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2020年02月15日
チャペクの児童文学(二月十二日)
カレル・チャペクが日本で高く評価されている分野に、もう一つ児童文学がある。それほど児童文学的な作品が多いというわけではないのだが、とくに『Devatero pohádek』は、中野好夫訳で岩波書店から1952年に刊行され名訳の評判も高かったと聞く。中野訳以後、個々の短編の部分的な翻訳発表はあっても、長らく全訳が刊行されることがなかったのもその事実を裏付ける。
また、単なる翻訳ではなく、絵本作家や、童話作家がチャペクの作品を語りなおす形で作られたものもかなりの数に上る。それらの作家たちの全員が、チャペクのチェコ語の原作を目にしているとも思えず、下手をすると英語訳すら使わず、中野訳をもとにしているものもあるのではないかという疑いさえ持ってしまう。
➀中野好夫訳『長い長いお医者さんの話』(岩波書店、1952)
本の題名として、収録されているお話のひとつの題名を選んだのは、直訳では内容がわかりにくく、魅力に欠けると思われたのだろうか。「長い長いお医者さんの話」はこの作品集の中でも、最も面白いお話で、もう一つの盗賊の息子が主人公のお話と共に、傑作子供向けミュージカル映画「ロトランドとズベイダ」の原作となっている。
この本は、小学校の図書館や、町の図書館の児童室に入っていたと記憶するのだが、なぜか当時は読まなかった。チェコ語を始めた後に、チャペクの作品だということで読んでみて、何で子供のころに読まなかったんだろうと不思議に思ったものだ。小学校では低学年のころから図書室の常連で、あれこれ借り出して読んでいたのだけど。
当時読んだ本で、明確に覚えているのが、いぬいとみこ作の『北極のムーシカミーシカ』と『ながいながいペンギンの話』なのだけど、後者なんて題名からして『長い長いお医者さんの話』を意識しているのは明確なのだから、手を伸ばしていてもおかしくないのだけど、外国の作品を読むのを嫌うようなガキだったのかなあ。
翻訳物の子供向けの作品で読んだのは、高学年に入ってから、子供向けに書き直されたクリスティの推理小説が最初だっただろうか。『ABC殺人事件』は子供向けも、普通の翻訳も読んだことがあるはずだ。いや、その前に、作家の名前も、どこの国のものかも覚えていないが、『少年探偵なんとか』のシリーズを何冊も読んだか。
そのうちの一冊に「コケモモ」というものが出てきて、コケモモのパイだったかな、自分なりに想像して理解していたのだけど、後にコケモモの写真を見て唖然としてしまったのだった。このころ、推理小説もどきを読み始めたころには、いぬいとみこのような完全な子供向けの作品には目を向けなくなっていたから、『長い長いお医者さんの話』にも手を出さなかったのだろうなあ。
中野訳の『長い長いお医者さんの話』は、その後も何度も新版が刊行され、現在でも2000年に改版刊行されたものが入手可能なようである。中野がチャペクの作品を翻訳したのは、1936年に新潮社の『世界名作選』第2巻に寄せた「郵便配達の話」が最初のようだが、この作品も「郵便屋さんの話」と改題して本書に収録されている。
A栗栖茜訳『長い長い郵便屋さんのお話』(海山社、2018)
本のタイトルが別の短編の題名に変わっているが、こちらも全訳であることには変わりはない。訳者の父親である栗栖継訳も、いくつかの短編が、いろいろなアンソロジーに収められているが、意外なことに全訳して一冊にまとめたものはない。
参考
牧ひでを編著『ながいながい話』(ポプラ社、1964)
これはチャペクの作品を、章立てなどを改変して再構成したもののようである。国会図書館の目録でも「訳」ではなく、「著」になっているから、中野訳をもとに著者が書き上げたものかもしれない。
個々の短編の翻訳の中では、千野栄一訳「ソリマンのおひめさま」が注目に値するだろうか。「長い長いお医者さんの話」に登場する病気のお姫さまに焦点を当てて題名が変えられている。確認できる初出は集英社刊の『こどものための世界名作童話』第21巻(1980)。この巻に収録されているのはこの作品だけのようである。
