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2020年07月11日

チェコの君主たち8(七月八日)



 今年は、武漢風邪の影響で強制的に三か月も労働時間が減っていた国会議員たちが勤勉に、もしくは勤勉なふりをして、国会で予算や武漢風邪対策に関する審議が続いているので、例年ほど「きゅうりの季節」でネタがないということはないのだけど、政治家の話は、バビシュ首相を筆頭に自画自賛と仲間ボメ、敵対勢力の批判しか出てこないので、聞いているとうんざりすることばかりである。
 ということで、去年の夏に始めて中途半端なところで止まっていたのを再開させることにする。こういうのはまとまった時間が取れるときに書かないと、意味不明なものになりやすいので、比較的時間に余裕があって、取り上げるネタも少ないこの時期にはちょうどいい。ということで、前回はプシェミスル・オタカル1世だったので、今回はその子、バーツラフ1世からである。

 チェコの歴史において、バーツラフという名前の君主は、バーツラフ1世以前にすでに二人存在する。一人は、言わずと知れた聖バーツラフで、プシェミスル家の実在が確認されている君主としては4代目ということになる。もう一人は、権力争いのどさくさ紛れに爵位をかすめ取って、在位期間が3か月と非常に短かったバーツラフ、場合によってはバーツラフ2世である。こちらは23代目(再度即位した分は省く)の君主となる。ただし、この2人はボヘミアの侯爵としてのバーツラフで、バーツラフ1世はボヘミア王としてのバーツラフなので、数字が1から始まるのである。
 対象となる爵位ごとに、せいぜい公爵、侯爵ぐらいまでだろうけど、同じ名前の場合に番号を付けるというやり方は、名前のバリエーションの少ないヨーロッパにおいては便利で必然的な方法だったのだろうが、同一人物がいくつもの爵位についている場合には、対象となる爵位によって番号が変わるという厄介極まりない事態を引き起こしている。

 とまれ、父プシェミスル・オタカルが獲得したボヘミア王位の世襲化を受けて、バーツラフが王位を継いだのは父の死後の1230年のことだった。ただし、それ以前の1228年には父の意向で「mladší král」という地位に就いている。これは長らくプシェミスル家の相続のルールだった最年長の男子が跡を継ぐというブジェティスラフ1世の定めたルールを撤廃して、自らの子孫のみに王位を継承させるための政策で、以後プシェミスル家の傍流の地位が下がったとされる。制度的にどこまで整備されていたのかは不明だが、日本の「皇太子」のような後継者指名だと考えればいいか。後に弟でモラビア辺境伯に封じられていたプシェミスルに反乱を起こされているから、バーツラフの即位に納得できなかった勢力もあったのだろう。
 偉大な父の跡を継いだバーツラフは、派手な業績はないが、父の獲得したものを堅実にチェコのものとして固めていった。その結果、バーツラフ1世の治世は安定したものとなり、文化的にも経済的にも、ヨーロッパの先進地域だった南欧や西欧のレベルに近づいたとされる。経済政策の一つが、植民活動で、スラブ系のチェコ人だけでなく、ゲルマン系の人々を招いてチェコ各地に植民させている。

 外交関係では、オーストリアの公爵や、ハンガリー王などとの争いも起こしているが一番重要なのは、モンゴル軍との戦いだろう。モンゴル軍とヨーロッパ諸侯軍の最大の会戦となったレグニツァ(リーグニッツ)の戦いには間に合わなかったが、チェコの軍勢を率いて救援に向かい、レグニツァの戦いの後、南下してきたモンゴル軍の部隊とクラツコで会戦して勝利を収めたという。
 別のシュテルンベルク家のヤロスラフに率いられた部隊が、オロモウツ近郊でモンゴル軍をうち破ったのと合わせて、バーツラフには「モンゴル人をうち破りし王」という称号が授けられたという。ただし、オロモウツの近くでの戦いは史実ではないというから、クラツコでバーツラフ1世がモンゴル軍に勝利したというのもなんだか怪しく思えてしまう。ただ、モンゴル軍との戦いにおける活躍でバーツラフの国際的な地位が高まったのは確からしい。

 治世の終わりには、モラビア辺境伯に封じていた息子のプシェミスルに反乱を起こされている。これは一部のバーツラフの政策に不満を抱えていた貴族がプシェミスルをそそのかしたものらしく、バーツラフは反乱を鎮圧してプシェミスルを投獄した後、反乱に加わった貴族たちは死刑に処した。その後、プシェミスルに恩赦を与え、モラビア辺境伯に戻している。そしてプシェミスルは父の死後、後を襲ってボヘミア王に即位するのである。
 バーツラフは「隻眼の王」とも呼ばれていたが、これは狩猟の最中の怪我で片目を失ったことによる。深い森に入るのが好きで狩猟に熱狂的なまでの情熱を注いでいたというから、木の枝が目にささるなんて事件でもあったのだろうか。

 プシェミスル家の君主➇
   27代 バーツラフ(Václav)1世 1230〜1253年


 最後に付け加えるとすれば、バーツラフの妹にあたるのがチェコの聖人の一人、聖アネシュカ・チェスカーだということである。今は無き50コルナ紙幣に描かれていたのだけど、カトリックの聖人、しかも1989年に列聖されたばかりの聖人を国家の紙幣に使うなんて政教分離はどこに行ったと叫ぶ愚か者はチェコにはいなかったようだ。
2020年7月9日10時。






ドナウ・ヨーロッパ史 (世界各国史)











2020年07月10日

チェコ安全?(七月七日)



