『安全地帯VII 夢の都』一曲目、「きみは眠る」です。
不穏なダラブッカの響きから始まるこの曲は、これまた不穏なシンセにのせて玉置さんが「最後までニュースが嘘をつく……」などと世界の破滅の中きみを愛する的なことをささやき、政治的ニオイを感じさせる強烈なラブソングになっています。
重いリズムのドラムとベース、「ギャリリッリ!ギャリ!」と強烈な刻みを入れつつ「ウィーオオー!」とハーモニクスを効かせるフックだらけのギター、なんだこりゃ、シリアスな気合入りすぎ!安全地帯どうしちゃったの!と思わず心配になります。
ズドン!ズドドン!と、リバーブ処理された田中さんのドラムが重く響き、一気にサビに突入します。「ここにはもう誰もいない」と叫ぶ玉置さん、合いの手を入れるようにシンセが入り、四拍目の裏にギターが「ギャーン!」とピンポイントでアクセントを入れます。な!なんだ!この異常な格好良さ!そして「乾いた胸のなか〜」とちょっとメロウな歌メロの裏で響き渡るアルペジオ、メロウなまましばらく行くかと思いきや突如四拍めの裏で例の「ギャイーン!」武沢トーンの「シャリーン!」が響き、玉置さんが「亡命者(たびびと)」と吐き捨て、急にサビは終わります。うーむ!もう一番が終わってしまった。なんという急展開!その急展開のなんという格好良さ!ここでもう、このアルバムにはノックアウトされること確定です。従来の安全地帯にあった、じっくり歌を効かせる的な良さでなく、バンドサウンドとしてのスリリングな良さに、完全に打ちのめされます。「微笑みに乾杯」までとは何かが違う、と誰もが理解する見事な一曲目です。ただ、かつて「きゃーたまきさーん」と黄色い声を上げていたリスナーたちは完全に置いてけぼりになるか、頑張ってこの格好良さに目覚めなくてはならないわけですから、リスナーたちに試練を突き付けた曲でもあるでしょう。
曲はもういちどこの格好良い展開を繰り返し、間奏に入ります。不穏なシンセのほかは、「乱反射」で聴かせたような遠くから響いてくるギターが鳴るばかりです。そして、サビの二連発!ただ二連発するのではなく、間に「ダーンダーン、ダッダダーダン!」と悶絶もののキメを入れてきます。ここの歪んだギターが痺れる格好良さで、わたくしここだけ何度もリピートして聴いていた時期がございます(笑)。いやマジで、ここだけのためにこの曲をバンドでコピーしたいくらいですが、もちろん同志がいるわけもなく、ひとりさみしくDAWを相手に悦に入るくらいしかできませんけども。悲しいことに、そして不思議なことに、こういうのが好きなロッカーは安全地帯好きじゃないんですよ。その両方を兼ね備える人というのは、サッカーと囲碁の両方が好きな人よりも稀だと思わなくてはなりません。サッカー観戦でセットプレーの妙を楽しむくらいサッカーに精通しつつ、「おお!このカカリがいまになって生きてきたか、痺れるぜ……!」とか新聞の棋譜を見て言っている人なみに珍しいわけです。
曲はダラブッカの響きに乗せて不穏なシンセが流れ、「ドオーン……ドオーンドオーン……」と一分近くも余韻を楽しませます。いや、普通に考えたらなげえよ!(笑)、でも、スリリングな急展開で攪拌されまくった脳を、次の「情熱」「Lonely Far」に向けて整える時間だと思うべきでしょう。この曲は臨済宗の修行のようなもので、完全に無になったアタマを現世の感覚に少しずつ戻す禅問答のような、いわば整理体操のようなものが必要なのです。
