | 家族

2022年04月01日

【短編小説】『僕は王様さえ奴隷にできる』

いまや生態系のトップとなり、
地球に大きな影響を与える力を持つサピエンス。

その強力なサピエンスを見事に操作し、
農業革命によって最も恩恵を受けたのは、主食となる植物だ。


『まんがでわかる サピエンス全史の読み方』 より


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー



僕はすべてのニンゲンを奴隷にできる。
王様も、世界の支配者さえも、僕の意のままだ。


僕は何もしなくても生きていける。
いっさいお金を払わなくても、
ニンゲンたちが家も食べ物も用意してくれる。

ニンゲンたちは僕らを天敵から守ってくれるし、
手厚く世話してくれる。

ニンゲンたちは毎年、
僕らが栄えるかどうか不安で仕方ないみたいだ。


僕らの出来しだいで、
たくさんのニンゲンの生死が決まるんだから当然か。
何せ、僕はきみらニンゲンの主人なんだから。



ニンゲンの先祖はアフリカ大陸から
何十万年もかけて世界中へ移動したと聞く。

今は地球の支配者づらしてるけど、
それまでは猛獣に怯えながら細々とやってたんだろ?

僕らだってそうさ。
かつてはコーカサスの山奥でひっそり暮らしてたよ。

それが、今や地球上にはニンゲンよりも僕の仲間の方が多い。
わずか1万年で、僕らはニンゲンを超える繫栄を手に入れたんだ。



ニンゲンは昔も今も、戦争ばっかりやってるね。

陸地にも海にも、勝手に見えない線を引いてさ、
「我が国」「我が民族」と一括りにしては、
その外にいるお隣さんを殺してばかり。


だけどニンゲンは、同じニンゲンには平気で攻撃するのに、
僕らには攻撃しないよね。

僕らは無抵抗だし、武器も持ってない。

ニンゲンの中には、
そういう者をいたぶるのが好きな奴らだっているのに、
誰ひとり僕らに手出ししないのはどうしてだい?



「王様でさえ従えるなんてできるはずがない」
「すべてを決められるのはカネと力のある者だけ」

そう思うかい?

できるんだよ。言っただろう?
きみらニンゲンの生死は僕らの繫栄によって決まると。

なぜかって?
王様だろうと世界の支配者だろうと、食べなければ死ぬからさ。

そういえば、自己紹介が遅れたね。














僕は『小麦』っていうんだ。

名前くらいは聞いたことあるだろ?










「稲」「トウモロコシ」「ジャガイモ」?

あぁ、あいつらは同業さ。
ニンゲンたちには「主食」って呼ばれてる。




「オウサマ」も「シハイシャ」も、
ニンゲンが勝手に想像したフィクションだろ?

もし、きみがあと1時間で餓死するとして、
目の前に「パン」と「肩書き”シハイシャ”」が
落ちてたらどちらを拾う?肩書きは食べられるかい?


僕がすべてのニンゲンを支配できると言ったのは、
そういうことさ。

肩書きがなくなったってすぐには死なない。
けど、食べ物の僕らがいなくなったら、
きみたちは生きてすらいられないだろ?



だからニンゲンたちよ、
きみらはこれからもせっせと僕らの世話をしてくれよ。
地上を僕らでいっぱいにしてくれよ。

ニンゲンたちが増えれば増えるほど、
僕らがたくさん必要になるんだろ?

ニンゲンたちが表向き「地球の支配者」を名乗りたいなら、
僕らを丁重に守り育てるほかないよ。

きみらは、僕らを栽培できると知ってしまったんだから。

きみらが「ノウギョウ」と呼んでいるそれを始めた時点で、
もう後戻りなんてできなくなったのさ。


そんなに増えたニンゲンたちの前で、
今さら「ノウギョウをやめる」なんて言えないだろ?
きみだって我が身が大事なはずだ。



とはいえ最近、僕らも少し、身体に違和感があってね。

どうやら「ノウヤク」「ジョソウザイ」を浴びすぎたみたいだ。
まぁ、おかげで僕らの数だけはとんでもなく増えたけどね。

きみらも最近、身体に違和感はないかい?

「テンカブツ」「スマホイゾンショウ」「シホンシュギ」
どっぷり浸かっちゃってさ。


ご先祖さまの話では、
野生の僕らを採って食べてた頃のニンゲンは、
もっと背筋がまっすぐだったそうだけど、僕の聞きまちがいかな?



