アフィリエイト広告を利用しています
<< 2017年01月 >>
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30 31        
検索
リンク集
最新コメント
チェコの銀行1(十二月二日) by ルイ ヴィトン 時計 レディース hウォッチ (03/20)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしやん (12/30)
メンチンスキ神父の謎(四月卅日) by にっしゃん (12/30)
メンチンスキ神父考再び(七月卅日) by にっしゃん (12/30)
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日) by K (08/16)
最新記事
カテゴリーアーカイブ
記事ランキング
  1. 1. 『ヨハネス・コメニウス 汎知学の光』の刊行を寿ぐ(四月十日)
  2. 2. no img 『羊皮紙に眠る文字たち』『外国語の水曜日』(三月十九日)
  3. 3. no img コメンスキー――敬虔なる教育者、あるいは流浪の飲んだくれ(九月廿七日)
  4. 4. no img すべての功績はピルスナー・ウルクエルに(一月廿六日)
  5. 5. no img 「トルハーク」再び(三月廿日)
  6. 6. no img トルハーク四度(十月二日)
ファン
タグクラウド










ブログランキング・にほんブログ村へ
にほんブログ村

広告

この広告は30日以上更新がないブログに表示されております。
新規記事の投稿を行うことで、非表示にすることが可能です。
posted by fanblog

2017年01月11日

ミヤバ(正月八日)



 スロバキアの西部チェコとの国境からも遠くないところにミヤバという人口一万二千人ほどの町がある。自分では行ったことはないのだが、うちのの両親が、革命前にモラビアでは手に入らなかった物を買いに出かけたことがあると言っていた。当時はチェコとスロバキアは連邦国家だったのだが、微妙に制度の運用が違っていて、チェコでは禁止されていることが、スロバキアでは禁止されていなかったり、チェコでは買えないものがスロバキアでは買えたりしたようだ。
 あれこれ話を聞いていると、どちらかと言えば、チェコ側での方が制度による締め付けが厳しく、スロバキアの方がゆるかったような印象を受ける。外から見ると、目くそ鼻くそ、いや五十歩百歩の違いにしか見えなかっただろうが、その小さな違いが実際に生活していくうえでは大きかったはずだ。

 さて、そのミヤバの町にスロバキアの一部リーグに参戦していた。過去形なのは、この町のチームが、シーズン途中でリーグ脱退を決めて実行してしまったからだ。一部リーグに参戦していたAチームは解散し、選手たちは新しいチームを探して移籍金なしで移籍できるようになったらしい。よくある運営資金切れかと思ったら、金銭的な問題によるものではなく、スロバキアサッカー界の現実に対するプロテストとしての行動だという。 チェコのサッカー界も問題だらけだけれども、さすが兄弟国、スロバキアでも大差なかったようだ。
 スロバキアのサッカー界では、ブラチスラバのチームに対するあからさまな優遇があるらしい。ブラチスラバのチームと言っても、インテルとペトルジャルカは倒産して消滅したから、スロバン・ブラチスラバしか残っていないのだけれども。このあたりは、かつてチェコでもスパルタ優遇とか、スパルタ中心だとかいって批判されていたのと軌を一にする。ただし、最近では、スパルタではなくプルゼニュが優遇されていると批判されることが多くなっている。

 ミヤバのチームは、秋のリーグ戦の最後から二試合目にスロバンと試合を行い、その試合の終了間際に選手だけでなくベンチのメンバーも巻き込んだ大乱闘事件が起こった。その場は審判が両チームの選手を一人ずつ退場にすることで収めたらしいのだが、その後のリーグの処置が問題だった。
 その後の審議で、ミヤバの選手三人に出場停止処分が下り、ジェネラルマネージャーも処罰を受け、監督も審議の対象にされたらしい。スポーツ新聞の記事ではスロバン側にどのような処分が下ったのかについては触れられていなかったが、ミヤバ側がこれだけの反発を見せているということは、一方的な処分だったのだろう。