その後90年代に入るとチャペクブームとでも呼ぶべきものが起こって、さまざまな作品が日本語に翻訳されるようになるのだが、その一端を担ったのが、写真入りの『Dášeňka čili život štěněte』である。この作品は、すでに1958年に小松太郎が「ダーシェンカ ある子犬の生いたちのお話」として訳出し、東京創元社の『世界少年少女文学全集』に収録されているが、1981年の小川浩一訳『ダアシェンカ : ある子犬のくらしから』(講談社)を経て、新潮社が1995年に伴田良輔監訳『ダーシェンカ』を刊行したことで、チャペクの犬をめぐる作品に大きな注目が集まるようになった。
伴田訳はチェコ語からではないが、チェコ語からの翻訳である保川亜矢子訳『ダーシェンカ : あるいは小犬の生活』(SEG出版、1996)が出版されただけでなく、石川達夫訳『チャペックの犬と猫のお話』(河出書房新社、1996)や、兄ヨゼフ・チャペク作のいぬいとみこ・井出弘子訳『こいぬとこねこは愉快な仲間 : なかよしのふたりがどんなおもしろいことをしたか』(河出書房新社、1996)などが相次いで刊行された。文庫化されているものも多いので、売行きも悪くはなかったのだろう。
90年代のチャペクブームの出版ラッシュについては、稿を改める。
2020年2月13日19時。
2020年02月09日
チャペクの小説2(二月六日)
SF的な『山椒魚戦争』に続いて、日本に翻訳紹介されたチャペクの小説は、推理小説的な『Povídky z jedné kapsy』である。この作品は、チェコ、いやチェコスロバキアでは、対をなす『Povídky z druhé kapsy』とともに同時に刊行されたようだが、日本では前者の翻訳が圧倒的に早かった。ただし、どちらも短編集なので収録された短編の翻訳年を基準にすれば、それほど大きな違いはない。
どちらも、全訳を刊行した訳者は二人だけである。まずは『Povídky z jedné kapsy』から。
@ 栗栖継訳『ひとつのポケットから出た話』(至誠堂、1960)
この初版よりも、後に1976年に晶文社から「文学のおくりもの」シリーズで刊行された版のほうがよく知られている。1997年には同社から「ベスト版」なるものも刊行されているが、収録された短編の数が変わっているようには見えず、何が「ベスト」なのかわからない。装丁がよくなったりしたのだろうか。古本屋で手に入れて実際に読んだのは、このベスト版だったと思う。
この本の存在はチェコ語の勉強を始める前から知っていたのだが、中学か、高校の図書館に入っていたはずだし、当時は亡くなった作家の本は原則として読まないという謎のルールで自らを縛って本を探していたこともあって、手に取るにいたらなかったのである。このルールも読んでからすでに亡くなったことを知ったりとか穴だらけのルールだったのだが、チャペクは引っかかってしまった。児童書扱いされていたのも、手を出さなかった理由になっているかもしれない。背伸びしたいお年頃だったのだ。
A 栗栖茜訳『ひとつのポケットからでた話』(東京、海山社、2011)
栗栖家の親子で同じ作品を訳した例は多いが、これもその一つ。題名の違いは感じが一つひらかれているだけ。個々の短編の題名の比較まではする気になれなかった。
個々の短編の発表は、栗栖継のものが一番多いのだが、至誠堂版の『ひとつのポケットから出た話』の刊行以後のものばかりなので、本から切り出す形でアンソロジーに採用されたものだろう。この訳者のことだから、改訳したり注を増やしたりしている可能性もあるけど。
栗栖継訳で個別に発表されたのは以下の作品。
「青い菊の花」(『ヨーロッパ短篇名作集』、学生社、1961)
「最後の審判」(『 全集・現代世界文学の発見』第12巻、学芸書林、1970)
「足あと」(『奇妙なはなし』、文春文庫、1993)
「セルヴィン事件」(『新・ちくま文学の森』4、筑摩書房、1994)
意外なのは千野栄一の翻訳が一篇しか活字になっていないことである。名著とされる『ポケットのなかのチャペック』の著者なのだから、「ポケットの中からでてきた」物語は、この人の翻訳ですべて読めるものと思っていた。それとも『ポケットの中のチャペック』に収録されているのだろうか。チェコにいると図書館にいけないから確認できない。とまれ、確実に千野訳で読めるのは「足跡」だけで、白水社刊の『現代東欧幻想小説』(1971)に収録されている。