歌詞も、禅修行のように非常に無常感にあふれています。「ここにはもう誰もいない」じゃあお前は何でいるんだよ、「これからもう誰でもない」えー何それ、誰かではあるんじゃないの?「どこから来たのかも忘れた」「どこまで行くのかも知らずに」って、自分がどうなっているのかまったく気にかける余裕もないってこと?と、少し考えだすと寝込んでしまうような大惨事が起こったことを示唆しています。それこそ、核ミサイルの爆発からギリギリ助かったけども、死の灰やら汚染物からの放射線やらなんて気にしている暇もなく逃げるしかない(亡命者、漂流者になるしかない)、くらいのギリギリな状況なのでしょう。最後まで嘘をついたニュースは、「みなさん今日も国際情勢には何事もございませんので国内の美味しいラーメン屋さん開店のお知らせをお送りします」くらいのタイミングでドカーンといった、電話はあたりまえにすぐ不通になって、あたりは地上から噴き上げられたチリで真っ暗(とぎれない夜)、グラスなんかもちろんすべて壊れている……ああおそろしい、少年のころの恐怖をちょっと思いだしましたよ(笑)。
その一方で、錆びたラジオが古い曲なんて流していますから、案外なんともないのかもしれません(笑)。核爆発があると基本電化製品は使えなくなるはずですから、たとえカセットテープでも再生できないでしょう。なんだ、じゃあこれはただの恋愛ソングか?怯えて損した、などと、ムダな解釈がグルグル回るように作られている歌詞です。きっと、大惨事ソングと恋愛ソングの、どちらでもあり、どちらでもないのでしょう。どちらかでなくてはならないなんて縛りはないんですから。こういう、大惨事やその中での恋愛、あるいは大惨事を思わせる恋愛の悲愴さ、そういったものをイメージさせることで十分な、抽象芸術のような作品なのでしょう。
「どこまで行くのかも知らずにきみは眠り続ければいい……」
これは、たとえばなにかから避難するときに、それでも愛するものを傷つけないまま守りたいという、切実な気持ちです。『ライフ イズ ビューティフル』で息子に嘘をつきとおした父親のように愛するものを守りたいものだなあ、というヒロイズムをチクチクと刺激してくれるのです。これは、ほんとうに愛するものをもたないとわからない、いや、「もつ」わけではないんですけど、なんていうのかな、「いる」だとちょっと違うんですよね感覚的に。ともかく、そういう気持ちが自分の中に少しもなかったくせにあるような気がしていただけの少年〜青年時代には、とうてい理解できなかった気持ちが、30年のときを経て理解できたような気がします。松井さんだって当時は30そこそこだったはずなんですけどね。
そんなわけでこの曲は、時を経て何度も楽しめるヘヴィーな曲だといえるでしょう!10年後にはどんなふうに聴こえるのか、いまから楽しみです。
価格:1,533円 |
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ダラブッカですから中東ですよね、わたくし想像がいたらず、てっきりG7プラス欧州くらいの核クライシスだと思い込んでました。中東もかなりアツアツだったんですから、もっと考えるべきだった!うーん。「微妙な距離」はまるで想定できず、もう小脇に抱えて走るくらいのベタベタなゼロ距離かと思ってました(笑)。このときの距離感により、だいぶドラマが趣の違うものになりそうです。
矢萩さんパート強調とは、なんとマニアな楽しみ方を!流石です。武沢さんパートもやってくれないかな!ギターの弾いてるところと音をリンクさせて聴くと面白いですよね。音階は同じでも弾く場所によって響きが違うことがあるんで、わたしもよくDVDで確かめようとするんですが、往々にして肝心なときに玉置さんのアップに変わります(笑)。楽しみ方が違うだろって製作者に言われた気分ですが、楽しいんだからしょうがないじゃん!ですよね。
ドラマチックな展開な詩と曲で、何度も何度も何度も聴いた大好きな曲です。ダラブッカの音から、アラブ辺りでバイオハザード的(笑)な有事があり、大切な人なんだけど微妙な距離の人と一緒に居る、みたいな妄想をして聴いてました。
お久しぶりです!お元気でしたか?
最近動画サイトで、コピーバンドさんが矢萩さんのパートだけを弾いてくれてるのが有ったのです(ワインレッドでした)。歌は入って無くて、他のパートはグッと音を落としてくれてて、ギターがどう弾かれてるのかがよく解るので、すごく面白かったです。