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2016年10月11日

選挙の日(十月八日)



 日本の選挙運動は、言わば押し売り型で、頼みもしないのに、候補者が家の近くにまで選挙カーに乗ってやってきたり、通勤に使う駅前に出没したりして、聞きたくもない話を聞かされてしまう。だから選挙期間に入れば、すぐにうんざりした気持ちと共に選挙が近づいていることを理解させられる。それに対してチェコの選挙運動は、イベント型なので住宅地にまで選挙カーが入ってくることはない。いや選挙カー自体が存在しない。かつてゼマンバスというのはあったけれども、あれは移動の手段であって、移動している姿は見せても、移動しながらマイクで叫ぶようなことはなかったはずだ。
 だから、特に今回は、上院と地方議会の選挙ということで盛り上がりに欠け、オロモウツでも上院議員の選挙が行なわれるようだが、選挙が近づいているという実感は持ちにくかった。仕事帰りに街中を通れば、ホルニー広場では、誰かが大声で話しているのが聞こえてくることが多かったが、中央にある市庁舎の反対側を通ることが多く、何を言っているのかわからなかった。一度、極右に近いと思しきグループが演説しているのに出くわしたけれども、遠巻きに見ている人は数人いても、縁者の前で聞いている人は誰もおらず、一番数が多かったのは警備の警察官だった。九月末のことだから、あれも選挙運動の一環だったのだろう。

 全国で行なわれる下院の選挙だと、もうすこし大々的に選挙運動が行なわれて、選挙に付き物のグラーシュを食べさせたり、選挙グッズを配ったりするのだけど、最近いろいろな事情で政党にお金がないせいか、以前と比べると選挙運動の規模が縮小しているような気がする。チェコ社会民主党は、前回の下院の総選挙でかなりの額の借金をして、返済が大変だったようだし、90年代に党本部の建物の所有権を巡る裁判で雇った弁護士から、謝礼の不払いで起こされた裁判に負けて、遅延によるペナルティも含めて多大な額を支払わなければいけないことになっている。
 資金的に余裕があるのはバビシュのANOぐらいなのだろうけど、最近はバビシュ対策で、政党が選挙に掛けられるお金の上限を決めるとか、政党への寄付の上限を決めるとかされているので、資金力をほしいままには振るえなくなっているようだ。それに、この政党は、道路わきの巨大なビルボードにポスターを貼ることに力を入れているように見える。
 選挙が行なわれるというのは、自宅の郵便受けに候補者の宣伝の紙が放り込まれたり、階段に投票用の候補者リストの入った紙が積まれたりしているのでわかっていたが、実際にいつ選挙が行なわれるのかは実感をもてないまま、気が付いたら選挙が始まっていた。チェコテレビの選挙前の特集番組も木曜日には党首を集めたスーパー討論会になっていたなあ。チェコ人も、と言うべきか、チェコテレビもと言うべきか、日本と同じで、いや日本以上に選挙が好きである。政見放送はない代わりに、水曜日までは、議席を得る可能性のある政党の代表を集めた討論番組を、毎日一地方ずつに放送していたのだ。

 チェコの選挙は、金曜日に始まる。金曜日は午後二時から十時まで、土曜日は午前八時から午後二時までが投票所が開いている時間である。会場となるのは、地方自治体の役所、学校など日本と大きな違いはない。ただ体育館ではなく普通の教室を使うため、金曜日は朝から投票所の準備が必要になり、会場となった学校は休みになるらしい。台風による臨時休校なら体験したことがあるが、選挙による臨時休校とはうらやましい話である。
 また、選挙管理委員の役をするのは、役場の職員が多いようだが、数が足りない場合には一般の人が選ばれて務めるようだ。多少の謝礼はもらえるようだけれども、二日合わせて十四時間ひたすら座っていなければいけないのは、あまり魅力的なアルバイトではなさそうだ。近年は投票率の低下がひどいので、待ち時間のほうが手続きをしている時間よりも圧倒的に長いに決まっている。昔、まだチェコ語の勉強をしていたころ、知り合いが選挙前の木曜日の夕方、実家のある町で選挙管理委員に選ばれたからと言って、嫌そうな顔で駅に向かっていたのを思い出す。

 それから、共産主義時代は、投票率ほぼ百パーセント、共産党の得票ほぼ百パーセントという数字をたたき出すために、病院や老人ホームは当然のこと、交通の便の悪い家庭や、病気で寝込んでいる人のところにまで、投票箱を運んで投票を強要していたらしい。その名残なのか、事前に希望すれば老人ホームの入居者や、入院中の患者は投票所に出かけることなく、出張してきた選挙管理委員の立会いの下で投票できるようになっているようだ。

 本来は、選挙の投票だけではなく、そろそろ自動車のタイヤを冬タイヤに交換する必要もあるので、今週末にうちのの実家に出かける予定だったのだけど、二人とも体調不良でオロモウツに残ることになってしまった。それで、選挙用に配られる候補者の名簿などあれこれ再確認して詳しい記事を書くことができなくなってしまった。来年まで書き続けることができていたら、来年の下院の選挙で再挑戦だな。
 結局投票率は、全国平均で地方議会の選挙も、上院議員の選挙も35パーセント弱で、有権者のほぼ三分の二が投票に行かないという結果に終わった。選挙と同時にいくつかの町では、住民投票も行われていたが、ブルノでは有効とみなされる有権者の35パーセント以上という条件を満たすことができず、住民投票は無効となった。ブルノでの住民投票は、ここ廿年ぐらい議論が続くだけでまったく解決に向かっていない中央駅の移転先についてであったが、移転なんか不要だと考える人が多いということか。いや、一般的に政治に関する関心が低下していると考えたほうがよさそうだ。まあ、こんなのが、日本とも大差のないヨーロッパの民主主義の現状なのである。
10月8日22時。


2016年10月10日

右と左がわからない2――ある左利きの半生(十月七日)



 一体に文目もわかぬ稚いガキにとって、「右/左」の区別は、観念的なものではなく、即物的である。即ち、鉛筆を持って字を書いたり絵を描いたりする手、ボールを投げたり食べるときに箸を持ったりする手、それが右手である。だから左利きの子供が頭の中で右手だと思う手は、現実には左手である。
 左利きの子供にそうではないことを教えようとする良心的な保育園、幼稚園もあるかもしれないが、自分一人だけが他と異なることを恐れる子供の心情を考えると、違うと言われても、違わないと主張する子供が出てくるのではなかろうか。また異物をいじめがちな子供の世界のこと考えて、あえて指摘しないという考え方もあるだろう。この辺は、我がたわごとの守備範囲から大きく外れるので、教育関係者の話を聞いてみたいところであるが、左利きの人間にとっては、「右/左」問題との格闘は幼少期から始まるのである。

 近年は、右手で字を書くように矯正することは減り、左利きの子供には左手で書かせているようだが、我がガキの頃にはまだ、右に矯正するという考え方が主流だったので、右で書くように強制され、小学校に通い始めるぐらいから、字が汚いからという理由で書道塾に通わされることになった。実際には、鉛筆で書く字が書道のおかげで綺麗になるなんてこともなく、筆で書く字と鉛筆で書く字の差の大きさに親を嘆かせるようになるのだが、効果が出たのは書道を始めてから、何年もたった後のことだった。今でも丁寧に書こうと思えば、綺麗な字を書くことができるのは、このときの書道のおかげである。
 この右手で字を書き始めた時点が、「右手=字を書く手」で実際に書くのも右手という一致を見たので、我が生涯のうちで、右と左を一番正確に判別できていた時期かもしれない。しかし、それも小学校五年の或る日悲劇が起こるまでのことだった。