もう一人、英文学者で詩の翻訳で知られる田中清太郎が「盗まれた機密文書」を筑摩書房の『世界ユーモア文学全集』第11巻(1961)に寄せている。この全集に田中訳のチャペクの短編は全部で5篇収録されているが、そのうち4篇は、二つ目のポケットから出た短編集のものである。
戦前の工藤訳については『山椒魚戦争』で取り上げたので繰り返さない。
それで、二冊目の『Povídky z druhé kapsy』の全訳は以下の二つ。
@田才益夫 訳『ポケットから出てきたミステリー』(東京、晶文社、2001)
A栗栖茜訳『もうひとつのポケットからでた話』(東京、海山社、2011)
どちらも日本を離れた後の刊行なので、読んでも購入してもいないと思うのだが、もしかしたら田才訳は一時帰国した際に読んだかもしれない。
個々の短編の訳では、上にも書いたように『世界ユーモア文学全集』に収録された田中清太郎訳が4篇存在する。このうち「盗まれた殺人事件」「オーケストラ指揮者の話」「結婚詐欺師の失敗」は、原典の同定に苦労しなかったのだが、「じゅうたん愛好家の悩み」は大変だった。いろいろ調べて、結局、チェコ語の内容説明から「Čintamani a ptáci」だろうと推定した。ただ、この話、日本語で読んだことがあるような気もするのである。問題はどの本で読んだかで、田才訳を読んだのか、子供向けの童話に再話されたのを読んだのか、これまでに読んできた大量の本の海に沈んでまったく判然としない。読書日記なり、記録なりつけていればよかったのだろうが、そんな暇があったら次の本を読みたがるガキだったからなあ。
栗栖継訳も4篇、「金庫破りと放火犯の話」と「なくした足の話」は、筑摩書房の『世界文学大系第』第93巻(1965)に、「盗まれたサボテン」と「切手収集」は学習研究社の『世界文学全集』第34巻(1978)に収録されている。このうち「切手収集」には、クンデラの『冗談』の訳者として知られる関根日出男訳(『世界短編名作選 東欧編』、新日本出版社、1979)が、「金庫破りと放火犯の話」には、栗栖茜訳(『ちくま文学の森』7、筑摩書房、2011)が存在する。
こうして見ると、このちょっと推理っぽい作風は筑摩書房の好みに合ったのか、筑摩の全集やアンソロジーに収録されたものが多い印象である。
2020年2月7日16時。
2020年02月05日
カレルチャペクの小説1(二月二日)
頑張って続ける。カレル・チャペクの小説の中で、戦前日本語に翻訳されたものは、短編が一つ二つあるだけである。一つ目は、近代社が刊行していた『世界短篇小説大系』(1925)の「小国現代短篇集」に収録された「足跡」である。この本の特徴は国名が「チェッコスロワキァ」となっていることで、当時まだカタカナ表記に揺れがあったことが見て取れる。訳者は工藤信となっている。
同じ作品が翌年、新潮社が刊行した『世界小説集』(1926)にも収録されているが、国会図書館の目録には訳者の表記がない。この書物が「年刊」で「1926年版」と銘打たれているところを見ると、前年に発表された翻訳小説を集成したものとも考えられるので、こちらも工藤信の訳である可能性もある。国名表記はさらに迷走して、「チェック・スロワ゛キア」。
問題は、この作品が何の翻訳なのかだが、1929年に発表された『Povídky z jedné kapsy』に収録されている「Šlépěje」のようである。ただし、1917年発表の『Boží muka』の一篇「Šlépěj」の可能性もある。本全体の翻訳出版は、前者は戦後、後者はビロード革命後を待たなければならないのだが、短編がすでに1920年代の半ばに日本語に翻訳されていたことは、注目に値する。
もう一つ、国会図書館の目録で確認できる戦前の翻訳は、なぜか俳句雑誌に載っている。俳誌「層雲」といえば、自由律俳句の立役者であった荻原井泉水の主催した雑誌であるが、この雑誌の昭和25年5月に発売された30巻1号に「影」という作品がチャペクのものとして収録されている。翻訳者は山郊汀となっている。俳人だと思われるが、詳細は不明。不明といえばこの作品の原典もよくわからない。俳誌だから小説ではなく随筆だろうか。