 先週の末ぐらいから、患者数が増え続けるチェコを危険国指定して、チェコ人の入国に制限をつけようとしていたスロベニアだが、その規制が実際に適用されてから、わずか一日、二日で撤回された。チェコの感染者数の動向は、スロベニアの独自基準を越えて続けているのは確かなので、撤回に至ったのは両国間の直接交渉によるものと思われる。
 実は、チェコ人たちの最大のバカンスの目的地であるクロアチアも独自基準を設けており、チェコの新規の感染者数はその基準も超えているらしいのだが、クロアチアの場合には数だけではなく、他にもいくつかの項目が設定されていることで、チェコが安全国リストから除外されることはなかったらしい。はたから見ていると、クロアチア側がチェコからの観光客を逃したくないと考えているようにも見える。
 スロベニアに追随してチェコを危険国扱いしたのは、キプロスとバルト三国のうちのエストニアともう一カ国だけで、それに続く国はなかった。おそらく、チェコと状況が変わらない、つまり一度は減った新規の感染者の数が、規制の解除と共に再び増えている国が多いのだろう。そして、それは事前に予想されていたことだから、国境を再度閉鎖する理由にはならないのだと考えている。

 それはともかく、スロベニアもチェコ側の巨大な集団感染が起こっているカルビナーを含むモラビアシレジア地方以外は、感染者の数はあまり増えていないという説明に納得したのか、チェコ人に対する規制を再度撤廃する際に、モラビアシレジア地方の人は除くという条件をつけた。それで、チェコの外務省は、スロベニアに入国する予定のある人に対して、入国前にモラビアシレジア地方に滞在していなかったという宣誓書を準備しておくように指導している。そんなのうそのつき放題じゃないかと思うのは、チェコ人を知っているからだろうか。

 カルビナーの状況については、野党側から政府や厚生省、地方の保健所の対応が遅れたのが最大の問題だという批判が巻き起こっている。先にポーランド側のシレジアの炭鉱で大きな集団感染が起こったことを考えれば、チェコ側で起こるのも予想がついたはずだというのだけど、五月末にカルビナーの炭鉱で最初の感染者が出たときに、そんなことを主張している人はいなかったと記憶する。当時は与野党を問わず、官民問わず規制緩和のスピードを上げることを求める声ばかりだったはずだ。
 厚生大臣の発現にもあったが、カルビナーの集団感染の特徴は、無症状、軽症状の人が多いことで、感染者の数が増えているわりには、入院患者や、重症化して集中治療室に入っている患者の数が増えていない。一時期百人を越えて病院のキャパシティが足りるのか心配された重症患者の数は、十人ちょっとで安定している。これは感染したら重症化する可能性が高いとされる高齢者と、持病を抱える人を守ることに成功していると考えてよさそうである。炭鉱で働く人は確か定年も早いし、病気だと仕事できなさそうだから、炭鉱で集団感染が発生したのは不幸中の幸いだったのかもしれない。

 この集団感染に巻き込まれて現在チーム全体が隔離状態に置かれているカルビナーのサッカーチームだが、再検査で全員陰性だった場合に、活動を再開できるのは早くとも7月16日になるという。サッカー協会では、延期された追加リーグの残留争いの部の残り2節を何としてでも開催する意向で、無期限延期された試合の日程を決めた。それによると、23日と26日に残りの2節を開催し、29日と8月2日に、入れ替え戦を行うことになるという。今年は比較的涼しいのが救いだけど、これまで以上にタイトなスケジュールである。
 もちろん、カルビナーの選手たちの検査で陽性が出た場合には、リーグ戦は最後まで行われない可能性が高くなり、その場合には、以前の決定通り、1部からの降格はなく、2部から優勝チームだけが昇格して、来シーズンは17チームで優勝を争うことになる。また中間の計画もあって、入れ替え戦だけが開催できなかった場合には、2部の1位と2位のチームが昇格して、1部の15位と16位のチームが降格するという。すべては、カルビナーの検査の結果がわかる16日の翌日、17日に行われるリーグの会議で決定されるようだ。
 リーグを最後の試合まで開催するための最大の障壁はUEFAが決めた今シーズン終了のデッドラインで、8月2日に設定されているらしい。来シーズンのことを考えると早く終了するに越したことはないのだろうけど……。移籍期間とかシーズン前のキャンプとか、全部ぐちゃぐちゃになっているからなあ。

 そういえば、カルビナーには、日本企業のシマノの工場があるんだった。従業員が集団感染に巻き込まれていないことを願おう。
2020年7月8日12時。














posted by olomoučan at 06:22| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2020年07月09日

不安定な季節(七月六日)



 最近、「誕生日」がどうたらこうたらいう何かを販売するサイトの宣伝目的と思われる迷惑コメントが何件か相次いでいた。今更迷惑コメントをねたに記事をでっち上げてもなあという思いもあって、そのまま消去して、アドレスなんかを禁止設定しておしまいにしたのだが、すべてのコメントの文面が完全に一致していたかどうかは覚えていない。

 以前から気になっていたのだが、この手の迷惑コメントの特徴としては、最新の記事ではなく、どうしてそんなのにつけるかと言いたくなるような、宣伝するものと全く関係ない記事につけられるというのがある。このブログに偽ブランドのお店と関係するような記事は皆無だけど、買い物の話はあるから、その手の記事に付くならまだ納得はいく。
 実際は何の関係もないところについているから、文面だけ人間が準備してあとはコンピューターに自動でやらせているのだろうとは思う。ただ、どんな条件付けをしたら、あんな記事にたどり着くのかが理解できない。いや、そもそも我がブログにたどり着いてコメントを残すことになること事態が不思議である。誰かこの手の自動処理迷惑コメント投稿プログラムの実態を暴露してくれないものだろうか。

 それで、昨日ブログの管理画面でコメントの数が増えているのに気づいたときにも、また何かよくわからない宣伝のコメントだろうと考えて、しばらく放置してしまった。あれやらこれやらって、ブログの管理画面でするのは、最近は新しい記事の投稿ぐらいしかないのだけど、改めて確認したら珍しいことに最新記事についている。ブログの最新記事を開いて読んでみたら、ブログをなさっている方からのお誘いのコメントだった。放置して申し訳ない。
 この方のブログ「フリーランスで世界制覇!」というのを覗いてみた。副題が「ブラック企業を退職し、フリーランスとして世界を駆け巡る『yuichironyjp』の旅行記」で、こちらの軟弱ブログとは志からして違う感じである。英語の翻訳も併記されていて、英語が苦手なこちらとしては、すげえと仰ぎ見るしかない。