 ミヤバのチームの関係者の話では、この件だけがリーグ脱退という重大な決意につながったのではなく、これまで積み重なってきた憤懣がこの一件で爆発したのだという。十二チームからなるスロバキアの一部リーグに残った唯一の首都のチームであるスロバン・ブラチスラバが優遇されるのは、その伝統も考えると仕方がないのかなとも思わなくもない。首都に一部のチームが一つもないのには違和感があるし。ただそれが、度を越していたのだろうか。
 確かミヤバのチェコ人選手の発言だったと思うのだが、一生懸命チーム全体で努力して下部リーグから一部リーグにまで昇格してきて、スロバキアサッカー界の現実にぶつかり、昨シーズンに三位に入ったこともあって、一種の燃え尽き症候群を起こした面もあるんじゃないのかなんて声も上がっていたけれども、何とも評価しようがない。

 とまれ、スロバキアの一部リーグでは、秋に行われたミヤバの試合はすべてなかったことにしてしまうのだという。つまり、秋にミヤバに勝って勝ち点を取ったチームは勝ち点を失うということになる。得点などの個人記録、カードの累積なんかはどうするのだろうか。この処置で適切なのだろうか。
 チェコで偽ボヘミアンズが、ボヘミアンズとの試合を拒否したときと同じように没収試合扱いにして、これから予定されている試合をすべて3-0で対戦相手の勝ちという扱いにしたほうが公平なような気がするんだけど、ルールで決まっているんだろうなあ。

 日本の東京中心主義以上にひどい、チェコのプラハ中心主義には、うんざりさせられることも多いが、スロバキアにもブラチスラバ中心主義というものがあるようだ。だから、ブラチスラバを嫌うスロバキアの人たちはチェコに流れてくるのだろうか。

1月9日15時。


2017年01月10日

ペトラ・クビトバー(正月七日)



 チェコではテニスにもエクストラリーガというクラブチームの対抗戦が存在する。ほぼ一年中ツアーで世界中を回るのがテニス選手の生活なので、長々と時間をかけてやるわけにはいかない。ということで、ワールドツアーがお休みの十二月に二週間ほどかけて一気に行なわれる。出場チームは全部で八チーム。いやそのうちの四チームは予選からで、予選を勝ちあがった二チームをあわせて六チームで行なわれると考えたほうがいいのか。
 その六チームを三チームずつに分けて、グループ内で総当りの試合を行い両グループの勝者で決勝を行なう。確かシングルスとダブルスどちらかが六試合勝った時点で終了、もしくは八試合まで言った場合には五勝したチームが勝つというルールだったかな。四勝ずつの場合にはどうなるのかちょっとわからない。

 どのチームが出ているかとか、プラハグループで決勝に残ったかなんていうことはあまり大切ではない。ベルディフやシュテパーネク、クビトバーやシャファージョバ−などモラビア出身の有力選手をほとんど揃えたプロスチェヨフの勝利はほぼ間違いないのだから。もちろん、過酷なシーズンが終わったばかりで無理はできないので、上記の選手たちが何試合もするわけではない。ベルディフも一試合しか出ていなかったし。
 また、普段からチームに所属してる選手でなくても、このエクストラリーガだけの短期契約で、外国のトップ選手を連れてくることもできるようで、何年か前にはポーランド出身だけどよその国の選手として活躍していた女子選手が出場していた。言葉が通じやすかったというのもあるのだろう。同じ理由でスロバキアの選手たちが出ることも多いようである。

 それで、この大会の決勝が行われる時期にペトラ・クビトバーはプロスチェヨフに滞在していたわけだ。そして強盗に入られてナイフで利き手の左手を負傷させられてしまった。日本でも、多少は報道されただろうと思うが、チェコでは年末最大のニュースの一つだった。
 ニュースなどによると、クビトバーだから狙われたのではなく、へんな言い方だが、ごく普通の強盗事件だったようだ。ただ被害者だけが特別だった。犯人はガスの検針を口実にマンションの入り口のドアを開けさせ中に入り、最初に自室のドアを開けたのがクビトバーだったらしい。ナイフを突きつけてお金を出すことを要求し、抵抗するクビトバーの手をナイフで切りつけ、お金を奪って逃走したという。
 左利きのクビトバーは、左手でナイフを奪おうとか、押しのけようとかしたのだろうか。左手の指を切られて、一度はプロスチェヨフの病院に運ばれたあと、別の病院に転送されて専門家の手術を受けた。この処置からすると、ただの切り傷ではなかったのだろう。復帰までに最低でも半年はかかると言われている。試合中や練習中の怪我ならともかく、こんな形での怪我で欠場を余儀なくされるというのは、スポーツ選手にとってはたまったものではあるまい。