ということで、原典がはっきりしている小説の翻訳は、『Válka s mloky』(1937)が最初ということになる。『R.U.R.』と同様に、人間に奉仕させられていた存在が、人間に対して反乱をおこし人間を滅亡に追い込むというモチーフは、SF的に高く評価されたのか、SF関係の出版社からの刊行が目立つ。
➀樹下節訳『山椒魚戦争』(世界文化社、1956)
最初の翻訳は、SFではなく、左翼系の文化人によるものとなっている。ソ連、東欧圏の文学の紹介者の例にもれず樹下節も共産党関係者である。チェコ語ではなく、ロシア語版からの翻訳と思われる。その後、1956年に左翼系の三一書房から三一新書の一冊として刊行され、1966年には、角川文庫にも収録されている。
A松谷健二訳『山椒魚戦争』(創元推理文庫、東京創元新社、1968)
SFの世界では、「ペリー・ローダン」シリーズの翻訳者として、学問の世界では北欧文学の研究者として知られる松谷健二がチャペクの作品を訳していたのは知らなかった。おそらくドイツ語からの翻訳であろう。プラハの春に関係する本の翻訳もしているから意外というほどでもないのかな。松谷健二は、何人もの作家が共同で執筆している「ペリー・ローダン」の翻訳を一人で担当して二ヶ月に一冊以上のペースで刊行し続けたことかもわかるとおり、翻訳のスピードがとんでもなかったらしい。「ペリー・ローダン」シリーズをつまみ読みしたときに「ヴルチェク」という明らかにチェコ系の名字の作家を発見して喜んでしまったことがある。
➂栗栖継訳「山椒魚戦争」(『世界SF全集』第9巻、 早川書房、1970)
この栗栖訳が日本語で一番長く、そしてたくさん読まれた『山椒魚戦争』ということになるのだろう。『世界SF全集』では、ソ連の作家エレンブルグとともに収録されていたが、1974年にはハヤカワSFシリーズの一冊として単行本化された。その後、1978年には岩波文庫に収録、ビロード革命後の1992年の岩波文庫の新版を経て、1998年に早川に戻ってハヤカワ文庫に収められた。訳者の後書きなどによると、新しい版が出るたびに翻訳に手を加えていたという。買って読んだのは最後のハヤカワ文庫版だったろうか。チェコ語の勉強を始めた90年代の後半には岩波文庫版はすでに書店から姿を消していたと思う。最近重版されたようだけど。
C栗栖茜訳『サンショウウオ戦争』(海山社、2017)
最新の翻訳ということになるが、表記をカタカナにしたのはなぜだろう。子供も読めるようにという配慮なのだろうか。カタカナにすると学名っぽくなってちょっと違和感があるかな。
以上が全訳なのだが、抄訳や、再話と思われるものも存在している。
D小林恭二・大森望訳『山椒魚戦争』(地球人ライブラリー、小学館、1994)
いや、漫画や学習書の出版が中心だった小学館が、突如この翻訳を中心とした「地球人ライブラリー」を刊行し始めたときには驚いたし、その一冊としてチャペクの『山椒魚戦争』が刊行されることを知ったときには大いに期待したのである。初めてのチェコから戻って一年ぐらい後だったし。ただ出版されたものを手に取って、それが全訳でなく、しかも訳者が……ということで、買うのはやめた。小林恭二は俳句短歌関係の仕事は悪くないと思うのだけど……。大森望が絶賛している本で面白いと思った本は少ないし……。まあ、そういうことである。
子供向けの再話だと思われるのが、『少年少女世界の名作』32(小学館、1973)に収められた「さんしょう魚戦争」である。森いたるという人が文章を担当しているが詳細はわからない。
この『山椒魚戦争』は、児童書を除けば一番読まれたチャペク作品ということになりそうである。
2020年2月3日20時。
2020年02月04日
カレル・チャペクの戯曲残り(二月朔日)
戦前に日本語に翻訳された三つ目のカレル・チャペックの戯曲は、『Věc Makropulos』である。これは、不老不死をテーマにした作品で、レオシュ・ヤナーチェクがオペラに仕立てたことでも知られる。日本ではオペラ作品の方が有名だったかもしれない。
ロボット、もしくは人造人間同様、不老不死というのもSF的ではよく取り上げられるテーマの一つだが、この作品が戦後のSFブームの中で日本語に翻訳され出版されることはなかった。それはともかく、日本で刊行されて国会図書館に所蔵されているのは以下のものである。