 ただ、いくつか記事を読んでの感想は、チェコ語でいうところのちょいと「ztracený」というものだった。道に迷ったとか、場違いなところにいる感じがするときに使う言葉なのだけど、「旅行記」はどこにあるのかあちこち探してしまった。経歴を見る限りものすごい体験をされた方のようなので、それを赤裸々に、差し障りのあるところは匿名にして、書いてくれたら、読み手からするとものすごく面白い物になりそうだと思うのだけど。
 おすすめの記事も悪くはないのだけど、できれば実際に使ったときどうだったのかも読んでみたいと思う。これはこちらの読み手としての趣味なのだけど、ハウツーものよりも、旅行記、体験記のほうが読書欲をそそるのである。どうです? その手の体験記書いて見ません? あ、最後のフェイスブックとか、インスタグラムってのは、使っていないし、今後も遣う予定はない。誘ってもらったのに申し訳ない。

 さて、今日もまた、枕にする予定の話が本題になってしまったのだけど、本当は二つのことについて書こうと思っていたのだった。一つは雨が多いというだけではなく、七月に入って気温の変動が激しくなったという意味で不安定になっているということで、昨日、今日は30度近くまで気温が上がって暑さに苦しんでいたのに、明日は最高気温が20度以下と予想されている。地面や建物が熱を持っているから気温ほどの寒さは感じないだろうけど。
 もう一つは、このブログのための作文に関して、日ごとの書ける量の増減が甚だしくなっていることである。以前は週末は何か書く気が起こらないなんてことを言っていたのだが、最近は曜日に限らず、駄目なときは時間があってもほとんど筆が進まないし、調子がいいときは前日、前々日に書きそびれた分もまとめて書けてしまう。
2020年7月7日12時。













タグ:コメント
posted by olomoučan at 07:24| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ

2020年07月08日

ミラン・バロシュ引退(七月五日)



 長年にわたってチェコ代表のフォワードとして活躍し、コレルに次ぐ歴代2位の得点数を誇るミラン・バロシュが引退を発表した。バニーク・オストラバで活躍して、代表に呼ばれるようになりリバプールへの移籍を勝ち取り、最後の所属チームもバニークなので、オストラバの人というイメージが強いのだが、出身地とされるのはビガンティツェというズリーン地方の小さな村である。
 バロシュがチェコ代表に定着し始めたころディフェンスの中心の一人だったベテランのレネー・ボルフも、ビガンティツェの出身で、人口千人にも満たない小さな村からサッカーの代表選手が二人も、しかも同時期に二人も出たというので大きな話題になっていた。バロシュはプラハに住んでいると思うが、ボルフは故郷に帰ってビガンティツェに住んでいるという話を聞いた覚えがある。

 とまれ、チェコ代表でのバロシュというと、2004年のヨーロッパ選手権での大活躍が一番印象に残っているのだが、あのときはコレルを抑えて得点王に輝いたのだった。それで、いずれはコレルの代表でのゴール数を抜くのではないかと期待されていたのだが、期待は期待のままに終わった。今にして思えば、期待が大きすぎたのであって、バロシュは十分以上にチェコ代表に貢献していたのだけど、点が入らないときには、しばしば批判の対象となっていた。
 個人的にも今更バロシュじゃないだろうと思うことは多かったのだが、バロシュ以後のフォワードの選手たちは、一瞬の輝きを示す選手はいても、長期的見ればバロシュの足元にも及ばないというか、影さえ踏めない選手ばかりだった。そう考えると、コレルとバロシュの二枚看板を誇った2004年ごろのブリュックネルの代表というのは、チェコ代表の中でも特異な時代だったわけである。別な言い方をすれば計算できるフォワードが二人もいる幸せな時代だったのだ。

 2004年以降のバロシュの代表での勢いが衰えた原因の一つは、所属するチームでの成績がなかなか上がらなかったことにあるだろう。最初の国外チームであるリバプールではチャンピオンズリーグの決勝で活躍するなど戦力としては計算されていたけど、完全にレギュラーとして扱われていたわけではない。フランスに移籍したときには、サッカーでの活躍よりも、高速道路で制限速度を大幅に超えるスピードで車を走らせて警察のお世話になったことで話題になった。

 その後移籍したトルコリーグで得点王になるなど大活躍したあと、2013年にチェコにもどってきた。このころにはすでに代表も引退していたはずである。戻ってきたのは当然出身チームと言ってもいいバニーク・オストラバだったのだが、意外なことにバロシュとバニークの関係は常に良好なものではなく、チームとの交渉がまとまらずに、ムラダー・ボレスラフとリベレツに移籍していた時期もある。財政問題を抱えたバニークでは、何度かオーナーの交代もあり、それもまたバロシュの去就に影響をあたえていた。
 その後、2017年にバニークに再度復帰してからは、出場機会の少なさに不満を漏らすことはあったようだが、バニークでのプレーを続けていた。最近は怪我で出場できないことも多く、それが最終的に引退を決断する理由になったようだ。今後については、しばらく休んで、いずれはサッカーとかかわる仕事にもどって来たいと語っていた。今のオーナーとはいい関係を築いているようなので、その場合にはバニークで仕事をすることになるのだろう。

 バロシュの引退で2004年当時の代表で現役を続けているのは、ヤブロネツにいるヒュプシュマンぐらいになってしまった。ブリュックネルも健在とはいえ監督を引退して久しいし、さびしいものである。考えてみればあれからすでに16年か。あのときのチェコ代表が規準になっているから、最近の代表には不満を感じることが多いんだよなあ。