ともあれ、そんな僕らの縁だ。
ここらで1つ、賭けをしようじゃないか。

世界中に広まって、
生き物として「勝ち組」になったと思い込んでる者同士、




















どちらが先に滅びるかを。


ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

ー農業革命ー

新しい農業労働にはあまりにも時間がかかるので、
人々は小麦畑のそばに定住せざるをえなくなった。
そのせいで、彼らの生活様式が完全に変わった。

私たちが小麦を栽培化したのではなく、
小麦が私たちを家畜化したのだ。


『サピエンス全史(上) 文明の構造と人類の幸福』 より
















2022年03月25日

遠まわしな頼みごとを察するのに疲れたら、気が利く人は冷たくなる。

あなたのまわりに1人は「とても気が利く人」がいるだろう。

その人はまわりをよく見ている。
こちらの言葉の行間をよく読み取ってくれる。

はっきりと「頼みごと」をしなくても、
こちらの「頼みたい意図」を察して動いてくれる。



そんな「とても気が利く人」が最近、
何だか冷たくなった気がする。

遠まわしな頼みごとを含ませても、察してくれなくなった。
優しくて、よく気がつく人だったのに…。


どうしてあんなに素っ気なくなってしまったんだろう?


ー目次ー
  1. あなたの遠まわしな頼みごとを察するのに疲れた
  2. あの人なら察して、勝手に動いてくれるだろう
  3. 見捨てられる恐怖に打ち勝ち、嫌われる勇気を持ったあの人
  4. 頼みごとは恥でも屈辱でもない

