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2016年04月29日

カレル四世(四月廿六日)



 チェコ系の王朝であるプシェミスル王朝が、オロモウツでバーツラフ三世が暗殺されたことで、断絶した後、ボヘミア王の地位を襲ったのは、ドイツ系のルクセンブルク家であった。このルクセンブルク家から出たのが、チェコの歴史上最高の君主とされるカレル四世である。実はこのカレル四世というのは、後に即位した神聖ローマ帝国の皇帝としての名前で、ボヘミア王としてはカレル一世なのだが、チェコでも、ボヘミア王としての名前ではなく、神聖ローマ皇帝としての名前でカレル四世と呼ばれている。これは、非常にありがたい。同じ人物を呼ぶのに立場によって別の数字を使われたのでは、頭が痛くなる。
 問題はこの人物の名前が、日本ではさまざまに書かれることで、チェコ関係者はカレルを使うが、ドイツ系の人は、カールとかカルルとか言いそうで、英語系の人はチャールズにしてくれるのだろう。逆に、チェコ語でルドビーク十四世とか言われて、誰だろうと頭をひねっていたら、フランスのブルボン王朝のルイ十四世のことだったのには、唖然としてしまった。わが敬愛するベートーベンの名前ルートビヒが、翻訳するとルイになるなんて……。
 現代の人物については、名前の翻訳をしないのだから、歴史上の人物についても、何とかしてくれないものかと思う。ただ、何人と決めかねる人の場合に、関係国の間で論争が起こりそうな気もする。その場合、英語で統一となりかねないことを考えると、現状のほうがましなのか。

 チェコには、プラハのカレル大学やカレル橋をはじめ、カルルシュテイン城、カルロビ・バリの温泉などカレル四世にまつわるものがたくさんある。チェコで初めてワインを造らせたのも、少年時代に半分人質の意味もあってフランス王の宮廷で過ごしたカレル四世だったという話もある。最初に造られたワインを一口飲んで、こんなまずいもの飲めるかと言ったのに、飲み続けて最後にはこんな美味しいワインは飲んだことがないと言い出したとかいう笑い話を、以前師匠がしてくれたんだけど、どこが面白いのかさっぱりわからなかった。チェコ語の出来が悪かったせいで肝心の部分が理解できなかった可能性はあるのだけど、チェコの冗談はわかりにくいものが多いんだよなあ。

 さて、カレル四世の生誕700年に当たるのが、本年2016年なのである。そのため、テレビでも、伝記映画をはじめ、さまざまな特別番組が企画されている。それに先立つ形でニュースで取り上げられたのが、カレル四世の健康状態に関するレポートだった。共産主義の時代に、カレル四世の棺を開けて遺骸の調査を行ったことがあったらしい。祖国の父とまで言われる人物に対してこんなことができたのは、さすが神を恐れぬ共産主義者というべきなのだろうか。今年は生誕700周年とはいえ、棺を開くことはしないそうである。

 とまれ、そのときの調査結果によると、カレル四世は、何度も大きな怪我をしているらしい。中でも頚椎に見られる骨折は、死ななかったのは、強靭な肉体と処置をした医者の腕がよかったおかげだとしか言えないのだという。もちろん幸運も味方したのだろうけど。そして、カレル四世の肖像の中には首を妙にすくめている姿を描き出しているものや、首を少し傾けているものがあるけれども、これは怪我の後遺症で、首をひねって顔を左右に向けることができなくなってしまい、頭だけでなく上半身全体を左右に向ける必要があったカレル四世の姿を見事に捉えているらしい。中世の写実的芸術ということになるのか。
 それから、下あごの骨には、四回の骨折のあとが見られるという。聞くだけでも痛そうな話だが、今回、前回の調査で残された写真などの資料を再調査した結果、肩甲骨が割れていることも判明したらしい。肩甲骨の骨折だなんて、骨折自体の痛みもすごそうだけど、それによってどんな問題が起こるのかも想像できない。

 これらの怪我の原因については、おそらく騎士の馬上試合であろうという。中世を舞台にした映画などで見かけるこの西洋の競技は、日本語で騎馬隊などという言葉からは想像できないほどに野蛮である。重そうな甲冑を身にまとって馬に乗り、手に持った、いや脇に抱え込んだ木製の長い槍を相手に向けて馬を走らせ、ぶつかる瞬間に急所をめがけて槍を動かし、相手を突き落としたほうか勝ちというものだが、いつ死人が出てもおかしくなさそうである。
 カレル四世も、槍の当たり所が悪くて下あごの骨を骨折し、馬から転落した際の落ち方が悪くて、頚椎や肩甲骨を骨折したのだろう。国王になってからは馬上試合なんかできなかったろうから、フランスでの出来事だろうか。驚くべきは、王の後継者であったのに、こんな危険を冒していたことだ。それとも当時は普通だったのだろうか。

 高校時代に勉強したことを思い出してみると、カレル四世は、いわゆる金印勅書を出して、神聖ローマ帝国の皇帝選挙制度を確立した人物である。「選帝侯」なんて栗本薫の『グインサーガ』で知った言葉が実在することを知ったときには、ちょっとした感動を覚えたものだが、チェコにいるとカレル四世の神聖ローマ皇帝としての事跡が見えいにくい嫌いがある。こういう国際的なレベルで活躍した人物の評価が、自国内での事跡に基づいて語られることが多いのはよくあることなのだろうか。ドイツやオーストリアの人たちが、カレル四世についてどのように考えているのか聞いてみたいところではある。

4月27日23時。 


 お、何ともタイミングのいいことにこんなの発見。4月28日追記。

【輸入盤】『13、14世紀プラハの音楽〜カレル4世生誕700周年記念』 スコラ・グレゴリアーナ・プラジェンシス [ Medieval Classical ]


posted by olomoučan at 06:26| Comment(0) | TrackBack(0) | チェコ
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