 とまれバロシュは、記者会見で「チャガン」を買いに行くと言っていたのだけど、この言葉、ボヘミアの人には理解できないモラビアの方言らしい。もちろん、外国人が知れる言葉でもないのでうちのの聞いたら、古いタイプの杖を指す言葉らしい。引退して年金生活が始まるとも言っていたから、モラビアで杖ついて暮らすということか。
2020年7月6日13時。






WCCF 04-05 黒 ミラン・バロシュ 【リバプール】 046/224












2020年07月07日

チェコ・スロバキア友好杯(七月四日)



 テニス界では、ジョコビッチ選手が自ら主催して開催した大会で、自分自身も含めて多くの武漢風邪感染者を出したことで、あちこちから批判をあびている。中には大会を開催したこと自体を責める声もあるようだが、批判されるべきは開催したことではなく、杜撰すぎる体制で開催したことである。当時はすでに、感染が収束に向かいつつあり、スポーツ界では中断したシーズンの再開に向けて動いていた時期で、一部ではすでに再開していたのだから、開催すること自体は問題なかったはずだ。

 確か、チェコのテニス界でも、同じぐらいの時期に、テニス協会が中心となって、男女のチェコ人選手を8人ずつ集めて、小さな大会を開催していた。当然無観客で、選手たちにかされた感染対策も厳しいもので、大会から感染者を出さないように細心の注意を払っていた。確か大統領杯と名図蹴られていたこの大会で誰が優勝したかはどうでもいい。大切なのはチェコ国内で再びテニスの大会が行われたということで、その大会が無事に終了したという事実である。
 この大会が開催された目的は、恐らく二つある。一つは八月といわれるツアーの再開に向けて、チェコの選手たちに実践の機会を与えることで、もう一つは武漢風邪の流行が完全に終わらない中、大会開催の経験を積むことだろう。チェコのテニス協会は現在WTAとの間で、八月のツアー再開直後にプラハで女子の大会を開く方向で交渉を進めているという。すでに無事に大会を開催したという事実は、その交渉でも有利に働くに違いない。

 大統領杯のあとは、女子だけの大会、チャリティーを目的とした大会が開かれた。プラハで第一回が行われた男子テニスのレーバー・カップを真似た形式で、女子の有力選手を、クビトバーとプリーシュコバーを主将にした二つのチームに分けて行われた。一回目がプラハで、二回目はチェコのテニスの聖地プロスチェヨフでの開催だった。プラハでの大会ぐらいから観客を少しずつ入れ始めたのだったのだろうか。いずれにしても国の定めるルールに基づいて観客の数を決めていたはずである。
 ちなみに男子の大会が行われなかったのは、次々に若手選手が育って、世界ランキングの100位以内に入る選手が常に十人近くいる女子と違って、男子は二チーム作れるほど有力選手がいないからである。将来を嘱望された左利きのベセリーも期待に応えられないままベテランの域に入りつつあるし、ランキングも一時と比べると大きく落としてしまっている。そのベセリーと引退も近づいているロソルの二人を越える選手が出てこないのが、チェコの男子テニスの最大の問題である。

 それはともかく、チェコのテニス協会では、更なる一歩として、スロバキアと組んでチェコ・スロバキア友好杯という大会を今日と明日の二日を使って開催する。両国のデビスカップ、フェドカップの代表が対戦するのである。男子の大会はプラハで、女子の大会はブラチスラバで行われる。初日の今日はシングルス二試合、明日はシングルス二試合とダブルスの三試合が行われることになっている。試合時間が完全に重ならないように、プラハでの男子の試合は午前中に始まり、女子の試合は午後からに予定されている。
 チェコテレビでは、ほぼ全試合放送する予定だが、映像の制作はスロバキアの国営放送と共同で行うため、男子の試合の中継画面はチェコ語で表示されていたが、女子の試はスロバキア語が使われていた。当然試合後のインタビュー担当も男子はチェコの、女子はスロバキアのアナウンサーでチェコ語とスロバキア語が飛び交っていた。これもまたチェコとスロバキアの共同プロジェクトであることを印象付けた。

 実はプロレベルの大会だけでなく、ジュニアレベルのいくつかのカテゴリーでもチェコとスロバキアの団体戦が行われているようで、チェコとスロバキアという二国の関係が分離した今でも、EUなど及びもつかないレベルで密接なものであることを証明している。この大会もどちらが勝つかというのは二の次三の次で、開催されることに意味のあるものである。今後も毎年行われるなんてことはないだろうなあ。
2020年7月5日12時。















2020年07月06日

危険国チェコ(七月三日)



 すでに六月の前半にミニシェンゲンとして、チェコ、スロバキア、オーストリア、ハンガリーの四カ国で国境の出入りの際の規制を相互に完全に撤廃することに成功していたチェコだが、七月一日の夏休み、つまりはバカンスシーズンの開始に向けて、他の国々とも交渉を進め、シェンゲン圏の国々の大半には、チェコ人は制限なしに入国と出国ができるようになっていた。

 チェコの人たちは、此れまで何度も書いてきたけれども、借金をしてまで出かけるという人がいるほど、ちょっと大げさに言うと、夏のバカンスに命をかけている。行き先は、寒冷な内陸国チェコの人にとってのあこがれである暖かい海のあるところで、伝統的に旧ユーゴスラビアのアドリア海沿岸に出かける人が多い。西側に出られなかった共産党政権の時代はブルガリアやルーマニアの黒海沿岸、海じゃないけどハンガリーのバラトン湖なんかも人気だったという。
 ベルリンの壁崩壊後は、イタリアやギリシャなどに出かける人も増え、経済的に豊かになった最近は、エジプトの紅海沿岸やインドネシアなどの遠方まで出かける人もいる。ただ武漢風邪に蹂躙された今年の夏は、遠方に出かけるのはほぼ不可能になっている。ということでチェコ政府にとって一番重要だったのは、クロアチアまで規制なしで出かけられるようにすることだった。