1.あなたの遠まわしな頼みごとを察するのに疲れた

まわりをよく見ていて、気が利く人の返事が、
なぜ素っ気なくなったのか。

それは

あなたの遠まわしな頼みごとを察するのに疲れたから。



たとえばあなたが
「今日は残業しなきゃいけないかなぁ…。」とつぶやいたとき。
以前のあの人は「私も手伝うよ」と言ってくれた。

だけど今は
「そうなんだ、大変そうだね」としか返事しなくなった。

あなたはそれを「冷たくなった」と思うかもしれない。

手伝ってほしい意図を察してくれなくなって、
「人が変わってしまった」と思うかもしれない。



気が利くあの人は、人が変わったんじゃない。
あの人は昔もいまも、まわりをよく見ている。

あなたが遠まわしに送る
「察して動いてよ」というサインに疲れたんだ。

あの人は、あなたの遠まわしな頼みごとを察しない勇気を持ったんだ。


2.あの人なら察して、勝手に動いてくれるだろう

「私には遠まわしに頼む意図なんてない」
「ただ”忙しい”という事実を言っただけ」


そう言いたいあなたの気持ちもわかる。

「嫌われたのかな…。」という不安や、
「急に何なの?!あの冷たい態度!」という憤りもあるだろう。



1つ、思い出してみてほしい。
あの人と接するあなたに、

「あの人なら察して、勝手に動いてくれるだろう」

という気持ちがなかったと言い切れるかどうかを。




あなたの中には、

「頼みごとをすることは、相手に負けを認めること」
「あの人は私より下だから、これくらいやらせても怒らないだろう」

という思い込みがないだろうか。

プライドが傷つくことへの恐れや、
断られることを避けたい気持ちが眠っていないだろうか。

もし、あの人が何か失敗しても、
「別に頼んでないし」と言う準備をしていなかっただろうか。


あの人は気が利くからと、都合よく扱ってこなかっただろうか。
「気が利くあの人なら離れていかない」と思っていなかっただろうか。

3.見捨てられる恐怖に打ち勝ち、嫌われる勇気を持ったあの人

あの人が他人の要望に敏感で、よく気がつくのは、
見捨てられるのが怖いから。


「人の役に立たないと自分には価値がない」
「何もしない自分は愛されない」

それを思い知る体験を繰り返してきたから、
必要とされる自分を演じてしまう。

自分の本当の要望を押し殺してまでも。

そうして無意識に自己犠牲してしまうところが、
気が利くあの人の課題。



だけど、あの人は気づいた。

このまま自分を押し殺して、
他人の要望を叶え続ける苦しさに。

そして、

”役に立たない自分”が誰かに嫌われても、
それは自分のせいじゃないことに。




あなたの遠まわしな頼みごとを、
あの人がどんな思いで叶えてきたのかはわからない。

それでも、きっとあの人は、

「誰かに嫌われる勇気」
「自分の気持ちを大切にする勇気」を持ったんだ。


あなたの遠まわしな頼みごとを察しなかったら、
あなたに嫌われるかもしれない。

気が利くあの人は、それを覚悟した上で、
あなたに嫌われる恐怖に打ち勝ったんだ。

4.頼みごとは恥でも屈辱でもない

遠まわしな頼みごとを察して、叶えてくれる人は便利だろう。
「頼んだわけじゃない」と、責任を負わなくていいのは楽だろう。

だけど、想像してほしい。

気が利くあの人は決して、
見捨てられる恐怖だけであなたと一緒にいるわけじゃない。
あなたという人間に魅力があるから、そばにいてくれるんだ。




だから、どうか気が利くあの人を大切にしてほしい。

「あなたの遠まわしな頼みごとを察するのに疲れた」
などと思わせないでほしい。

あなたに嫌われる覚悟をさせるほど、
我慢させていることを考えてみてほしい。



お願いや頼みごとは恥でも屈辱でもないし、
そこには勝ち負けも上下関係もないから。









【DMMブックス】
posted by 理琉(ワタル) at 19:00 | TrackBack(0) | 生き方

2022年03月22日

【自作MV12作目・初MMD】魔王魂『枯れない花』ショートver。

僕は2020年12月より動画制作を始め、
YouTubeへの投稿をスタートしました。

本記事で紹介するのは、
英訳つき自作ミュージックビデオ12作目:

魔王魂『枯れない花』ショートver.

あわせて、制作のコンセプトや使用ツールも紹介します。


ー目次ー
  1. 制作した動画
  2. 作品の概要
  3. 制作の所感
    1. 独自解釈テーマの背景
    2. MMD始めました

1.制作した動画




2.作品の概要


3.制作の所感

1. 独自解釈テーマの背景

独自解釈テーマは
「闇の外へ 〜うつ病から立ち直る〜」

 うつ病がもっともひどかった頃、世界はモノクロだった
 うつ病が回復するにつれて、見える世界に色が戻っていった


ことを表現しようとしました。

動画を完成させて、いちばん実感したのは
自分の表現力・技術力のなさでした。

伝えたい思いがある、イメージがある、
なのにそれを形にするスキルが足りませんでした。


それでも、表現することは楽しいです。
せっかくの経験を少しでも伝えられるよう、
これからも動画編集を学んでいきたいと思います。

2. MMD始めました

MMD(MikuMikuDance)を初めて使ってみました。
登場キャラクターが3Dモデルになり、表現の幅が広がりました。

まだまだ未熟で、1つ1つの動作を作るのも苦労しています。
「腕を上げる」「首をかしげる」という単純な動作でさえ、
最初は数時間かかりました。

「歩く」「振り返る」など、全身を使う動作はまだ作れません。
そこは先人さま方が作った「モーション」が配布されているので、
ありがたく使わせていただきました。



マンガ『ONE PIECE』がアニメ化されたとき、
原作者の尾田栄一郎先生は質問コーナーでこう言っていました。

「30分間のアニメは、1週間では作れない」

この言葉の重さを、
実際にアニメーションを作ってみて実感しています。

キャラクターの滑らかな動きは、
1秒間30枚のパラパラ漫画で構成されています。

それを登場人数分、30分。
いったい何万枚の絵が必要なのか…ものすごい労力です。

本動画は1分半、登場キャラクターは1人です。
作業は僕1人とはいえ、完成に20日かかりました。

今回の動画を作ったことで、
アニメを作る人たちがいかにすごいかを
身をもって知ることができました。





2022年03月18日

子どもの人生は、親の人生の敗者復活戦のためにあるんじゃない。

「親が成し遂げられなかった夢を子どもに託す」
「親が道半ばで挫折した志を子どもが引き継ぐ」


こういう”親子鷹”のような話は美しく語られる。
ときには感動の涙を、ときには届かなかった夢の美化を誘ってくる。

「オヤジができなかったことをオレがやる!」
「私がお母さんの夢を叶える!」

と。



ちょっと待ってほしい。

それで幸せになるのは子どもだろうか?それとも親だろうか?
その人生は本当に子どもの意志で選んだものだろうか?
親が洗脳して選ばせていないだろうか?

子どもの人生は、
親の人生の敗者復活戦に利用されていないだろうか?
親の夢を子どもに託すことは、本当に美しいことだろうか?