@ 北村喜八訳「マクロポウロス家の秘術」(『世界戯曲全集』第22巻、近代社、1927年)
A 鈴木善太郎訳「マクロポウロス家の秘法」(『近代劇全集』38巻、第一書房、1927年)
同じ年に同じ作家の同じ作品が別の訳者によって翻訳され別々の全集に収録されたという珍しい例になっている。『虫の生活』も両方の全集に入っているが、あれは北村訳が最初に単行本として刊行されたものが収録されたという点で違う。とまれ、同時期に同じような戯曲の全集が刊行されたということは、当時の日本社会において、特に文学の世界において戯曲、演劇というものが果たしていた役割の大きさを示しているのだろう。
B 田才益夫 訳『マクロプロス事件』(世界文学叢書1、八月舎、八月舎、1998年)
三番目の翻訳は、ビロード革命後、1990年代の終わりまで待たなければならなかった。英語からの重訳と思われる前の二つの翻訳が「マクロポウロス」という表記を採用しているのに対して、「マクロプロス」となっているのは、チェコ語の読みにあわせたものか。「Věc」をどう訳すかというのも問題になるのだが、どの訳がいいのかはなんともいえない。直訳すると「物」とか「こと」となる。
この本は、チェコに来る直前の出版で、当時はチェコ関係の本は買いあさっていたから手に入れて読んだ。終わり方に釈然としないものを感じて、これではSFの枠では評価しにくいんじゃないかと思った記憶がある。問題は、同時期にヤナーチェクのオペラの対訳も読んでいることで、どちらを読んでの感想だったのか判然としない。
その後、当然といえば当然だが、田才益夫訳『チャペック戯曲全集』(八月舎、2006年)にも収録されている。
また、海山社のHPによれば、栗栖茜訳の「マクロプロスの秘密」が、「白い病気」とともに『カレル・チャペック戯曲集』IIとして刊行準備中だという。
ビロード革命後に最初に翻訳されたのは、『Bílá nemoc』(1937)で、チェコ国内では、発表の同年にフゴ・ハースによって映画化されている。ハースは、戦前のチェコスロバキアを代表する俳優兼映画監督の一人だが、ユダヤ系だったために、ミュンヘン協定後にアメリカに亡命し、アメリカでも俳優や監督として活躍した人物である。
現在までに出版された日本語訳は以下の二つ。
@ 栗栖継訳「白疫病」(『カレル・チャペック戯曲集』1、十月社、1992年)
A田才益夫 訳「白い病気」(『チャペック戯曲全集』、八月舎、2006年)
翻訳とは直接関係しないが、十月と八月という二つの出版社の間に、何か関係があるのだろうか。チェコとのつながりで言うなら、十月はチェコスロバキアの独立した月で、八月はプラハの春の民主化運動がソ連などの軍隊の侵攻によって弾圧された月ということになる。考えすぎだろうか。海山社から栗栖茜訳の刊行準備中なのは上記の通り。
田才益夫訳『チャペック戯曲全集』にはさらに二つの作品が収録され、『Loupežník』(1920)は、ちょっとひねって「愛の盗賊」、『Matka』(1937)はそのまま「母」と題されている。「母」のほうは、ドイツにおけるナチスの台頭を背景にした、反戦、反ファシズムの作品だというのだけど、内容は想像もつかない。
2020年2月2日23時30分。
【輸入盤】『マクロプロス事件』全曲 マルターラー演出、サロネン&ウィーン・フィル、デノケ、ヴェリ、他(2011 ステレオ) [ ヤナーチェク(1854-1928) ] |
2020年02月03日
チャペク兄弟の戯曲(正月卅一日)
せっかく始めたので、最初ぐらいは何度か連続で書いておくべきだろう。ということで昨日までに引き続いて、チェコ文学の日本語への翻訳の紹介である。カレル・チャペクの作品として日本語に翻訳され刊行された二つ目は、兄ヨゼフとの競作の『Ze života hmyzu』(1921)である。
@北村喜八訳『虫の生活』(原始社、1925年)
宇賀訳によって『R.U.R.』が刊行されてから二年後の出版。表紙と奥付は『虫の生活』だけだが、扉には「昆虫喜劇」という副題が記される。訳者の北村喜八は、大正末から昭和の初めにかけて日本の演劇を主導した築地小劇場の関係者。この劇場はプロレタリア系の劇団が活動の場としていたから、チャペクの作品も左翼的な文脈で受容されたのかもしれない。