 何の授業だったかは覚えていないが、当てられてせっせと答を板書していたら、後から頭を小突かれた。
「お前は、何で左手で書いているんだ?」
「えっ、何言ってるんですが、右で書いてますよ」
 と言ってチョークを持つ手を振り回したのだが、どうも左手だったらしい。このあたりで笑い始めている同級生もいたようだ。
「お前は小学校の高学年にもなって右と左もわからないのか。しょうがない奴だなあ」
 先生に罵られて同級生に大笑いされて、この右利きのくそ先公め、と当時ドラマか何かの影響ではやっていた汚い言葉まで使って心の中で叫んだ。この恨みは一生忘れないぞと心に復讐を誓ったのだった。この文章を書き始めるまではすっかり忘れていたけど。
 この事件以来、あれこれ調査した結果、机の上のノートなど水平面に書く場合には、右手を使うほうが自然で、黒板などの垂直面に書く場合には、左手で書くのが自然だということが確認できた。水平面に左で書くのはできなくはないが、少し窮屈で油断すると鏡文字になるのだった。垂直面に右で書くのは問題なくできたが、左で書くのに比べると、手が震えて線が真っ直ぐにならないという傾向があった。ついつい書道的な書き方をしてしまったのがいけないのかな。
 つまり、それぞれに得手不得手はあっても、両手で字が書けるようになってしまった、これが右と左の判別がすぐに付けられなくなった理由なのである。今でも右、左と言われると、とっさに手を見てしまう。そして、判別がつかず、訣別したはずの文学趣味が頭をもたげてきて、ついつい石川啄木になってしまう。

   かんがへど、かんがへど
   なほ、みぎひだり、わくをもえざり
   ぢつとてをみる
               たくほく(偽)

 右でも左でも字が書けるようになると、器用だなどと言って褒められたりうらやましがられたりするのだが、両手が使えるという意味での器用であって、それぞれの手が本当の意味で器用なのではないのだ。それに、なりたいと思ってできるようになったわけではなく必要に迫られてできるようになったに過ぎないのだ。左手でノートを抱え込むような姿勢で字を書ける左利きは器用だと左利きの人間が見ても思うが、あれとて試行錯誤の末にたどり着いた左手で字を書く方法であろう。我々は苦労しているのだよ。
 字を書く以外の普通の人が右と左を使い分けるものについて、自分がどちらを使うか見ていくと、絵を描くときに色を塗るのは左手だった。細かい線を引くようなところは右、色を塗るのは左と無意識に使い分けていた。食事のときの箸は、幸いに矯正されなかったので左手だが、希少価値を考えるとガキのころに練習しておけばよかったと思わなくもない。

 洋食でスプーンは当然左手を使う。右でも食べられなくはないけれども、あくまで緊急避難的な使い方しかしない。ナイフとフォークはナイフが右手でフォークが左手である。日本では滅多に使わなかったし、まったく意識していなかったのだが、どうもこれは右利きの人と同じらしい。こちらに来て、左利きなのにどうして右聞きと同じもち方なのと指摘されて自分でもびっくりしてしまった。何故なんだろう。いろいろ試した結果、左手でナイフを使うのが苦手であるようだ。包丁は左手で持つのに、我ながら不思議な話である。
 足の場合には、どちらを使っても下手糞であることは同じと言う意味で両利きである。いや、利き足はないといったほうがいいのか。ただサッカーなんかで確実にボールに当てたいときには右足、当たれば儲け物で蹴るときには左足を使っていた。右で蹴ると確実に当たるけど、ひょろっと力なく飛んでいくだけで、左で蹴ろうとすると十回に一回ぐらいしか当たらないけど、当たるうちの十回に一回つまり百回に一回ぐらいは強烈なボールを蹴ることができた。思ったところに飛んでいくのはさらに確率が下がるので、どっちでけっても下手糞という点では大差なかった。
 目は、片目で見るときにつぶるのは左目だから、右目で見ることになるのか。利き目は見るほうの目だったっけ、つぶるほうの目だったっけ。あまり覚えていないけれども、こうやって並べ上げてみると自分でもややこしい右と左の使い分けをしていると思う。だから、右と左の判別がつかないのは仕方がないのだ。右と左の判別がつかない人間に言葉で道案内ができるわけがないのだ。だから、道を教えるために英会話になんて通う必要はない。と、ようやく、発端に戻ってくることができた。
10月8日12時。


posted by olomoučan at 06:25| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2016年10月09日

右と左がわからない1――左利きの叫び(十月六日)



 『外国語を学ぶための言語学の考え方』でもそうだが、黒田龍之助師はしばしば、英語で道案内ができなかったからといって英会話教室に発作的に申し込むような日本人のメンタリティを揶揄する。ここで重要なのは、道案内そのものではなく、日本語でできないことが、外国語の会話の練習をしたからと言って、できるようになるわけはないだろうということだ。
 日本語とチェコ語の通訳では、専門分野を限定するなんてことはできないので、これまでいろいろな分野で通訳をしてきた。中には日本語でもよくわからない、言葉を知らない分野もあったけれども、仕事を引き受けてから、あるいは仕事をしながら、付け焼刃で知識を増やして何とか対応してきた。ただ、医療関係の仕事だけは引き受けたことがない。付け焼刃の知識で、日本語でも理解できていないことを通訳すると命に関るのではないかという恐れがあって、引き受けられないのである。

 そして、もう一つ、こちらは命には関らないし、仕事として引き受けるようなことでもないのだが、道案内もしたくない。日本にいて日本語で日本人に道を聞かれたときですら、時間がないときには知らない振りをし、時間があるときには、言葉で説明できないから、地図を書いたり一緒にその場所まで連れて行くことが多かったのだ。
 言葉で道案内ができない理由は、はっきりしている。右と左がとっさに判別できないのだ。うちのの運転する自動車の助手席に座って、地図を見ながらナビゲートする場合に、最初は「右/左」と言っていたのだが、あまりにいい間違いが多く、目的地に着くのに無駄な時間がかかってしまうため、「右/左」を諦め、「そっち(k tobě)/こっち(ke mně)」という指示を使うようになった。そっちは運転席側に曲がって、こっちは助手席側に曲がるという指示である。これなら間違いようがない。

 では、なぜ右と左がとっさに判断できないかというと、それはもう左利きだからだとしか言いようがない。右利きの恵まれた人間たちには決して理解のできない左利きならではの苦難の人生がかかわっているのだ。我々は圧倒的多数の右利きの支配する世界に、適応することを強要されているのだ。これは立派な差別である。だから左利き解放同盟を結成して、左利き革命を起こして、せめて左利き自治区ぐらいは作りたいものだと、過激だったころには考えていたのだけど、自分も含めて同志たちは生まれたときから、右利きの世界に順応させられているために、左利き用のハサミとかそんな多少の配慮を見せられるだけで、懐柔されて転向してしまう。人間と言うのは慣れる生き物なのだ。