 それで観光立国であるイタリアやギリシャが国境を開いて入国の制限を撤廃するといっているのをよそ目に、クロアチアと積極的な交渉を続けていた。一時はプラハからクロアチアの観光地へ直行便を飛ばすなんてアイデアも出ていた。ただ、チェコ人はクロアチアに行くのに飛行機は使わないのである。節約のために自家用車に、ビールなどの必要物資を積んで、自ら運転して出かけるのが典型的なチェコのバカンスのスタイルである。国によってはそんなチェコ人に対して肉の持ち込み制限を課しているところもあったと記憶する。
 チェコから車でクロアチアまで行くためにはスロベニアを通過する必要がある。それで規制緩和が始まったころから、クロアチアだけでなく、スロベニアも感染の状況が安定しているからチェコ人が出かけても問題ないだろうなんてことが主張されていた。正直、他の国との違いはよくわからなかったので、何としてもこの二カ国には行けるようにする必要があるのだろうという印象を受けた。

 それで、交渉の甲斐あってスロベニアを経てクロアチアまで、無制限に行けるようになっていたのだが、もちろんスロベニアを目的地とする人もいるのだろうけど、本格的なバカンスシーズンが始まってすぐの今日、スロベニアがチェコ人の入国を制限することを発表した。スロベニア政府が定めた入国規制に関する基準があるようで、カルビナーを中心に集団感染が発生して、感染者の数が再び急速に増え続けているチェコはその規準を越えてしまったらしいのである。
 その結果、スロベニアに入国する際に、あれこれ書類を提示する必要が出てきて、場合によっては二週間の隔離生活を強いられることになるようだ。行き先がクロアチアの場合には、クロアチアの宿泊施設の予約証明があれば、スロベニア国内でどこにも立ち寄らないことを条件に通過が認められるのかな。

 この手の規制というものは、上で決定されても現場でどのように運用されるかはわからない部分があるので、旅行会社などでは情報収集に追われているようである。チェコテレビのニュースでも、オーストリアとスロベニアの国境の様子を中継していたが、規制が発表された段階で、また適用前だったため特に変わったところはなかった。バビシュ首相のところにスロベニアの首相から直接電話がかかってきた様子も流された。
 チェコ政府は、集団感染が何箇所か起こっているだけで、無軌道な感染の拡大は起こっていないから危険性はないと主張するのだろうけど、外から感染者の数字を見て判断するなら、危険だと考えても仕方がないとは思う。感染の拡大初期にリトベルなどが閉鎖されたのと同様に、カルビナー地区、場合によってはシレジアモラビア地方全域を閉鎖するという強硬手段でも取っていればまた与える印象は変わったのだろうけど、他が規制の全面解除に向かう中、一地方だけ閉鎖なんてことになったら、住民の反発はとんでもないものになるだろうし、踏み切れるものでもなかったのだろう。

 今後、スロベニアに追随してチェコを危険国指定して入国制限を課す国も出てきそうだし、今年の夏は、一度は覚悟したように、国外への旅行は全面的に停止して国内旅行の需要を掘り起こすことを考えたほうが、国内の観光業を支援するという意味でもいいと思うんだけどねえ。国内の感染状況を見ていると、感染者数が増えている割には重症者や入院者の数は増えていないから、そこまで警戒する必要はないという厚生省の判断は間違っていないとも思う。こちらの願いは、今後第二波とやらが発生して感染が拡大しても、再度の厳しい規制が導入されないことである。
2020年7月4日12時。






A34 地球の歩き方 クロアチア スロヴェニア 2019~2020










posted by olomoučan at 07:00| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ

2020年07月05日

チェコサッカーリーグ危機(七月二日)



 一週間ほど前に、2部リーグのトシネツで選手が武漢風邪に感染したことがわかって、チーム全体が隔離状態に置かれたため、2部の試合がすべて行えない可能性ができたという話は書いた。その場合、リーグが完結していないために、優勝チームが1部に昇格するだけで、2位と3位の出場する売れ変え選は行われないことになっていた。
 その後、陽性の判定の出た選手も含めて選手関係者など全員が受けた再検査で、陽性が一人も出なかったおかげで、トシネツは当初の予定よりも早く活動を再開することができた。陽性の判定が出た事情もよくわからないというか、あいまいなものだったので、本来ならば隔離期間が終わるころに行われる再検査が前倒しされたようだ。とまれトシネツの活動停止期間が最小限だったおかげで、2部リーグの試合がすべて行われ、入れ替え戦が行われる可能性が高くなっていた。

 それが、今日、チェコの武漢風邪の中心となっているカルビナーの選手、チーム関係者全員を対象にした検査で3人もの陽性が確認され、チーム全体が隔離されることが決まった。2節を残すだけだった残留争いリーグの試合はすべて無期限で延期され、そのまま打ち切りになる可能性が高くなった。ということは、最終順位が確定しないということで、その場合、1部から2部に降格するチームはなしということになる。確かに現在の最下位とその上が勝ち点同じで並んでいる状況を見ると、現在の順位で降格チームを決めるというのは不公平のそしりを免れない。

 一方、2部からの昇格チームは、優勝チームだけで、来シーズンは全17チームで行うことになるようだ。下のリーグならともかく国を代表する一番上のリーグが奇数のチーム数で開催されるというのはそんなにあることではあるまい。伝統的に最後の2節だけは試合開始時間を同時にして、全チームほぼ同時にシーズンが終了するように調整しているわけだが、来期は1チームだけ1週間早くリーグ戦を終了することになる。その後の追加部分があるからそこまで気にしなくてもいいのかな。
 ここはいっそのこと2チーム昇格にして、2部の2位と3位で昇格プレーオフでもやればいいのになんてことも考えてしまう。チーム数が偶数のほうがお休みのチームが発生しないから日程の面でも公平になる。ただ、そうするとリーグ戦が4節分長くなって、ただでさえ開始が例年より遅くなることが確実の来シーズンはスケジュールが厳しくなりすぎるか。