北村訳は、宇賀訳の『人造人間』とともに、『世界戯曲全集』第22巻(近代社、1927年)にも収録されており、確か築地小劇場での公演の際の写真が付されていたと思う。舞台装置の担当は村山知義だったかな。昔神田の古書市で発見して購入したのだが、戯曲の壁の高さに読まないままにしてしまっている。その結果、この作品の内容については触れようもないのである。
A鈴木善太郎訳「虫の生活」(『近代劇全集』第38巻(第一書房、1927年)
訳者の鈴木善太郎は、単行本となったのは『ロボット』だけだが、戦前に翻訳されたチャペクの戯曲三作をすべて翻訳し出版した唯一の人物である。『近代劇全集』は、第一書房が1927年から刊行を開始したもので、第38巻は「中欧篇」と題されすべての作品を鈴木善太郎が訳している。
B新居格訳「虫の生活」(『世界文学全集』第38巻、新潮社、1929年)
訳者の新居格は、大学卒業後新聞社を経て大正の終わりから昭和の前半にかけて左翼系の評論家として活躍した人物。翻訳者としても活躍しておりその業績のひとつがこの作品の翻訳である。『世界文学全集』は新潮社から1927年に刊行が開始されたもので、第38巻は最終巻にあたる。「新興文学集」と題されているが、第一次世界大戦後に独立した国の文学ということだろうか。新潮社では戦後も1960年から『世界文学全集』を刊行しているが、こちらには『虫の生活』を含めチャペクの作品は収録されていない。
C田才益夫 訳「虫の生活から」(『チャペック戯曲全集』、八月舎、2006年)
D栗栖茜訳「虫の生活より」(『カレル・チャペック戯曲集』1、海山社、2012年)
戦後、SFの世界で再評価が行なわれ新訳が出版された『R.U.R.』と違って、『Ze života hmyzu』の新訳が登場するのは2000年代に入ってからになる。どちらもチェコ語から翻訳されただけのことはあって、題名の「ze」がしっかり訳されている。ただ演劇の題名としてあったほうがいいのかは、また別問題のような気もする。意外なのは栗栖継の翻訳がないことだが、十月社から刊行していた『カレル・チャペック戯曲集』が二冊目の刊行を見ることなく終わってしまったせいであろうか。
チャペク兄弟の合作した戯曲はさらに二つ存在しており、どちらも田才益夫 訳『チャペック戯曲全集』(八月舎、2006年)に収録されている。『Lásky hra ostudná』(1910)は「愛・運命の戯れ」、『Adam stvořitel』(1927)は「創造者アダム」と題されている。これが日本にいるときに出版されていたら、迷わず購入していたんだろうけど……。
2020年2月1日16時。
2020年02月02日
戦後の『ロボット』(正月卅日)
➂深町真理子訳「RUR」(「SFマガジン」1964年9月号。早川書房)
戦後最初の『R. U. R. 』の翻訳は、何と「SFマガジン」に掲載されている。意外と言うほどのことはないのかもしれないが、訳者の名前を見たときに驚いた。ハヤカワ文庫で海外のSFやら推理小説やらを読み漁っていたころよく目にした名前で、こんな人がチェコのチャペクを訳していたとは思いもしなかった。雑誌上では「クラシックSF」と銘打たれている。この深町訳は早川からは刊行されておらず、それがSFファンだった我が目に入ってこなかった理由であろう。
その後、早川書房と喧嘩別れしたらしい、「SFマガジン」初代編集長の福島正実が講談社から刊行していた「海外SF傑作選」のうちの一冊、『華麗なる幻想』(1997年)に「RUR-ロッサム万能ロボット会社」と改題して収録されている。問題はチェコ語版の「Rossum」を「ロッサム」と読むのか、「ロッスム」と読むのかだけど、どっちなんだろう。
C栗栖継訳「ロボット」(『世界文学全集』34、学習研究社、1978年)
4つ目の翻訳にして、初めてチェコ語からの翻訳と言いたいところだが、訳者の栗栖継は、初期にはエスペラント語版からの翻訳もしているため、この翻訳がチェコ語からの翻訳かどうかは不明。学習研究社、略して学研が『世界文学全集』なんてものに手を染めていたとは知らなかった。全部で50巻刊行したらしい。80年代ぐらいまでは「学習」と「科学」を出しているだけだと思っていた。