 そのクビトバーを応援しようという気持ちからだろうか。年明けのチェコのテニス選手たちは好調である。WTAの大会でプリーシュコバーとシニアコバーが優勝して幸先いいスタートを切っている。ベルディフも優勝までは行かなかったけど、準決勝までは進んだし、シュテパーネクも好調のようである。

 一方、逃走した犯人のほうは未だに捕まっていない。この手のガス検針、電気の検針やなどを口実に建物の中に入って強盗に化けるというのはチェコではよくある話なのだが、特に特徴のある犯罪ではないだけに犯人を捜すのに苦労しているようだ。なかなか犯人が捕まらないことに業を煮やしたプロスチェヨフのテニスクラブは、犯人逮捕につながる情報を提供した人に対して報酬を出すことを発表した。クラブに所属するテニス選手たちや、テニスクラブの受付の人たちなんかもお金を出すらしい。
 警察は犯人の似顔絵のようなものを発表しているけれども、一番目立つのが帽子で顔を見ても気づけそうもない。これは日本人だからの感想で、チェコ人なら気づけるのかもしれないが。とまれ、犯人の逮捕と、クビトバーの復帰、いや強いクビトバーの復活を願っておきたい。
1月8日22時30分。


2017年01月09日

寒い2(正月六日)



 今年の冬は、十一月十一日の聖マルティンの日に、チェコ全土ではなかったけれども、雪が降ったせいか、去年より寒く、雪が多いような気がする。いや、過去最高に寒かった冬よりはましだが、ここ数年では一番寒いんじゃなかろうか。
 すでにクリスマス前に雪が積もり、雪が多そうな予感はあった。幸いその後気温が上がって、うちのの実家に出かけるころには、オロモウツ市内からは雪は消え、道路も完全に除雪されて特に走行に問題のある状態ではなくなっていた。ただ、オロモウツを出てプシェロフに向かう途中の道路では、道端の木が凍りついて、いや木の表面に氷がついて真っ白い枝を伸ばしていたのが幻想的だった。樹氷というやつなのかな? と南国育ちの人間には判別がつかず、?をつけてしまう。
 なぜか、南にいくほど融け残った雪の量が多く、南モラビアにあるうちのの実家の辺りでは、周囲の畑は真っ白く雪に覆われていた。その雪も雨が降ったおかげで完全に融けてしまい、今年の冬の雪はこれで店じまいかもと期待したのだが、はかない期待だった。

 年末には、チェコに来てその存在を知ったチェコ語でインベルゼという気象現象が起こり、オロモウツのような平地の方が、山の上よりも気温が低くなるという現象が起こった。この現象が起こる年って寒かったような気がする。インベルゼが起こると平地では空気が動かなくなるため、排気ガスなどが拡散することなく滞留してしまう。その結果、町がスモッグに覆われることになる。風邪がなかなかよくならないのもこの時期に汚い空気を吸い込んでしまったせいかも知れない。換気のために窓を開けると部屋が臭くなるってのは、やめてほしい。

 インベルゼが終わると危惧していたとおり、さらに気温が下がって雪までちらつくようになってしまった。風邪が治りきらないまま復活したところにこの仕打ちはないだろうと思うのだけど、天に物申してみても詮無きことである。かくて本日は雪の舞い散る中、仕事に向かうことになってしまった。昨日までは、降っても積もってもいなかったのだけど。
 傘を差しても仕方がないので、時々上着に降りかかった雪を叩き落としながら歩いていく。不快なのは、マフラーの口の周囲が濡れてしまって冷たく感じられることだ。呼気に含まれる水蒸気が、急速に冷却されることでマフラーで結露するということか。そのまま凍りついてマフラーがシャリシャリにならないだけましだと思ってしまうのは、チェコの冬になれてしまった証拠だろうか。