 そもそも、世界を規定するための文字が、右利き向きである。左手で書くには右利きにない苦労をさせられる。最近は減ったが右で書くように矯正されることさえある。今更、文字を左で書きやすいものに変えろというのは、不可能だろうから、左利きに限り鏡文字の使用を許容せよと言いたい。そうすれば、手首を無理やり外側に向けたり、腕全体でノートを抱え込むような無理な姿勢をしたりせずに書けるようになる。
 ハサミ、缶きり、自動改札、マウスなどなど、左利きには使いにくいものは枚挙に暇がない(最近の事情を考えるとちょっと大げさかな)。右利き用に作られた缶きりの使い方がわからず、試行錯誤して無理やり左手で切っていたら、変なきり方だと右利きどもに大笑いされたのは、今でも忘れられない。小学校で家庭科の授業が始まり裁ちばさみを使っていたら、裏にしても表にしても手が痛くてまともに使えなかった。右手で使うことが前提になっていたあのハサミは、握りの部分が右手の指が収まりやすいような造形になっていたため、左手で使うと変なところに接触して使うと痛くて仕方がなかったのだ。思うように使えない右手で切るしかなかった。
 自動改札だって最近はいちいち定期券を出す必要はなくなったようだが、切符、定期券を通す機械は右側にある。毎日何度も体を無理やりひねって左手で右側にある機械に切符を入れて出てきたのを取るのは、特にラッシュ時の人ごみの中でやるのはなかなか大変だった。落としかねないという不安をこらえて右手を使うこともあったけどね。ある左利きの友人は初めて自動改札を使ったときに、自分の左側にある機械に切符を通してしまい閉じ込められてしまった。
 あいつの途方に暮れて立ち尽くしている姿は、同じ左利きの人間として、すまん、大笑いさせてもらった。でもね、同じ左利きに笑われるのは気にならないのだよ。同じ苦難を生きてきたものとして笑い笑われる中で理解しあえるのだから。許せないのは左利きゆえの失敗を馬鹿笑いしやがる右利き人どもである。

 我々左利きは、こんな苦難に満ちた生活を送りながら、左利き用のものが発売されたといっては、大喜びで大枚はたいて購入し、右利き人どもの配慮に涙するのだ。最近は、缶詰がほとんどパッカン方式になって缶切りを使う必要がなくなったし、ハサミもどちら側から手を入れても痛くならないような形状のものが増えていて、以前と比べればかなり楽になった。
 それから、左利きの人間は、右利き人が右手でしかできないようなことを、左右両手を使ってできることが多い。そうすると右利きの連中は、いかにもうらやましそうに器用だねえとか、言うのだ。我々生まれて以来虐げられるだけだった左利きは、そんなささいなことがむやみに嬉しく、簡単に懐柔されて満足してしまうのである。

 それでも、と自動改札とは無縁になった今でも思う。かつて使われていた左利きを指す言葉「ぎっちょ」や、酒飲みを指して「左利き」と言うのは、最近は聞かなくなった。左利きへの差別だとか言い出す人がいて、使用が自粛されるようになったのだろうか。もしそうなら、右利き人どもよ、勘違いもはななだしいぞ。言葉なんぞどうでもいいのだ。「ぎっちょ」に差別的な歴史があったとしても、胸を張って「我ぎっちょなり」と公言しよう。今でも差別されているのは事実なのだから。酒飲みであることは自任しているから、「左利き」が酒飲みの異名になっているのも許容する。しばしば右利きの連中が言う「左利きは変な人が多い」というのも、自分も含めて否定しきれないから、言いたければどんどん言ってくれてかまわない。
 ただ、言葉狩りのような無意味な配慮をする代わりに、一箇所でいいから、左利き専用の自動改札を設置してくれないものだろうか。女性専用車両なんて配慮ができるのだから、その何十分の一かの配慮を左利きの人間のためにしてもらえないものか。それが駄目なら、一年に、いや十年に一度でいい。左利きの日として、全国の自動改札を一日だけゲートの左側の機械に切符を入れるように設定する日を設けてほしい。そして、右利き人たちがうまく使えずに、おろおろしているのを尻目に、我々左利きだけが、すんなり通り抜けることができるなんてことになったら、涙を流しながら嘲笑し、これまでの鬱憤が消えて、溜飲が下がることだろう。そうしたら右利きの右利きによる右利きのための世界に、左利きでありながら忠誠を誓ってもいいんだけどなあ。
 あれ、左利きの人間が、左右の判別をしにくくなり理由については、どこに行ってしまったのだろう。明日、明日である。
10月6日23時。



 一応、本の話がきっかけで書き始めたのだけど、本のカテゴリーに入れるのは無理があるよなあ。10月8日追記。


posted by olomoučan at 06:59| Comment(0) | TrackBack(0) | 戯言

2016年10月08日

浪漫主義言語学2(十月五日)



 さて、『外国語を学ぶための言語学の考え方』に於いて提唱される浪漫主義言語学、果たして自分は浪漫主義言語学の徒になれるのだろうか。ちょっと検証してみよう。

 浪漫主義言語学の条件の最初の一つは、外国語を学んで、外国語における現象から改めて母語、すなわち日本語を見直すことである。これならできる。と言うよりもできている。本書でも触れられている外国語の言葉をカタカナで表記するときに、子音のみを表記するのに普通はウ段のカタカナを使うのにTだけは、ウ段の「ツ」ではなく、オ段の「ト」を使う理由は、チェコ語を勉強して、日本語の単語をチェコ語のアルファベットで書き表すことで理解できるようになった。
 ヘボン式のローマ字でも「tsu」と書くように、「ツ」の子音はTではないのだ。ローマ字表記では「t」も「ts」も大差ないし、ろくに意識できなかったが、チェコ語で、「t」と「c」というまったく別の文字で表記されるのを見ることで、子音が違うということがすんなり認識できた。「チ」の子音はチェコ式表記では「č」になるから、タ行には三つの子音があることがわかる。ローマ字を使っていたころは、「tsu」とか「chi」とか気取っている気がして、かたくなに「ti」「tu」を使っていたもんなあ。
 そうすると、「カムチャツカ」と書いて、「カムチャッカ」と読む人の多いロシアの半島も、ロシア語では、今なら「カムチャトカ」と書くような発音なのではないかとか、「ウォッカ」もかつては「ウォツカ」と書かれていて、ロシア語の発音は「ウォトカ」に近いのではないかとか考えをめぐらしてしまう。

 日本語に於ける否定疑問文への答で、「はい/いいえ」のどちらを使うかについて考えがまとまったのもチェコ語のおかげだ。「飲みにいかない?(Nechceš jít na pivo?)」と聞かれて、「うん、行く(Ano, chci)」と返すのはチェコ語でも同じなので問題ないのだけど、「これで、気にならない?(Nevadí ti to?)」と聞かれて、「うん、気にならない(Ano, nevadí)」と返すとぎょっとされてしまう。
 日本語では、動詞が否定か肯定かでも、内容が否定か肯定かでもなく、問う人の期待する答えかどうかを基準に「はい/いいえ」を選ぶのだ。「はい/いいえ」だけで答えると、誤解が起こるわけである。これも日常的にチェコ語を使っていなかったら理解できていなかっただろう。かつて、日本にいたころ、この点について日本語のできるチェコ人に質問されて、頭をひねりにひねったのにちゃんとした答を返せなかったことがある。

 でも、次の条件の複数の外国語を学ぶというのは満たせそうにない。確かに、中学校からは英語を勉強させられたし、大学では第二外国語としてドイツ語を選択した。しかし、そのどちらも日本語を別の視点から見ることができるようなレベルにまでは到達していないし、今更勉強を再開する気にもなれない。だから、この点では浪漫主義言語学の徒にはなれそうもない。
 いや、ちょっと待て、ある。あったぞ。ちゃんと学んで自分の日本語を見つめなおすきっかけになった言葉が。いや、むしろそのおかげでわが日本語がまともなものとして定着したと言ってもいい。漢文、ことに和製漢文があるじゃないか。あれだって、日本語でない以上は立派な「外国語」である。高校時代にあれこれ迷走して、壊れかけていたわが日本語がある程度まともな形になったのは、大学時代の漢文の授業と、平安時代の漢文日記の講読のおかげである。だから、とあえて繰り返すが、複数の外国語を学ぶという条件は、何とか辛うじて満たしていると考えさせてもらおう。今でも漢文日記読んでいるし。