 ところで、昨日行われたMOLカップの決勝では、倒れている相手選手を踏んづけるというフリーデクの蛮行をイエローでとどめてくれた審判のおかげもあって、スパルタが、ホームのリベレツに先制されながらも逆転で優勝を決めた。迷走が続いているスパルタがリーグであれカップ戦であれ優勝するのは久しぶりのことである。これである程度再建の方向性は見えてきたけど、また妙な補強をして迷走に入りかねないのが近年のスパルタである。

 これで、来シーズンのヨーロッパのカップ戦の出場チームもほぼ決まった。優勝のスラビアはチャンピオンズリーグの予選3回戦からの出場だが、今年のチャンピオンズリーグの優勝チームが自国リーグで出場権を獲得した場合には、4回戦、つまりプレーオフからの出場となり、負けてもヨーロッパリーグの本戦出場が決まる。3回戦からの出場で敗退した場合には、ヨーロッパリーグの予選に回る。ただし、これはチャンピオンズリーグ予選の優勝チームの部で敗退したチームを集めた特別予選のようである。
 2位のプルゼニュは、チャンピオンズリーグの予選2回戦からの出場だが、非優勝チーム部門のため、ここを勝ち上がって3回戦にまで進めば、負けてもヨーロッパリーグ本戦出場が決まる。それは4回戦で敗退した場合も同様である。対戦相手次第だけど、2回戦に出てきそうな国を考えるとヨーロッパリーグはほぼ確定だと思いたいところである。

 現在3位のスパルタはMOLカップ優勝チーム枠で、ヨーロッパリーグの予選3回戦からの出場となるが、今年のヨーロッパリーグの優勝チームが、自国リーグで出場権を獲得した場合には直接本戦に出場できる。ただし、そうなる可能性はあまり高くないようである。ちなみにスラビアのチャンピオンズリーグの場合には、ほぼ確定といっていい状況らしい。
 残り二つのチェコからの出場チームはヨーロッパリーグの予選2回戦からの出場ということになる。現時点で可能性があるのが現在4位のリベレツと5位のヤブロネツ。最終順位が上のチームはそのまま出場が決まり、下のチームは、ボヘミアンズとムラダー・ボレスラフの勝者との最後の出場権をかけたプレーオフを行うことになっている。

 とまれ、来期は複数のチェコのチームがヨーロッパのカップ戦で活躍するのが見られそうである。テレビで見られるということを考えると、スラビアも含めて3チームがヨーロッパリーグ出場というのが理想かな。チャンピオンズリーグよりもポイントも稼げそうだし。
 題名にはちょっと偽りありだな。
2020年7月3日15時。













2020年07月04日

暑い(七月朔日)



 今年の夏は雨が多いおかげもあって、気温はあまり高くない。最高気温が20度から25度という、気温だけで言えば快適な日が続いている。ただし、実際には雨が多く日本の梅雨に通じる不快感を感じることが多い。雨がやんで日が出ると気温はそれほど高くならなくても、蒸し暑さを感じることもある。
 今日のニュースでは、国内の何箇所かで30度を越える気温が観測され、これは今年に入って四回目のことだと言っていた。去年や一昨年などに比べるとこの数字は非常に小さいと言える。武漢風邪で、クーラーのない自宅で仕事をしなければならない人が増え、外出時のマスク着用が義務化されていたことを考えると、ここ数年続いている猛暑に襲われていたら、武漢風邪で入院する人よりも、熱中症で倒れて救急車で運ばれる人の数が多くなっていたことだろう。

 春の流行が始まったばかりのころに言われていた、夏が来て気温が上がれば自然に流行は収束するという説が間違っていたことが明らかになった現在、武漢風邪の流行で生じる損害と、感染症対策を続けることで乗じる損害を冷静に比較して、バランスのいい対策を取ることが求められている。武漢風邪の感染者がゼロになったとしても、その結果熱中症で病院に運ばれる人の数が倍増したというのであれば、その対策は失敗だったと評価されるべきである。他にも倒産の数や失業率など政治家が考えなければいけない要素は多い。
 チェコでは、今日から一部の例外を除いて規制が全面的に撤廃された。マスクの着用も、これまでは義務だったお店の中や公共交通機関の中なども含めて、不要となった。例外は病気の人の割合が高いと思われる病院などの医療機関と処方箋で薬を出す薬局、高齢者ばかりの老人ホームで、これらの施設に入る場合には、これまで通りマスクの着用が求められる。

 地域的な例外も存在する。そのうちの一つは、人口が集中していてあちこちで小さな集団感染が起こっていて完全に消し止められていないプラハである。ここでは公共交通機関のうち、バスとトラムは他の地域と同様マスク着用の義務が解除されたが、地下鉄だけは駅の構内も含めて義務が残った。また、屋内で100人以上の人を集めて行われるイベントに参加する際も、マスクが求められるという。

 そして、もう一つが、ポーランドの感染多発地帯だったシレジア・ボイボツトビーと隣接するモラビアシレジア地方、その中でも特に感染者が急増し続けているカルビナーを中心とする地域と、隣接するフリーデク・ミーステク周辺である。カルビナー地区では、OKDという石炭採掘企業の従業員とその家族を中心に、1000人以上の患者が確認されており、新規の感染者の大半はモラビアシレジア地方で確認されている。
 週末の土曜だったか、全国で300人を超える陽性の判定が出た日には、検査結果の陽性の割合が17パーセントと過去最高の値を示しているが、この数字をどう評価するかも問題である。個人的には、集団感染が炭鉱という閉鎖された空間で発生し、感染の可能性が高いと思われる炭鉱で働く人たちとその家族を中心に検査が行われたことを考えると、意外と高くないと思ってしまう。