その後、栗栖訳は、金沢の十月社から刊行された『カレル・チャペック戯曲集』1(1992年)にも収録されているが、同じ本でも版を重ねるたびに改定の手を入れたらしい訳者のことなので、大きく改訳されていると思われる。こちらの訳は当然チェコ語版に基づいたものになっているはずである。
D千野栄一訳『ロボット 〈R. U. R. 〉』(岩波書店、1989年)
言わずと知れたチェコ文学? チェコ語学の大家の翻訳だが、今回確認して意外と刊行が遅いことに驚いた。すでにいくつかの翻訳が刊行されていたことが理由だろうか。岩波文庫の一冊として刊行され、薄い本の多い岩波文庫の中でも薄く、買うのをためらった記憶がある。前回と今回紹介した翻訳の中で、唯一、実際に手に取って購入して読んだことがあるものである。感想は、戯曲読むのはつらいわということしか覚えていない。
岩波書店は、書籍の再販制度に加わらない特殊な販売形式をとる出版社で、市場に飢餓感を出すために、「品切れ、重版未定」の状態で放置された本が多いことで悪名高いのだが(特に文庫の黄帯の古典文学なんかふざけんなと言いたくなる)、この千野訳は現在でも問題なく入手できるようである。税込みで726円、チェココルナにすると200行かないぐらいかあ。文庫だと考えると、チェコ的な金銭感覚では高いよなあ。チェコは文庫版がないから本はそれなりに高いんだけどね。でも再販制もないから、意外と安く変えることもある。
E田才益夫訳「RUR」(『チャペック戯曲全集』、八月舎、2006年)
訳者は確か演劇関係からチェコ語、チェコ文学の世界に入った方で、エッセー集などの翻訳、出版を精力的に進めている。この辺まで来ると、こちらが日本を離れてからの刊行なので、書くこともあまりない。この『戯曲全集』には、兄ヨゼフ・チャペクとの共作も含めて、多くの作品が収録されており、そのうちのいくつかはこれまで日本語に翻訳されたことのない作品である。詳しくはその作品の紹介の際に。そこまで続くかどうかはわからないけど。
F栗栖茜訳「ロボット」(『カレル・チャペック戯曲集』1、海山社、2012年)
訳者は、すでに登場した栗栖継の息子で、本業は医師。出版者の海山者は訳者の個人出版社のようなものらしい。気になるのは、父親の訳とどの程度差があるのかだけど、誰か確認してくれんかな。
全訳されたものは以上だが、戦前同様、抄訳なのか翻案なのか、抜粋なのかよくわからない形で発表されたものがある。一つ目は平凡社が刊行していた『現代人の思想』第22巻(1968年)に収録された「戯曲『ロボット製造会社R・U・R』」。訳者の表記は「鎮目恭夫編訳」となっているので、単なる全訳ではなさそうである。また、主婦の友社の『いのちを感じる心が育つおはなし』(2012年)にもチャペクの作品として「ロボット」が収録されているようだが、ページ数から考えても抜粋としか思えない。
2020年1月31日24時。
2020年02月01日
戦前の『ロボット』(正月廿九日)
チェコ語起源の外来語というのは日本語にはほとんど存在しないが、そのうちの一つである「ロボット」が完全に日本語に定着し、日常的に使用されていることを否定する人はいるまい。そのロボットという言葉を世に送り出したのが、チェコスロバキア第一共和国の誇る作家カレル・チャペクの戯曲「R.U.R」である。「ロボット」という言葉自体は、カレル本人の発案ではなく、兄ヨゼフのアイデアだったなんて話もあるようである。
この作品でのロボットは、現在一般的になっている機械的なロボットではなく、人間の体の組織を別々に培養し、それを組み立てて生産するという、よく考えると恐ろしいものなのだが、人間が作り出した人間と同じように動き、人間のために働くものという点では機械的なロボットと同じである。その本来自我を持たなかったロボットたちが、人間に対して反乱を起こすというあたりが極めてSF的で、チェコとは何の関係もないSF関係者の間でもよく知られた作品だったようだ。