 検定試験を重視しないというのももろ手を挙げて賛成。暇つぶしや、話のタネに受けることまでは否定しないが、語学の学習の目的が検定試験の合格というのでは、本末転倒だとしか言いようがない。チェコ語のA1の試験を受けたことはあるが、あれはチェコの永住許可のようなものを申請するのに必要だったから受けだけで、受験料もチェコの内務省が出してくれたのだった。テストで一番問題だったのは、問題文を読まずに応えたので、正しいものに○をつけるのか、間違ったものに×をつけるのか確認せずに始めてしまって、最後まで答を書いてから、間違いに気づいて答えを書き直さなければならなかったことだった。もちろん、一番下のレベルだったから、「来た、見た、合格した」である。
 今でもときどき、しゃれで一番上のC2を受けてみようかと、思うこともなくはないが、その試験のために特別な勉強をしようとは思わない。まあ、いつも受験料の高さに、こんな金を払ってまで受けることはないわなという結論になるのだけど。それはともかく、この手の試験というものは、普段の学習の成果、もしくは現時点での能力のレベルを確認するために受けるのだから、試験前に合格のための対策をするのには、健康診断を受ける前の数日節制して健康的な生活を送ろうとするのに似た不毛さを感じてしまう。中学、高校時代から試験勉強をしない言い訳として同じようなことを言っていたから、我ながら成長がないと言うべきか、三つ子の魂百までと言うべきか。

 留学に関しては、仕事を辞めてチェコに留学して、そのままチェコに住んでいる人間が、留学なんか要らないといっても説得力はないだろうから、留学するなら日本で初級から中級ぐらいまでの文法事項を身につけてからするべきだと言っておこう。語学は、特に最初は母語で勉強するべきである。日本語で説明されてわからない、覚えられないことが、チェコ語であれ、英語であれ、外国語でなんか理解できるもんか。留学先に期待すべきことは、まず第一に実践の場であって、第二に語彙を増やす場である。そう考えると、本書に書かれているように、長期の留学じゃなくても、旅行やサマースクールでも十分なのか。チェコ語の勉強のためにチェコに来た人間のせりふじゃねえよなって、この点では浪漫主義言語学の徒たる資格がないのか……。
 最後の、会話、特に自分がしゃべることを重視する現代の傾向に背を向けるのは、言葉を深く広く理解するには必須のことである。古臭い考えだと言われようが、語学の基本は読み書きにあるという意見を変えるつもりはない。読み書きを身につけて、耳を鍛えて聞くことができるようになれば、話すのは問題なくできるようになるはずである。この順番でいけば、語彙も充実しているだろうし、内容のある話ができるはずだ。読み書きもろくにできないまま、話そうとしたところで、語彙も、文法も圧倒的に欠けているのだから、話せることは、特に話さなくても問題のないことばかりであろう。

 こうして検討してみると、我があり方は、浪漫主義言語学の範疇から少しばかりずれてしまうようだ。「言語学」付いているのがいけないのだな。と言うことで、浪漫主義言語学の片隅に、入りたいけど入りきれない人たちのために、浪漫主義、いや無頼派語学と言うものを立てさせてもらってそこに属するということにしよう。そして、今後も黒田龍之助師の不肖の(著書を通じての)弟子を自称していくことにする。無頼派に師匠はいらない? いやいや、そんなことはないのだよ。師匠にべったりくっついて頼りきりにならなければいいのだ。と、かつて無頼派と親交のあった本人も無頼派っぽい方がおっしゃっていたのだから。あの方も、弟子と呼んではもらえなかったけど我が師である。
10月5日23時30分。



2016年10月07日

浪漫主義言語学1(十月四日)



 日本から帰ってきた知人が、「確か、この人のファンだったよね」と言いながら、黒田龍之助師の『外国語を学ぶための言語学の考え方』という本を持って来てくれた。何かのきっかけで著者に会う機会があったらしく、献辞まで書かれていた。持つべきものはコネのある知人である。喜びのあまり、仕事も、この文章を書くのも放っぽりだして、一気に読破してしまった。特に、最後の浪漫主義言語学の部分は、再読までしちまったい。
 言語学という学問にはすでに何も期待していない。かつての民俗学に感じていた袋小路に入り込んで進むべき道が見えなくなってしまっているような、どうしようもない閉塞感を感じてしまう。そもそも、近代言語学の、通時性よりも共時態を重視する姿勢も、書かれた言葉を無視して話される言葉にばかり集中する考え方も理解できないし、したいとも思わない。

 後者に関しては、しばしば、記述されない言語はあっても、発話されない言語は存在したこともないはずだとかいう説明がなされることがあるが、これをアジアの事情を知らない欧米の学者が言うのなら無知ゆえのたわごとだと笑って済まされるけれども、日本人でもそんなことを言う連中がいるから話にならない。
 かつて東アジアの共通言語であった中国語は、中国以外の国においては発話されることのない書くため読むための言葉であった。江戸時代に到るまで朝鮮と日本の間では、中国語、いや漢文と呼ぼうを使ってやり取りがなされたが、両者が中国語で話す必要はなかった。書かれた文書が理解できればそれで十分だったのだ。
 日本では正しい漢文からは、多少外れた和製漢文と呼ばれる特に日記を書くための言葉も存在したし、現在でも漢文で日記をつけている人もいるかもしれない。私も昔挑戦したけど、日記を付けること自体が苦手で一週間しか持たなかった。それでも、日記を付けるなら漢文だと今でも思う。大学時代に一緒に『小右記』の訓読をしていた後輩のおじいさんは、漢詩を作るのが趣味で、後輩が漢文の勉強をしていることをことのほか喜んでいたらしいが、詩を音読するとて中国語で読むわけでも、単に音読みするわけでもあるまい。訓読して読むはずだ。訓読してしまえば、それはすでに書かれた漢文ではなく、日本語の古文になる。

 こんな特殊例を根拠に、だから、話し言葉よりも書き言葉を重視しろというつもりは毛頭ない。書き言葉を軽視するなと言いたいだけである。書き言葉と話し言葉は、少なくとも日本語の場合には車の両輪のようなものであり、一方だけを過度に重視したのでは真っ直ぐ進めなくなってしまう。これは、言語学だけでなく、語学学習においてもそうで、読み書きを軽視して、文法は多少間違っていてもいいからしゃべれればいい的な語学に対する姿勢には反吐が出る。そんな奴らはしゃべるべき内容もないから、結局、同じこととを、自分の言えることをぐだぐだ繰り返すだけに終わってしまうのだ.。
外国語なんぞ学ばなくてもよかろうに。

 通時的な話をしても、漢文というものが、漢文の訓読というものが日本語に与えた影響というものは非常に多く、漢文訓読の表現が普通に使われているものある。だから漢文、訓読のための古文を勉強することは、日本語の本質を理解するのに役に立つし、正しく使うための指針ともなる。語源などの詮索はせずとも、日本語がどのように変遷してきたのかを認識することで、現代日本語の問題について判断を下すことができるようになる。温故知新というやつだな。
 一般に「ら抜き」と呼ばれる表現については、一部の学者が「ら抜け」という呼称を提唱しているが、典型的なためにする議論であってまったく意味がない。多少なりとも日本語を通時的に眺める目があれば、「ら抜き」は五段動詞では既に起こって定着した可能表現の受身表現からの分離の過程として理解できるはずだ。もちろん、五段活用から作られる可能動詞には、本来可能の意味を付け加えるときに使われていた「得る」という補助動詞を付けた形からの派生という根拠があるのに対して、ら抜きの場合には、根拠のない形なので、言葉の乱れとして認識する人がいるのも当然のことである。
 だから、個人的には、絶対に使わないが、他人が話すときに使っているのをとがめる気はない。小説なんかで、地の文で使われていると気になるけれども、会話文であれば気にならないし、地の文と会話文、会話文でも話者によって、使い分けがされていたら、その小説への評価は高くなる。
 一方で、いわゆる「さ入れ」のほうは、「ら抜き」のような建設的な使用される理由がないため、誤用で処理して問題ない。面白いのは、例えば「乗る」使役形「乗せる」の古い形「乗す」に、さらに使役の助動詞「せる」をつけて、「乗させる」という誤用もあることだ。これは使役であることを意識しすぎたあまりの誤用ということになろうか。使役するのが好きなのか、されるのが好きなのか。

