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2017年01月28日

雪といえば2(正月廿五日)



 東京に出た高校時代の先輩が言っていた。東京に出て初めて雪が降るのに出会ったときには、歩道橋の上に立って、行き交う車のヘッドライトに照らされながら落ちていく雪が幻想的で、いつまでも見続けていたんだと。「雪国」の人にとっては、飽き飽きするような光景でも、南国育ちにとっては、未知のものに対する憧憬をかき立てるのだ。件の先輩は、夜中に雪を長時間見続けた結果、風邪を引いて寝込んだという落ちがつく。

 雪がそんなにいいものではないという現実に気づいたのは、二回目の冬だっただろうか。朝起きたら雪がちらつき見たこともないほどの雪が積もっていた。とはいっても、せいぜい数センチだとは思うけど、寒さに震えながらも、その瞬間は喜んでしまったのだ。そして大学に行こうと外に出て現実を知った。
 冬靴なんてものの存在も知らなかったし、足首まで覆うような靴も持っていなかったので、普通の靴を履いて出たら、雪が靴の中に入ってきて不快だった。雪の上を歩かなければいいのだろうと、雪の薄い部分を歩こうとすると滑りそうで歩きにくい。黒いアスファルトが見えているから雪がないだろうと、足を踏み入れたら、雪が融けてできた水溜りで、靴と靴下はもちろんズボンの裾まで冷たい水に濡れてしまうことになった。
 一度戻って着替える余裕などなく、濡れた靴で大学に向かったのだが、雪のせいで鉄道のダイヤに大きな乱れが出ており、これなら一度帰っておけばよかったと後悔した。たしかこのときである。東北地方出身の同級生が、「へえ、この程度の雪で電車止まるんだ」とさもバカにしたような口調でもらしたのは。それを聞いて、むやみに腹が立って、夏の大雨で「へえこの程度の雨で洪水になるんだ」とか、いつか言ってやる馬鹿なことまで考えてしまった。
 しかし、チェコに来て春の雪解けの水でも洪水が起こりうることを知って、東北で洪水が起こるような雨なら九州でも起こる程度には、洪水対策がされているはずだということにも気付いてしまった。余計なことを口にしなくてよかった。

 翌日だったか、翌々日だったかには、一度融けた雪が朝の寒さで凍結して、つるつる滑ってまともに歩けなかった。いや、珍しく朝一の授業を入れていた日で、遅刻しそうになって駅まで走っていたら、ものの見事に転倒してしまった。幸い交通量の少ない細い道で、車に惹かれたりはしなかったのだけど、ちょうど幼稚園のまん前で、親に連れられて幼稚園に着いたところの子供たちに、指を指されて笑われてしまったのだった。
 これで、雪というものの厄介さを十分以上に思い知らされ、雪は見るべきもので、触れるべきものではないと言うのが雪に対する態度となる。つまり、ただでさえ寒い冬に、さらにくそ寒いところに出かけて、雪の上を転がりまわるなんて正気の人間のすることではないということである。だから、チェコに来てからも、スキーなんてしたことないし、しようとも思わない。

 それから数年後、九十年代の後半に入っていただろうか、東京が何十年ぶりかの大雪に襲われたときには、昼の仕事と夜の仕事を掛け持ちしていた。都心での昼の仕事を五時ごろに終らせて、郊外の夜の仕事に向かったときには、まだ雪は降っていなかったと記憶する。地下鉄を降りて郊外に向かう私鉄に乗り換えた頃に、雪がちらつき始め、さらにJRに乗り換えて降りた時には、雪が激しくなり積もり始めていた。
 十時過ぎに仕事を終らせて帰ろうとしたときには、歩道は完全に雪に覆われ、車道も雪が残って車の進行を妨げていた。JRはすでに運行の復旧を諦め自宅に帰れなくなった人のために、駅に止めた電車の中で夜を過ごせるように、明かりと暖房を付けたままにしてあるという情報が入っていた。公営のバスは動いていたが、自宅の方に向かうものはなく、タクシーは呼んでも来てくれないというので、結局二駅分歩いてうちまで帰ったのだった。途中でタクシーを見かけて止めようとしても止まってくれなかったのは、タクシーの運転手も雪の中走りたくなかったということなのだろう。
 傘をさしても意味のない大雪の中、足元に気をつけながら一時間以上の時間をかけて家までたどり着いたときには、疲れてへたり込みそうだった。何とか風呂を沸かして入り人心地つくと、近くの踏み切りの遮断機の音が止まらなくなっているのに気づいた。駅までたどり着けなかった電車を、踏み切りのところに停車させていたらしい。うるさくて眠れないかなと思ったのに、あっさりと眠ってしまったのは、疲れすぎていたからに違いない。

 この日のことが印象に強すぎて、翌日以降のことが全く思い出せない。あれだけの大雪だったので、公共交通機関が翌日の朝から通常の運行に戻ったとも思えないのだが、ちゃんと朝から仕事に行けたのか、もしくは休日だったのか、そのあたりの記憶は完全に抜け落ちてしまっている。ただ、遅延は出したとはいえ、京王線だけが雪の中運行を続けていたという話は覚えている。山手線から西に出る私鉄の中で、東急、小田急に比べると、常に下に見られていた京王線だけが運行を続けていたというのは意外だったし、このことで京王の評価が高まったのではなかったか。

 後日、冬場に高尾山に出かける機会があり、これが京王線が雪に強い理由だったのかと思ったのだが、このときの話はまた別稿で。いやここ二日、回想シリーズ、しかも説明不足ということで、読んで面白いのかねという疑念もないわけではないが、書いてしまったので載せてしまう。
1月27日14時。



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チェコとスロヴァキアを知るための56章第2版 [ 薩摩秀登 ]



マサリクとチェコの精神 [ 石川達夫 ]





















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