では、日本での受容がどうだったのだろうかということで、国会図書館のオンライン目録を使って調べてみた。うまく行ったら、これも定期的なシリーズにしようなんてことを考えつつ、あれこれ検索をかけて、わかったのは作者名としては、出版物における表記がどうであれ原則として「チャペック」で登録されているということ。ただし一部の作品だけは「チャペク」になっているのもあって完全に統一はされていなかった。
チェコスロバキアで、この作品が刊行されたのは独立後間もない1920年のことだったが、日本語訳が最初に出版されたのは1923年である。当然、当時はチェコ語からの翻訳者など存在しておらず、英語かドイツ語に翻訳されたものからの重訳であったことを考えると、かなり早いといってよさそうだ。
@宇賀伊都緒訳『人造人間』(春秋社、1923年7月)
これが国会図書館に所蔵される最初の日本語訳である。現在の「ロボット」という言葉にまとわりつく機械的なイメージを考えると、この『人造人間』のほうが、内容に即した題名と言えるかもしれない。一方、作者名のカタカナ表記が「カアレル・カペツク」になっており、チェコ人の人名について知識がなかったであろう時代をしのばせる。英語からの重訳であろうか。ちなみに、国会図書館のデジタルライブラリーで確認したところ、扉の作者名表記は「カペック」と促音が小さく「ッ」で表記されているように見える。春秋社は現存する出版社で、作家の直木三十五が創設にかかわったという話である。
また、宇賀伊都緒の訳は、近代社が刊行した『世界戯曲全集』第22巻(1927年)にも収録されているが、高橋邦太郎も訳者として名前が上げられている。宇賀の訳を高橋が改訳したのか、共同で改訳したのかは不明。作者名表記は、姓しか確認できないが、「チヤペク」。拗音が直音で表記されていた時代なので、これで「チャペク」と読ませていたと考えてもいいか。国名表記は「チエコ・スロワキア」で、「ヴァ」の音を「ワ」で代表する表記がすでに登場している。
A鈴木善太郎訳『ロボツト』(金星堂、1924年5月)
金星堂から「先駆芸術叢書」の第二編として刊行されている。この叢書は、「ゲエリング」の『海戦』を第一編として刊行が開始され、国会図書館のデジタルライブラリーでは第十二編までの刊行が確認できる。作者名表記が、表紙と扉では「カーレル・チャペック」と今日につながる拗音と促音の表記がなされているところには、宇賀訳の翌年の刊行であることを考えても驚きを隠せない。ただし、奥付の表記は「チヤペツク」である。これには翻訳者の鈴木善太郎が新聞社の出身であることが影響しているかもしれない。新聞社であれば世界中に特派員を派遣していただろうから、チェコ語の人名についてもある程度の情報があったと考えられる。左翼が強かった当時の演劇関係者のソ連人脈からの情報ということもありえるのかな。
ちなみに表紙にはなぜか国名が入っていて、「チエツク」となっている。これは当時行なわれていた「チェックスロヴァック」という表記の略なのか、チェコとスロバキアは別の民族だという知識に基づくものなのか。「緒言」に「ボヘミア語」なんて表記があるところを見ると前者だろうか。
また、鈴木訳は平凡社が刊行した「新興文学全集」第20巻(1930年)にも、「ドイツ篇」の末尾に付される形で収録されている。こちらでの国名表記は「チエツコ」。この全集は当時平凡社が続々と刊行していた左翼系の全集シリーズの一つで、当時の様子、いかに平凡社が全集で儲け、いかに左翼系の文化人に食い物にされていたかは、荒俣弘の『プロレタリア文学はものすごい』(平凡社新書、2000年)に詳しい。
戦前に刊行された『R.U.R.』の日本語訳は以上の二つなのだが、雑誌「婦人之友」の大正十四年七月号(1925年)に「近代劇物語 人造人間」と題した作品が掲載されている。作者は「カール・チヤペツク」で訳者は前田晁となっているが、これが全訳なのか抄訳なのかは、デジタルライブラリーでは見られないので確認できない。
それから、桜井学堂が1929年に刊行した『未来科学の進化』(日本学士院出版部)に「人類に奉仕する十億人の機械奴隷」と「地球を占領した人造人間」という二つの文章がチャペクのものとして掲載されている。どちらも「ロボット」を思わせる題名なのだが、『R.U.R.』との関連も訳者も不明。
以下いつになるかわからんけど次号。新たにチェコ文学のカテゴリーを立てるけど、文学云々の話にならないのはいつものことである。
2020年1月30日9時。