 これも、言葉の歴史的な研究のほうが大切なんだと主張する気はない。現代の日本語の諸相についての研究は大切であろうが、それについて喋喋するなら、古文漢文の知識がないと的外れな議論になるよと言いたいのだ。もしくは、単なるどこでどんな言葉が使われているかの羅列になってしまう。それを全国的に調査して方言地図に落とし込めば、それはそれで重要な仕事であるが、かつて読んで絶望的な気持ちになった、どこぞの高校の女子高生が使う言葉についての報告なんて文章は、論文でなくても読みたいとは思わない。十年分ぐらいの調査の蓄積があって、変遷の様相が捕らえられる論文であれば話は別であるけれども。

 さて、ここまで言語学、言語学的な日本語研究への悪口になってしまったが、本題の師の『外国語を学ぶための言語学の考え方』は、言語学の悪癖とは無縁である。上に指摘したようなことについても、さらりとそつなく触れてあるし、言語学が言語学で完結せずに、語学の学習に活用しようという姿勢もありがたい。大学でまだ言語学に対する憧れがあった頃にこの本を読んでいたら、もっと言語学を勉強しようと血迷っていた可能性もあるので、今になって読めるようになったのは幸せなことである。この本を読んでなお、一般的な言語学は私にとって無用の学問である。
 しかし、本書の末尾で提唱される浪漫主義言語学だったらと思わなくもない。その件については、稿を改めて明日の分の記事にすることにする。
10月5日0時。


 本日の記事には一部フィクションあり。10月6日追記。

外国語を学ぶための言語学の考え方 [ 黒田竜之助 ]


2016年10月06日

高千穂遙(十月三日)



 生まれて初めて作家のファンであることを意識し公言したのは、『クラッシャージョウ』の作者高千穂遙についてだったと思う。田舎の品揃えの悪い本屋で手に入るのは、今はなきソノラマ文庫の『クラッシャージョウ』シリーズと、ハヤカワ文庫の『ダーティペア』シリーズぐらいだったが、この作家から濫読の道に入ったことは、我が読書の幅を広げてくれた。
 最初に読んだ『クラッシャージョウ』は、いわゆるスペースオペラで、特にこむずかしい科学理論やSF理論なんか気にせずに楽しく読める作品である。以前、いずれかの巻の発売当時のSFマガジンの書評で、ご都合主義に過ぎるみたいな批判を見かけたが、無意味な批判である。
 娯楽小説は、いや一体に小説というものは、多かれ少なかれご都合主義的な偶然に支えられているのだ。問題は、ご都合主義的な展開の結果、作品が面白くなったのか、ご都合主義過ぎて興ざめでつまらなくなったのかという点にある。その点、『クラッシャージョウ』は、少なくとも中高生にとっては最高に面白かった。

 その後、『クラッシャージョウ』の外伝と『ダーティペア』の作品で、同じ事件を両者の側から書き分ける、しかも三人称と一人称で書き分け、どちらも十分以上に面白い作品に仕上げるという荒業を見せてくれた。片方を読んでしまったから、もう片方の作品がネタバレでつまらなくなるということも、片方しか読んでいないから話がよくわからないということもなく、両方読むとさらに面白くなるという魔法のような作品であった、というとほめ過ぎかもしれないが、他のどの作家にこんなことができるだろうかと考えてしまう。
 『ダーティペア』の作品の解説に、確か野阿梓だったと思うが、高千穂遙は通俗的であると、文学では本来否定的な意味で使われることの多い「通俗的」という言葉を使って絶賛していたのを覚えている。このあたりは半村良が自分の作品を文学なんかではないといって誇っていたのと通じるものを感じる。SFに文学的真実なんぞ求める気はないし、面白すぎるという言葉が批判になっていた純文学の本を読むのをやめたのも、高千穂遙のすごさを再発見したのがきっかけになっているような気もする。

 欠点がないかというとそんなこともなく、ちょっと自分の趣味に入れ込み過ぎて趣味丸出しの小説を書くのはどうなんだろうと思わなくもない。大半は面白いからいいのだけど、ときどき、えっって言いたくなるような描写が登場することがあるんだよなあ。
 ヒロイック・ファンタジーの『美獣』や、古代ギリシャ・ローマ的な世界を舞台にした『黄金のアポロ』なんかに、筋肉の名前が出てくるのは、かなり違和感があった。日本語で言われてもカタカナで書かれても知らんし。『美獣』はともかく、結局『黄金のアポロ』は、SFでプロレスを書くための作品だったんだろうなあ。まあ、作品としては、ラジオドラマも含めて楽しませてもらったから、文句はないのだけど。

 オートバイに凝っていた時期には、『夏・風・ライダー』という正統派のバイク小説を書いている。鈴鹿の四時間耐久を舞台にしたこの作品は、森雅裕の『マン島物語』と並んで、我が二大バイク小説である。バイクレースを題材にした小説は他にもあれこれ読んだけど、この二冊に勝るものはないと断言しておく。
 ただ、高千穂遙、『狼たちの曠野』なんてのも書いてるんだよ。神殿に祈りをささげると、バイクが出現するなんて話、よくぞ出版できたと思う。作中には執筆当時のバイクが、ホンダもヤマハもみんな実名で登場するし、その事実の衝撃の大きさに、話の内容をほとんど覚えていないほどである。この本を喜々として読んでしまった以上、異世界に転生しようが、転生した世界がゲーム世界であろうが、異世界の設定が意味不明であろうが、小説として読んで面白いストーリーになっていれば、どんなものでも読めてしまうのである。

 他にも中国拳法に入れ込んで、『ドラゴン・カンフー』『魔道神話』シリーズや、『神拳李酔龍』シリーズなんか書いてしまう。『神拳李酔竜』は、『ダーティペア』と同じ世界を舞台にしたスペースオペラで、宇宙で「ロミオとジュリエット」をやってしまうような、いい意味でとんでもない作品で大好きだし、『魔道神話』はインド神話に目を向けるきっかけにもなったから、いいんだけどね。あれ、裏社会で行われる格闘技の賭け試合を描いたシリーズもあったなあ。巻ごとに主人公が変わって、いつまで続くのか、次はどんな格闘技が中心になるのか楽しみにしていたら、三冊目でかなり強引な終わり方をしたんだよな、確か。あれはちょっと残念だった。
 最近は自転車にのめりこんで、自転車小説を書いているみたいだけど、こちらにはまだ手を出していない。日本に行った知人に買ってこさせるほどではないしね。それにしても、実益を兼ねた趣味という点で、高千穂遙に勝る作家はいるのだろうか。

 半村良のような多作の作家と比べると作品数はそれほど多くないが、日本にいる間に発売された作品については、一部を除いて、すべて購入して読んだ。数年前に一時帰国した際には、ハヤカワ文庫に移籍した『クラッシャージョウ』の新作を発見して狂喜して購入しちゃったし、今でもついつい読んでしまう作家である。今後も機会さえあれば読み続けるのだろう。
 では、一番好きな高千穂遙の作品はと問われたら、やはり出会いの作品である『クラッシャージョウ』になるのかな。いや『神拳李酔竜』のあの独特の味も捨てがたいんだよなあ。いずれにしても、高千穂遙は、私にとってSFの、SFの中でも特にスペースオペラの作家なのだ。
10月4日16時30分。