ー目次ー
  1. 親は期待を押しつけるばかりではなかったか
  2. 人生の敗北者ではないと証明したい親
  3. 父の怒りは、祖父の人生の代理戦争を戦わされた怒り
  4. 子どもの人生は、子どもがやりたいことをやるためにある

1.親は期待を押しつけるばかりではなかったか

親の意志を継いで生きることが、心から幸せならそれでいい。

親の稼業や会社を継ぐこと、親の果たせなかった夢を追うことが、
心から満足できる人生なら。



ただ、思い出してみてほしい。

あの頃の親は、子どもであるあなたが
どういう気持ちでいるかを尋ねたことがあっただろうか?

あの頃の親は、
あなたが本当は何をしたいか、何が好きで何が得意かに
関心を持ってくれたことがあっただろうか?




たとえば勉強や習いごとを、
一方的に押しつけてこなかっただろうか。

あなたがやりたいかはおかまいなしに、
親がやらせたいことばかり投げてこかっただろうか。

本当はつらくても、弱音を吐いたり、辞めたいと言ったりすると、
言葉や手足の刃が飛んでこなかっただろうか。

親に怒りをぶつけられ、
辞めることへの罪悪感をかき立てられなかっただろうか。




そうやって「自分の意志」を押さえつけられるうちに、
いつの間にか「親がやらせたいこと=自分がやりたいこと」に
同化していないだろうか。

自分が満足するための人生が、
親を満足させるための人生にすり替えられていないだろうか。


2.人生の敗北者ではないと証明したい親

・親が果たせなかった夢を子どもに叶えさせようとする
・親がやらせたいことを子どもに押しつける

親がそんなことをする理由はおそらく、



「自分は人生の敗北者ではないと証明するため」

これは、
親が自分の人生で味わった敗北感を子どもの成功によって払拭し、
傷ついた自己愛を修復したいからだろう。

いわば敗者復活のために子どもに代理戦争を戦わせるわけで、
親の期待は親の自己愛の再生にほかならないと痛感する。

『子どもを攻撃せずにはいられない親』第2章”なぜ子どもを攻撃するのか”より

親は無意識に、子どもを人間ではなく
「自分の人生の正しさを証明するための道具」
と見ているのかもしれない。

子どもの気持ちや、本当にやりたいことに関心がないのは、
「自分の人生の正しさを証明する」役に立たないから。

子どもが親の期待に応えられないと攻撃するのは、
「人生の正しさ証明用ツール」を失うことが怖くてたまらないから。


親はそれを防ぐために、必死で子どもを脅す。
子どもに罪悪感を植えつけ、辞めさせまいとする。

親が抱く”人生そのものを否定される恐怖”が、
子どもに代理戦争を強制させるんじゃないだろうか。

3.父の怒りは、祖父の人生の代理戦争を戦わされた怒り

僕の祖父は貧しい農家の末っ子だった。
学びたい思いを押し殺したまま、中学生になれず奉公へ出された。

家族を持ってからは、
「子どもには絶対に大学へ行かせたい」
そう強く願い、命を削って働き、病死した。

祖父の願いを浴び続けた僕の父は、とにかく勉強した。
父は有名大学を出て、教師となり、定年まで働いた。
ワーカホリックで、朝6時まで仕事し、7時に起きていた。



祖父の悔しさや願いも、父の人生も否定するつもりはない。
だから、これは僕の勝手な推測だ。

父は、祖父の期待に応えるために勉強し、受験に成功した。
なのに、僕は父が「成功者として幸せに生きている人」には見えなかった。

父はなぜ、あんなに攻撃的で、一方的で、怒りに満ちていたのか。
「男は家族のためにすべてを犠牲にして働け」という価値観を押しつけたのか。

仕事のストレスや睡眠不足もあるだろう。
ただそれ以上に、



「祖父の人生の代理戦争を戦わされたことへの怒り」



があったんじゃないだろうか。
<筆者の母へ暴言を吐く父に対して>

父の母への怒りの源泉は、
ずっと両親(祖父母)の言うとおりの人生を
生き続けてきたことへの怒りにあったのだと思います。

父も、心の傷が癒えないまま大人になってしまったのでしょう。

『毒父家族 ―親支配からの旅立ち』第4章”いびつな夫婦関係” より

父が僕へぶつけた怒り、押しつけた価値観の正体は、
祖父へ言いたくて、言えなかった怒りではないだろうか。


「本当は別の人生を歩みたかった」と
言いたかったんじゃないだろうか。

そして、父もまた、僕を使って証明したかったんだろう。
「親の代理戦争を戦った自分の人生は正しい」ことを。


4.子どもの人生は、子どもがやりたいことをやるためにある

この世界には、親の人生の敗者復活戦を
戦わされていない子どもがどれだけいるんだろう。

「自分は親の人生の敗者復活戦をさせられている」
それに気づいて離脱できた子どもがどれだけいるんだろう。

「親の意志を受け継いで」「宿命」という言葉は、
親の正当化のために使われていないだろうか?