 とまれ、その、あっという間にチェコの武漢風邪の中心となってしまったカルビナーと、フリーデク・ミーステクを中心とする地域では、規制が強化されることになった。マスクの着用義務の範囲はこれまでと変わらないが、イベントで集められる人の数が100人までに減らされたのかな。ただし、カルビナーほどではないにしても、フリーデク・ミーステクと同じぐらいの割合で患者確認されている地方の中心都市オストラバでは、チェコの他の地方と同様に規制が解除されたのでどこまで効果があるのか疑問である。
 オストラバからは規制の厳しい地域へのバスや鉄道の便が出ているわけだが、オストラバで乗ったときにはマスクが不要で、規制地域に入ったとたんにマスク着用を求める車内アナウンスが入るのだとか。逆方向の場合には、マスクを外してもいいというアナウンスが入ることになる。それぐらいなら、一部でも規制の厳しい地域を走るバスや鉄道は、始発から終点までマスク着用を求めたほうがマシのような気がする。

 一部リーグ残留をかけて戦っているサッカーのカルビナーは、ホームゲームを禁止されたため、最終節のプシーブラムとの試合をどこで行うのか検討が始まったようである。個人的にはサッカーチームよりもハンドボールチームのほうが心配で、9月から始まるだろう来シーズンの開幕に間に合うのかとか、スポンサーがOKDだったのだけど撤退したりしないかなどと不安に思っている。本来カルビナーはサッカーではなく、ハンドボールの街なのだから、サッカーチームがつぶれてもハンドボールだけは守り通してほしいと思う。

 当初の予定とは全然違う方向に話が向かってしまって、気が付いたら何を書くつもりだったのかも覚えていないという体たらく。それもこれも今年一番の暑さ、オロモウツの場合には気温はそこまで高くなかったけど、直射日光も含めた体感温度の高さがいけないんだということで、題名は元のままにしておく。そうだ、チェコ語で集団感染が起こっているところを「ohnisko」というのだけど、これが「oheň(火)」からできた言葉で云々と、熱さ、暑さにつなげていこうと思っていたのだった。
2020年7月2日10時。











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2020年07月03日

久しぶりに日本語のことを2(六月卅日)



承前
 日本語の動詞のことを考えてみると、場所を表す際に「で」を必要とするものが圧倒的に多いことは言うまでもない。「に」を必要とする動詞は例外的なのである。だから、「で」を必要とする普通の動詞についてはいちいち覚える必要はない。あるのかないのかはっきりしないルールを覚えるよりは、「に」を必要とする動詞を特別に覚えていくほうが実用的である。
 どちらを使うかわからない動詞や、初めて見る動詞が出てきたときには、とりあえず「で」を使って、違うと言われたら「に」に変えて、それで正しかったら「に」を使う動詞として覚えこむ。違うといわれたら「を」にしてみる。「を」でも駄目なら、その動詞は場所を必要としないか、存在しないかどちらかだというのが、日本語を勉強する友人たちに対するアドバイスである。

 どうしても日本語の場所を表す助詞に関するルールが必要だというなら、覚えた「に」を必要とする動詞の共通点を探して、自分なりのルールを作り上げればいい。他人の主張するどこまで適用できるかもわからないルールを元に使用して間違えてもあまり意味はないが、自作のルールであれば間違いもまた有効に活用してルールに修正を加えていくことも可能になる。そこまで行ければ、日本人と同様に感覚的に使い分けるところまでは、もう一歩である。

 さて、上にしれっと書いてしまったけれども、日本語で場所を表わす助詞にはもう一つ、「を」がある。これは「に」以上に特殊なもので数も少なく、「を」を必要とする動詞の性質には、「に」の場合よりも顕著な特徴があるので、一度覚えてしまうと間違えなくなる。だから、この問題については、「で」と「に」だけではなく、「を」も含めて考えなければならない。

 「を」を必要とする動詞の特徴は、移動を表わす意味、もしくは移動の手段となる動作を意味として持つ動詞だというところである。移動を表わすものとしては「行く」「動く」、移動の手段を表わすものとしては、「歩く」「走る」を挙げておけば、問題はなかろう。人、もしくは物が、移動していく際に通っていく場所を「を」で表すのである。「通る」「経由する」のようにある点を通る場合でも「を」を使うし、本体は動かないけれども水が動く、「(川が)流れる」も「を」を必要とする。
 この「を」を必要とする動詞の特徴としては、「に」を使うと、方向、つまり動作の向かう先を表わせるものが多いことで、例えば、「チェコに旅行する」は、旅行の目的地がチェコであることを示し、「チェコを旅行する」の場合には、チェコに行ってからチェコ国内をあちこち移動することに重点を置いた表現である。

 助詞「で」と「を」の間で興味深いのは、「泳ぐ」である。この動詞は、「歩く」や「走る」ほど移動の手段という意識がないのか、「海で泳ぐ」「プールで泳ぐ」と普通は「で」を使う。しかし、泳いである地点から別の地点まで行くことが明白な場合には、「で」ではなく「を」を使わなければならない。移動にならない「プールを泳ぐ」は難しいけれども、オロモウツからホドニーンまでモラバ川を泳いだり、ヨーロッパから日本まで海を泳いだりすることは、文章の上では可能である。遊びやトレーニングとして泳ぐ場合には「で」で、泳いで移動するときには「を」を使うと覚えておけばいい。
 最近は、「散歩する」に「で」を使って平然としている人もいて、場所を表わす助詞としての「を」が軽視されてるような感もあるが、保守的な日本語使用者としては、「公園で散歩する」なんて表現を見るとぎょっとしてしまう。ら抜きと同じで、小説なんかの会話文の中で、話している人の特徴づけに使うのなら素晴らしいと思うけど、地の文でやられると興ざめしてしまう。

 とまれ、場所を表す助詞の「を」の存在なんてチェコ語を勉強して「v」と「na」の使い分けに苦労しなかったら気づきもしなかっただろうし、「で」と「に」も今ほど自覚的に使い分けてはいなかっただろう。外国語を勉強するということは、その外国語を通じて日本をを見直すことで、日本語の勉強にもなるのである。
 外つ国の言葉を学びて、時に日本語に思ひを致す。而して復た学ぶ。此れ亦た楽しからずや。
2020年7月1日10時。