 実のことをいえば、降り積もった白い雪の上をシャリシャリ踏み込みながら歩くのは嫌いではない。ただし距離が短ければというのと、石畳の上でなければという条件がつく。市内の石畳の道を雪の中歩くのは、なかなか慣れない。それで歩道を歩くことも多いのだけど、歩道も石畳だったりするのが厄介である。
 今日は歩道を歩いていたら足を滑らせてこけてしまった。体調もよくないのでゆっくり歩いていたから、気を抜いていたのがいけなかったのかもしれない。ついた足がつうっと前に滑っていくのを立て直せずに、体の右側を下にして地面に落ちてしまった。以前知り合いが同じような状況で倒れないように踏ん張った結果、倒れただけでなく足を傷めて立ち上がれなくなり通行人に救急車を呼ばれたことがあると言っていたが、素直に倒れたおかげか、特に怪我などはなかった。親切な通行人に、「大丈夫? 立てる」と聞かれて、立ち上がりながら「何の問題も在りません。ありがとうございます」と言えるぐらいだった。

 寒い寒いと思っていたら、本当にこの冬一番の、いや久しぶりの大寒波だったようで、六日の夜には、正確には七日の未明と言ったほうがいいのかもしれないが、雲が途切れ放射冷却現象が起こったために、シュマバの山の中を中心に何箇所かでマイナス三十度を超える寒さを記録したらしい。オロモウツでもマイナス二十度近くまで下がったようである。
 うげっ、これは過去最高の冬に近いではないか。あのときはオロモウツでもマイナス二十度を超えたから、今年よりも寒かったのは確かだけど。これ以上、寒さが厳しくならないことを、天に祈って本稿を終わることにする。
1月7日22時。


 カテゴリーももう少し増やして整理したほうがいいなあ。1月8日追記。

2017年01月08日

ばれた(正月五日)



 という題で書いて、珍しく短くまとめた文章を書き上げたのに、保存に失敗してどこかに行ってしまった。どうしよう。探しだしてから改めて掲載するか。いや、内容を思い出しつつ書き直すことにしよう。発見できたら旧バージョンもさらすかもしれない。
 とまれ、昨年の今頃は、ブログを始めたばかりで、自分がブログを始めたことを知り合いに知られたらどうしようと戦々恐々としていたものだ。メールのチェックをするたびに、誰からかブログとかいうタイトルのメールが来ているのではないかと不安と期待の入り混じった気分になっていた。自己顕示欲はないわけではないけれども、読者対象も想定せずに適当に書き散らしたものを、知人に読まれると思うと何ともいえない気恥ずかしさがあった。北村薫の推理小説『覆面作家』シリーズの主人公の気持ちが少しわかった気がした。
 それが、一月経っても誰からもそんな連絡はなかった。考えてみればインターネットという大海の中で、日本語で書かれたものに限定したとしても、このささやかにひそやかに始めたブログに、決して数が多いとは言えない、今でも連絡のつく我が友人、知人たちがたどり着くのは、砂漠に落ちた一本の針を見つけ出すのと同じぐらいには困難なのだろう(この例えは、どこかで読んで気に入っていつか使ってやろうと思っていたものである)。

 二月の終わりだったと思うが、非常にうれしいことがあって発作的に、三人の方にこのブログの存在をお伝えした。同時にとくに犯人については内緒にしてくれるようにもお願いしたので、そこから広がって連絡がくるということもなかった。その後は、五月雨式にポツ、ポツと全部で十人いかないぐらいの方に教えただろうか。
 こちらから教えることはあっても、お前だろというメールもコメントも来なかったので、これはもうばれることはないだろうと安心していたのだけど、ばれた。ばれてしまった。たまたま、オロモウツ在住の日本の方に会う機会があったときに、いきなり「ブログ」と言われて、しらばっくれることができなかったのだ。ブログを初めてちょうど一年経つ今年の初めにばれたというのも運命なのかもしれない。

 その人の話によると、自分で発見したのではなく、昨年末に日本の知り合いから、こんなブログがあるけどと連絡を受けて犯人ではないかと疑われたらしい。それで、実際にブログを見てみたら……。知り合いが見ればわかるようなことがあちこちに書いてあるから、当然、犯人の正体は一発でわかったと。
 知人が見ればわかるというのは予定通りなのだけど、ばれたルートが想定外だった。友人知人のうちの誰かが、「チェコ」「オロモウツ」あたりで検索したら、何かの間違いでこのブログに到着して、メールをよこすか、ブログのコメント蘭に書き込むかするのではないかと予想していたのだ。そうなのだよ、チェコに住んでいる人に直接言われることも想定していなかったのだ。だから、とぼけられなかったのか。