あなたの怒りは、本当に目の前のできごとに対してか。
その根源は、親へ言いたくて言えなかった怒りではないか。

あなたの空虚感は、「親の期待=自分の希望」に同化させられ、
自分の意志がわからないからではないか。



子どもの人生は、親の人生の敗者復活戦のためにあるんじゃない。
子どもの人生は、子どもが本当にやりたいことをやるためにある。











posted by 理琉(ワタル) at 19:39 | TrackBack(0) | 家族

2022年03月11日

【うつ病経験】”生きている”と、”死んでいない”は違う。

僕は十数年前に、うつ病を発症した。

いまも抗うつ薬は欠かせないが、
自力で生活を送れるようになった。

仕事に行ったり、バスケや草野球に熱中したり、
こうしてブログを書いたりできるまでになった。



うつ病を経験して以来、つくづくこう思う。

「生きている」と「死んでいない」は違う

いったい何を言っているのか、と思われるだろう。

何をもって”死”なのか、脳死はどうなのか、
そういうことは難しくてわからない。

だから、これはうつ病経験者の個人的な感想。


ー目次ー
  1. うつ病はすべての気力を奪い、心を消し飛ばす
  2. うつ病の底に着くと、ただ死んでいないだけになる
  3. 人生に絶望できるうちは、まだ生きている
  4. うつ病になるのは、感情を抑圧しすぎたとき
  5. ”メンヘラ”を蔑称として使わないで
  6. ”生きている自分”の感情を大切に