 これは未読。10月5日追記。

ヒルクライマー [ 高千穂遙 ]




posted by olomoučan at 05:49| Comment(0) | TrackBack(0) | 本関係

2016年10月05日

トルハーク四度(十月二日)



 また映画「トルハーク」を見てしまった。ブログの記事で確認すると前回は三月廿日に見ているから、半年振りということになる。この映画、以前は滅多に放送されず、チェコ人でも知らないという人、見たことがないと言う人が多かったのだが、今年はどういう風の吹き回しか、放送局は違うとは言え年に二回目の放送である。スビェラークが80歳になるというのが影響しているのだろうか。
「ポペルカ」などの本来クリスマスに放送されていた映画が年に何度も放送されるようになり、最初は嬉々として見ていたのに、飽きてしまって、最近は繰り返しにうんざりしてしまって、見なくなってしまったのに対して、「トルハーク」は、放送されていればついチャンネルを合わせ、他にすることがあるからながら見で済ませようと思いつつ、ついつい最後まで見入ってしまう。
 そして、毎回あまりのばかばかしさににやにやしながら、新しい発見をして、「トルハーク」の底知れぬ完成度の高さに胸を震わせるのである。今回もいくつか新たな発見があったので、いるかどうかは知らないけれども「トルハーク」ファンのために紹介しよう。

 まず、冒頭のキャスティングで小学校の女の先生を選ぶシーン。金髪の女性を選ぶはずなのに、ただ一人赤っぽい髪で出てきたハナ・ザゴロバーが選ばれるのはいい。しかし、そこで監督がザゴロバーにかける言葉がひどかった。けったいな眼鏡をかけていたので、「眼鏡を外して、髪を金に染めろ」と、ここまでは「染めろ」ではなく、鬘をかぶれだと思っていたけど、以前から理解できていた。実はその後に、「やせろ」という言葉が続いていたのである。実際にやせて映画に登場するのかどうかは気づけなかったが、女優というのも大変なものである。
 それから、貴族風の肉やレンスキー役を選ぶ部分では、他の候補者は実際に歌を歌うのに、ユライ・ククラは、声が出せないと言う理由で歌わない。その代わりマネージャーのような人物が出てきて、「治ったら、他の連中の何倍もいい声で歌います」とかいう一言で、役が決定していた。人気俳優であっただろうアブルハムのティハーチェク氏役や、歌手として人気絶頂にあったマトゥシュカの森林管理官役はキャスティングさえなかったから、このあたりに当時の映画の配役の決定のされ方が表れているのかもしれない。

 映画内で「ティハーチェクさんって英雄なの?」と先生に尋ねる子役のキャスティングでは、監督に媚びて「監督って英雄なの?」と言い換えた子供が選ばれる。それは以前から知っていたのだが、一緒に見ていたうちのが、「えっ、こいつ○○じゃない」と驚きの声を上げた。現在では映画監督をしているらしいが、ミロシュ・フォルマンの映画でカメラを担当した人物の息子として知られていたらしい。台詞が一つしかない子役だから誰がやっても大きな違いはないということで、監督に媚びる有名人の息子が選ばれるというのもかつての現実だったのかもしれない。共産党幹部の息子なんてことにすると、生々しすぎて検閲の対象になったのだろうが、いわゆる芸能界の有名人の息子であれば、許容範囲だったということか。大した役でもないのに、配役決定の字幕が出ていたから意図的であることは確実である。

 また、突然森林管理官が森に住む妖怪、化け物について、村民を相手に講義をするシーンが出てくるのだが、その意味がわかっていなかった。今回の見直しで、娘たちに近づく男たちが、妖怪を怖がって森林管理官の家のある森に入ってこないようにという意図があったことが確認できた。そして、講義には貴族の振りをするレンスキー氏も出席していたようで、ヒロインの小学校の先生エリシュカと夜の森を歩いているときに、恐怖に震えて、白雪姫に出てくる七人の小人におびえる男として愛想をつかされる伏線になっているのだった。気づかんかったぜ。

 そして、最大の発見が、野外映画館で公開初日の上映で、最後の最後に強風でスクリーンがびりびりに破けるのを見たイジナ・イラースコバーが、「こいつはトルハークだ」と叫んでいることだ。これまでは、直後のスモリャクか誰かの発言に気を引かれて聞き取れていなかったのだが、これは非常に大切な発言である。
「トルハーク」と言う言葉は、この映画では、大ヒットして連日満員で観客動員数も興行収入も多い映画を指しているが、本来「ちぎる、破る」という意味の動詞からできた言葉であるから、スクリーンがびりびりに破れてしまうのも、「トルハーク」と言えるのである。
 ああ、これで今まで謎だった金のことしか考えていないペトル・チェペクが演じるプロデューサーが、感情が高ぶるたびに着ているシャツを引き裂く理由がわかった。あれもある意味でトルハークなのだ。いらいらの表れというだけではなく、映画が「トルハーク」になるようにという願いのこめられた行動なのかもしれない。さらに、プロデューサが舞台挨拶に出るのを拒否したときに、監督がいう我々はみんなそれぞれ何らかの形でこの映画の完成に貢献してきたんだというのも、そのことを指しているのだろうか。いや、そこまで行くと穿ちすぎか。
 穿ちすぎついでにもう一つ思いついたことを言うと、爆発シーンが重要になっているのも「トルハーク」と関連させられなくもない。爆発物を指す名詞「トルハビナ」も、「トルハーク」と同じ動詞から派生してできた言葉なのだ。爆発で牛糞がちぎれるように飛び散るのも、一種の「トルハーク」だと言えると、この映画の目くるめくような構造がさらに緊密に構成されたものになるのだけど、どうだろうか。

 やはり、「トルハーク」はチェコ映画史上最高の作品である。誰が何と言おうと最高の作品なのである。
10月3日23時。


2016年10月04日

よほどのこと(十月一日)



 調子の上がらないスパルタ・プラハは、監督を解任したのだが、後任はまだ決まっていない。暫定の監督として、ヨーロッパリーグのインテル・ミラン戦と、エーポイシュチェニー・リーガのブルノ戦の二試合を任されたのが、スパルタのU19チームの監督、ダビット・ホロウベクだった。ヨーロッパリーグの試合の行なわれた木曜日には、U19のUEFAユースリーグの試合もあって、二束のわらじを履くことになったようだ。
 正直な話、低調なプレーが続き、けが人も多いスパルタが監督交代ぐらいで劇的に変わるとは思えなかった。しかも相手がイタリアの、現在イタリアリーグで三位に付けているということで、ボロ負けしなければ、ある程度互角に近く戦えれば御の字だろうと思って、あまり期待せずに、チャンネルをチェコテレビスポーツに合わせた。

 チャンネルを合わせたときにはすでに試合が始まっていて、誰が出場しているのか判らないまま見ていたのだが、サーチェクとか、チェルマーク、ホルツルなんて、確か夏に移籍してきたばかりの若い選手たちが出ているだけでなく、マズフも出ていた。マズフは、下の世代の代表で活躍してブルノからウクライナに移籍しベルギーを経て昨年だったか、一昨年だったかにスパルタに移籍してきたのだが、控えとしてベンチに座ることが多かった。それから中央でミスを連発して安定感を欠いたミハル・カドレツをサイドで起用したのも大当たりだった。いつものコスタが怪我なのか、不調なのかわからないけど、以前と較べるとできの悪い試合が多すぎる。
 若い選手、出場機会の少なかった選手が多かったおかげか、選手たちが躍動し、これまでのスパルタの試合に見られた倦怠感のようなものが感じられなかったのが、最初の驚きだった。ボールを奪われてもすぐに奪い返しにいき、倒れてもすぐに立ち上がるスパルタというのは久しぶりに見た気がした。そうしたら、相手のディフェンスのミスもあって、カドレツが、これまでくすぶっていたバーツラフ・カドレツが前半のうちに二得点を挙げる活躍を見せた。ラファタが出ていなかった分、自由に動き回れたのもよかったのかもしれない。
 ボールを失ったら前線からプレスをかけ、攻められていてボールを取ったら前に運び、ディフェンスラインも思い切り押し上げるという体力的にきついサッカーをやっていたので、いつまで持つのかが心配だった。そして、チェコのチームに典型的な価値を意識しすぎて、ディフェンスラインを思い切り下げてしまってゴール前に押し込まれて、失点を重ねる後半になるのではないかという危惧があった。