 さて、これからどうしよう。当初の予定では、誰かにばれたら全面的に公表しようと思っていたのだけど、「実はブログを」なんてふれて回るのは、始めてから一年以上経った今となっては、今更という気がして、気が進まない。だから、これまでブログについてお伝えした方にお願いした内緒というのを撤回することにしよう。もし誰かにこのブログの存在を教えたいなんてことがあった場合には、「どうぞお願いします」と申し上げよう。ただ、「犯人についてだけは、言を左右にして明言しないでいていただけるとうれしいです」と付け加えておきたい。ということでよろしく。
1月6日23時。

 最初のバージョンとはかなり変わってしまった。1月7日追記。


覆面作家は二人いる [ 北村薫 ]






posted by olomoučan at 07:38| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ

2017年01月07日

敗北宣言及び再開宣言(正月四日)



 雨にも負けず、雪にもまけず、冬の寒さにも、夏の暑さにも、チェコの夏は、特に今年の夏の暑さは大したことなかったけど、とにかく夏の暑さにも負けずに続けてきたブログの連日更新、いや、そうではなくて、毎日文章を書き続けるプロジェクトが、風邪に負けてしまった。

 十二月に入ったぐらいから体調は悪化していたのだが、基本的に疲れているだけだったから、クリスマス休暇で元に戻せるだろうと思っていた。それが、どこかで風邪をもらってきたらしく、体調は悪化の一途をたどった。それでもクリスマス進行は乗り越えたのだが、パソコンのモニターを見ているだけでも頭痛に襲われるようになって、白旗を揚げてしまった。紙の本や、ソニーのリーダーで読む分には、それが理由で頭痛が起こるなんてことはなかったのだが、テレビを見たり、パソコンのモニターをにらんでいるだけで頭痛がして何も考えられない状態にまでなってしまったのだ。
 その結果、一年三百六十五日のうち、三日分、たったの三日分を残して、一年連続を逃してしまったのだ。去年はうるう年だったのかな。そしたら三百六十三日も書きつづけたのに……。大幅に自己記録更新ではあるので、かなりの達成感はないわけではない。とくにブログ上では、大晦日に更新して停滞してしまっているからさ。でも、悔しい。悔しいので、仕切り直しをして、また今日から、これが何日の記事になるかは未定だけれども、書き続けていこうと思う。
 ただ、風邪の症状が、頭痛から咳、喉の痛みに移ったというだけで、完治したわけではないので、集中力の欠如は著しく、文章の質も量も、生産速度も全く上がらない。その上、書き始める前は、このテーマで、A4一枚ぐらい余裕で書けるだけの構想めいたものがあったはずなのに、気がついたら何を書くつもりだったのかさえはっきりしなくなっている。

 このまま書き連ねても、読むに堪えない文章が続くだけだろうから、昨年と同じく、正月のチェコ時間で六日深夜から更新を再開すると宣言して終わることにしよう。昨年は、正月ではなく、一月という表記を使ってしまったのだが、やはり古記録読みとては、正月を使うべきであろう。ということで、正月四日付けの記事であった。
1月5日23時。


 正月一日以来更新が停滞しているのであるが、その間の閲覧数は減っていない。減っていないどころか十二月の一日平均70を越えて80ぐらいにまで達している。なんだか納得が行かない気がする。三日連続三桁とかありえんて。知人のブログで、海外に行ったりしたときの記事を書いてもアクセスが増えないのに、突然増えることがあって困惑してしまうなんてことが書かれていたが、その気持ちが少し分かる気がする。毎日更新しても関係ないの? とまれ、知人のブログの突然増えた日は、一日でこちらの一月分を超えていたから、比べるのは申し訳ないのだけど。1月6日追記。


posted by olomoučan at 06:20| Comment(0) | TrackBack(0) | ブログ
プロフィール
olomoučanさんの画像
olomoučan
プロフィール


チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















×

この広告は30日以上新しい記事の更新がないブログに表示されております。