1.うつ病はすべての気力を奪い、心を消し飛ばす

僕はうつ病を発症して数ヶ月後に仕事を辞めた。
そこから、さらに数ヶ月を寝たきりで過ごした。

目に映るのは、薄暗い部屋の天井だけ。
起き上がろうにも、身体が鉛のように重くて起きられなかった。

昼夜を問わず、すさまじい眠気に襲われた。
それもつらかったが、何よりつらかったのは、

「何をする気力もわいてこない」ことだった。

”何を”とは仕事や趣味などという、高度なことじゃない。
「指を動かそう」「目を開けよう」という気力すらわかないのだ。



この期間、僕は死んでいなかった。
いや、死んでいないだけで、生きてはいなかった。

細胞やら何やらが稼働して、生き物としては維持されていた。
しかしそれは、”ヒト型をした空っぽの入れ物が横たわっているだけ”だった。

ただ空虚だった。
自分が何を考えているのか、どんな感情でいるのかもわからなかった。

まるで、心が消し飛んでしまったようだった。

2.うつ病の底に着くと、ただ死んでいないだけになる

僕にはバスケという生きがいがあったおかげで、
立ち直ることができた。

動けるようになるにつれて、
自分が何を考えているのか、どんな感情でいるのかが、
少しずつわかるようになっていった。

この経験から、僕は

・”死んでいない”とは
 「心が消し飛んだか、マヒした状態」

・”生きている”とは
 「自分が何を考えているのか、どんな感情でいるのかがわかる状態」


ではないかと思うようになった。



突き詰めれば
「心なんてない、すべては脳の電気信号」なんだろう。

あらゆる感情は、脳が作り出した
「生き残るための指示の副産物」かもしれない。

そうだとしても、寝たきりだった頃の僕は、
脳がどんな信号を発しているかもわからなくなっていた。

3.人生に絶望できるうちは、まだ生きている

うつ病の進行から回復には、大きな波がある。

発症すると、短期間でどん底へ落ちる。
身体が重くなったり、眠気に襲われたりする。

その間の気分は、
「すべてをネガティブに捉える」「深く落ち込む」から、
やがて絶望へ変わっていく。

「生きていても仕方ない」とか、「自殺」とか、
うつ病と聞いて浮かぶイメージ通りの思いが頭を支配する。
これが「希死念慮」だ。



そして、本当に底の底まで落ちると、
絶望も希死念慮も消し飛ぶ。


自分の目は、薄暗い部屋の天井を映しているだけ。
自分の手足は、布団に横たわっている感触があるだけ。

何も感じない。
ただの装置と化した自分に対しても、何も思わない。
今後の人生を憂うことも、生きていても仕方ないと自責することも。


だから、



人生に絶望できるうちは、まだ生きている。



自分を諦めることも、絶望もできなくなったとき。
それが”生きている”から”死んでいない”に変わるときだ。

4.うつ病になるのは、感情を抑圧しすぎたとき

人はどんなときに、うつ病になってしまうのか。

僕は専門的なことはわからないが、
「長期間、我慢しすぎたとき」だと思う。

その我慢は本人が無自覚な場合が多い。
まるで起床したら顔を洗うかのように、
我慢が生活のルーティンになっている。



その我慢の中身は何かというと、
「自分の感情の抑圧」だ。

たとえば、

・親から怒鳴られたが言い返せなかった
・やりたくない塾や習い事をやらされたが拒否できなかった
・ケンカばかりする両親のために作り笑顔ですごした
・学校でいじめられても相談せずに耐えた

ときに、怒りや悲しみを抑圧する経験を繰り返すこと。

感情を表現したら親に捨てられる、
あるいはクラスメイトに嫌われる。

それを避けるため、生き延びるために、
人は自分の感情を押し殺してしまう。



「沸き上がった感情なんて一時的なものでしょ?
 その場を乗り切れるなら抑えたって問題ない」


僕はうつ病を患うまでそう思っていた。
だけどうつ病を経験して、骨身にしみてわかった。

感情を抑えても、その感情は消えずにたまっていく。



「私は我慢しすぎました」などと、
悲劇のヒロインを演じたいわけじゃない。

ただ、僕は痛い目にあったことで、
感情の抑圧が当たり前になることが
いかに危険かを理解したつもりだ。

自分では感情の抑圧に気づかなくても、
身体には確かに、うつ病のトリガーとして刻まれている。


5.”メンヘラ”を蔑称として使わないで

和を重んじ、我慢を美徳とする日本がなぜ、うつ病大国なのか。
空気を読み、控え目が好まれる日本がなぜ、自殺大国なのか。

それは常に、上の立場の者が、
下の立場の者の感情を押さえつけてきたからじゃないだろうか。




心を病んでしまった者に対して、
気軽にこんな言葉が投げかけられることがある。

「メンヘラ」

気軽に使われるのは、
精神疾患が広く認知され、市民権を得たからかもしれない。
その気軽さで、精神疾患の恐ろしさが広まってくれるなら嬉しい。

だけど「メンヘラ」はしばしば
”めんどくさいかまってちゃん”という意味での蔑称として使われる。


「あいつウツだって、メンヘラかよ」

そんな心ない言葉が、あまりにも気軽に誰かを傷つける。



僕はこれも
「上の立場の者が、下の立場の者の感情を押さえつける国」
の弊害じゃないかと思う。

彼らはいつも、誰かより優位に立てるチャンスに飢えている。
「自分はメンタルを病むようなヤツより強い」と思いたがっている。


なぜなら、ずっと感情を押さえつけられてきたからだ。
「下の立場になると押さえつけられる」という恐怖があるからだ。

6.”生きている自分”の感情を大切に

うつ病になると、本当に何もできなくなる。
数ヶ月から年単位で、人生の貴重な残り時間が奪われる。

薬で症状を抑えている場合は、言い方は悪いが”薬漬けの身体”になる。
抗うつ薬や睡眠薬を切らすと、禁断症状に苦しむことになる。

また、うつ病は再発率が6割と言われている。

回復しても、心が壊れやすくなっているので、
ちょっと無理をすると簡単に病む。


以前はあったはずの”万全な状態”を感じられないまま、
立ち直れずに自殺してしまう人もいる。



だから僕は、うつ病から生還できた1人として願う。

どうか、「メンヘラ」という言葉を蔑称として使わないでほしい。
どうか、精神疾患を「気持ちの問題」と切り捨てないでほしい。

どうか、”死んでいない自分”になることのない人生を送ってほしい。
どうか、”生きている自分”の感情を大切にしてほしい。











posted by 理琉(ワタル) at 19:54 | TrackBack(0) | 人生観
検索
プロフィール
理琉(ワタル)さんの画像
理琉(ワタル)
自閉傾向の強い広汎性発達障害。鬱病から再起後、低収入セミリタイア生活をしながら好きなスポーツと創作活動に没頭中。バスケ・草野球・ブログ/小説執筆・MMD動画制作・Vroidstudioオリキャラデザインに熱中。左利き。 →YouTubeチャンネル
プロフィール
最新記事
カテゴリーアーカイブ
×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。