 しかし、後半に入ってもスパルタの選手たちの運動量は落ちず、前半と同様にインテルにほとんど何もさせなかった。正直、イタリアのチームってこんなものなのかという失望さえ感じた。スパルタの失点も、守備を完全に崩されてではなく、マズフの不運なミスからだったし、前半、後半を通じてやばいと思ったシーンはほとんどなかったのに対して、惜しいと思ったのは得点シーン以外にもいくつもあった。
 一点取られた後も、無駄に引くこともなくあっさりもう一点追加して、そのまま完勝。監督が変わるだけで、ここまで変わるのかとびっくりしてしまった。ここまでうまくいったのには、インテルの出来が悪すぎたという側面はあるのだろうけど、今後もこの暫定監督に任せてもいいのではないかと思うぐらいの変わりぶりだった。もしかしたら、この日、よほどのことが起こったのかもしれない。このインテルとの試合の出来を継続できれば、ヨーロッパリーグでも上位に進出できるだろうし、リーグ優勝も現実味を帯びてくる。問題は体力的にきついこの日のサッカーを続けていけるかどうかだろう。
 暫定監督のホロウベクは試合後のインタビューでは、ものすごく落ち着きがなくてこういうのに慣れていないことをうかがわせた。インタビュアーの質問中も、一緒にいたウイファルシとブラベツを相手に、うなづきあってわかり合っているような行動を見せたり、質問を聞いていなくて言い直させたりしていた。喜びのあまり、興奮のあまりだったのだろうか、ちょっと挙動不審だった。

 スパルタの伝説の元ディフェンス選手のイジー・ノボトニーが、暫定監督としてこのホロウベクに白羽の矢がたっとことにクレームをつけていた。ノボトニーには、ホロウベクがスパルタで選手として活躍した人物でないのが気に入らないようで、フジェビークの弟子だから選ばれたに過ぎないと痛烈に批判していた。ただのやっかみにしか聞こえないような気もするけど、ノボトニーは日本でも活躍したイバン・ハシェクが監督に復帰することを望んでいるらしい。。

 フジェビークは、以前のスパルタの監督で現在はジェネラルマネージャーのような立場にいるのかな。監督としては典型的な理論倒れで、戦術戦略では、ブリュックネルの爺様にも匹敵するのだが、それを実際のチームのプレーに落とし込むところに問題があって、滅多に本人の理論どおりのチームが出来上がることはない。ただ、まれにとんでもないチームができあがり、ってスパルタでチャンピオンズリーグのグループステージを勝ち抜けたチームと、世代別の代表で19歳以下だったか、20歳以下だったかの世界選手権で準優勝したチームの二つだけなのだけど、そのインパクトは大きく、いまだに信奉者は多いのである。
 そんなフジェビークに学んで、今のところ一試合だけだけど、しっかり戦えるチームを作り上げたのだからホロウベクという監督はなかなか優秀であるようだ。U19のユースリーグでも完勝していたし、スパルタのファンが、ホロウベクが暫定でなくなることを求めているのもよくわかる。ただ、まだ一試合だけだからね。

 現在、スパルタでは、リベレツの監督のトルピショフスキーを強奪するか、ホロウベクに続けさせるか話し合いが続いているところだろう。ホロウベクは一部リーグの監督を務めるためのライセンスはまだ獲得していないらしいが大丈夫なのだろうか。ただ、無理やりよその監督を強奪するなんてことはしなくても、自前で育てた監督を使えばいいのにとは思う。トルピショフスキーも、あちこちで監督を務めたベテランではなく、若手の有望監督の一人だから無理はしないで移るならシーズン終了後というのが無難だと思うのだけど。
10月2日23時。


2016年10月03日

略語、略称2?(九月卅日)



 昨日の続きである。昨日はいくつかの単語の頭文字を並べて略語というか略号と言うかを作るのを取り上げたが、今回は言葉となっているものを見てみよう。昨日出てきた秘密警察StBで働いていた人は、エステーバーク(estébák)と呼ばれていた。最初はStBとestébákの関係がよくわからなかったけれども。

 この手の二語以上で構成される言葉を合わせて一つの言葉にして使うというのに最初に気づいたのは、鉄道の駅でのことだった。恐らくは「早い汽車」という意味のリフリー・ブラク(rychlý vlak)から造られた急行列車を表すリフーク(rychlík)という言葉がそれである。これはすでに正しいチェコ語としても認められているようで、駅の構内アナウンスでも普通に使われている。
 日本で急行に対して普通列車のことを鈍行というから、チェコ語でも遅いという意味のpomalýから、ポマリークなんて言うのではないかと考えたのだが、実際はそうではなくてオソバーク(osobák)だった。チェコでは普通列車のことを、個人的なという意味の形容詞をつけてオソブニー・ブラク(osobní vlak)と言うのだ。オソバークはまだ正しいチェコ語としては認められていないようで、駅のアナウンスは、必ずオソブニー・ブラクを使っている。

 いつだったか、チェコテレビのスポーツ中継で、陸上競技を見ていたら、オソバークという言葉が出てきた。陸上競技で、普通列車の話が出てくるなんてありえないので、いや会場までの移動の話だったら、普通は使わないだろうけど、ありえなくはないのか。とまれ、何のことだろうと考えていたら個人的記録、つまりその選手が出した最高の記録のことだった。オソブニー・レコルト(osobní rekord)がオソバークになったわけだ。
 今度は、ハンドボールを見ていたときに、守備側が相手の攻撃の中心選手にマンツーマンのマークをつけたのを、オソブニー・オブラナ(osobní obrana)と言っているのを聞いて、これももしかして、オソバークかなと思ったのだが、残念ながらそうではなく、オソプカ(osobka)が正しかった。ワードの校正機能で赤の波線が引かれているから、オソバーク以上に認められていない俗語になるのかもしれないが、オソブニー・オブラナは女性形だから、それから作られる略称も女性名詞になるべきなのだと納得したのだった。
 それで、いろいろこの手の略語というか新語というかを集めて、元が男性だったら男性名詞になり、女性だったら女性名詞になるというルールが適用できることを確認してみることにした。

 最初に思い浮かんだのがナークラデャーク(náklaďák)で、これはトラックなどの荷物を運搬するための車を指す言葉である。正しくは、ナークラドニー・アウト(nákladní auto)だから、中性の言葉である。いや、アウトではなく、ナークラドニー・ブース(vůz)という言葉からできたものだと思えば、ブースは男性だからそれでいいのだ。
 スポーツなんかの代表チームも、レプレゼンタツェ(reprezentace)という表現もあるが、ナーロデャーク(nároďák)と言われることも多い。チェコ語でチームを表す名詞には、ムシュストボ(mužstvo)とドルシュストボ(družstvo)の二種類あってどちらも中性名詞なのだが、ムシュストボは男性だけのチームにしか使えないので女子チームにはドルシュストボを使うとか、ややこしい区別がある。だから最近は外来語の男性名詞ティームを使うことが増えている。以前は英語の表記のままteamと書かれていたらしいが、最近はチェコ語化した表記でtýmと書かれることが多い。つまり、ナーロデャークは、ナーロドニー・チーム(národní tým)の略なのだ。
 自動車免許のジディチスキー・プルーカス(řidičský průkaz)がジディチャーク(řidičák)になるのも、デパートのようなお店オプホドニー・ドゥーム(obchodní dům)がオプホデャーク(obchoďák)になるのも、小学校と中学校に当たるザークラドニー・シュコラ(základní škola)が、ザークラトカ(základka)になるのも、略される前と後で名詞の性が一致しているという点では変わらない。
 小学校で女の先生のことをパニー・ウチテルカ(paní učitelka)からパンチェルカ(pančelka)と呼んでいたというのも忘れてはいけなかった。実際には呼びかけの形で「パンチェルコ」と言っていたらしいけど。(この部分10月4日追記)