タグ:助詞 動詞
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2020年07月02日

久しぶりに日本語のことを(六月廿九日)



 知り合いの中に何人かいる日本語ができるチェコ人が、日本語の難しい部分として真っ先に上げるのが敬語である。これについては、最近は日本人でもまともに敬語が使えない人も増えているし、粗製乱造されている敬語指南の本の中にはでたらめを書いて恥じないものもある。悪いのはそんな日本語無能力者に本を書かせ間違いを指摘できない出版社と編集者である。そんな詐欺めいた本を読まされる日本人の敬語能力が低下するのも当然で、外国人が難しいと言うのは無理もないことである。
 その点、我が畏友は、いっしょに仕事をする日本人をして、うちの子供たちより正しい敬語を使うと言わしめるのだから素晴らしい。そいつも敬語は難しいなんて言っていたから、できるのと難しく思うのとは別問題なのだろう。こちらは敬語なんて昔から使っていて、特に難しいと思ったことはないけど、それがいつも正しく使えているということにはならないのが情けない。とまれ敬語なんて日常的に使って失敗を通じてうまくなるものだから外国で勉強しているのは不利である。

 もう一つ、チェコの日本語学習者が、チェコだけには限らないかもしれないが、難しいと不平をこぼすのが、場所を表す助詞の「で」と「に」の使い分けである。それに素直に賛成したのではチェコ語を勉強している意味がない。だから、こちらからのアドバイスは、「チェコ語の場所を表すvとnaの使い分けに比べればはるかに簡単なんだから、泣き言言うな」というものになる。
 あのややこしさに比肩するものは存在しようはないと思うのだが、念のためにどうやって使い分けをしようとしているのかを聞いてみると、それじゃあ無理だと言いたくなるようなことをしていた。「で」と「に」のどちらを使うかを決めるのが動詞だというのは問題ないのだが、「で」を使うのは動作を意味する動詞で、「に」を使うのは存在を意味する動詞だから云々というのには、そりゃ無理だと言うしかない。

 そもそも、存在を意味する動詞なんて、「ある」と「存在する」以外に存在するのか。「に」を必要とする動詞は、存在を意味するという動詞の数よりもはるかに多い。チェコの人は「v」と「na」の使い分けのような、ある程度の傾向はあってもルールがあるとは言えないようなものでも、例外がルールを裏付けるとか意味不明なことを言って、ルールがあると主張するから、日本語の助詞の使い方についてもルール化したがるのだろう。発端は日本の日本語学者の説かも知れんけど。
 その「で」は動作を表す動詞、「に」は存在を表す動詞という説明で、うまく説明できるのは、存在するという意味の「ある」と、行われるという意味の「ある」の使い分けぐらいじゃないのか。「に」を使う動詞としてすぐに思いつく「立つ」「座る」「住む」などに関して、動作じゃないなんていわれたら日本人としては頭を抱えるしかない。

 それにこの説明だとすることは同じ「日本で勉強する」と「日本に留学する」の違いを説明できない。「留学する」の場合には、勉強するだけではなく、「留」の字には「留まる/残る」という意味ががあるので、「そこに留まって勉強する」という意味になる。その留まるが、場所を表す助詞として「に」を必要とするために、「留学する」も「に」を取ると考えられる。では、「留まる」が、動作か、存在かと聞かれたら、答えは知らんである。
 確かに「で」と「に」の使い分けに関して、そういう傾向はあるにしても、それをルールだとしてしまうのはやりすぎである。他にも、「死ぬ」なら場所を表す助詞は「で」で間違いないけど、「死す」の場合には「に」でないと収まりが悪い。「生まれる」は、「で」と「に」のどちらも使えるけど、「に」を使った方が、「に死す」にしてもそうだけど、文語的というか古めかしい印象を与える。だからといって文語的な動詞は「に」を取るなんて意味のないルールを提唱する気はない。この二つの動詞の場合は、「で」は地名でも、病院などの具体的な場所でも使えるけど、「に」は地名にしか使えないと言う違いもあるか。

 それから「で」と「に」で意味が変わる動詞もある。動詞「買う」の場合、普通は買い物をする場所を「で」で表すわけだが、買うものが土地や家など動かせないものの場合には、「に」を使うことも可能になり、「で」を使った場合とは意味が変わってくる。「で」で表す場所は売買が行われた場所で、「に」は買った土地や家などがある場所を示すことになる。その意味では「に」は存在する場所を表すわけだけれども、動詞「買う」には存在の意味はない。
 「書く」の場合も、動作をしている人が居る場所は「で」で表すけれども、動作の結果が現れる場所は「に」で表す。だから「教室で手紙を書く」だけど、「便箋に手紙を書く」なのである。「掘る」の場合も同様だけど、「で」を使うのは国や町などの大きな地名で、具体的な場所の場合には結果が生じる場所として「に」を使う。だから、「アフガニスタンで井戸を掘る」に対して、「自宅の庭に井戸を掘る」となる。他にも同じような使い方をする動詞はあるはずだが、これが日本語の「で」と「に」を使い分けるためのルールだと言えるのかどうかはどうでもいい。

 自分の助詞の使い分けを考えてみると、「で」ではなく「に」を使う場合には、場所の意識だけでなく、方向めいたものも感じているのではないかと思わなくもない。ただ、この手の母語話者が何となく感じるものを使い方のルールとして、言葉を教える際に使うのは無理がありすぎる。大切なのは何らかの傾向があることを知っていて、間違いに気づいたときに修正する能力である。
 だから、日本語の場所を表す助詞の使い分けを身に付ける際にも、チェコ語で原則として「v」を使って間違いだと気づいたら、「na」に変えて「na」を必要とする名詞を覚えていくのと同じ方法を取るのがいい。違いは覚えるのが名詞か動詞かというところだけである。というところで長くなったし、きりもいいので以下次号。次が短くなりそうな気もするけど。
2020年6月30日9時。













タグ:助詞 動詞
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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



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