 しかし、同じプルーカスつながりで、チェコ人なら必ず持っている身分証明書を表すオプチャンスキー・プルーカス(občanský průkaz)は、男性形なのに、略語にするとオプチャンカ(občanka)と女性名詞になることに気づいてしまった。どうして、オプチャークとか、オプチャニャークにならなかったのかとは、覚えやすくなるように、こういうのにルールを求めてしまう外国人のチェコ語学習者の性である。
 他にもあれこれ思い出してみると、略称は中性名詞になりにくいのか、バスターミナルを表すアウトブソベー・ナードラジー(autobusové nádraží)がアウトブサーク(autobusák)、プラハのバーツラフ広場(Václavské náměstí)が、バーツラバーク(Václavák)、旧市街広場(Staroměstské náměstí)がスタロマーク(Staromák)といずれも略称が男性名詞になってしまう。

 この手の略称というものは、普通の授業なんかでは取り上げられることは少ないのだけど、ある程度チェコ語ができるようになって、チェコ語でしゃべっていると、チェコ人たちは、自分たちが普段使っている言葉だから知っているだろうと、普通に使い始めるのだ。もとになる表現に使われている形容詞は想像できるので、何に関係があるかぐらいはわかるのだが、具体的に何をさすかとなると説明してもらわなければわからない。上にも書いたような名詞の性が一致するなんてルールでもあれば、想定もしやすくなるのだけど、言葉の変化に際して、外国人が勉強しやすいようになんてことを考えてくれるわけはないからなあ。くやしいので、何か新しい略語を作って広めてチェコ語にしてやる。
10月2日17時。


2016年10月02日

略語、略号(九月廿九日)



 チェコ語でも日本語と同じように、いや、他の多くの言葉と同じように略語、もしくは略号が使われる。これも他の言葉と同じように、いくつかの言葉からできている表現を、それぞれの言葉の最初の一文字をとって一つの言葉、略号にしてしまうことが多い。

 日本放送協会がNHKになるように、チェコテレビは、チェスカー・テレビゼ(česká televize)のそれぞれの最初の文字を取ってČT、これで「チェー・テー」と読む。チェコ鉄道は、チェスケー・ドラーヒ(české dráhy)だから、ČDで「チェー・デー」、チェコ共和国は、チェスカー・レプブリカ(Česká republika)で、ČRと書かれる、読むときには「チェー・エル」ではなく、これで「チェスカー・レプブリカ」と読むことが多いようだ。日本の消費税のような税金はDPHで「デー・ペー・ハー」、これはダニュ・ス・プシダネー・ホドノティ(daň z přidané hodnoty)の略語である。
 オロモウツやプラハなんかの比較的大きな町に生活していると、MHDというものをよく使うことになる。これは市営の公共交通機関のことで、市が運営しているバスやトラム、地下鉄などをまとめて呼ぶ言葉である。チェコ語では、ムニェスツカー・フロマドナー・ドプラバ(Městská hromadná doprava)である。
 共産主義時代の古い映画なんかを見ていると警察の車のドアにVBと書かれているのに気づく。当時のチェコに一般的に警察、チェコ語でポリツィエ(policie)と呼ばれるものは存在せず、ベジェイナー・ベスペチノスト(Veřejná bezpečnost)と呼ばれる組織が、警察の仕事を管轄していたのだ。ちなみに、秘密警察は、StBで、「エス・テー・ベー」と読むが、これはスタートニー・ベスペチノスト(Státní bezpečnost)の略で、SBにはしたくなかったのか、最初の言葉から二文字とっている。さらにこの略号から、エステーバーク、つまり秘密警察の警官なんて意味の言葉まで作られているから、チェコ語の造語力と言うのもなかなかのものである。

 この手のチェコ独特の言葉はがんばって覚えればいいだけだが、日本語での英語を基にした略語とチェコ語の略語が異なっている場合は少々厄介である。最初にMOVというのを見たときには、中央官庁の何とか省の略号かと思ったのだが、Mはミニステルストボ(ministerstvo=省)の最初の文字だし、実際は日本ではIOCと呼ばれることの多い国際オリンピック委員会のことだった。チェコ語で、正しくはメジナーロドニー・オリンピイスキー・ビーボル(mezinárodní olympijský výbor)となる。それがわかってしまえば、ČOVがチェコオリンピック委員会のことだというのはわかるのだけど、最初は何のことやらさっぱりだった。
 スポーツ関係で続ければ、世界選手権がMS、ワールドカップがSPになるのも最初は不思議だった。日本でMSといえばマイクロソフト社が思い浮かぶし、SPは今となっては懐かしいレコードを思い浮かべてしまう。日本でチャンピオンスリーグからCLと略されるものが、チェコ語ではLM(リガ・ミストルー Liga mistrů)になるのも不思議だった。ELはチェコでもELだけど、昔はPVP(Pohár vítězů pohárů)なんてのもあったなあ。
 国際連合、略して国連は、日本では、ごろがよくないのであまり使われないだろうがUNと略されることが多いのかな。しかしチェコ語ではOSN(オルガニザツェ・スポイェニーフ・ナーロドゥー Organizace spojených národů)になる。一方で、ユネスコやユニセフは、ウネスコ、ウニツェフと微妙に発音は変わるけれども、日本語と同じ略称をチェコ語でも使う。

 そこで考えた。それぞれのアルファベットを読むものは、チェコ語化して略号を作るけれども、略号を普通の単語のように続けて読んでしまうものについては、英語、もしくは当該の機関で使用している略号を使うのではないだろうかと。NATOも、チェコ語のセベロアトランティツカー・アリアンツェ(Severoatlantická aliance)から、SAとかSAAにしてもよさそうだけど、NATOを使うし。
 でも、USAは、ウサではなく、アルファベットを別々に「ユー・エス・エー」と読むから、チェコ語を優先して、スポイェネー・スターティ・アメリツケー(Spojené státy americké)からSSAになってもよさそうだけど、そんなことはなくチェコ語でもUSAだった。問題は、日本語と同じで「ユー・エス・エー」と読むのか、チェコ語風に「ウー・エス・アー」と読むかなんだけど、個人的にはチェコ語で話すときには意地でも後者を使うようにしている。

 チェコのこういうチェコ語から略語を作る主義を見ると、日本語でもわざわざ英語から略語や略号を作らなくてもいいのにと思ってしまうのだが、よく考えたら、NHKが日本放送協会をローマ字書きして頭文字をつなげたようなやり方も正直気に入らないからなあ。だからといって、ひらがなで「にほき」なんてのも話にならないし、やはりここは、漢字で「日放協」として、必要に応じてローマ字表記するのがいいのかもしれない。いや、でも何か「日教組」っぽくて嫌だなあ。
 ということで、定着してしまってどうしようもないもの以外は、日本語ではこんな略号、略称はできるだけ使わないことにしよう。

10月1日16時。


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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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